「憤せずんば啓せず。悱せずんば発せず」 平成29年五月

孔子は言っている。
「憤せずんば啓せず。悱せずんば発せず」
意欲がこみ上げてくるようでなければ教えても仕方がない。答えが喉元まで出かかっているぐらいでなければ教えても仕方がない。
啓発という言葉の元となった自発性尊重教育だ。儒教における教育とはエリートを養成する君子教育である。すべての人間が教育を受ける権利を有するという民主主義的な平準化教育ではない。そして庶民教育を推し進めた結果が愚劣なゆとり教育を生み出した。
道場に通っていた頃、しばしば刺青を入れたヤ〇ザ(の下っ端)が入門してきた。喧嘩に強くなるためだろう。しかし好戦的な彼らが一か月と続いた試しはない。彼らにとって努力や忍耐は何よりも苦手なことである。それよりも心身に不安や劣等感を抱える人間のほうが厳しい稽古に耐える心性を持つ場合がはるかに多いだろう。武道は学校教育に導入し必修化することになった。私は武道の庶民教育には反対だ。
空手を教えていて思う。空手は君子教育でいい。自らを変えたいというこみ上げる意欲を持つ人間だけがやればいい。

 

 回顧を兼ねた書評
 僕の初海外旅行は26歳の時のインドだった。
 当時往復チケットは年末料金だったので30万した(泣)。
 行く前は椎名誠の「わしもインドで考えた」を熟読。
 インドでは尻の毛まで抜かれるほどぼったくられ、下痢と発熱で散々だったけど、
 それからはリーマンパッカーとして主にアジアをふらふら。
 アフリカは遠すぎて行けなかった。新婚旅行もバックパックでバンコクと香港へ。
 香港では雑居房のチョンキンマンションで二泊し、妻はぐったりしていた。
 バンコクでは安宿と高級ホテルと泊まり歩き、マリオットのプールで
 溺死しそうになったのは今ではいい思い出だ(嘘)。
 旅も好きだが、旅行記も好きだ。
 この本は主にアフリカ旅行のエッセイだが、面白い。
 何よりも文章がうまい。
 奥さんとのなりそめを綴った「追いかけてバルセロナ」なんか疾走感があり、
 一気に読め、感動的でさえある。
 朝の通勤の地下鉄で読んでたけど、日本にいながら気持ちはバックパッカー。
 旅の本もいいけど、また出かけたいなあ。