#30 インド編その6(リターンズ)

#30 インド編その6(リターンズ)
2012-05-01 | Weblog
#30 インド編その6

at 2003 12/19 00:32 編集
ベナレス、ベナレス、モスクワの味~って、そりゃパルナスやろがっ! (ベタですまん。しかも関西限定ギャグ)
 ベナレスは英語名のBENARES(ベナリーズ)の日本語読みであり、正式名はバーラナシーだ。現地ではバナラスともいう。ああややこしい。早朝6時にムガールサライ駅に到着。オートリキシャー(小型オート三輪のタクシー)を拾い、ベナレスヘ。両側に花屋や食堂やゲストハウスやお香や聖水入れを売っている店等がぎっしりと並んでいる狭い路地を下っていくと(曲り角で牛と鉢合わせて角で突かれたりするから気をつけろよって、誰に言ってんだ)、いきなり視界が開けた。聖なるガンガー(ガンジス河)は思ったより広大でダージリンティーのように濁っている。ガート(沐浴場)では老若男女が口をゆすぎ、祈り、体を浄める。神様の乗り物とされる牛も水浴びをし、時おり排泄物も流れる。バラモンは説教をし、サドゥー(ヒンズー教の修行者)は瞑想する。おお、三島由紀夫の「暁の寺」で読んだ、あのベナレスに私はいるのだ。焼けつくような太陽の下、雄大なガンガーに無数のきらめくサリーと半裸の男たち。人々のざわめきと祈り。聞こえてくる讃歌。ガンガーで沐浴せば全ての罪は浄められん。無辜となった亡骸を荼毘に付し、ガンガーに流せば輪廻からの解脱を得ん。ああ、悠久の聖なるガンガーよおっ! 「バクシーシ、バクシーシ、ジー」と肩を叩かれたので振り向くと、乞食が列を作って並んでいる。「バクシーシ!」 ああ、うるさいっ。声を揃えるんじゃないよ。ゆっくりと思索にふける間もないな。そうだ、ボートに乗ろう。交渉して値切り倒し、1時間50ルピーで回ってもらうことに。ボートを漕ぎ出して川中からガートを眺める。いろいろなガートがあるが、中でも大きなガートは何かもう、ひっちゃかめっちゃかに様々なものが混じり合ってこの世のものとは思われない光景だ。
 いくら聖なる河だといっても、川底に人骨がごろごろ転がっていてたまに死体が浮いていて赤痢菌がうじゃうじゃしているような汚い河の水を飲んで下痢をするインド人だっているだろう。死んじゃう人だっているかも。いや、信仰という気合いが入った精神には病原菌も退散するのかもしれない。なんたって、遺灰をガンガーに流してもらうために地方からやって来てベナレスに住み、死ぬのを待っている人もいるんだもんなあ等と思索にふけるためにボートを漕ぎ出して思索にふけっていると、少女の乗ったボートが近づいて来た。
 「この花、神様に捧げる花。10ルピー。買え」 「船頭さん、買わないから先に行っちゃって」 それにしても信仰というものはすごいなあ。椎名誠が「わしもインドで考えた」で書いているように、このように信仰篤きインド人と信じるものなど何もないんだあ~と嘯いている日本人と一体どちらが幸せなのだろうか等と思索にふけっていると、少年の乗ったボートが近づいて来た。
 「ガネーシャ、クリシュナ、カーリー、神様の人形、いろいろある。20ルピー。買え」 「だあ~っ、うるさいわあ~っ! 俺を一人にさせてくれ~っ!」
 ボートを下りて火葬場のマニカルニカー・ガートに行くことにした。布に包まれた遺体を組んだ薪の上に乗せ、火をつける。薪がバチッバチッと音を立てて爆ぜ、布がめらめらと燃えていき、徐々に肉体が現われてくる。時おり隠亡が棒で遺体をつつき、火の回りを早くする。人間の肉体を焼く光景を見るのは初めてなので、最初は衝撃的だったが炎天下で陽炎のような炎を眺めているうちに感覚が麻痺してくる。インドでは何が起きても不思議ではない。 「インドが異常なのか、それとも日本なのか」 思索にふけっていると、いきなり風が吹いてきた。わっ、ぺっ、ぺっ、遺灰が口の中に入っちゃったあ~。
 近くで火葬を見ていた日本人らしき女性に声をかけたら、彼女は北海道の大学生だそうだ。話をしているうちにもう一度ボートに乗ろうということになった。人のよさそうな、おじいさんの船頭に値段を聞くと、20ルピーだそうだ。くう~っ、またしてもボられてたか~。そのボートにはおじいさんの孫だろうか、まだちっちゃな男の子や女の子が5、6人乗っていた。夕刻のガンガーは気温もいくぶん下がり、風が吹いていて気持ちがいい。ガートの喧噪も遠くに聞こえる。この辺りは6時になるともう真っ暗闇だ。それでも路地を歩くと聖地らしい喧噪がここかしこで聞こえてくる。自分が今ここにいることが不思議だ。日本を離れて本当に遠くまで来たんだなあ。と、感慨にふけっている暇はない。今晩8時半の列車でカルカッタに帰らなければならないのだ。ベナレス滞在12時間。ああ、せわしない。乞食や物売りの少年少女たち、明日もしっかり稼げよ。さらばベナレス、また来る日までえ~。(つづく)
 元(ハジメ)管理人の感想文と皆様への伝達事項
 パルナスですが現在は兵庫県尼崎市阪神尼崎駅改札外)で創業者の弟にあたる人物が創業者で、モンパルナスというベーカリーを経営されてます。現在はパルナスさんは存在していません。先述したモンパルナスさんが事実上の後継店です。近畿ではパルナスは多くの店舗がございましたが平成十年代に会社を清算されました。
 とりあえず、泥のように寝台車で睡眠をとって下痢で苦しみながらドリアン長野はベナレスに到着しました。
 日本国内でも景品表示法が存在しないような小売店が存在していますがインドの方が日本よりも悪いみたいですね。 
下痢は恐ろしい病気です。近年、インドでは多剤性耐性結核菌や抗生物質の使いすぎの影響で屋外型MRSAが蔓延していると言われてもいますからね。こういった過去の海外旅行が原因で将来的に胃炎が原因で幼い娘を残して死去しないのを希望します。せめて、成人させて欲しいですね。
 本来は霊的に過ごす聖地が繁華街のようになっているのはインドも日本も大差ないようです。

椎名誠先生は、現在、二つのホームページで活躍されています。



http://blog.excite.co.jp/koushien/ 椎名誠の麺の甲子園ブログ


来月のドリアン長野の海外旅行記(リターンズ)にご期待ください。
オマケ
年末年始並びにゴールデンウィーク中の最終日だけモンパルナスさんはお休みされるそうです。
 

 回顧を兼ねた書評
 僕の初海外旅行は26歳の時のインドだった。
 当時往復チケットは年末料金だったので30万した(泣)。
 行く前は椎名誠の「わしもインドで考えた」を熟読。
 インドでは尻の毛まで抜かれるほどぼったくられ、下痢と発熱で散々だったけど、
 それからはリーマンパッカーとして主にアジアをふらふら。
 アフリカは遠すぎて行けなかった。新婚旅行もバックパックでバンコクと香港へ。
 香港では雑居房のチョンキンマンションで二泊し、妻はぐったりしていた。
 バンコクでは安宿と高級ホテルと泊まり歩き、マリオットのプールで
 溺死しそうになったのは今ではいい思い出だ(嘘)。
 旅も好きだが、旅行記も好きだ。
 この本は主にアフリカ旅行のエッセイだが、面白い。
 何よりも文章がうまい。
 奥さんとのなりそめを綴った「追いかけてバルセロナ」なんか疾走感があり、
 一気に読め、感動的でさえある。
 朝の通勤の地下鉄で読んでたけど、日本にいながら気持ちはバックパッカー。
 旅の本もいいけど、また出かけたいなあ。