慟哭 平成28年9月

「慟哭」
現在の少年法は昭和23年に制定された法律で、少年が犯した事件について、名前や住所を新聞やその他の出版物に掲載することを禁じている。その理由として、未成年が社会的に弱い立場であることや、教育で更生する可能性が大きいことなどが挙げられているが、罰則規定はない。
光市母子殺害事件から8年後、広島高裁での差し戻し控訴審で遺族の意見陳述が予定されていた。本村洋氏の言葉を「なぜ君は絶望と闘えたのか」より抜粋する。
「F君(被告人)。私が君に言葉を掛けることは、これが最後だと思う。最後に私が事件後に知った言葉を君に伝えます。中国、春秋戦国時代老子の言葉です。”天網恢々、疎にして漏らさず”
この言葉の意味をよく考えてほしい。
君の犯した罪は万死に値する。君は自らの命を持って罪を償わなければならない。
私は家族を失って家族の大切さを知りました。命の尊さを知りました。妻と娘から命の尊さを教えてもらいました。私は、人の命をもって償うしかないと思ってます。それが私の正義感であり、私の思う社会正義です。そして、司法は社会正義を実現し、社会の健全化に寄与しなければ存在意義がないと思っています。私は、妻と娘の命を奪った被告に対し、死刑を望みます。そして、正義を実現するために、司法には死刑を科して頂きたくお願い申し上げます」
この本の最終章にある文章があるが、この言葉は死刑制度に対する遺族からの根源的な問いかけであり、慟哭しながら読んだこの本の際立って屹立した一文であると感じた。
「本村は、死刑制度というものは、人の生命を尊いと思っているからこそ、存在している制度だと思っている。残虐な犯罪を人の生命で償うというのは、生命を尊いと考えていなければ出てくるものではないからだ。」
15歳で同級生をナイフでめった突きにし、最後に首を切断して殺害した少年が後に弁護士になる。被害者遺族は家庭崩壊し、逆に法律事務所を構えて裕福なはずの加害者が賠償額の支払いを拒み、謝罪の言葉も一度としてない。少年法とは何か、更生とは、贖罪とは何かを考えさせる「心にナイフをしのばせて」も合わせて読みたい。
 

 回顧を兼ねた書評
 僕の初海外旅行は26歳の時のインドだった。
 当時往復チケットは年末料金だったので30万した(泣)。
 行く前は椎名誠の「わしもインドで考えた」を熟読。
 インドでは尻の毛まで抜かれるほどぼったくられ、下痢と発熱で散々だったけど、
 それからはリーマンパッカーとして主にアジアをふらふら。
 アフリカは遠すぎて行けなかった。新婚旅行もバックパックでバンコクと香港へ。
 香港では雑居房のチョンキンマンションで二泊し、妻はぐったりしていた。
 バンコクでは安宿と高級ホテルと泊まり歩き、マリオットのプールで
 溺死しそうになったのは今ではいい思い出だ(嘘)。
 旅も好きだが、旅行記も好きだ。
 この本は主にアフリカ旅行のエッセイだが、面白い。
 何よりも文章がうまい。
 奥さんとのなりそめを綴った「追いかけてバルセロナ」なんか疾走感があり、
 一気に読め、感動的でさえある。
 朝の通勤の地下鉄で読んでたけど、日本にいながら気持ちはバックパッカー。
 旅の本もいいけど、また出かけたいなあ。