令和三年五月の投稿の転載


市内で現存する最古の橋

家族歴史を書くためにネットで注文した「米子界隈」。これがすこぶる面白い。著者は昭和20年から市長に当選、爾来38年まで市政に尽力した野坂寛治。
軽快洒脱の名文はかなりの趣味人だったであろうと推察される。米中(アメリカと中国じゃないよ)時代に原敬が来校、コートを着たままの原に腹を立て、級長だった著者が号令をかけずに教師に叱責されたという反骨。年輩の米子っ子なら知らぬ者はいないという「増屋の角」は当時随一の繁華街で情報の発信地だったというが、現在その場所にダラズFM局が鎮座しているのは面白い。三度映画化された「絶唱」の作者、大江賢次が序文を書いてます。
 大江の師である根雨町出身の生田長江は抄訳ながら日本初の「資本論」、夏目漱石の推薦で「モルモン書」、ニーチェ全集を日本人として初の完訳。毒舌で知られる今東光も「とにかく天才だった。彼に比べたら向坂逸郎なんて曲学阿世の徒に過ぎないね」。
脱線しました。朝日町にあった芝居小屋「力朝館」はその後、朝日座になり、記憶にあるような、ないような。映画「三丁目の夕日」を観たときにあの界隈を思い出しました。

スーパームーンを求めて南東へさまようが、見つからず。 「夏の夜は まだ宵ながら 明けぬるを 雲のいづこに 月宿るらん 」清原深養父 夏の夜は、まだ暗くなってきたばかりかと思えば、すぐに明るくなってしまった。今頃どの雲を宿にして眠っているのだろうか、あの美しい月は。


 管理人マーキュリーマークからの伝言
 やはり、ダラズFMについては知ってたようです。
皆様、仮にドリアン長野に出会った時には「ラジオの、」という言葉を一旦発言してからでなければダラズFMについて語ってはいけません。
 ドリアン長野は本当に「ダラズ。」という言葉に対して敏感で「私が、」と前置きしても嫌がってたからです。(笑)

 

 

 回顧を兼ねた書評
 僕の初海外旅行は26歳の時のインドだった。
 当時往復チケットは年末料金だったので30万した(泣)。
 行く前は椎名誠の「わしもインドで考えた」を熟読。
 インドでは尻の毛まで抜かれるほどぼったくられ、下痢と発熱で散々だったけど、
 それからはリーマンパッカーとして主にアジアをふらふら。
 アフリカは遠すぎて行けなかった。新婚旅行もバックパックでバンコクと香港へ。
 香港では雑居房のチョンキンマンションで二泊し、妻はぐったりしていた。
 バンコクでは安宿と高級ホテルと泊まり歩き、マリオットのプールで
 溺死しそうになったのは今ではいい思い出だ(嘘)。
 旅も好きだが、旅行記も好きだ。
 この本は主にアフリカ旅行のエッセイだが、面白い。
 何よりも文章がうまい。
 奥さんとのなりそめを綴った「追いかけてバルセロナ」なんか疾走感があり、
 一気に読め、感動的でさえある。
 朝の通勤の地下鉄で読んでたけど、日本にいながら気持ちはバックパッカー。
 旅の本もいいけど、また出かけたいなあ。


 管理人マーキュリーマークからの伝言
 上記は、ドリアン長野が令和二年に投稿した内容です。
 令和六年にドリアン長野は親子でケアンズ旅行。