転載 7月11日に生まれたドリアン長野の娘(菜々花)


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セブンイレブン

君が生まれたのは二年前、今日みたいに暑い日だった。あの3.11から四か月後だった。なんだか生徒は先生で、教える者は教わる者で、子どもは親だ。そんな気がする。
なぜ七月生まれなのに菜々花?と聞かれるけど、君の名前を考えている時にある新聞記事が目にとまった。
大学を卒業して、堺の刀鍛冶に嫁ぎ、自らも刀鍛冶師を目指す25歳の人の記事だった。
その人の嫋やかでいて、強い意志を秘めた表情に魅かれた。七菜子さんという名前だった。もちろん会ったこともないけど、その人から名前を少しいただいた。
菜の花から菜種油が採れ、菜の花自体も食用になるように、ヨハネ福音書にあるように、「一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる。自分の命を愛する者はそれを失い、この世で自分の命を憎む者は、それを保って永遠の命に至るであろう。」そんな生き方をして欲しいという願いから。
元(ハジメ)管理人の感想文と皆様への伝達事項
娘の成長を願う親の気持ちが現れていますね。感動した人物の氏名を参考にして子供の命名をする人物も世の中にはいます。君が中高生の時には大学受験よりも親の介護で大変かもしれないけども負けずにがんばってね。(笑) 
ドリアン長野が50歳で得た娘だから、娘が大学生の時には親が何歳かについては皆さんで計算してみてください。皆様、祖父が孫の育児をしてる訳では無い点はご理解ください。
過去にgooブログ上並びにツイットピック上で発表した投稿をヤフーブログ上でも特別に転載します。
以上、管理人元(ハジメ)でした。
 

 回顧を兼ねた書評
 僕の初海外旅行は26歳の時のインドだった。
 当時往復チケットは年末料金だったので30万した(泣)。
 行く前は椎名誠の「わしもインドで考えた」を熟読。
 インドでは尻の毛まで抜かれるほどぼったくられ、下痢と発熱で散々だったけど、
 それからはリーマンパッカーとして主にアジアをふらふら。
 アフリカは遠すぎて行けなかった。新婚旅行もバックパックでバンコクと香港へ。
 香港では雑居房のチョンキンマンションで二泊し、妻はぐったりしていた。
 バンコクでは安宿と高級ホテルと泊まり歩き、マリオットのプールで
 溺死しそうになったのは今ではいい思い出だ(嘘)。
 旅も好きだが、旅行記も好きだ。
 この本は主にアフリカ旅行のエッセイだが、面白い。
 何よりも文章がうまい。
 奥さんとのなりそめを綴った「追いかけてバルセロナ」なんか疾走感があり、
 一気に読め、感動的でさえある。
 朝の通勤の地下鉄で読んでたけど、日本にいながら気持ちはバックパッカー。
 旅の本もいいけど、また出かけたいなあ。