NO81上海日記最終日とNO82上海日記終の両者と元(ハジメ)の見解(リターンズ)

元(ハジメ)管理人の感想文と皆様への伝達事項
今回はあえて、冒頭で伝えさせていただきます。上海日記最終日並びに上海日記終(事実上の上海日記最終回)の両者を同時に発表します。又、平成10年代の海外旅行記だということを考慮した上でお読みください。
海外では詐欺師が多いようですのでこれから海外旅行に赴かれる方はお気をつけてください。
だけど、何でも区切りというのがあるものなんですね。それを今回の海外旅行記を読んでいて再認識しました。無論、「四月のゴールデンウィークは終わったからこれからは五月のゴールデンウィークを楽しもう。」という脱力するような人もおられるかもしれません。
この海外旅行記に出てくるKさんは結婚しその後でドリアン長野も結婚しました。これも、区切りですね。
下記の中国旅行記を読まれると単純にドリアン長野は中国を好意的に考えてると思われると少し問題があるので過去の見解も同時に発表します。従って、合計4種類のドリアン長野の過去の投稿を発表します。
個人的な海外旅行であればお気楽に楽しめるかもしれない中国。だけど、「中国政府が行ってる全ての行動に対して日本人全員が肯定が行えるか?」と質問されたら積極的に反対し否定する日本人が多く出現するのが現実です。特に平成20年以降は日中友好平和条約が半ば無効になってきてます。今回は前述した伝達事項を読まれた上で下記の海外旅行記を読まれることを希望します。

NO81 上海日記 最終日

at 2005 09/24 23:27 編集

6時半起床。今日が上海最終日である。帰国便は昼過ぎだ。気合いを入れて空手着に着替え、バンドをランニングしてから黄浦公園で太極拳をしている50人ほどの一団に加わる。遠慮して隅でやっていたが、近くのおばさんが手招きするので中心に入らせてもらう。終わるとおばさんたちがわれわれの周りにどっと集まってきた。「テコンドーだよ」とか「裸足で寒いだろう」とか口々に言うさまはまるで大阪のおばちゃんみたいである。日本の空手の技を見せてよという声に応えて、型を披露するとみんなが拍手してくれる。何だかいい気分である。われわれがわいわい言っていると、夫婦とおぼしき中年の男女が日本語で話しかけてきた。
「あなた、どこから来た?」「大阪です」「おー、大阪ですか。大好きですよ。友だちたくさんいますね。みんな優しい。私は美術大学で先生をしています」と名刺を渡された。それには水墨書院理事とか山水書研究院会員とか中日文化芸術交流協会とか肩書きがゴテゴテと書いてあり、名前の前には画家とあった。「あなた、上海市長に似ていますね。市長はとても若いです」と言いながら、ハサミで私の顔の切り絵を始めた。これがまたうまいんである。この人は高名な芸術家なのかも、と思っていたら、むこうでおばさんたちが懸命に手招きしている。
「ちょっと待っててください」とおばさんたちのところへ行ってみると、私を取り囲んで一斉に何か言っている。わけが分からずに何だ何だ、どうしたんだとおろおろしていたら、一人のおばさんが紙に何かを書いて見せてくれた。それには「小心」と書いてあった。

NO82 上海日記 終

at 2005 10/15 00:06 編集

「小心」とはもちろんビビりのチキン野郎のことではない。注意しろ、ってことだ。なるほど、彼はバンドでも有名な詐欺師らしい。あまりの名演技にさすがの百戦錬磨(の負け犬)のこの私もあやうく騙されそうになったわい。その詐欺師兼大先生は今度はK君を相手に熱弁をふるっておられる。駆け寄ってみると既に遅し、K君は寄付の名目で10元パクられたあとだった。昨夜あんなに信念を貫いた彼だが、最後の最後に赤子の手をひねるように金を巻き上げられるとは、げに恐ろしき上海人民よ。次に詐欺師兼大先生は「上海友好のために100元寄付して下さい」とこの私にのたもうた。何で一気に十倍もふっかけるねん。欲張りすぎやで、あんた。
「財布持ってませ~ん。空手着ですからあ」と笑顔で言うと、「そうですか」と私の手から切り絵を引ったくり、風のように去っていった。
心配そうに見守っているおばさんたちの所に戻り、「老師、謝謝(ラオシー、シャヤ)」と礼を言う。最後に皆と記念写真を撮って別れた。
帰国してからK君は「中国で就職できないですかねえ」と口走ったり、中国語会話の本を買って勉強しだした。遠い目になっている。完全に中国病だ。それから間もなくK君は結婚した。何回も断られてやっと彼女にOKをもらったそうだ。彼にとっては最初から独身最後の旅のつもりだったらしい。新婚旅行は本当は北京に行きたかったけど、新婦の意を汲んでハワイにした。今でも彼と会えば、中国の話になる。実は私もかなり長い間、中国病にかかってしまった。至る所で人民の顔が思い浮かび、いちいち日本と中国のやりかたを比べてみては中国の肩を持ちたくなっちゃうんである。中国は奥が深い。(終)

NO70 反日デモと民主主義

at 2005 04/27 22:31 編集

中国各地で反日デモが出来しているが、事件をテレビや新聞で目にするたびに私は文革を思い出しては「中国は民主主義社会である」との意を強くする。矢吹晋氏の「文化大革命」(講談社現代新書)には「スターリンの粛清が秘密警察を用いた国家テロであったのに対して、文革は大衆独裁という大衆によるテロであった事実に注目する必要があろう。ここでは中国共産党の誇る大衆運動は大衆操作に堕落し、ついには大衆テロに堕落したのであった」とあるが、これは民主主義というイデオロギー以外の何物でもないではないか。文革、学生の民主化要求デモ、そして反日デモに至るまで民主主義は連綿と継承されてきた。ちょっと待たんかい、なんで民主主義社会で民主化要求デモがあんねん。それに天安門事件はどないやっちゅうねん。人民がぎょうさん殺されとるやろ。人権はどないなっとんねん。と言う人もいるに違いない。それはまだ中国が未熟な民主主義だからだ。共産主義に至る第一段階の社会主義みたいなものである。だとすれば、民主主義後進国である中国が日本やアメリカのような民主主義先進国を目指せばいいのか。もし仮にある国家が民主主義を採択し、どんどん人権思想を発揚し徹底していけば、それはファシズムにならざるをえない。何となれば、民主主義はファシズムだからである! 
ヒトラーは(略)『民主主義の大洪水』をひき起こしたのである。これを人々はナチズム(あるいはファシズム)と呼ぶ。しかし、その正体はなにかと言えば、フランス革命以来一貫してかわらぬ、あの『抑制のないデモクラシー』にほかならないのである。(「民主主義とは何なのか」 長谷川三千代 文春新書)
カンボジアでのポルポトの大虐殺は文革がなかったら起こりえなかったかもしれない。少なくとも文革に影響されたことは確かである。民主主義・人権思想の持つ、差別を撤廃し全てを均一化するという情熱はポルポトの蛮行につながっている。虐殺があったから民主主義を再検討しようということにはならない。逆に民主主義・人権思想を徹底しようということになるはずだ。中国がチベット人に対して行っているのは紛う方も無く人権侵害である。しかし人権というものは恣意的な概念であり、制度に過ぎない。フランス革命の人権宣言には「国民議会は、至高の存在の面前でかつその庇護の下に、つぎのような人および市民の権利を承認し、かつ宣言する」とある。ここに「至高の存在」とあるように、人権宣言は宗教的な儀式であった。神(もしくは神のような存在)から承認された権利(!)であり、人間に賦与されているものではないのである。人権を人類普遍の真理だとするのはまやかしであり、そうと思い込むのは錯誤でしかない。チベット人への人権侵害をやめろ、と人は言う。これは現代の人権思想への儀式を求める鬨の声なのか。全てを人権へと収束しようとする儀式への。人権を持ち出せばチベット人は救われることはない。何度でも言う、人権というのはイデオロギーだからだ。
過去、イギリスは清にヤクザ同然のやり方で戦争をしかけ、多額の賠償金、治外法権関税自主権の放棄、最恵国待遇条項の承認と上海、広東等を開港させ香港を租借地にしたが、それに対して中国が賠償を求めたとか反英デモを行ったという話は寡聞にして知らない。これは日本への差別ではないのか。今回の反日デモは別の意味で民主主義のあり方を問うべき事件であると私は思う。

NO75 「美味しんぼ」と人道主義

at 2005 06/09 18:54 編集

美味しんぼ」(作・雁屋哲 画・花咲アキラ)91巻の第6話(“焼き”の深さ)は東西新聞の文化部に配属された記者の話である。彼はインドネシアスマトラ沖地震に対しての民間の義捐金が少ないことに義憤し、紙面で被災者救済を直接訴えることができる政治部か社会部に転属させてくれとごねる。山岡士郎は文化の重要性を説くためにこう言う。
「ある日本人が、いまだに第二次大戦中のことで、日本を非難し続ける中国人に尋ねたことがある。どうして日本よりもっと長い間アジアを植民地にしていたイギリスを非難しないのかと。彼は答えた。イギリスはアジアを植民地にして収奪したが文化を与えてくれた、だが、日本は奪うだけで文化を何も与えてくれなかった、その違いだと。」
それほど文化というものは重要なものだと山岡は言うのだ。恐ろしい論理である。イギリスの上流階級に広まった喫茶のために清から大量の茶等を輸入し、その輸入超過を是正するために阿片を売りつけていたが、それを拒否した清に戦争をしかけたのがアヘン戦争だ。これはまごう方無い侵略戦争である。その後のアロー戦争も同様だ。これにより支那への支配が始まったのだが、しかしこんなことはイギリスが文化を与えたことによって免責されるのである。喫茶という貴族階級の文化を維持するためには何人もの清の人間が廃人になろうが仕方ないとでも言うのだろうか。原爆投下による大量虐殺もアメリカ文化を与えられたことによって相殺されるということになる。それならば日本による朝鮮支配もインフラや教育という文化を与えたことによって不問に付されるはずである。しかし雁屋氏は「美味しんぼ」や「日本人と天皇」(いそっぷ社)といった著作の中で滔々と日本を一方的に断罪し、他のアジア諸国を単純な被害国として描くのみである。
美味しんぼ」76巻の「中華と中国」は支那そばという店名に憤慨する支那人の話である。支那というのは蔑称であるから中国と呼べ、というのが彼らの主張だ。実は支那というのは蔑称でも何でもなく、むしろ支那という名称を廃止せよと強要していることが日本に対する差別であるということが評論家の呉智英支那文学者の高島俊男といった識者によって明らかにされている。この名称問題は靖国神社参拝や歴史教科書問題につながっている。以下は小泉局長と山岡の会話である。
小泉 「事は簡単だ、支那という言葉がどんなにいい言葉であろうと、蔑称ではなかろうと、相手がいやだと言うことは、やめればいい」
山岡 「おっしゃる通りです、相手がいやだと言うことはしない。これは人間同士の間でも、国と国との間でも、同じことじゃないのかな」
中国の日本に対するバッシングは国内問題から目をそらせ、人民を極端な国粋主義ショービニスム)に転化させる政治的意図であるというのは周知の事実だ。日本は中国のサリーおばさん(Aunt Sally;年増女の木像の口にくわえさせたパイプに棒を投げて落とす遊戯。転じて不当な攻撃の的)なのだ。それであるから、中国は日本がどんなに賠償金を支払っても謝罪してもどこまでも許しはせず、口実を作って責め立てるのは明白である。中国が東シナ海という呼称がいやだからと言えば、それを改称するのか。歴史教科書は捏造であるから不快だと言えば、中国の都合のいいように書き変えるのか。チベット人の虐殺を明るみにするなと言われれば、唯々諾々と従うのか。北朝鮮が日本が拉致問題についていつまでも拘泥するのは不快だと言えば、追求するのをやめるのか。雁屋氏のアジア史に対する見解は単純で楽天的であるが、歴史観人道主義が結びつくほど恐ろしいものはない。

 

 回顧を兼ねた書評
 僕の初海外旅行は26歳の時のインドだった。
 当時往復チケットは年末料金だったので30万した(泣)。
 行く前は椎名誠の「わしもインドで考えた」を熟読。
 インドでは尻の毛まで抜かれるほどぼったくられ、下痢と発熱で散々だったけど、
 それからはリーマンパッカーとして主にアジアをふらふら。
 アフリカは遠すぎて行けなかった。新婚旅行もバックパックでバンコクと香港へ。
 香港では雑居房のチョンキンマンションで二泊し、妻はぐったりしていた。
 バンコクでは安宿と高級ホテルと泊まり歩き、マリオットのプールで
 溺死しそうになったのは今ではいい思い出だ(嘘)。
 旅も好きだが、旅行記も好きだ。
 この本は主にアフリカ旅行のエッセイだが、面白い。
 何よりも文章がうまい。
 奥さんとのなりそめを綴った「追いかけてバルセロナ」なんか疾走感があり、
 一気に読め、感動的でさえある。
 朝の通勤の地下鉄で読んでたけど、日本にいながら気持ちはバックパッカー。
 旅の本もいいけど、また出かけたいなあ。