「こどもおぢばがえり」の日

奈良県天理市にある天理教の「ぢば」。
ぢばとは天理教でいう人類創造の地であり、夏休みには五日間でこどもたちを含めた25万人もの人が全国から集まるそうだ。いつもは閑散とした天理商店街に溢れる人々を見てみたい。
どうせならマウンテンバイクで行ってみようじゃないか。スマホアプリで調べたら自宅から40キロ、3時間弱で着くな、楽勝じゃないかと思っていた。しかしながらそこには大きな陥穽があったのだった。

自宅からほぼ一直線、1時間で東大阪にある聖地、花園ラグビー場へ。写真では分かりづらいが、かなり立派。

そこから坂道を登っていき、国道308号。
大阪府奈良県の県境にある暗(くらがり)峠の入り口。ここは国道としては日本一の激坂であり、別名酷道として地図では自動車通行困難と記載されている。

暗峠越えの峠道は国道(国道308号)に指定されているとはいえ、自動車で通行するのは困難なほど道幅は狭く、頂上付近では民家の軒先をかすめながら通行する箇所も存在する。大阪側ではきつい所で最大傾斜勾配31%[2]の急勾配がS字カーブになっており、慣れない者が走行すると登りきることができず立ち往生するほどともいわれる。ヤマハ電動アシスト自転車PAS激坂チャレンジNo.1のイントロでのきつい所の傾斜計での簡易測定では、傾斜角度26度 (勾配48.7%) であった。」

Wikipediaから引用。

もうこの時点でマウンテンバイクに乗って登ることが出来なくて、降りて押しながら登る。

暗峠を一度も足を着かずに登りきったマウンテンバイカーはその栄誉を褒め称えられ、一生をその栄光と共に生き、年寄りになっても孫に「おじいちゃんは若いときにあの暗峠を登りきったんじゃ」と何度も自慢し、嫌われるという。
その栄誉ある称号を勝ち取るために全国から強者バイカーが挑戦しに集まるが、成功するのは競輪選手くらいなものだろう。

「くわがたや 暗峠で 力尽き」

途中でこんな風景の場所もありますが、約4キロの距離をほとんど押しながら1時間かけて登る。汗が滝のように流れ落ち、心臓が何度も止まりかけた。

右手奥に見えるのが終点にある峠茶屋「すえひろ」。愛想のいいおばちゃんが、「あんた、よう登ってきたなあ」と褒めてくれます。

あとは下りトンネルを抜け快適だと思っていたら…第二の山越えが〜〜
急流が全てを物語っています。(泣)

15ラウンドを戦い終えたボクサーのようにヘロヘロになって天理市着。
4時間半かかりました。
天理商店街は京都の新京極並みに賑わっていました。
せっかくだから参考館で体力温存のために世界各国の展示物をじっくり鑑賞。帰りのことを考えると憂鬱です。
パレードも花火もパスして商店街のスーパーで水分を購入、4時半に出発しました。

生駒山中で日が暮れたら、と考えると必死です。大阪側の下り坂は急過ぎて押しながら下りました。ギリギリ日暮れに間に合った〜〜❗
摂った水分はトータル5リットル。

9時過ぎに自宅着。
よほど疲れた顔をした不審者に思われたのかマンションの駐車場に着くなり、○○○ーが止まり、2名の○○に○○(泣)。
ばかやろ〜〜❗

ああ、これが小学生だったら夏休みの日記に今日のことを書いて花マルだったのに、
ちゃんちゃん。
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 回顧を兼ねた書評
 僕の初海外旅行は26歳の時のインドだった。
 当時往復チケットは年末料金だったので30万した(泣)。
 行く前は椎名誠の「わしもインドで考えた」を熟読。
 インドでは尻の毛まで抜かれるほどぼったくられ、下痢と発熱で散々だったけど、
 それからはリーマンパッカーとして主にアジアをふらふら。
 アフリカは遠すぎて行けなかった。新婚旅行もバックパックでバンコクと香港へ。
 香港では雑居房のチョンキンマンションで二泊し、妻はぐったりしていた。
 バンコクでは安宿と高級ホテルと泊まり歩き、マリオットのプールで
 溺死しそうになったのは今ではいい思い出だ(嘘)。
 旅も好きだが、旅行記も好きだ。
 この本は主にアフリカ旅行のエッセイだが、面白い。
 何よりも文章がうまい。
 奥さんとのなりそめを綴った「追いかけてバルセロナ」なんか疾走感があり、
 一気に読め、感動的でさえある。
 朝の通勤の地下鉄で読んでたけど、日本にいながら気持ちはバックパッカー。
 旅の本もいいけど、また出かけたいなあ。