令和三年一月の連絡


皆様、あけましておめでとうございます。幾つか連絡がございます。
コロナウイルスの影響は深刻で去年だけでなく今年もその影響は大きいです。


私は月に一回投稿されてるブログを閲覧しました。投稿後の29日後以降に運営会社によって広告が行われてました。
従いまして紹介を投稿する日と連絡の日を分ける決断を下しました。
今後は可能な限りその月の一日から中旬迄に紹介の投稿をします。
 同様に連絡は八日以降の祝祭日かその月の中旬から月末迄に行います。 8+28=36 36-31=5
この方針であれば28日間投稿しないといった状態はほぼ回避されます。私も弱い一人の人間。親戚に体調不良の人物がおります。
2018年だけで4回訃報が我が家にもたらされました。
 そういった事情から過去のように頻繁な投稿は難しいので投稿回数の削減は仕方ないし現在はドリアン長野本人が管理してるブログが存在してるのでそちらで楽しんでもらっても一向に構いません。
何か特別な出来事がない限りは頻繁な投稿は控えるつもりです。 出来る事、出来無い事はございます。

 皆さん、ご理解下さい。

 当方では規模縮小の一環でgooフォトチャンネル上における新規投稿は今後、控えます。

 平成十年代頃のアドビフラッシュプレーヤーは良かったのですがセキュリティの問題が発覚し昨年末でアドビのサポートは終了しました。スライドショー等は楽しめましたが現在はHTML5等に切り替わりました。
令和三年時点においてもアドビフラッシュプレーヤーを用いたホームページを運営されてると問題です。
今月12日以降フラッシュプレーヤーでのコンテンツの実行はブロックされると言われてます。 一つのソフトの時代が終了しました。
改善を求めても否定する人はいるがこの一件は別格扱いしてもらいたい。コンピューターウイルスで困る恐れがあるホームページの閲覧や放置や固執は良くないので改善が求められてます。
 皆様、ご理解願いたい。

アドビフラッシュプレーヤーについての詳細は上記で紹介した動画を参考にされるか皆様でお調べください。

ドリアン長野は鳥取県米子市の出身で実家は長野紙店でしたがすでに売却し後継店舗はラトリエさん(ゲストハウス)になりました。

昨年ばかりか今年も日本だけでなくタイランドではコロナウイルスの悪影響で困ってる人は多いです。

 


香港で民主派議員が53名も逮捕され、投票結果に納得しなかった人々が米議会乱入で四名の尊い人命が失われ、英国ではコロナウイルスによって一日の死亡者数が千人以上に至ったそうです。
Anarchy In The U.K ? 英国は無秩序になったのか?
海外旅行が行えたことは貴重な機会ですがそれを妨害した人は間違えてます。旅行中に人命を危険にさらす行為は毎日フェイスブックのタイムラインに詰問することで罪悪感が欠落してる異常者はおります。犯罪者への連絡を好む極悪人はおります。

 

 

 

 

 

 




「帰ってきた。」という感じがしました。
ドリアン長野本人が海外旅行記の加筆修正をした上での再投稿をノート上で昨年から行ってますのでこれからが楽しみです。私が管理してるブログの文章を利用して再掲載してるのかな?
 私も海外旅行の懐古はしました。コロナの悪影響で渡航は行えなくても懐古は行えます。


コロナの悪影響は大きいです。 紹介について述べますが可能な範囲で行ってます。某C社さんは今月はそれなりの決断を下されました。
皆様も色々な事情があり30日間以上新規投稿が行えた時期があったと思います。
昨今の異常な状況を鑑みますとやむを得ないと私も考えますので過去30日間に一回も投稿が行われなかったならばホームページのURLのみ紹介することはあり得ます。
趣味で運営してますのでこちらの可能な範囲で運営してます。無論、管理も重要ですのでそれなりの決断は下しました。

最近になってこのブログを閲覧された方々に連絡。

ドリアン長野は2010年以前に何度も海外旅行しただけでなく、2010年代に福知山マラソン完走を二回成し遂げたばかりか、頻繁にカレーライスを実食し調理しました。
海外旅行、マラソン、カレーライス、そして書評等について述べてるので楽しんで下さい。

ドリアン長野のカレー三昧(はてなブログ版)


ドリアン長野のランニングな日々(マラソンの記録)

gooブログ版 ドリアン長野の海外旅行記のリンク集

ドリアン長野の読書三昧

ドリアン長野フェイスブック

ドリアン長野ツイッター

ミキナナチャンネル

ノート版ドリアン長野


敬具 管理人マーキュリーマーク
以下は特別に年始の挨拶をドリアン長野が行ってたので特例的に転載します。
明けましておめでとうございます㊗️
長年書き続けてきた「長野史」もやっと8割ほど出来上がり、今年には完成しそうです。
現在時点で原稿用紙80枚を超えてしまいました。
ご協力いただいた地元の皆様には感謝しかありません。
去年オープンした「ラトリエ」もよろしくお願いします。以下は閉店時の雑感です。
わが故郷は日本一人口の少ない県で、進学や就職による県外流出に歯止めがかからない。
かくいう僕も高校卒業後に都会に憧れて家を出た。
実家のある商店街は地方都市の例に漏れず、シャッター通りになっていて、営業している店は一割にも満たない。
昭和26年にこの商店街が全国の嚆矢となった土曜市の賑わいを知っている僕としては寂しい限りだ。
時代の流れには抗えず、明治創業の長野紙店も廃業することになった。
屋号のとおり障子紙や襖紙などを商っていたが、昭和35年に母が文房具を仕入れることを提案し、父が自分の趣味でプラモデルを置くことにした。
先見の明と言っていいだろう。
夏、中学の半ドン(この言葉も死語だ)が終わって、商店街に入ると氷柱があちこちに置かれ、ハワイアンが流れる。それだけでワクワクした。
個々の店では歳末大売出しをし、銀行の前でやるくじ引きのガラガラという音が響く。思えば懐かしいことばかりだ。
一応売り家に出したものの、売れるとは思っていなかった。が、一年半後、仲介業者から連絡があった。
「買いたいという人がいます。フランスのかたです」
興味を持った僕は帰省して仏語教室や観光ガイドをしているというそのフランス人と会った。
16年前、23歳でエンジニアとして日本に来た彼はこの街の海と山に魅了され、日本人女性と結婚し、永住を決意したそうだ。
そして今、僕の家をゲストハウスにしたいと言う。
「私はこの街を深く愛しています。商店街の開発に参加できることをとても嬉しく思います」
思わず目頭が熱くなった。この街に生まれ育った僕がこの街を捨て、外国人である彼がこの街を愛してくれている。
彼の故郷のノルマンディーの海もわが故郷と同じようにきっと青く澄んでいるのだろう。
彼が帰ったあと、副店長が感に堪えぬように言った。
「まるで青い眼のサムライですねえ」
実は売却できたという安堵感よりも実家が無くなるという喪失感の方が大きかったが、彼が買ってくれてよかった。ご先祖様もそう思っているに違いない。

 オマケというか管理人マーキュリーマークからのちょっとした連絡
 半ドン医療機関というか診療所が今でも行ってるから死語とは言い難いのでは? 今回、長文に至ったのは仕方なかった。
実質的にドリアン長野がノートで再登板してるからこれからの投稿が楽しめそうです。 追記は行われるのかな? 言うまでもなく、これからもノート上での投稿は紹介する予定です。皆様、お楽しみに。

 

 回顧を兼ねた書評
 僕の初海外旅行は26歳の時のインドだった。
 当時往復チケットは年末料金だったので30万した(泣)。
 行く前は椎名誠の「わしもインドで考えた」を熟読。
 インドでは尻の毛まで抜かれるほどぼったくられ、下痢と発熱で散々だったけど、
 それからはリーマンパッカーとして主にアジアをふらふら。
 アフリカは遠すぎて行けなかった。新婚旅行もバックパックでバンコクと香港へ。
 香港では雑居房のチョンキンマンションで二泊し、妻はぐったりしていた。
 バンコクでは安宿と高級ホテルと泊まり歩き、マリオットのプールで
 溺死しそうになったのは今ではいい思い出だ(嘘)。
 旅も好きだが、旅行記も好きだ。
 この本は主にアフリカ旅行のエッセイだが、面白い。
 何よりも文章がうまい。
 奥さんとのなりそめを綴った「追いかけてバルセロナ」なんか疾走感があり、
 一気に読め、感動的でさえある。
 朝の通勤の地下鉄で読んでたけど、日本にいながら気持ちはバックパッカー。
 旅の本もいいけど、また出かけたいなあ。