令和五年五月の投稿

I think it's a nostalgic place for the missionaries who evangelized in Abeno.
I also got acquainted with the missionaries in the English conversation class here.
I was baptized with the desire to be a man of integrity like the missionaries.
It is a place full of memories for me too!
阿倍野で伝道した宣教師にとっては懐かしい場所だと思います。
私もここの英会話教室で宣教師と知り合いになりました。
私は宣教師のように誠実な男になりたいという願望で洗礼を受けました。
私も思い出の詰まった場所です!

極真空手の思い出」その1
関西本部に羽田という二段の先輩がいた。
羽田先輩はスポーツ刈りのさわやかなイケメンタイプで映画「キョクシン」のポスターで飛び蹴りをしている人に似ていた。
大山倍達総裁が来阪したおりには運転手を仰せつかったそうだ。さぞかし緊張したことだろうと想像する。
さる昇段審査会の時、私が青帯(8級)の頃だったと思う。審査の一つに型がある。われわれは「平安(ピンアン)その二」という型を指示された。
平安という型は沖縄の糸洲安恒が作った。伝統空手流派にはほぼあると言っていい。
極真空手では平安その一からその五(他流派では平安初段〜五段)に加えて回転を伴う平安その一裏〜その五裏がある。
これは大山総裁が創作したものだが、裏ではない「表」の平安も流派によって細かい部分が違う。平安初段と二段が入れ替わっている流派もある。
これは原初の平安を習得の難易度によって入れ替えたものだ。
10人弱の青帯が号令でいっせいに型をする。終わった後に師範が難しい顔をして腕を組んだ。そして号令をかけていた黒帯に「羽田を呼んでこい」と言う。
呼ばれた羽田先輩の顔は明らかに俺、なんかまずいことしたのだろうか、と書いてある。
師範は「羽田、平安その二をやってみろ」
「押忍!」
と、先輩は型を始めた。それを見たわれわれは呆然とした。
その型は力強く、身体の正中(中心)線がぶれることなく、一つ一つの動作に強弱と緩急がある。芸術的と言ってもいい。
型が終わると師範はわれわれに「これが平安その二だ」と一言だけ言った。
その昔、他流派に「極真は組手は強いが、型は汚い」と言われたそうだ。
実際、ある先輩は型を教える時に「少しくらい動作が崩れてもいいから思いっきり打ち込め」と指導していたと聞く。今は極真会館でこのような指導はしない。
大山総裁は「地に沿った基本、理に適った型、華麗なる組手」それが理想的な空手だと言われた。
私は様々な流派の型を本やテレビやビデオで観た。あくまでも主観であるが、極真空手の型くらい実戦的で美しい型はない、と思う。
機能美という言葉がある。日本刀は人を殺傷するために装飾は一切排除し、無駄が無い。だから逆説的に装飾品として美しい。
型は舞踊ではない。空手の動作に意味のない動作はない。実戦的な極真の型はだから美しいと思う。


極真空手の思い出」その2
初段のF先輩という人がいた。その先輩は温厚で時おり冗談も言い、道場のムードメーカーだった。後輩に対しても決して威張らないので慕われていた。
若い頃の古谷一行にちょっと似ていた。
入門間もないある時、その先輩とスパーリングをした。
スパーリングというのは全力で相手を倒す組手とは違い、力をある程度抜いて技の攻防を学ぶものだ。開始30秒も経っていなかったと思う。
ガツンと衝撃を受けた。回し蹴りを側頭部にもらったのだ。
私は思わずニヤリとした。これが極真なのだ、寸止めではない、直接打撃制の空手なんだ、と喜びが込み上げてきた。
しかし、私のニヤリを馬鹿にされたと思った先輩はムッとして「本気で蹴ってないから」
と言った。そのままスパーリングは終わり、他の人に代わった。
あれから40年近く経った今でも思う。なぜ稽古後に先輩、実は、と説明しなかったのかと。
温厚な先輩がムッとしたのを見たのはあの一度きりだった。
もう会う術もないのだが、もし可能ならば会ってあの時のことを謝りたい。ご本人は忘れていると思うけど。
昇級審査の前、緊張するわれわれにF先輩が指導したことがあった。
「自分の順番が来たら、押忍、何番、〇〇です。とハッキリ言うこと!」
「押忍!」
「でも歌は歌わないでね」
それだけでわれわれは緊張がほぐれたものだ。

 

 回顧を兼ねた書評
 僕の初海外旅行は26歳の時のインドだった。
 当時往復チケットは年末料金だったので30万した(泣)。
 行く前は椎名誠の「わしもインドで考えた」を熟読。
 インドでは尻の毛まで抜かれるほどぼったくられ、下痢と発熱で散々だったけど、
 それからはリーマンパッカーとして主にアジアをふらふら。
 アフリカは遠すぎて行けなかった。新婚旅行もバックパックでバンコクと香港へ。
 香港では雑居房のチョンキンマンションで二泊し、妻はぐったりしていた。
 バンコクでは安宿と高級ホテルと泊まり歩き、マリオットのプールで
 溺死しそうになったのは今ではいい思い出だ(嘘)。
 旅も好きだが、旅行記も好きだ。
 この本は主にアフリカ旅行のエッセイだが、面白い。
 何よりも文章がうまい。
 奥さんとのなりそめを綴った「追いかけてバルセロナ」なんか疾走感があり、
 一気に読め、感動的でさえある。
 朝の通勤の地下鉄で読んでたけど、日本にいながら気持ちはバックパッカー。
 旅の本もいいけど、また出かけたいなあ。