靖国神社 平成26年8月

イメージ 1
イメージ 2
イメージ 3
イメージ 4
イメージ 5
2014年8月15日
雨だった前日とうってかわり、晴天猛暑。靖国を訪れるのは実に四半世紀ぶりだ。この日に来られたのは何か意味があるのだろう。九段下駅から靖国神社へ向かう途中、こみ上げるものがあった。「靖国で会おう」と戦友に誓った兵士、水の一滴も口にできずマラリアで死んでいった兵士。妻子をおいて戦場に赴かなければならなかった兵士。その残された家族。大空襲で、原爆で苦しみぬいて死んだ非戦闘員。歩道は騒然としていた。ウイグル支援の募金を求める者、中共法輪功迫害を非難するビラを配る者、河野談話撤廃の署名活動、南京大虐殺従軍慰安婦は捏造だの幟。待機する各社の報道陣。
境内の中ほどには大村益次郎の全身像がわれわれを見下ろすように立っている。彼は軍制を洋式に改革するよう建議し、不平士族に殺された。近視眼的な頑迷固陋な攘夷を唱える人たちに。われわれも自戒しなければならない。そしてまた本殿の傍には東京裁判で唯一日本無罪論を主張したパール博士の顕彰碑がある。正午に武道館で開かれている戦没者追悼式の参列者と共に黙祷。
「時が、その熱狂と偏見をやわらげたあかつきには、また理性が、虚偽からその仮面を剥ぎ取ったあかつきには、そのときこそ、正義の女神はその秤を平衡に保ちながら、過去の賞罰の多くにその所を変えることを要求するであろう」
パール博士
帰りは早稲田通りをダラダラと下って神楽坂の中華「五十番 本店」で弁当を買って、向かいの神社の境内で食べました。
 残念ながら遊就館もいっぱいで入れませんでしたが、若いカップル、夫婦、家族連れと多種多様な人々が参拝に来ているのを目にしただけで自分としては充分でした。
 

 回顧を兼ねた書評
 僕の初海外旅行は26歳の時のインドだった。
 当時往復チケットは年末料金だったので30万した(泣)。
 行く前は椎名誠の「わしもインドで考えた」を熟読。
 インドでは尻の毛まで抜かれるほどぼったくられ、下痢と発熱で散々だったけど、
 それからはリーマンパッカーとして主にアジアをふらふら。
 アフリカは遠すぎて行けなかった。新婚旅行もバックパックでバンコクと香港へ。
 香港では雑居房のチョンキンマンションで二泊し、妻はぐったりしていた。
 バンコクでは安宿と高級ホテルと泊まり歩き、マリオットのプールで
 溺死しそうになったのは今ではいい思い出だ(嘘)。
 旅も好きだが、旅行記も好きだ。
 この本は主にアフリカ旅行のエッセイだが、面白い。
 何よりも文章がうまい。
 奥さんとのなりそめを綴った「追いかけてバルセロナ」なんか疾走感があり、
 一気に読め、感動的でさえある。
 朝の通勤の地下鉄で読んでたけど、日本にいながら気持ちはバックパッカー。
 旅の本もいいけど、また出かけたいなあ。