もし当時日本が戦わなかったら、確実に欧米列強の植民地になっていただろう(新作)

もし当時日本が戦わなかったら、確実に欧米列強の植民地になっていただろう(新作)
2013-08-15 | Weblog
盧溝橋事件(共産軍による謀略)、通州事件(支那保安隊による日本人大量虐殺)、日支事変、それによって欧米と衝突。排日移民法、ABCDライン、ハルノートルーズベルト大統領は執拗に日本を開戦へと追い込み、東条内閣は「譲歩に譲歩を重ね、遂に譲歩の極に達した」。

当時、支那に日本軍が駐留していたのは北京議定書に基づく当然の権利であった。そして日本は戦争を回避するための交渉が繰り返された。

もし当時日本が戦わなかったら、確実に欧米列強の植民地になっていただろう。日本はそれを是とはしなかった。大東亜戦争は日本の侵略戦争ではない。自衛のための戦いであった。東アジアが欧米列強によって簒奪されていた時に、日本だけが白人支配を打ち破るために戦うことができた。日本は後発的帝国であったが、過酷な植民地政策ではなかった。時代に翻弄されながらも、日本は常にギリギリの選択をしてきた。

私は当然の彼等を誇りに思う。英霊に深く感謝したい。

 元(ハジメ)管理人の皆様への伝達事項
 結局の所、第二次世界大戦に敗戦した日本は未だに米国に占領され、ロシアには北方領土樺太が占領されてます。 ただ、今となってはとんでもない情報も発表されましたね。日独伊三国軍事同盟は存在してました。それだけにしておきます。
以上、管理人元(ハジメ)でした。
 

 回顧を兼ねた書評
 僕の初海外旅行は26歳の時のインドだった。
 当時往復チケットは年末料金だったので30万した(泣)。
 行く前は椎名誠の「わしもインドで考えた」を熟読。
 インドでは尻の毛まで抜かれるほどぼったくられ、下痢と発熱で散々だったけど、
 それからはリーマンパッカーとして主にアジアをふらふら。
 アフリカは遠すぎて行けなかった。新婚旅行もバックパックでバンコクと香港へ。
 香港では雑居房のチョンキンマンションで二泊し、妻はぐったりしていた。
 バンコクでは安宿と高級ホテルと泊まり歩き、マリオットのプールで
 溺死しそうになったのは今ではいい思い出だ(嘘)。
 旅も好きだが、旅行記も好きだ。
 この本は主にアフリカ旅行のエッセイだが、面白い。
 何よりも文章がうまい。
 奥さんとのなりそめを綴った「追いかけてバルセロナ」なんか疾走感があり、
 一気に読め、感動的でさえある。
 朝の通勤の地下鉄で読んでたけど、日本にいながら気持ちはバックパッカー。
 旅の本もいいけど、また出かけたいなあ。