ドリアン長野はいつ頃、海外旅行したか?

ー前書きー
ドリアン長野の海外旅行記渡航先は明確でもいつ頃旅したのか不明確な旅行記が存在します。ドリアン長野にとって最初の海外旅行はインド旅行ですが最初に投稿した旅行記バンコク旅行記です。発表した順番は前後してるし旅行記によっては渡航した時が不明確です。可能な範囲で推察し時系列順に順序立てましたが間違えてるかもしれないので参考程度にしてもらいたい。
当方が平成15年の春に加入したgoo簡単ホームページは平成19年の夏に終了しました。gooの発表から終了する迄は短期間だったので欠落してる海外旅行記は存在します。過去と現在は異なるので備考も追加しました。 ミディアムパープル色は海外旅行記の引用で使用してます。

略歴

 昭和62年の年末から昭和63年の年始はインド旅行。
ウッタル・プラデーシュ州(ベナレス)、デリー等を旅されました。
インド旅行の後にソウルを旅したそうです。 ニューヨーク旅行記内で渡航したことについて僅かに述べられてました。
1988年(昭和63年)の九月から十月に開催されていたソウル五輪を観戦したのかな? ソウルを旅したことは認めてますがソウル旅行記は令和五年二月時点で執筆されてません。
 平成元年の年末から平成二年の年始は米国のニューヨーク旅行。
平成二年の年末から平成八年の年末迄に米国のロサンゼルスとメキシコのティフアナを旅したようです。
この海外旅行記については時期を明確化することは不可能でした。
 平成六年の年末から平成七年の年始は英国のロンドン旅行。
 平成九年の五月は台湾の台北旅行。
平成九年七月以前に返還前の香港を旅したそうです。
平成十年四月から平成16年四月以前はネパールのカトマンズ旅行。
憶測。平成十年の夏以降か平成11年以降はあり得る。
この海外旅行記については時期を明確化することは不可能でした。
平成12年の大晦日ベトナムホーチミンを旅したようです。
 平成13年にドリアン長野はタイランドバンコクへ三回渡航してます。 内訳は一月、夏と年末です。 見解は後述します。
平成13年12月にカンボジアプノンペン群、シェムリアップ州)、平成13年12月30日から平成14年の元旦はタイランドバンコク(カオサン)、平成14年の元旦から一月二日頃にフィリピンのマニラに滞在して日本への帰国便に搭乗したようです。

 平成15年3月から平成19年の夏迄はgoo簡単ホームページを通じてドリアン長野は海外旅行記を発表されてました。

北京旅行記を発表したのは平成15年十月ですが渡航した時期は不明です。 北京を旅行した後で上海旅行(第一回目)されたようです。
この海外旅行記については時期を明確化することは不可能でした。
平成八年から営業してる上海のローソンを利用した最初の上海旅行記を発表したのは平成15年ですが渡航した時期は不明です。
この海外旅行記については時期を明確化することは不可能でした。
 マレーシア旅行記(クアラルンプール、ヌグリ・スンビラン)を発表したのは平成16年ですが渡航したのは平成十年から平成16年のようです。
この海外旅行記については時期を明確化することは不可能でした。
 平成16年の五月以前は香港旅行。
 平成16年の年末から平成17年の年始はドリアン長野にとって二回目の上海旅行。
ミャンマー旅行記ヤンゴンチャイティーヨー・パゴダ等)を発表したのは平成18年一月から四月ですが渡航した時期は不明です。
この海外旅行記については時期を明確化することは不可能でした。
 平成18年四月から九月には独身の時に海外旅行した時を振り返って再投稿されてました。
 平成19年の年末から平成20年の年始はご夫婦で香港とタイランドバンコク)へ新婚旅行されました。ドリアン長野は平成19年11月に結婚し平成25年にフェイスブック上で新婚旅行記を投稿しました。
 一度の海外旅行で複数の外国を訪問した旅行記は存在します。


旅行記毎の備考

 昭和62年の年末から昭和63年の年始はインド旅行。
インド編その1
私がインドに行ったのは26歳の時、それが初めての海外旅行だった。

ドリアン長野は1961年生まれ。 1961+26=1987
年末年始旅行ならば1987年から1988年にインド旅行したに違いありません。
インド編その8 早朝、カルカッタのハウラー駅に着く。
よりも「早朝、西ベンガル州のハウラー駅に着く。」の方が適切な表現になるようです。
理由はコルカタカルカッタ)とハウラーの両者は西ベンガル州内の街なんですが対岸の街であって別個です。
それでは「ベンガルの東部は?」と質問されたら「バングラデシュとして1971年に独立しました。」と返答致します。

インド編 その1
人間は二種類に分類される、とは巷間よく言われることである。古典的なものでは猫的人間か犬的人間か、流動型か土着型か、果ては野球に熱中する人間かそうでないか、ドアーズを聴いたことのある人間かそうでないか、その伝でいけばこう言えるかもしれない。

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i保険 海外旅行保険比較サイト

 平成元年の年末は米国のニューヨーク旅行。
 旅費について支払先を選ぶのは自由です。
渡航前に、航空会社への支払、ホテルの予約と支払、海外旅行保険等の旅費の支払について各企業毎に行うか否かは各自で御決断下さい。
私はカナダ旅行の為に地元の旅行代理店でフリープランと海外旅行保険の料金を支払いました。フリープランとは交通費用、宿泊費、税金等の料金を一括した旅行商品でオンライン販売もされてます。
 渡米するなら電子渡航認証(ESTA)は必須です。
 ニューヨークの地下鉄は1980年代と2010年以降を比較すると支払方法ばかりか乗車賃も大違いと言われてます。
 法規制や金額等は現状とは異なります。詳細は各自でお調べ下さい。

NYタイムズ・スクエア編
1989年12月31日午後10時。タイムズ・スクエア。気温マイナス2度。ぽつぽつと降っていた雨はついにどしゃ降りになった。
NY地下鉄編
 地下鉄は楽しい。メタリックでアーバンである地下鉄は輸送手段に徹していて媚びないところがクールでもある。私は地下鉄が大好きだ。地下鉄のある都市に行けば必ず乗る。用がなくてもとにかく乗る。今までいろいろな国で乗った。香港ではなぜか下駄履きで乗った。肩を叩かれたので振り向くと、若い男が私の下半身を無言で指差している。見るとズボンのジッパーが全開していて恥ずかしい思いをした。ソウルではおじいさんに声を掛けられた。私が日本人だと分かると日本語で身の上話を始め、それが延々と続いて閉口した(今思い出したけど、何で地下鉄の便所内にコンドームの販売機があるとですか?)。

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 旅行するならば、旅費の大半を旅行代理店で支払うか、旅行に必要な料金を企業毎に支払うかの二択です。旅行代理店が経営破綻して旅行者が困った前例はございます。 王侯貴族や政治家は例外でしょうか?
 一応は伝達しておきますけど旅費については未払いではなく支払先や支払方法が選べるという主張です。


 ロサンゼルスとティフアナ旅行記については時期を明確化することは不可能でした。
誤解の無いように伝達しますがドリアン長野は海外に長期間滞在した訳ではありません。 大雑把な時期を伝えるのが関の山でした。


 平成二年の年末から平成八年の年末は米国のロサンゼルスとメキシコのティフアナ旅行。 旅行記を発表したのは平成16年です。
 平成二年から運行してるロサンゼルス郡都市圏交通局A線はブルーラインと言われてました。 小売店ヤオハンは平成九年の夏に倒産しました。 少なくとも平成八年の年末迄に訪れて平成九年の年始迄に帰国したようです。
陸路にて米国からメキシコの国境越えについては令和になってから厳格化したそうです。平成の時期には行えても今後は不可能かもしれません。営業してるお店や出入国の法律等は過去と現在で異なる事がございます。
申し訳ないが転載が行える期間が短期間だった影響でこの旅行記は欠落してる部分がございます。
旅行記からの引用
のっけから何だが、私はロサンゼルスが嫌いだ。それはなにも私が九時間以上も飛行機に乗ってやっと到着した空港をボ~ッと歩いていた
(中略)リトル東京で「ヤオハン」の場所を尋ねた日系の老人には、「夜は独りで歩かないほうがいい。巡査は外国人に偏見を持っているからな」と忠告された。
(中略)夕食はチャイナタウンに食べに行った。今日は大晦日なので閉まっている店がほとんどだ。
(中略)メトロのブルーラインに乗ればサウス・セントラル地区まで行くことができるのだが、私もそこまで無謀ではない。
(中略)我々はバスを乗り継ぎ、トラムに乗り、何時間もかけて国境のティフアナに到着した。

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 平成六年の年末から平成七年の年始は英国のロンドン旅行。
昭和の1970年代と平成の1990年代は大違い。
皆さん、渡航前に海外旅行案内書等で最新情報を得ておきましょう。
ロンドン・コーリン
ロンドンといえば、僕にとってはパンクなんですよね。
その時は1994年でした。
(中略)
えっと、あと年末だったんで、トラファルガー・スクエアのカウントダウンにも行ったんですけどね、なんだかんだ言っても、イギリスはヨーロッパの中心だと思ったのはね、僕の分かる限りでも、スペイン人、ドイツ人、スウェーデン人、イタリア人、ポーランド人、フランス人、スイス人、あとインド人と中国人と日本人がいたことですね。ええ、4時間その広場をうろついてましたから。

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 平成九年の五月は台湾の台北旅行。台湾旅行記は悲しい短編です。
ゴールデンウイークに快晴でも、悲しい事件が発生しました。
シャオエン
1997年5月、日本の首相官邸に当たる総統府の前を歩いていた。
日曜日の昼下がり、空は透き通るような快晴だった。

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 ネパール旅行記については時期を明確化することは不可能でした。
誤解の無いように伝達しますがドリアン長野は海外に長期間滞在した訳ではありません。 大雑把な時期を伝えるのが関の山でした。

 平成十年四月から平成16年四月以前はネパール旅行。中山可穂先生が執筆した熱帯感傷紀行の初版本は、平成十年四月に発売されました。ネパール旅行記は「カトマンズの夜」と「カラテ イン ネパール編」の二部構成です。
ドリアン長野は平成16年四月にカトマンズの夜を発表。同じ団体でも日本と海外の比較は楽しめます。 極真空手は国境を超える。
 平成15年9月以前にネパールとして発表した旅行記を後にドリアン長野自身で再編集したカラテ イン ネパール編に限っては平成18年四月に発表されました。
 ドリアン長野がネパールのカトマンズに複数回渡航したか否かは不明ですが時期については両者共に平成16年四月以前に渡航したとしか思えません。

 憶測ですが、平成十年の夏以降か平成11年以降はあり得ます。

カトマンズの夜
中山可穂の「熱帯感傷紀行ーアジア・センチメンタル・ロードー」を読んでいたら、次のような文章にぶつかった。
著者はインドネシアを旅していたのだが、「店内のラジオからは、マントヴァーニ楽団の『ブルー・タンゴ』が流れていた。まさかこんなところで、アメリカ製タンゴの名曲を聞けるとは思わなかった。」

カラテ イン ネパール編
「私たちはキョクシンカラテのメンバーです。オス!」 
なんだ~、びっくりさせんじゃないわよ~、思わずヒザがかっくんとなっちゃったじゃないの。でも良かったわ、会えて。みんなに連れられてすぐ近くにある彼らの先生(三段)のアパートまで案内してもらった。
先生は八畳ほどの部屋に妻子と住んでいるのだが、壁という壁の至る所にカラテの賞状が飾られている。何冊もあるアルバムは稽古や試合の写真ばかりだ。
私(ドリアン)は猛烈に感動した! この地でこんなにも極真カラテを愛している男がいたことに!! (梶原一騎調でお読みください)

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 ドリアン長野がベトナム旅行記を発表したのは平成15年ですが渡航した時期は不明です。 確か平成十年代半ば以前に会った時にベトナム旅行について教えてもらいました。ベトナムに赴いた後でタイランドを旅したなら平成12年の大晦日になるのか?
 一度の旅で複数の国々を旅行したか? 見解は後述します。
ホーチミン市のディスコからの抜粋
「今晩、ディスコに行かないか?」
バイク・タクシーのヒューはメコン・クルーズのボートの中で聞いてきた。今日はニューイヤーズ・イブだし、社会主義国のディスコってのも気になるしな。

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 平成30年三月に私はセイコーの置時計を¥1900で購入。
 店にもよりますが令和五年三月の小売価格は¥3060。
平成13年にドリアン長野はバンコク渡航しました。
ホテルから時計を盗むと2000バーツ請求されるので不正は辞めましょう。 当時の平均為替相場は1バーツ約¥2.7で¥5400?

オリエンタル・ホテル
時計が紛失していたのでクレジットカードからその代金を引き落とさせていただきますってな。それがなんで2000バーツになるんじゃい!

テーメー・カフェ
2001年の1月、ソイ・カウボーイに行こうと友人とスクンビットを歩いていたら、怪しいネオンサインに縁取られた看板が目に入った。その看板に書かれていた文字を読んで私は思わず息を飲んだのであった。「テーメー・コーヒーハウス」 思えばこれがテーメーに集う怪しくもしたたかな人々と私とのハートウオーミングな交流の始まりであった(嘘)。 (中略)
半年後、私は別の友人とテーメーにいた。人生はどこで何が起きるか分からんもんである。

カオサンの大晦日
カオサン通りでのニューイヤーズ・イブは一体どうなっておるのだ、という素朴な疑問を抱いた私はその実態を解明すべく、2001年12月30日と31日にカオサンに宿をとった。

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 平成12年から平成17年十月以前はカンボジア旅行。
カンボジア旅行記内で平成12年に発売されたOASISのROLL IT OVERについて語られたのが根拠です。後述しますけど平成13年12月28日頃にカンボジア旅行したようです。
 カンボジア旅行記は二種類存在します。前者(カンボジア~)は前述したように平成12年以降の旅行記に対して後者(カンボジア再び)が発表されたのは平成17年十月21日なのでそれ以前の旅行記です。 回想したのみで一度だけの旅かもしれません。
 旅行記内にて語られていた出国税についての詳細は各自でお調べ下さい。日本と海外は衛生についての基準が違いすぎます。渡航するならば胃薬は用意しましょう。
カンボジア旅行記からの抜粋
下痢と寝不足でヨタヨタと空港までたどり着き、なんとかバンコク行きの便に乗ることができた。その日はカオサンのホテルに泊まり、次の日にマニラ経由でやっと帰国した。
(中略)だけどプノンペン・ポチェントン空港の出国税が20ドルだったのは痛かったぞ。その日はバンコクで一泊し、翌朝ホテルの前でタクシーを拾う。
(中略)僕がいくら何かを見ようと血眼になっていたとしても、物見遊山の旅行者に過ぎない。僕はただ通り過ぎて行くだけなのだ。 「OASIS」の「ROLL IT OVER」を聴きながら


 現在はドリアン長野が執筆した平成十年代と違い増税されたことから実質的に出国税の値上げはあり得るので詳細は各自で調べて下さい。
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 平成12年八月以降から平成15年九月以前の時期はフィリピンのマニラ旅行。
マニラ旅行記(マニラのスラム)の作中で取り上げられてた浜なつ子先生が執筆されたアジア的生活(書名)は平成12年八月に発売されたのが根拠です。
後述しますけども平成14年の元旦から翌日頃にマニラ旅行したようです。
マニラのスラム
夜の9時前にニノイ・アキノ空港に到着。ロビーに出ると熱気、じゃないなこれは、殺気を感じる。なんだか誰かに狙われているような気がして、少しびびる。ホテルを予約して、米軍用のジープを乗り合いバスに改造したジプニーに乗り込んだ。窓から通りを眺めていると、浜 なつ子の「アジア的生活」(講談社文庫)の文章を思い出してきた。

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見解 48時間以下だけど外国にいたのかも?

経由便や乗継便は存在するので一度の旅で複数の国々を旅行したばかりか同じ国へ複数回渡航した人はおられます。
渡航した時期が明確な旅行記は簡単に理解出来ますが旅行記内の内容で渡航した時期を推察した旅行記もございます。
 期間がまたがるのは仕方ありません。異なるやもしれませんけれど私が考えるにドリアン長野は平成12年の晦日頃にベトナムホーチミンを旅した後で平成13年の元旦にタイランドへ旅したようです。
 それだけでなく平成13年12月28日頃にカンボジア、平成13年12月30日から平成14年の元旦はタイランドのカオサン、平成14年の元旦から一月二日頃にはフィリピンのマニラに滞在し帰国便に搭乗してたようです。

 ドリアン長野が北京旅行記を発表したのは平成15年十月ですが渡航した時は不明です。上海旅行の前日談のようです。
年末年始、ゴールデンウイーク、夏休みそして三連休で渡航した日本人観光客は多いです。海外では日本の景品表示法が存在しておりません。
特別に中国についてのエッセイも追加してます。
続 北京の床屋
諸君、北京に来たら安心して調髪してもらえよ。その前に料金はちゃんと聞いておくように。体はきれいだったが、お金もきれいになくなった。ふっ、私の思い過ごしだったようだな。疑って悪かったぜ。
だけど中国人、ぼるなよおおおおお~っ!!(魂の叫び)
しかし、中国はこれで終わるほどまだまだ甘くはなかった。(というわけで上海編につづく)

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北京並びに最初の上海旅行記の海外旅行記については時期を明確化することは不可能でした。
誤解の無いように伝達しますがドリアン長野は海外に長期間滞在した訳ではありません。大雑把な時期を伝えるのが関の山でした。


 ドリアン長野が上海旅行記(飛んで上海)を発表したのは平成15年ですが渡航した時期は不明です。
上海虹橋国際空港からホテルへの移動は不良タクシーを選んだので艱難辛苦だったようです。
南海のラピート等の日本の空港連絡鉄道の役割は大きい。nankai.co.jp
旅行中に上海で営業してるローソンを利用したそうです。
飛んで上海
夜の8時に上海虹橋空港着。飛行機の中で今夜泊まるホテルを決めていたので、予約しようとうろうろしていると、「タクシー?」 と小説家の猪瀬直樹にそっくりの男が寄ってきた。(中略)
これで用は済んだと思ったが、極悪人の猪瀬はその後、信じられないことを言ったのだ。
 「ハイウエイ代の100元とタクシー代の100元を払ってくれ」
てめ~、空港でタクシー代はホテル代込みだと言ったじゃね~か。そう言うと 「サービス込みだと言ったが、料金込みだと言った覚えはない」 とわけの分からんことをぬかしやがる。渋々100元だけは渡したが、あとの100元は絶対に払えんっ! と長い間言い争った。(中略)
どうやらここは上海のはずれのようだ。
 その夜はローソンでハンバーガーとジュースを買ってホテルに帰る。

 飛んで上海に限っては最初の上海旅行記であるばかりか北京旅行記の後日談のようにもなってます。
渡航者によっては一度の旅行で複数の町や国々を訪問されるようです。
 平成八年から営業してる上海のローソンは平成15年には百店舗以上出店してたそうです。不良タクシーより空港連絡鉄道の方が良いです。
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 空港連絡鉄道が渡航先で利用出来なかった時に赴いた海外旅行記は存在します。

 マレーシア旅行記については時期を明確化することは不可能でした。
誤解の無いように伝達しますがドリアン長野は海外に長期間滞在した訳ではありません。 大雑把な時期を伝えるのが関の山でした。


ドリアン長野がマレーシア旅行記(ほぼエッセイ)を発表したのは平成16年です。平成十年から平成16年に渡航したようです。
宇多田ヒカルは平成十年に歌手活動を始めました。
海外の地名の説明は時に難しいです。マレーシアのヌグリ・スンビラン州のスレンバンはセレンバンとも言われているそうです。
 ウタダ
自分は過ぐる夏、マレーシアに旅した。わが朝のポップスは亜細亜市場を席巻している。街をうろついて聞こえてくるのは宇多田ヒカルだ。

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単体の香港旅行記として成立してるのは平成16年五月以前の香港旅行記のみです。ドリアン長野は三回香港旅行されました。内訳は中国返還前(平成九年七月以前)、前述した平成16年五月以前と平成19年の年末から平成20年の年始にかけて新婚旅行されました。
お店の請求金額には気を付けましょう。

香港には返還前にツアーで行ったことがあるだけだ。(中略)
ここは既に満室で、15階の「オーシャン・ゲストハウス」を紹介された。(中略)
エアコン、ホットシャワー、TV付きで130HKD(1HKD≒16円。2004年当時)。(中略)
「えーっと、いくらだっけ?」と店のオヤジに聞くと、「199(HKD)だ」と言うので払って出てきた。
近くの通りにある「スタバ」でぼーっとしていると、はっとした。待てよ、199いうたら、めちゃめちゃ高くないか? あわててレシートを確かめてみると、99HKDになっとるやんけ。あーっ! やられたーっ! 100ぼられたやんけーっ!けど、 わっかっとる、悪いのはこのおれやあっ。おれがあほやったんやあー。騙されたんが悪いんや。今からその店にねじりこみに行ってもレシートに書いてあるさかい、どもならんわ。しかし、腹立つからその店の名を書いておこう。チョンキン二階にある「マハラジャ・プロビジョン・ストア」だ。

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 平成16年の年末から平成17年の年始はドリアン長野にとって二回目の上海旅行(上海日記)。
「飛んで上海」に限っては平成15年十月末日に発表されました。
「上海日記」は平成17年1月から9月に発表された長編です。
パスポートの保有だけでなく渡航については余裕を持って行動する事が重要です。
 上海日記 1日目
12月19日
年下の友人K君から何年か振りに電話があった。四方山話のうちに彼が言った。
「ドリアンさん、僕今年パスポート取ったんですけど、一緒に海外旅行行きませんか」
「そりゃいいけど、年末まで10日しかないで。もうチケットは残ってへんで。あったら奇跡やわ」
(中略)
 年末のチケットいうたら二か月前から予約すんで、フツー。
 上海日記 4日目(続々々)
 2005年の始まりは上海だったかと感慨にふけりながら歩いていると、途中で浦江飯店に宿泊していたバックパッカーたちと出会う。

 急遽渡航される人はおられるが提案が悪い旅行商品は買えません。
 相談から始まってる旅行記ですが現在は渡航の相談は受け付けてません。平成の時期には旅行代理店が旅行商品を二か月前には販売してました。私は平成27年八月に旅費を支払ってから十月にバンクーバー旅行したが上海には訪問してません。
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 ミャンマー旅行記については時期を明確化することは不可能でした。
誤解の無いように伝達しますがドリアン長野は海外に長期間滞在した訳ではありません。 大雑把な時期を伝えるのが関の山でした。


ドリアン長野がミャンマー旅行記を発表したのは平成18年ですが渡航した時期は不明です。恐らく平成17年の年末から平成18年の年始のように思います。
ミャンマー渡航(入国)するなら観光ビザ等の手続きは余裕を持って行いましょう。 私はミャンマー旅行については政情不安定なので推奨しません。
ビルマの休日 その1
フライトは11時半だ。もう間に合わない......。がっくりと肩を落し家路につく。これは大使館のやつらの怠慢に違いない。チケット代を弁償させてやる。九時になるのを待って電話した(何回電話さすねん)。
「ビザ来てませんがっ!」
「送りましたけど。ゆうパックで」
「えっ?」
「料金が不足していたので着払いで送りました」
「あっ、そ、そうですか。どもどもども」
郵便局に確認すると確かに来ていると言う。フライトまで二時間しかない。俺はあわてて部屋を飛び出し、自転車に胯がった。

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 平成19年の年末から平成20年の年始はご夫婦でタイランドバンコク)と香港へ新婚旅行されました。ドリアン長野は平成19年11月に結婚し平成25年にフェイスブックで新婚旅行記を投稿しました。
 スワンナプーム国際空港(IATAコード:BKK)は2006年9月28日に開港しました。利用する空港のIATAコードは事前に把握すべきです。
皆様、長野夫妻はBKKが開港した翌年に利用したとお考え下さい。
 単なる提案ですが「2007年に新婚旅行した。早朝の6時半に家を出て夕方の4時過ぎにバンコクスワンナプーム空港に着いた。
この空港は夫婦で訪れる前年(2006年)に開港したばかりだ。
」と言った文面でも悪くないです。

【夏が来れば思い出す】その3より引用
 早朝の6時半に家を出て夕方の4時過ぎにバンコクスワンナプーム空港に着いた。
 この新空港は去年開港したばかりだ。
旧空港のドンムアンに比べると物凄く近代的だ。
 回顧を兼ねた書評 令和二年三月より引用
新婚旅行もバックパックバンコクと香港へ。香港では雑居房のチョンキンマンションで二泊し、妻はぐったりしていた。
バンコクでは安宿と高級ホテルと泊まり歩き、マリオットのプールで溺死しそうになったのは今ではいい思い出だ(嘘)。


【夏が来れば思い出す】を読まれたい方はこちらをクリック。

 以下は半ば余談で興味があればお読みください。

「幻の海外旅行記 短縮版」
 ドリアン長野にとって幻の海外旅行記は幾つか存在します。
 米国からメキシコに陸路で国境越えをした初投稿の旅行記は転載出来ませんでしたがドリアン長野が再投稿した投稿は転載が行えたので挽回はしました。
 ドリアン長野はソウルに渡航はしたが旅行記の発表はしてません。
平成29年の夏に再会した時に執筆するか否かを尋ねたが微笑みながら否定されました。
 平成十年代の香港旅行記は詳細が語られてますが英国統治時代の香港旅行記は発表されてません。
 ドリアン長野にとって赴きたかったが行けなかった渡航先はアフリカとシンガポールです。
夏が来れば思いだすは未完の大作です。ご夫婦の新婚旅行の続編は執筆されてないから幻の海外旅行記です。

      『文章のうまさと疾走感』 ⇒

ameblo.jp/nanaka711/entr…

#アメブロ

@ameba_official

      さんから posted at

22:24:01


 国境越えについて行えるか否かは急変する事があり得る
 海外の出入国の法律は急変があり得るので過去に国境越えが行えても今後も円滑に行えるか否かは不透明な状況です。
私は関空KIX)から直行便でバンクーバー国際空港(YVR)に到着してブリティッシュコロンビア州のみ楽しみました。
一度の海外旅行で複数の国々を旅された人はおられます。海外旅行中に国境越えするにしても陸路、海路、そして空路に大別されます。
一般論ですが海路では日本から台湾へ船旅される旅行者はおられるようです。空路の場合は経由便や乗継便を利用された旅行者は多いですね。
ドリアン長野は渡米してからメキシコへ陸路で国境越えをしました。
それだけではなく空路でも複数の国々を旅しました。
 以下はその紹介です。

ロサンゼルス(米国)とティフアナ(メキシコ)旅行記からの抜粋。
のっけから何だが、私はロサンゼルスが嫌いだ。
それはなにも私が九時間以上も飛行機に乗ってやっと到着した空港をボ~ッと歩いていた
(中略)
我々はバスを乗り継ぎ、トラムに乗り、何時間もかけて国境のティフアナに到着した。

上記はドリアン長野が米国からメキシコに渡航した旅行記の抜粋です。下記は東南アジアの国々を歴訪した海外旅行記の紹介です。
 二種類存在します。 前者は平成12年の年末にベトナムを旅してから平成13年の年始にタイランドを旅したようです。
 ニューイヤーズ・イブは大晦日で2001年の一月は年始。
ホーチミン市のディスコからの抜粋
「今晩、ディスコに行かないか?」
バイク・タクシーのヒューはメコン・クルーズのボートの中で聞いてきた。今日はニューイヤーズ・イブだし、社会主義国のディスコってのも気になるしな。
テーメー・カフェからの抜粋
2001年の1月、ソイ・カウボーイに行こうと友人とスクンビットを歩いていたら、怪しいネオンサインに縁取られた看板が目に入った。その看板に書かれていた文字を読んで私は思わず息を飲んだのであった。「テーメー・コーヒーハウス」 思えばこれがテーメーに集う怪しくもしたたかな人々と私とのハートウオーミングな交流の始まりであった(嘘)。 

後者はカンボジアタイランドとフィリピンを旅した旅行記の抜粋です。平成13年12月にカンボジアプノンペンシェムリアップ)、平成13年12月30日から平成14年の一月一日にタイランドのカオサン、平成14年の元旦から一月二日頃にフィリピンのマニラを訪問して日本へ帰国したようです。
カンボジア旅行記からの抜粋
下痢と寝不足でヨタヨタと空港までたどり着き、なんとかバンコク行きの便に乗ることができた。
その日はカオサンのホテルに泊まり、次の日にマニラ経由でやっと帰国した。
カオサンの大晦日からの抜粋
カオサン通りでのニューイヤーズ・イブは一体どうなっておるのだ、という素朴な疑問を抱いた私はその実態を解明すべく、2001年12月30日と31日にカオサンに宿をとった。
マニラのスラム
夜の9時前にニノイ・アキノ空港に到着。ロビーに出ると熱気、じゃないなこれは、殺気を感じる。なんだか誰かに狙われているような気がして、少しびびる。ホテルを予約して、米軍用のジープを乗り合いバスに改造したジプニーに乗り込んだ。窓から通りを眺めていると、浜 なつ子の「アジア的生活」(講談社文庫)の文章を思い出してきた。

 浜なつ子先生が執筆されたアジア的生活は平成12年八月に発売されました。
話は変わりますがコロナの影響で海外政府は入国の方法(陸路、海路、空路)を問わず入国規制を実行したと言われてます。無論、コロナ以外の政治的決断の影響も存在します。過去には円滑に国境越えが行えても今後は不透明です。

直行便、経由便、乗継便はそれぞれ異なる
直行便を利用して目的地に到着する旅行者はおられますがそれだけではありません。経由便や乗継便を利用して渡航される旅行者はおられます。航路がまるでLかへを描くような移動をされた旅行者はおられたやもしれません。距離によっては燃料補給が必須なんです。
毒蛇ではないがハブ空港の存在は大きい。

電子書籍と紙媒体の書籍について

令和の作品は紙媒体と電子書籍が同時期に発売されても平成以前の作品は両者の発売時期が異なってた事がありました。 発売日が同日なのか前後かはあり得ます。技術革新で作品を楽しむ方法は増加してます。
販売されてる作品の現状は以下の通りです。
タイプA
紙媒体で販売されてるばかりか電子書籍も販売されてる作品。
タイプB
紙媒体で販売された後に絶版に至ってから電子書籍として販売されてる作品。
タイプC
紙媒体のみで販売中、又は紙媒体で販売された後に絶版に至ってから電子書籍化はなされてない作品。
タイプD
電子書籍として販売中だが紙媒体としては販売される予定が無い作品。
 作品によってはタイプDからタイプAに切り替えはあり得ます。
 ドリアン長野が紹介した書籍を連想された方々は紙で製本された書籍ないしは電子書籍を購入されますかね?

 香港旅行記より引用
 ちなみに私は腕時計は持ってない。ケータイの時間表示で充分だし、海外に行くときは電池で動く、ちっこい目覚まし時計を持って行く。
 カンボジア旅行記より抜粋
「フリーダム」という名のそのホテルはホテルといっても、ゲストハウスに毛が生えた程度だ。
 モーニング・コールを頼んだはいいが、部屋に入ってみると電話がない。
はて、どうすんだ?と思っていたら、翌朝、フロントの人がその時刻に部屋のドアを叩きに来たのであった。

渡航先の時間と日本時間は異なる

 渡航するなら日本で複数の時計を買いましょう。
私はカナダ旅行中にイケアの置時計(7cm平方 奥行き3cm)とアナログの時計を複数利用しました。 自身で調整する心構えは保有すべきです。移動中に音を鳴らさない為に置時計の箱にテープで乾電池を張りました。 ホテルに到着後、自室で置時計の中に乾電池を入れて設定し帰国日に電池を抜きました。 iPadや複数の時計は役立ちました。
 日付変更線は存在するので時刻、日付、曜日が分かると安心です。
 太平洋夏時間。バンクーバーの午前7時は日本の午後11時。
アナログの時計。前者は日本時間で利用し後者は離日前に時差16時間に適合させました。 時計とお寿司は回るか否かに拘る人は多いです。

ブロガー版 ドリアン長野の海外旅行記のリンク集

ドリアン長野の海外旅行記のリンクと連絡(はてなブログ版)

 ー後書きー
 当方は旅行代理店ではないので相談は不可能です。
 海外旅行案内書は必ず読みましょう。
 旅の妨害をする悪人は数多いので警戒してください。
 レンタカーの利用は妨害しませんが危険なので推奨しません。
 外国語ですが挨拶位は学びましょう。
 過去には行えても現在は模倣は不可能かも?
 渡航されるなら安全な選択をして下さい。
 治安が悪い街に行くのは辞めましょう。
 各国毎に入国に関わる法律は異なるので観光ビザや電子渡航認証等は各自でお調べ下さい。
 離日前に旅券を得て渡航先を決めたなら、往復の交通費(船か空)、宿泊費、海外旅行保険料等は支払いましょう。旅行代理店で大半の旅費を一括した旅行商品(フリープラン)を購入した旅行者はいます。
 kaigairyokouhoken.com 海外旅行保険の加入は必須です。
平成の時期と比較して令和初期の旅費は値上がりしてます。
旅行記内で発表した事柄と現状は数多く異なります。
 私は平成27年八月に梅田で営業してた旅行代理店で海外旅行保険とフリープランの代金を支払ってから十月にバンクーバー旅行しました。
そのフリープランはエアカナダの代金、宿泊費、送迎バスの代金と各種税金等が含まれていました。

「いつ頃、海外旅行したのか?」

渡航の時期が不明確な旅行記はございますが私は可能な範囲で明確化させました。 赴いた時はドリアン長野本人しか分かりません。

敬具 マーキュリーマーク
 

 回顧を兼ねた書評
 僕の初海外旅行は26歳の時のインドだった。
 当時往復チケットは年末料金だったので30万した(泣)。
 行く前は椎名誠の「わしもインドで考えた」を熟読。
 インドでは尻の毛まで抜かれるほどぼったくられ、下痢と発熱で散々だったけど、
 それからはリーマンパッカーとして主にアジアをふらふら。
 アフリカは遠すぎて行けなかった。新婚旅行もバックパックでバンコクと香港へ。
 香港では雑居房のチョンキンマンションで二泊し、妻はぐったりしていた。
 バンコクでは安宿と高級ホテルと泊まり歩き、マリオットのプールで
 溺死しそうになったのは今ではいい思い出だ(嘘)。
 旅も好きだが、旅行記も好きだ。
 この本は主にアフリカ旅行のエッセイだが、面白い。
 何よりも文章がうまい。
 奥さんとのなりそめを綴った「追いかけてバルセロナ」なんか疾走感があり、
 一気に読め、感動的でさえある。
 朝の通勤の地下鉄で読んでたけど、日本にいながら気持ちはバックパッカー。
 旅の本もいいけど、また出かけたいなあ。