#98 ビルマの休日 その11(リターンズ)

NO98 ビルマの休日 その11

at 2006 02/13 23:07 編集

中腹に着くと参拝者を満載したトラックが次々とやってくる。かつぎ屋や運び屋は大忙しだ。こけつまろびつ駆けつけては交渉してどんどん山に登っていく。小柄な少年がかごの中に五人分の荷物を詰め込み、その上にばかでかいスーツケースを括りつけて黙々と登っていった光景を見たときにゃあ、彼の後ろ姿に男を感じたね。町工場のシャチョーさんが見たら「えらい! あんな年端もいかない子供が文句も言わんと....。それにひきかえ最近の日本の若いやつらときたらっ」と思わず事務所のスチールデスクを叩き、感涙にむせびそうだ。定員五十人の荷台に十人の日本人ツアー客を乗せたトラックが到着。五倍の運賃を払ったな。すかさず運び屋が群がる。おばさんが「わたし、自分で歩くよ」と肩をそびやかして腕を振る。日本人のおばさん独特のしぐさだ。とはいっても結局全員がかつぎ屋に運ばれていった。
とまあ、こっちもいつまでも見とれているわけにはいかないので、最終便に乗り込む。定員になるのを待って、ようやくトラックは日没の中を走り出した。夜になるとTシャツだけでは肌寒いほどだ。荷台には茶店の茶器を積んだ大きなバケツを抱え込んでいるおねいさんや売り物の駄菓子やら干物を持って帰る少年といった仕事帰りの人たち、私のとなりには僧侶が二人座っている。相変わらず身動きもできない。時おり話し声が聞こえてくるが、もちろん一言もわからない。見上げると満天の星と下弦の月。トラックは月明かりの下で険しい山道を疾走してゆく。いつ横転してもおかしくないほどだが、彼らと一緒に揺られていると不思議と恐くはなかった。実はミャンマーに来て一番よかったと思える瞬間がこの時だった。私はきっと十年後もこの時のことをまばゆいほどの星と月とともに懐かしく思い出すに違いない。(続く)
 元(ハジメ)管理人の感想文と皆様への伝達事項
スチールデスクを販売してる人が見たら喜ぶようなお話ですかね?
それはともかく、皆様も思い出に残るドライブというものがあったと考えられます。日本国内でも郊外の町を移動してると大都市と比較して街灯が少ないことが多いです。日本とミャンマーの街灯のルーメン数を比較したら雲泥の差でしょう。皆様も暗い夜道のドライブを霊的に過ごされたことがございますか?
 今回は98回目です。もうすぐ、平成10年代のリターンズは終了です。このままだと平成20年代のリターンズは4回だけを発表し終了になりそうです。今後、続編が発表されるか否かは現時点では不明です。
余談。 そういえば、将来的に某F社が1998年(平成10年)に販売した靴の再販は製品名98として来年行うのかな?〇ラント・〇ル4は恰好いいから今から少し楽しみ。
 

 回顧を兼ねた書評
 僕の初海外旅行は26歳の時のインドだった。
 当時往復チケットは年末料金だったので30万した(泣)。
 行く前は椎名誠の「わしもインドで考えた」を熟読。
 インドでは尻の毛まで抜かれるほどぼったくられ、下痢と発熱で散々だったけど、
 それからはリーマンパッカーとして主にアジアをふらふら。
 アフリカは遠すぎて行けなかった。新婚旅行もバックパックでバンコクと香港へ。
 香港では雑居房のチョンキンマンションで二泊し、妻はぐったりしていた。
 バンコクでは安宿と高級ホテルと泊まり歩き、マリオットのプールで
 溺死しそうになったのは今ではいい思い出だ(嘘)。
 旅も好きだが、旅行記も好きだ。
 この本は主にアフリカ旅行のエッセイだが、面白い。
 何よりも文章がうまい。
 奥さんとのなりそめを綴った「追いかけてバルセロナ」なんか疾走感があり、
 一気に読め、感動的でさえある。
 朝の通勤の地下鉄で読んでたけど、日本にいながら気持ちはバックパッカー。
 旅の本もいいけど、また出かけたいなあ。