令和三年昭和の日の連絡

大阪出身で東京に住む友人は帰省すると「お前は大阪を捨てた」と言われることがあるそうです。 彼はその度に言います。 「故郷を出ていった人間の方が人一倍故郷を愛している」 長野紙店がゲストハウスになったこと。フランス人オーナーのミカエルさんのこと。今はバラバラに住む親子兄弟。 望郷の念を込めて書いたエッセーが4月13日の産経新聞朝刊「朝晴れエッセー」に掲載されます。 ご興味ある方はご一読ください。

長野 美樹さんの投稿 2021年4月1日木曜日


 今月、何度も投稿したのは紹介しないといけなかったので仕方ありませんでした。

 ゴールデンウイークが始まりました。皆様の中にはこの時期に良き思い出を連想されるやもしれません。
令和三年四月13日にドリアン長野が執筆したエッセーが産経新聞に掲載されましたので快挙を成し遂げました。おめでとうございます。
告知して有言実行を成し遂げたのは立派です。悪質な偽予言者はいるが良い意味で全く逆です。憎悪されてるコロナは公共の敵と同じ位に大きな損害を社会に与えてます。実質的に旅行の妨害をしてるのは大きな罪悪です。
世の中には不要な連絡に固執し私に迷惑をかけてきた人がいたので逆に嘲笑してしまうことがありましたが今回の連絡は不可避でした。
我々が抱えてる試練は大きいですが良き時間を過ごしてください。

当方はある特定の個人から連絡を受けたくありません。
平成27年十月に私がカナダのバンクーバーを旅行中にある特定の個人から雇われた人が毎日フェイスブックのタイムラインに詰問されて大変辛かったです。旅行中に詰問されると防犯上よろしくないので大変辛い思いをしながら返答してました。返答からどういった解釈をされるか?信じてもらえないかもしれませんが慇懃無礼な嫌がらせの被害にあいました。
それだけでなく令和になっても別の人が雇われて不要な連絡がございましたが今後は控えて下さい。病気やケガで困ってる時に長電話をされて困ったのと同じ位に辛かったです。
従って、これ以上の連絡は控えてもらいたいし皆様も警戒して下さい。

長野 美樹さんの投稿 2021年4月22日木曜日


昭和から平成にかけて営業してたお店は令和になってから切り替わったそうです。 実質的に前述しましたがドリアン長野は米子市の出身で親御さんは長野紙店を経営してましたが令和になってからは店舗を売却しました。

 推奨したいホームページについて連絡します。
当方は推奨したいホームページを紹介する為にツイッターも利用してます。紹介用と銘打ってますのでドリアン長野が利用してるツイッターとは区分けが行てると自負してます。
万が一の事があったなら推奨したいホームページについてはトップページの文字リンクに切り替えることも考慮しております。

 平成15年3月から平成19年の夏迄goo簡単ホームページを利用してドリアン長野は海外旅行記等を発表してました。
隣の家の芝生は青く見えると申しましょうか良きブログがございます。ある海外旅行記のブログは昨年の9月に投稿してからおよそ半年間更新されて無かったのですが今月は投稿されてました。コロナの悪影響は大きいです。
 実際に一回でも渡航した人は賛同されるでしょうが海外旅行は一種独特の過労を作り出します。職業として渡航されてる人は別としても趣味で14ヶ国を旅行するのは難しかったに違いありません。

 間違えてる部分があるやもしれませんが適当かつ大雑把ながらドリアン長野が行ってきた海外旅行記の年表を伝達します。
 実際の所、ドリアン長野は同じ町を複数回旅行されたので厳密な区分けは半ば不可能です。

昭和60年代(1985年から1989年1月七日迄)

インド(コルカタ、デリー、ベナレス)
私がインドに行ったのは26歳の時、それが初めての海外旅行だった。

ドリアン長野は1961年生まれ。 1961+26=1987

平成初期(1989年一月八日から1997年)

米国(ニューヨーク州、ニュージャージー州、ミシガン州)
1989年12月31日午後10時。タイムズ・スクエア
気温マイナス2度。ぽつぽつと降っていた雨はついにどしゃ降りになった。


この時は直行便ではなく一旦、日本からミシガン州デトロイトを経由してからニューヨーク州ニュージャージー州を旅行したそうです。

英国(ロンドン)
ロンドンといえば、僕にとってはパンクなんですよね。

その時は1994年でした。

ドリアン長野が執筆した唯一の欧州旅行記です。

台湾(台北)
1997年5月、日本の首相官邸に当たる総統府の前を歩いていた。

台湾の総統府は中華民国総統府とも言われてるそうです。

平成十年代(1998年から2007年)

ベトナム(ホーチミン)

  私がドリアン長野の自宅で再会した時にベトナムで買ってきたTシャツを見せてもらったのが(確か)平成十年代のある日でした。

マレーシア(クアラルンプール)
自分は過ぐる夏、マレーシアに旅した。わが朝のポップスは亜細亜市場を席巻している。街をうろついて聞こえてくるのは宇多田ヒカルだ。

 作中で取り上げられてた宇多田ヒカルは平成十年(1998年)に歌手活動を始めたのが根拠です。

フィリピン(マニラ)
窓から通りを眺めていると、浜 なつ子の「アジア的生活」(講談社文庫)の文章を思い出してきた。

作中で取り上げられてたアジア的生活(書名)は平成12年に発売されたのが根拠です。

カンボジア(プノンペン、シェムリアップ)
僕がいくら何かを見ようと血眼になっていたとしても、物見遊山の旅行者に過ぎない。僕はただ通り過ぎて行くだけなのだ。 「OASIS」の「ROLL IT OVER」を聴きながら

 平成12年に発売されたOASISのROLL IT OVERについて語られてたのが根拠です。
平成十年代にドリアン長野はカンボジアへ二回渡航旅行記もそれぞれ異なる内容です。

タイランド(バンコク)
2001年の1月、ソイ・カウボーイに行こうと友人とスクンビットを歩いていたら、怪しいネオンサインに縁取られた看板が目に入った。

2001年は平成13年です。この時にドリアン長野はタイランドが気に入ったようです。
タイランドのスクムウィット通りはスクンビットとも言われてるそうです。 

ネパール(カトマンズ)
中山可穂の「熱帯感傷紀行ーアジア・センチメンタル・ロードー」を読んでいたら、次のような文章にぶつかった。著者はインドネシアを旅していたのだが、「店内のラジオからは、マントヴァーニ楽団の『ブルー・タンゴ』が流れていた。まさかこんなところで、アメリカ製タンゴの名曲を聞けるとは思わなかった。」 僕は、ああ、分かるなあと思った。

 作中で取り上げられてた熱帯感傷紀行―アジア・センチメンタル・ロード(書名)は平成14年に発売されたのが根拠です。

米国のロサンゼルスとメキシコのティフアナ

 渡米してから陸路で国境越えをしたそうです。2004年こと平成16年に発表されましたのでそれ以前に旅行したようです。
皆様、馬鹿げた重言と思わないでもらいたいが、ロサンゼルスは米国のカリフォルニア州内に存在してますが、ティフアナはメキシコのバハ・カリフォルニア州内に存在してます。似通った名称ですが全く別だとお考え下さい。

香港
香港には返還前にツアーで行ったことがあるだけだ。(中略) ここは既に満室で、15階の「オーシャン・ゲストハウス」を紹介された。(中略)
部屋は三畳ほどで狭いが、チョンキンでは平均的な広さだろう。
シティの掃除が行き届いており、清潔。窓からネーザン・ロードが見えるのがいい。エアコン、ホットシャワー、TV付きで130HKD(1HKD≒16円。2004年当時)。


2004年は平成16年。五月に発表されたのでゴールデンウイークの旅行記と推察出来ます。
 矛盾してると思わないでもらいたいがドリアン長野は1997年(平成九年)の中国返還前の香港に渡航しましたが旅行記として発表したのは、平成16年の香港旅行記のみですので平成十年代の旅行記とします。

中国(北京上海
 2005年の始まりは上海だったかと感慨にふけりながら歩いていると、途中で浦江飯店に宿泊していたバックパッカーたちと出会う。

ドリアン長野は2003年こと平成15年に北京旅行記を発表しました。
後に大別して二種類の上海旅行記を発表しました。
 飛んで上海に限っては平成15年に発表されて上海日記に限っては2005年こと平成17年に発表されました。
順番が前後するようですが北京旅行記に限っては上海旅行記よりも前に発表されたので平成十年代の海外旅行記と推察します。

ミャンマー(ヤンゴン、モン州)
 コロナウイルスだけでなく政情不安定ですのでミャンマー旅行については当方は推奨しません。平成18年に発表されたので、平成17年の年末から平成18年の年始に旅行したと推察します。

平成20年(2008年)

夏が来れば思い出す(タイランド新婚旅行記)
早朝の6時半に家を出て夕方の4時過ぎにバンコクスワンナプーム空港に着いた。この新空港は去年開港したばかりだ。

ドリアン長野は平成19年11月に結婚してその後の年末年始に新婚旅行されました。従って平成19年の年末から平成20年の年始です。ちなみに、スワンナプーム国際空港(BKK)は平成18年(2006年)9月28日に開港しました。
ドリアン長野にとって唯一の平成20年代の海外旅行記になります。

どこかの誰かは平成27年十月にカナダのレインクーバーを旅しました。
気づいてる方は多いと思われますが令和になってからドリアン長野はノート上でご自身の海外旅行記の再発表をされてますが集約等が行えてないので後に閲覧するのは難しいです。
コロナ渦では海外の街の懐古は行えても渡航は無理です。

在外邦人が逮捕されました。 日本人記者が逮捕された前例については一刻も早く開放されることを希望される人は多数でしょうが恥ずかしい在外邦人もおります。
 


この状況では海外旅行は不可能です。


最近になってこのブログを閲覧された方に連絡。
今月も推奨したい良きホームページが紹介出来たので皆様に感謝します。
ドリアン長野が渡航した外国の出来事全てを私が伝達するのは不可能ですので、把握されたいなら各自で詳細を調べて下さい。
ドリアン長野は2010年以前に何度も海外旅行しただけでなく、2010年代に福知山マラソン完走を二回成し遂げたばかりか 頻繁にカレーライスを調理し実食しました。
 海外旅行、マラソン、カレーライス、そして書評等について述べてるので楽しんで下さい。
ドリアン長野の海外旅行記のリンク集gooブログ版

ドリアン長野のランニングな日々(マラソンの記録)

ドリアン長野のカレー三昧(はてなブログ版)

ノート版ドリアン長野

ドリアン長野フェイスブック

ドリアン長野の読書三昧

ドリアン長野ツイッター

ミキナナチャンネル

敬具 マーキュリーマーク
 

 回顧を兼ねた書評
 僕の初海外旅行は26歳の時のインドだった。
 当時往復チケットは年末料金だったので30万した(泣)。
 行く前は椎名誠の「わしもインドで考えた」を熟読。
 インドでは尻の毛まで抜かれるほどぼったくられ、下痢と発熱で散々だったけど、
 それからはリーマンパッカーとして主にアジアをふらふら。
 アフリカは遠すぎて行けなかった。新婚旅行もバックパックでバンコクと香港へ。
 香港では雑居房のチョンキンマンションで二泊し、妻はぐったりしていた。
 バンコクでは安宿と高級ホテルと泊まり歩き、マリオットのプールで
 溺死しそうになったのは今ではいい思い出だ(嘘)。
 旅も好きだが、旅行記も好きだ。
 この本は主にアフリカ旅行のエッセイだが、面白い。
 何よりも文章がうまい。
 奥さんとのなりそめを綴った「追いかけてバルセロナ」なんか疾走感があり、
 一気に読め、感動的でさえある。
 朝の通勤の地下鉄で読んでたけど、日本にいながら気持ちはバックパッカー。
 旅の本もいいけど、また出かけたいなあ。