孔子は言っている。
「憤せずんば啓せず。悱せずんば発せず」
意欲がこみ上げてくるようでなければ教えても仕方がない。答えが喉元まで出かかっているぐらいでなければ教えても仕方がない。
啓発という言葉の元となった自発性尊重教育だ。儒教における教育とはエリートを養成する君子教育である。すべての人間が教育を受ける権利を有するという民主主義的な平準化教育ではない。そして庶民教育を推し進めた結果が愚劣なゆとり教育を生み出した。
道場に通っていた頃、しばしば刺青を入れたヤ〇ザ(の下っ端)が入門してきた。喧嘩に強くなるためだろう。しかし好戦的な彼らが一か月と続いた試しはない。彼らにとって努力や忍耐は何よりも苦手なことである。それよりも心身に不安や劣等感を抱える人間のほうが厳しい稽古に耐える心性を持つ場合がはるかに多いだろう。武道は学校教育に導入し必修化することになった。私は武道の庶民教育には反対だ。
空手を教えていて思う。空手は君子教育でいい。自らを変えたいというこみ上げる意欲を持つ人間だけがやればいい。