イタリアの田舎町と極真空手 平成26年6月

沢木耕太郎がイタリアの田舎町でローマ行きのバスを探していた。そこに二人組の少年が通りがかり、どうしましたか?と聞いてきた。わけを話すと道案内をかって出た。少年が聞く。

「ジャパニーズ?」
「そうだよ」
「マスタツ?」
「?」
「マスタツ知らない?」
「知らない」
「カラテ、知らない?」
そして、もう一人の少年が、
「キョクシン、知らない?」と訊ねてきた。
キョクシン、キョクシン…そうか極真のことか。
彼らは極真カラテ創始者である大山倍達を知っているかと訊ねていたのだ。少年たちは立ち止まり、手にしているスポーツバッグのファスナーを引き開けた。そこにはカラテの稽古着と帯があった。彼らはこの町で極真カラテを習っていたのだ。
彼らは極真カラテがいかに凄いか、熱っぽく話し始めた。高段者になれば、いかに多くの煉瓦を割れるか。どれほど厚い板を破ることができるか。マスタツは一撃のもとに牛さえ倒すことができるのだ
ローマとかミラノとかいった大都市ではなく、昨日まで名前も知らなかったイタリアの小さな町に、これほど熱心な日本製格闘技の信奉者がいる。
それは辺境の地でセイコーパナソニックの広告を見ることよりはるかに感動的なことだった。】

沢木耕太郎深夜特急」より

これは1974年の頃だ。

時々極真の道着を来た子どもを街で見かける。そんな時は嬉しくなって駆け寄り、極真カラテやっているの?と話しかける。最後は「頑張ってね、押忍!」と言って別れる。

国内だけでなく、世界中で同じ極真の刺繍が入った道着を着て、押忍!と通じる。考えてみれば当たり前のようだが、本当にこれは凄いことではないだろうか。
何十年前かにこの箇所に突き当たった時に非常に感動し、一人で興奮してしまいました。
 

 回顧を兼ねた書評
 僕の初海外旅行は26歳の時のインドだった。
 当時往復チケットは年末料金だったので30万した(泣)。
 行く前は椎名誠の「わしもインドで考えた」を熟読。
 インドでは尻の毛まで抜かれるほどぼったくられ、下痢と発熱で散々だったけど、
 それからはリーマンパッカーとして主にアジアをふらふら。
 アフリカは遠すぎて行けなかった。新婚旅行もバックパックでバンコクと香港へ。
 香港では雑居房のチョンキンマンションで二泊し、妻はぐったりしていた。
 バンコクでは安宿と高級ホテルと泊まり歩き、マリオットのプールで
 溺死しそうになったのは今ではいい思い出だ(嘘)。
 旅も好きだが、旅行記も好きだ。
 この本は主にアフリカ旅行のエッセイだが、面白い。
 何よりも文章がうまい。
 奥さんとのなりそめを綴った「追いかけてバルセロナ」なんか疾走感があり、
 一気に読め、感動的でさえある。
 朝の通勤の地下鉄で読んでたけど、日本にいながら気持ちはバックパッカー。
 旅の本もいいけど、また出かけたいなあ。