この映画を観た人は必ずこの映画のことを人に伝えずにはいられないだろう。    平成28年12月




この映画はすずが広島市中島本町(現在の中区中島町)に海苔を届けるところから始まる。
父が広島で被爆したのは人づてに聞いて知っていた。父はそのことを子どもたちに直接話したことはなかった。なぜ米子市出身の父が広島にいたのか疑問だったので、今年の10月に帰省したときに聞いてみた。
祖父が広島連隊に召集され、祖母は家族が離れて暮らすのはよくないと三人の息子を連れて広瀬元町(現在の中区広瀬町)にあるお寺に寄宿した(中島町も広瀬町も原爆ドームから400メートル圏内)。被爆したときに父は10歳、生後半年の弟を膝に乗せてあやしていたが、右手から閃光が走ったので思わず首をすくめたら弟が吹き飛ばされた。お寺は倒壊し、瓦礫からは弟の泣き声が聞こえていたがどうしようもない。祖母と父は奇跡的に助かった。父は泣き叫びながらあてどもなくさまよい歩き、祖母と再会したのは3か月後だった。
映画のエンドロールにクラウドファンディングした2000人の名前が流れる。ありがとう、あなたたちが出資してくれなかったら、この映画が世に出ることはなかった。映画館ではエンドロールが終わるまで席を立つ人は一人もいなかった。
この映画を観た人は必ずこの映画のことを人に伝えずにはいられないだろう。
 

 回顧を兼ねた書評
 僕の初海外旅行は26歳の時のインドだった。
 当時往復チケットは年末料金だったので30万した(泣)。
 行く前は椎名誠の「わしもインドで考えた」を熟読。
 インドでは尻の毛まで抜かれるほどぼったくられ、下痢と発熱で散々だったけど、
 それからはリーマンパッカーとして主にアジアをふらふら。
 アフリカは遠すぎて行けなかった。新婚旅行もバックパックでバンコクと香港へ。
 香港では雑居房のチョンキンマンションで二泊し、妻はぐったりしていた。
 バンコクでは安宿と高級ホテルと泊まり歩き、マリオットのプールで
 溺死しそうになったのは今ではいい思い出だ(嘘)。
 旅も好きだが、旅行記も好きだ。
 この本は主にアフリカ旅行のエッセイだが、面白い。
 何よりも文章がうまい。
 奥さんとのなりそめを綴った「追いかけてバルセロナ」なんか疾走感があり、
 一気に読め、感動的でさえある。
 朝の通勤の地下鉄で読んでたけど、日本にいながら気持ちはバックパッカー。
 旅の本もいいけど、また出かけたいなあ。


 管理人マーキュリーマークからの伝言
 上記は、ドリアン長野が令和二年に投稿した内容です。
 令和六年にドリアン長野は親子でケアンズ旅行。