インド旅行記(後編)

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#29 インド編その5 (リターンズ)

 2003 12/12 22:38 
 事情を話すとおっちゃんは「べナレス行きの列車は今日はもうないから、チケットをキャンセルすればお金が戻ってくる」と言う。おっちゃんに連れられて案内所に行って聞いてみると「国際外国事務局」なる所で明日払い戻しをしてくれるそうだ。やれやれ、とにかく戻ってきたお金で新しくチケットを買い直そう。おっちゃんは「ついてこい」と手招きをする。この時点でも私はこのおっちゃんを信用していたわけではない。だが、今にも倒れそうな状態であれこれ詮索するのも面倒だったので、大人しくついていくことにした。
 駅から5分ほど歩いた場所に旅行会社のオフィスがあり、おっちゃんはそこに入っていく。ここの社員らしい。オフィスで少し休憩してから、リキシャーでおっちゃんの紹介してくれた「ホテル・アトランタ」に行く。ゲストハウスではなく中級ホテルだが、一泊80ルピーと、そう高くはない。おっちゃんは従業員と少し話しをすると帰っていった。部屋に案内してくれた従業員の兄ちゃんに「私は病気である。だから大変苦しい」と言うと、その兄ちゃんは驚いていろいろと世話をしてくれたのだが、その世話が半端じゃなかったんだよ。毛布を持ってくるわ、食べ物を運んできて食べさせてくれるわ、医者を呼んでくれるわ、薬を飲む時間になると水まで持ってきて飲ませてくれた。彼は夜勤なので明日、自分の代わりに私の世話をする人まで頼んでくれた。うっうっうっ。インドでこんなにも人に親切にされるなんてえぇぇ~。私は彼に何度もお礼を言い、やがて眠りに落ちるデリーの夜8時なのであった。
 翌朝は6時に起床。下痢はまだ続いていたが、熱は少し下がったようだ。8時半にべナレス行きの列車が出ると聞いていたので、急いでチェックアウトをする。駅で窓口に割り込んでくるインド人たちと死闘を演じたあげく、やっと二等寝台車のチケットが取れた(100ルピー)。ホテルに戻り、フロントで昨夜の彼に渡してくれと、迷ったが10ルピー差し出した。せめてもの感謝のつもりだったが、あれから10年以上立つ今でもふと思う。あの10ルピーは彼の手に渡ったのだろうか? やっぱり、渡っていないような気がするな。
 駅で昨夜のおっちゃんに出会った。おっちゃんは「いいか、事務局でチケットを見せれば大丈夫だからな」と言って、風を巻くように去って行った。うっ、かっちょいい。私にはおっちゃんの後ろ姿が高倉健に見えた。そして警戒心のせいで無愛想にしたことを激しく後悔した。親切で話しかけてくる人とそうでない人を見分けるのはとても難しい。今日でも構内をうろうろしていると、いろんな人が話しかけてきて教えてくれたのだ。それでもいい人だと思って気を許せば、騙されることもしばしばだ。結局、旅行者は騙されてボられながら旅を続けていくしかない。絶対ボられまいと肩ひじ張った旅は面白くないし、旅行者は基本的にその国にとって客人だから通行料だと思えば少しくらいボられても腹は立たん(と思えるほどの大人になりたいわっ!)。 
 しかし、それからがまた大変だった。事務局で聞くと、8番の窓口に行けと言われる。へい、さいですかと8番に行くと13番に行けと言われる。13番に行けば14番に行けと。ああっ、たらい回しだあ~っ。病み上がりの体でひーひー言いながらうろうろしていると、一人の男がここで聞けと13番と14番の間の小さな窓口を教えてくれた。こうしてやっとの思いで払い戻された大枚188ルピーを握りしめ、いつ出発するとも判然としないインド列車に備えて出発(あくまでも予定)時刻の3時間前からプラットッホームで待機していたのであった。青年は荒野をめざす。いざいかん、聖地ベナレスへ! でもここから18時間かかるんだよな。 
 二等列車に乗り込むと、その中はインド世界を凝縮したような騒々しさである。立錐の余地もないほど混み合ってる車輌にヤギを連れ込むやつがいるし、物乞いがお金をせびりに来たかと思えばおひねりをもらいに歌を歌いに来る人もいる。ガキどもは「バクシーシ」と遠慮なしに手を差し出してくる。こいつら絶対、無賃乗車だな。ななめ前に座っていたおじさんが「chinese?」と聞いてきた。それからこのおじさんが喋ること喋ること。よく分からないインド英語で、俺はガス会社に勤めてるとか東京と大阪にペンフレンドがいたとか、延々とまくし立て、それを回りの乗客が興味深そうに見ている。何時間かして、車掌が検札にやって来た。私のチケットを見て、「この車輌じゃありませんよ」と言う。おじさんが降りる駅で一緒にホームに降り、ポーターにチケットを見せた。 「ついてこい」(インドではこの言葉をよく言われるなあ) そう言うとポーターは私のリュックを肩に担ぎホームを走り出した。列車がどれくらい停車しているか分からんが、乗り遅れたらベナレスはおろか日本に帰ることもままならん。私は必死に走った。こんな時でもなぜか走りながら夜空を見上げ、月がきれいだなあ、なんて思っていた。ポーターの指し示した車輌に飛び乗ると同時に列車が動き始めた。お礼にと彼に1ルピーを渡そうとしたら、受け取ろうとしない。誇り高い人だなと思ったら、「パイサはいらない」と言っている。よく見るとそれは1パイサ硬貨だった。あわててポケットから50パイサを3枚つかみ出し、放り投げた。はあーっ。
 疲れ果て、三段寝台の中段にもぐり込み、泥のように寝る。下痢は依然として続いていた。いろんなことがあったような気がするが、インドに来てからまだ4日目なのであった。(つづく)

 管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項
 まず始めに今回のインド旅行記を読まれた方々に伝達しますが、この旅行記は1987年こと昭和62年の旅行記です。2003年(平成15年)に始めて発表された時点で10年以上前と主張されてます。この旅行記はある意味、アウトレットです。時々、どこかの国の国営放送も大過去の旅行記を放映していますね。それと似たようなものだと考えてお読み下さい。
 インド国内であっても病気で苦しんでいる状態であっても地獄から天国へと行ったようなお話でしたね。親切な人がいるかと思えば全然ダメな人も混在している状況です。法治国家は素晴らしいですね。そればかりか、旅行代理店がそれなりの仕事をしているからここまで大変な個人旅行にならないのかもしれません。
 しかしながら、日本国内においても行き先が不明瞭な駅が多いのが現実です。なかもず駅(地下鉄 御堂筋線)というか中百舌鳥駅(南海と泉北高速鉄道を兼ねた共同利用駅)がその典型例かもしれません。ご存知の方も多いでしょうが南海と泉北高速鉄道は同じ車両を利用している場合があるから紛らわしいです。平成十年代のある日、中百舌鳥駅で案内をした経験がありました。地方から大阪府に住んでいる息子さんに再会する為にやってこられた親御さんから質問されましたので案内をしました。私はこの時、彼等とは行き先が違っていたので電車の中では話をしませんでした。彼は、その時娘を連れてきていたから親子で大阪に来られていました。
 電車を乗り間違えると怖いですね。千葉県の西船橋駅のように恐ろしい駅がございます。乗り間違えると余裕で30分以上は目的地に到着するのが遅くなります。理由は、電車の本数が少ないからです。しかし、ホーム数が多くて12番ホーム迄存在しているから乗り間違えると試練です。千葉県民の間では有名なお話らしく西船橋駅については爆笑する千葉県民の男性や呆れる千葉県民の女性が居られました。
 日本国内で外国人が電車に乗っているのはよくあることで英語が喋れたら長話になることが多いですね。相手が英語を喋れない場合は片言の現地の言葉で終る場合が私の場合は多いです。喋るよりも書籍を読んでも良いかもしれませんね。 過去の時代だけあって、ペンフレンドがいたというのがインターネットによる技術革新を感じさせますね。今ではe-メール、ツイッターフェイスブックと変化してきていますね。精神を病んでる人が病気を隠して関わってくる事があって大変困る事がございました。海外旅行中に内容が悪いばかりか大量に質問をしてきて楽しみを台無しにされる恐れがあるので皆様、警戒してください。「気を付けてください。」位で良いのに「どこに行くのですか?」や「海外旅行よりも国内旅行の方が良くないですか?」といったフザケタ質問をやらかすので相手にしたくないし激怒したら横槍を入れる人がいるかもしれないのでダイレクトメッセージで冷静にダメ出しをしましょう。以下が例文です。
「海外は日本国内と違って、治安が悪く安全に関わるのでそういった質問は控えてください。万が一の事があったらあなたは責任を取ってくれますか?」 人に迷惑をかけた後で何一つ責任を取らない病人を兼ねた悪人はいます。

 無論、普通の病気になった時に備えて海外旅行に行く時には歯ブラシや練歯磨剤(歯磨き粉)や胃薬や常備薬を忘れずに持っていった方が無難でしょうね。ちなみに液体歯磨きは容量が100ml以下であれば良いがそうでないと航空機内に持ち込める液体の規制に抵触する恐れがあるので船旅を除外して熟慮の上でご決断ください。実際の所、旅行用として販売されてる80mlの液体歯磨きは市販されてますが万が一を考えて一般的な練歯磨剤の歯磨き粉を予備として携帯されることを推奨します。
国内旅行の時もそうかもしれません。日本国内でも広大な住宅街に赴くと恐ろしいですよ。建物が多くあっても助けを求めにくいですからね。町中を歩いてる人が少ない町は恐怖です。

 私は海外の鉄道に乗車しました。カナダ旅行中にブリティッシュコロンビア州では有名なトランスリンクのスカイトレインには頻繁に乗りました。時刻表は無いが頻繁にやってくる無人運転の電車でした。スカイトレインの特徴は以下です。総延長距離 79.6km 路線数 3路線(ミレニアムライン、エキスポライン、カナダライン) 駅数 53駅 1日利用者数 361,500人(2014年)軌間 1,435 mm(標準軌) 最高速度 90 km/h(空港連絡鉄道になっていて南海本線のようなカナダ・ラインに限っては80km/h)
 一日乗車券(私が購入した平成27年10月には$9.75)だけ購入して何度も乗っていたし、乗り間違えても前述したように一日乗車券を買っていたからお気楽でした。自動販売機で買う時に音もなく機械から一日乗車券が出てきた時は少し驚きました。昨年(2016年12月2日)、延伸を果たし総延長距離がおよそ79.6kmなので現在は世界一長距離の無人運転電車になったかもしれません。スカイトレインは路線が3種類なので阪急のように分かりやすい電車でした。今回はインド旅行記ですが、海外に行って利用が難しい電車に乗ると苦労すると思います。周知されてますが、日本国内でも利用が難しい駅は存在します。だが、日本は鉄道大国だけあって新幹線のように高品質で早い電車が存在してますね。
 鉄道料金の支払いもややこしいがそれ以外の観光施設の支払いも割と難しく私はブリティッシュコロンビア州に存在する科学館と水族館に行ってきましたが、水族館職員が行う入館料についての説明が幾分難しかったのを連想します。もしかしたら、日本国内でインターネットで予約等をしたらクーポンがもらえたかもしれませんが予約した日にちに赴ける自信が無かったので多少高値を支払うのはやむを得ないと思いました。率直に伝えますが、料金未払いで糾弾されるよりも多少の高値を支払い問題無く過ごせる方がお気楽です。科学館だけ勘違いして館内の移動の最中に行き過ぎて職員にとがめられた事はございましたが水族館は円滑に楽しめました。海外では言葉の壁もあって、多少の勘違いや料金を多少は多めに支払うのはやむを得ないです。観光施設内部の何等かの有料の提案に対して肯定するか否かで料金も変動してきます。詳細は各自でお調べください。
 利用者が切符を持ってるかどうかの検札の際に切符を持っていなかったら多額の罰金がかせられるので悪い事はしてはいけないのです。カナダのトランスリンクの場合、無賃乗車の罰金はカナダドルで$175だそうです。その点は理解してもらいたい。日本であっても海外であっても交通費を踏み倒す人が存在するので検札が行われてるのは同様です。他人の仕事の軽視をする人は多い。日本だと、検札は近鉄沿線の人でないとご存じないかもしれない。知らない人は多いかもしれないが、もしも、間違えて有料特急に乗るとそれなりの料金が請求されます。たまに、駅員から特急料金を駅構内で請求されてあれこれ言い訳をしてる人を見かけ情けない思いをします。もしも、嫌なら歩行するかバスにでも乗ってたら良かったのに。私は、色々とあって単純にトランスリンクを利用せずにバンクーバーの町中を歩くだけで過ごした日もございました。





#30 インド編その6(リターンズ)
2012-05-01 | Weblog
#30 インド編その6

at 2003 12/19 00:32 編集
ベナレス、ベナレス、モスクワの味~って、そりゃパルナスやろがっ! (ベタですまん。しかも関西限定ギャグ)
 ベナレスは英語名のBENARES(ベナリーズ)の日本語読みであり、正式名はバーラナシーだ。現地ではバナラスともいう。ああややこしい。早朝6時にムガールサライ駅に到着。オートリキシャー(小型オート三輪のタクシー)を拾い、ベナレスヘ。両側に花屋や食堂やゲストハウスやお香や聖水入れを売っている店等がぎっしりと並んでいる狭い路地を下っていくと(曲り角で牛と鉢合わせて角で突かれたりするから気をつけろよって、誰に言ってんだ)、いきなり視界が開けた。聖なるガンガー(ガンジス河)は思ったより広大でダージリンティーのように濁っている。ガート(沐浴場)では老若男女が口をゆすぎ、祈り、体を浄める。神様の乗り物とされる牛も水浴びをし、時おり排泄物も流れる。バラモンは説教をし、サドゥー(ヒンズー教の修行者)は瞑想する。おお、三島由紀夫の「暁の寺」で読んだ、あのベナレスに私はいるのだ。焼けつくような太陽の下、雄大なガンガーに無数のきらめくサリーと半裸の男たち。人々のざわめきと祈り。聞こえてくる讃歌。ガンガーで沐浴せば全ての罪は浄められん。無辜となった亡骸を荼毘に付し、ガンガーに流せば輪廻からの解脱を得ん。ああ、悠久の聖なるガンガーよおっ! 「バクシーシ、バクシーシ、ジー」と肩を叩かれたので振り向くと、乞食が列を作って並んでいる。「バクシーシ!」 ああ、うるさいっ。声を揃えるんじゃないよ。ゆっくりと思索にふける間もないな。そうだ、ボートに乗ろう。交渉して値切り倒し、1時間50ルピーで回ってもらうことに。ボートを漕ぎ出して川中からガートを眺める。いろいろなガートがあるが、中でも大きなガートは何かもう、ひっちゃかめっちゃかに様々なものが混じり合ってこの世のものとは思われない光景だ。
 いくら聖なる河だといっても、川底に人骨がごろごろ転がっていてたまに死体が浮いていて赤痢菌がうじゃうじゃしているような汚い河の水を飲んで下痢をするインド人だっているだろう。死んじゃう人だっているかも。いや、信仰という気合いが入った精神には病原菌も退散するのかもしれない。なんたって、遺灰をガンガーに流してもらうために地方からやって来てベナレスに住み、死ぬのを待っている人もいるんだもんなあ等と思索にふけるためにボートを漕ぎ出して思索にふけっていると、少女の乗ったボートが近づいて来た。
 「この花、神様に捧げる花。10ルピー。買え」 「船頭さん、買わないから先に行っちゃって」 それにしても信仰というものはすごいなあ。椎名誠が「わしもインドで考えた」で書いているように、このように信仰篤きインド人と信じるものなど何もないんだあ~と嘯いている日本人と一体どちらが幸せなのだろうか等と思索にふけっていると、少年の乗ったボートが近づいて来た。
 「ガネーシャ、クリシュナ、カーリー、神様の人形、いろいろある。20ルピー。買え」 「だあ~っ、うるさいわあ~っ! 俺を一人にさせてくれ~っ!」
 ボートを下りて火葬場のマニカルニカー・ガートに行くことにした。布に包まれた遺体を組んだ薪の上に乗せ、火をつける。薪がバチッバチッと音を立てて爆ぜ、布がめらめらと燃えていき、徐々に肉体が現われてくる。時おり隠亡が棒で遺体をつつき、火の回りを早くする。人間の肉体を焼く光景を見るのは初めてなので、最初は衝撃的だったが炎天下で陽炎のような炎を眺めているうちに感覚が麻痺してくる。インドでは何が起きても不思議ではない。 「インドが異常なのか、それとも日本なのか」 思索にふけっていると、いきなり風が吹いてきた。わっ、ぺっ、ぺっ、遺灰が口の中に入っちゃったあ~。
 近くで火葬を見ていた日本人らしき女性に声をかけたら、彼女は北海道の大学生だそうだ。話をしているうちにもう一度ボートに乗ろうということになった。人のよさそうな、おじいさんの船頭に値段を聞くと、20ルピーだそうだ。くう~っ、またしてもボられてたか~。そのボートにはおじいさんの孫だろうか、まだちっちゃな男の子や女の子が5、6人乗っていた。夕刻のガンガーは気温もいくぶん下がり、風が吹いていて気持ちがいい。ガートの喧噪も遠くに聞こえる。この辺りは6時になるともう真っ暗闇だ。それでも路地を歩くと聖地らしい喧噪がここかしこで聞こえてくる。自分が今ここにいることが不思議だ。日本を離れて本当に遠くまで来たんだなあ。と、感慨にふけっている暇はない。今晩8時半の列車でカルカッタに帰らなければならないのだ。ベナレス滞在12時間。ああ、せわしない。乞食や物売りの少年少女たち、明日もしっかり稼げよ。さらばベナレス、また来る日までえ~。(つづく)
 
 管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項 


 パルナスですが現在は兵庫県尼崎市阪神尼崎駅改札外)で創業者の弟にあたる人物が創業者で、モンパルナスというベーカリーを経営されてます。現在はパルナスさんは存在していません。先述したモンパルナスさんが事実上の後継店です。近畿ではパルナスは多くの店舗が営業してましたが平成十年代に会社を清算されました。
私は平成29年の夏の日にモンパルナスさんでロシアンドーナッツとピロシキを買ってきました。おいしかったです。

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 とりあえず、寝台車で睡眠をとって下痢で苦しみながらドリアン長野はベナレスに到着しました。
 日本国内でも景品表示法が存在しないような小売店が存在していますがインドの方が日本よりも悪いみたいですね。 
下痢は恐ろしい病気です。近年、インドでは多剤性耐性結核菌や抗生物質の使いすぎの影響で屋外型MRSAが蔓延していると言われてもいますからね。こういった過去の海外旅行が原因で将来的に胃炎が原因で幼い娘を残して死去しないのを希望します。せめて、成人させて欲しいですね。全国に存在する渡航医療機関(トラベルクリニック)で国内未承認ワクチンと言われてるコレラの予防接種を済ませてからインドに行っても良かったかもしれません。海外旅行に行く前に予防接種を済ませるか否かは各自でご決断下さい。
 本来は霊的に過ごす聖地が繁華街のようになっているのはインドも日本も大差ないようです。

 海外旅行に行くキッカケが海外旅行記(ドリアン長野に限っては書籍)といった人もおられますが、皆さんはどういったキッカケで行先を決めましたか?私は好きな会社の商品が販売されてる国がカナダであったのでカナダへ行ったのですが品切れで買えませんでした。今となっては品切れだった場合に限ってなんですが、他社の同等品をオンラインショッピングで購入する人もおられると思います。
平成20年以降かもしれませんが何らかの商品の価格が日本国内でも一本化されることなく販売される時代になってきてるのを連想しました。
そればかりか、軽い気持ちで私の友人が住んでる町に行くのにはどうしたら行けるかについて調べると一旦、バンクーバーで乗り換える事が分かったので単純にバンクーバーに決めました。実は、その友人は幼子を抱えながらも(日本ではなく海外で)政争に関わってるようなのであえて、再会を控えました。これは、相手の立場を尊重した上での決断だったと皆様には考えてもらいたい。
しかし、空港からホテルの送迎バスを含めると、空港の利用料金(現地の税金も含む)や航空券とホテルの料金を合算した金額がフリープランの提案ですが、カナダのブリティッシュコロンビア州と米国のネバダ州のフリープランの料金が拮抗してたのは驚いた。個人的に調べた結果ですので賛同は得られにくいかもしれませんし、繰り返すようですがバンクーバー旅行とラスベガス旅行とは金額的に大差が無かったんです。ホテル料金がカナダのブリティッシュコロンビア州は米国のネバダ州よりも高値であったのかな?ただ、某テレビ番組でラスベガスが頻繁に紹介されてるが大変な人が多いらしい。これらの部分についての詳細は各自でお調べください。
 皆さんが海外旅行に行った時に船旅をされたことはございますか?私は短距離ながらバンクーバーでは有名なトランスリンクのシーバス(船)に乗りました。良い思い出になりました。中には行きもしくは帰りを日本から海外に向けて船で移動する人もおられるようです。出国が船か帰国が船かは人それぞれです。
購入の強要は良くないと私は思います。それと同程度に問題なのは、皆様、海外旅行に行ってる人に内容が悪いばかりか大量に質問をするのは辞めておきましょう。なぜならば、窮状を伝達しないだけで海外旅行中に時差ボケや病気等で困ってる日本人は多いです。
 一般で販売されてる書籍も今回のような非日常的な出来事はあえて、削減してるかもしれません。実際に海外旅行に行って経験した上での本音を打ち明ける書籍は過去よりも増えたかもしれませんが過去と現在とでは大違いです。いわゆる本音と建て前です。
海外でお葬式を見る経験をされる人も世の中にはいて、それがドリアン長野であったようです。私の友達の宣教師は日本で日本人に対してキリスト教について教えたばかりか、その教えた人の葬儀にも参加しました。
 私はバンクーバーを旅行中に女子高生の一団に出会いました。あれから随分と時間は経過するが連絡はとってません。連絡先も知りませんけどもね。全く別の在外邦人とは連絡を時々してます。 昭和の時代から住所交換をして年賀状を郵送しあう間柄の友人がいる人も今でも多いとは思うが現在は平成です。

#31 インド編 その7(リターンズ)
2012-06-01 | Weblog
ベナレスで知り合った人が泊まっているホテルに荷物を置かせてもらっていたので、急いで引き取りに行く。町中でリキシャーに乗り、町外れまで行き、そこからオートリキシャーを雇ったのだが、運転手が飛ばすこと、飛ばすこと。急いでくれるのはありがたいのだが乗っている方は気が気ではない。人波を巧みにかわし、F1レーサーのように車を追い抜き、対向する牛の横をするりと通り抜ける。まったく、生きた心地がしなかったよ、あたしゃ(ここだけちびまるこちゃんの声で読んでね)。
 やっと駅に着いてやれやれと思っていたら、駐車しようとする寸前に横から二人乗りの自転車が突っ込んできた。私は後ろの座席であるはずのないブレーキを思いっきり踏んだが、やっぱりぶつかった。自転車は派手に横転したが、男たちに大したケガはなかったらしく、起き上がると猛然と食って掛かってきた。それに運転手が応戦する。回りには野次馬が集まってきた。こういう場合、インド人は激しく罵り合っても手は出さない
(警官が民衆を警棒でどついている光景は時々見る)。インド人と中国人は似ているような気がする。どちらの国も人口が多いので自分を主張しないとやっていけない。謙譲の美徳なんて言っていたらバスにも乗れないし、列車のチケットも買えないのだ。そんな生存競争が激しい国では自然と気性が荒くなるのか、しょっちゅう言い争いをしている。そうやってケンカになるとわらわらと人が集まってきて見物を始める。誰も仲裁はしない。大学の時の先生が言っていた。中国からの留学生が日本に来て不思議に思うのは、街を歩いていても電車に乗っていても日本人がとても穏やかでケンカをしないことなのだそうだ。インド人だってそう思っているのに違いない。しかし、私に言わせればケンカばっかりしているあんたたちの方がよっぽっど不思議だぞ。とにかく座席にリキシャー代を置いて、ケンカをしている二人を尻目に駅へと急ぐ。
 プラットホームには日本人の団体客がいた。五才くらいの女の子が彼等に「バクシーシ」と手を出す。そこにいた若者たちがこう言っていた。「お金ないんだよ。ノー・マネー。わかる?」 「逆にこっちから『バクシーシ』って言ってみればいいんじゃないの」 「そうか、ほら、バクシーシ」 日本人に手を出された女の子はきょとんとしていた。むき~っ! 今でもこの光景を思い出すと腹が立つ。その子は好きで物乞いしてんじゃねーよ。貧しくて働きたくても働けねーから仕方なくやってんじゃねーか。そうやってインドまで遊びに来ている金持ちの日本人(私もだけどよ)がいたいけな子供をからかうんじゃねーよ。金をやるつもりがないんなら、断るか無視すればすむことだろーが、あほんだらっ! と憤慨していると一人の少年が私にお金を乞い始めた。歩き出してもしつこくついて来て、私の靴に額をこすりつけてくる。とうとう根負けして某かのお金を与えた。するとその少年は仲間のところへ戻り、ひそひそと話をしていたかと思うと五、六人がこちらに突進してきた。あわてて逃げ出す。そういえば列車が駅に着き、乗客が降りると子供たちが一斉に乗り込んできた。何をするんだと見ていると、ゴミ箱や座席の下からペットボトルを拾い集めている。そして構内にある水道の蛇口からペットボトルに水を入れてキャップを閉めているのだ。誰に売りつけるんや~? と考えるとはたと思いつくことがあった。中級のホテルに泊まっていて、ミネラルウオーターを頼んだ。ボーイが持って来たボトルには明らかに水が7分目ほどしか入っていない。もちろんキャップは開けた跡がある。こいつの中身は駅の水道水やないかいっ?! 責任者、出てこいっ!(by 人生幸朗師匠)
 こういう風にインドのガキどもは毎日を逞しく生きてゆくのであった。幼少のみぎりから鍛えられているんで、斯くの如く冷酷で抜け目のないインド商人に成長していくのもむべなるかな。合掌。(つづく)

 管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項
 日本だと保険並びに法整備が整っているから基本的には事故の言い争いは少ないです。しかし、実際に交通事故が発生し示談がこじれた結果、加害者が指名手配されている前例は日本国内でも存在しています。
 日本人観光客がインド人の女の子に対して「バクシーシ。」と発言したのは正しい行動だと思う人は多いかもしれません。理由は強要について否定的であったり何度も聞かれたので辟易し否定的になったからです。インドではいい加減な人間が多いと考えているインド旅行の日本人被害者はいるかもしれませんが、本当に困っている子供達は助けた方が良いとは思います。日本でも宅配ピザを頼んだら玄関前の通りで遊んでいた子供達が届けられたピザの搾取をしようとしていました。日本人で裕福なのにピラニアみたいな子供達には何もプレゼントしないのが教育です。搾取は否定すべきです。厳しい社会です。宅配ピザも、スーパーで販売されてる冷蔵ピザとの価格競争が始まってますね。
 私が行ってきたバンクーバーでも町中の朝焼けを写真撮影してただけで文句を言ってきた人がいて別人が走ってきて抗議してたが依頼も何もしてないのにも関わらず50セントを要求してきたから相手にせずに立ち去りホテルに戻りました。万が一ホテルの中にその人物が入ってきて不条理な抗議をされると私はロビーの人に助けを求めることを決めてましたが、その無関係な人はホテルには入って来なかったので一安心でした。
 過去と違い現在、気づいた時には日本人も錯乱していたり善悪の判断が行えない人が増加していますね。傲岸不遜な人物がいて、羞恥心があるのか無いのかは不明だがちゃんとした説明もなしに「娘が寡婦だから生活費を支払ってもらえる。」と勘違いしてた人がいてその人物が私に対して不条理な行動を取った事から支払い拒否を伝達したら泣きながら逆上し「何てことを言うんだ。」と言われました。他人の業務上の艱難辛苦を軽んじた上で人の善意につけこむから気分を害した前例もございました。乏しくても説明責任は存在すると私は思います。案外、彼等一家は毎日ステーキでも食べてるのかもしれません。言い換えると「彼等一家は全く乏しくない。」から説明拒否をしたのでしょう。世の中には関われる人、関われない人がいます。いたいけな子供をからかうのは良くないにしても周囲の大人は保護者だから責任があると思います。子供を助けるか否かは各自で熟慮の上でご決断ください。子供達には教育が必要で絶対に搾取を伝えてはいけないんです。日本国内でも「自動車下さい。」と搾取を兼ねた強要をしてきた飲食店の従業員がいたので拒否した事を連想します。
 日本は、諸外国からカルトがサリンを作るまで放置したのがおかしいと考えられていたり、2011年3月11日の福島原発の事故の後処理等で常識が疑われています。だから、複数の海外の企業が日本にやってきた。後処理の仕方が悪かったからです。すでに発表されてますが、チェルノブイリよりも福島県の方が悪い状態だそうです。インドは平成10年代に核武装した国へと変貌したのでこれから国内の貧困層を抱えながらも核戦争に突入するやもしれません。ドリアン長野がインドに行った時期はインドが核武装する前の時代です。
 世界的に水不足は深刻で日本国内の河川で海生生物が発見されているのは河川の水量が激減して海が内陸部に上がってきているからだそうです。お水は水質並びに水量にも気を配る必要がございます。

 お水ですが、海外旅行中には衛生的なお水を大量に購入されることを推奨します。私はブリティッシュコロンビア州でそうしました。ホテルの近くで営業してるオフィス用品を販売するお店で500mlのペットボトル24本のミネラルウォーター(12kg以上)が一まとめにして販売されてたので購入しました。ホテルの冷蔵庫に入れて冷たいお水が飲めて幸せでした。
 インドでは客が困ることを何とも思っていない悪徳な人もいるようです。実際に大量にお水を日本で購入してから海外に行く人もおられるようです。なぜならば、体調不良を避けるための行動だからです。
 水についてはとても難しく、実際に海外に行くと日本の水道が良い状態にあることを再認識する人は多いと思います。

 今回の旅行記を読んで気づいた人も多いとは思いますが、海外でレンタカーを利用することについての危険性を認識する必要がございます。私は皆さんの中の誰かが海外でレンタカーを利用することについては妨害も否定もしませんが、レンタカーの利用についての積極的な推奨は行えません。海外でレンタカーを利用してるテレビ番組は数多く存在しますが、テレビで見る程度に留めておく程度が良いと思います。万が一、違反や事故が発生した場合は多額の支払いが必要になります。無保険だと悲劇が発生しかねません。周知されてますが日本に帰国後に請求される可能性もございますので、詳細は各自でお調べください。


#32 インド編その8

at 2004 01/01 23:07 編集

早朝、カルカッタのハウラー駅に着く。フーグリー河に架かる巨大な鉄橋、ハウラー橋は通勤する人で丸の内のようにごった返している。喧噪の中、澱んだ河を見ながら私は一人、物思いに沈む。 「今日でインドともお別れだ。長かったようで短かった一週間。物売りや物乞いに辟易し、下痢や発熱に悩まされた一週間。騙されたりもしたけど、親切な人にも出会った。うるさいが、頼もしくもある子供たち。チャイ屋の売り声、灼熱の大地、道端で死んだように眠りこけている犬、漆黒の暗闇、ベナレスの炎、死体、サドゥー、カーリー女神に捧げられるために首をはねられる山羊」 様々な光景が次々に浮かんでは消える。けれどもインドよ、今日でおさらばすると思うと........、あ~嬉しいわいっ! とっとと日本に帰るぞ。帰って風呂に入ってうまいもん食ってゆっくり寝て下痢を直すぞ。こんな国、二度と来るもんかいっ。一刻も早く空港に行って飛行機に乗って文明国に帰るんじゃい。帰るったら、帰るんだ~い!
 帰りの飛行機で同年代の男と隣り合わせになった。どちらからともなく話しかけ、彼はパリでアパートを借りて住んでいたことやアジアのいろんな国を旅した話をしてくれた。私が海外旅行は初めてだと言うと、彼はこう言った。 「それならあなたはこれから何度も旅に出るでしょうね。一人で旅をする快感を覚えたら、それはやみつきになりますよ。僕がそうでしたから」 私はそうはならないだろうと確信していた。こんな苦しい旅なんか二度とごめんだ。
 成田空港に着くと私は激しい違和感を感じた。その違和感は日常生活の中でも長い間続いた。日本はなんでこんなに清潔で日本人はなんで異常なほど清潔好きなんだ? 日本人はなんで大したことでもないことをいちいち気にするんだ?(インド人は何があっても二言目には「ノー・プロブレム」って言うじゃないか) なんで商品には全て値段がついてる? なんでどこに行っても自動販売機があるんだ? なんでみんな、自分のことをすぐに不幸でビンボーだなんて言うんだあ? おまけにふと、インドの子供たちや大人たちの姿がちらついてきたりする。 
 「カルカッタは好きな街だよ」 仲良くなったホテルのボーイにこう言うと、彼は言ったっけ。「一週間の滞在では何も分からないよ」 そりゃ、そうだ。けれども分かったこともいっぱいあったぞ。旅が短いか長いかなんてのはあまり重要ではないと思う。果たして私は自分を変えることが出来たんであろうか? それは本人にはよく分からんが、インドで学んできたと胸を張って言えることなら、一つある。駅のトイレに入って、紙がなくてもちっとも慌てなくなった。どんなトイレでもバッチ来いって感じ。私にはインドで習得した、この黄金の左手がある。紙で処理するなんて、なんて不潔で野蛮ざましょ。あら、あたしも気づかないうちにインドかぶれかしら。オ~ッホッホッ。ちなみに帰国してから軟便が三か月続いたざます。(インド編終わり)

 管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項
 インドはインド。日本は日本。一般的なテレビ番組の海外旅行記だとお笑い番組を除外してこういったお話はほとんど無いと思われます。平成20年代になってから海外旅行中の試練のお話の紹介は増加傾向とは言えども現実的な試練のお話はなお少ないと思います。どちらかというと、観光地の紹介やおいしい食事をしてきたお話が多い現状はお笑い番組を除外して少ないです。だけど、ドリアン長野は海外旅行の現実を発表されました。

 一回だけと思っていたら継続することになった経験がドリアン長野の場合は海外旅行でした。余裕で10か国以上、海外旅行をされました。素人だと多い方です。無論、一部の芸能人や貿易商人は別口です。
 清潔といっても大阪のある町(N)の結核罹患者はアフリカ並みだそうです。日本でもいい加減なお店であれば景品表示法の存在をないがしろにして価格が明確化していない場合があります。一部の店の看板に価格を表明してるお店は有名でも小売店でも価格が分かりにくい場合があります。昨日の贅沢は今日の当たり前で貪欲な人が多いから日本人は強欲かもしれません。日本製が高品質なのはこだわりをもって製造しているからなんです。分かりやすいお話かもしれませんが、スズキ自動車がインドで成功したのは神経質な日本人が技術指導をしたからに他ありません。現在の所、日本だけでウォシュレットが普及しているようです。 旅行も大別すると快適な旅行と不快な旅行に分かれるようですが、今回はドリアン長野にとっては病気はしたが不快な旅行ではなかったようです。 皆様も海外旅行に行かれる際には胃薬を所持していかれるのを推奨します。

 実際に私はバンクーバーに行ってきて日本の景品表示法という法律は大きな意味があると思いました。皆様にピザの購入の無理強いはしませんがそれでも3枚のピザを$5で販売するという英語の解釈が行えるようになってほしいです。店の扉に3 for $5と大きく印字されたポスターが張られてました。私は当初はよく分からなかったのですが後に前述した内容を理解しましたので本当に3枚のピザを買いました。袋代か消費税は別で請求されたかもしれませんがそれらの支払い責任はあるのですが、実際にはきっちり$5ではありませんでした。日本でも税別価格と税込み価格が混在してるようなものです。案外、ピザ一枚が$1.75であったのかもしれません。最近は不明ですがドリアン長野が行ってきた当時のインドはカナダや日本よりも値段が不明瞭なようです。
 トイレ事情ですが日本は良くても海外は良くないです。ホテルできちんと済ませてから外出されることを推奨します。どこかの誰かには胃腸病院に行って治療を受けてきてほしいと真剣に思いました。理由は伝染病患者かもしれませんからね。
 皆様、海外旅行に行くのは良いですが海外旅行案内書やインターネット上の海外旅行記を読んで予習してから行くようにしましょう。海外旅行中は予想を超える問題が発生します。意図的に問題を発表しない人はいます。理由は幾つが存在しますが海外旅行に行った事が無い人の憤慨や冷やかし等がその理由の筆頭ではないでしょうか?もしくは、海外旅行中の過失行為についての弱みを握って悪事をやらかしたかったのかな?
 インド国内一つとっても、西ベンガル州コルカタデリー連邦直轄地、ウッタル・プラデーシュ州ベナレス(英語ではヴァーラーナシーでヒンディー語ではバナーラスとも言われてるらしい)等、幾つもの町々が存在しある程度の地名はその国へ行く前に覚えておく必要があると思います。
 カナダも英語とフランス語(ケベック州公用語)で町の名前が変更される。ブリティッシュコロンビア州がフランス語ではColombie-Britannique(コロンビーブリタニーキ)に変わります。 
 皆さん、インドでは電子マネーが平成29年頃から急速に普及してるそうですので過去と現在は大違いだそうです。

次回のドリアン長野の海外旅行記はニューヨーク旅行記です。ご期待ください。かの地ではヌーヨ~クみたいな発音です。

冒頭の画像ですがドリアン長野がインド国内で複数の町に行ってきたことから複数の町の位置が分かりやすい地図を紹介しました。

紹介した幾つかの動画はドリアン長野並びに私(マーキュリーマーク)が撮影したものではなく、参考の為の転載です。


 

 回顧を兼ねた書評
 僕の初海外旅行は26歳の時のインドだった。
 当時往復チケットは年末料金だったので30万した(泣)。
 行く前は椎名誠の「わしもインドで考えた」を熟読。
 インドでは尻の毛まで抜かれるほどぼったくられ、下痢と発熱で散々だったけど、
 それからはリーマンパッカーとして主にアジアをふらふら。
 アフリカは遠すぎて行けなかった。新婚旅行もバックパックでバンコクと香港へ。
 香港では雑居房のチョンキンマンションで二泊し、妻はぐったりしていた。
 バンコクでは安宿と高級ホテルと泊まり歩き、マリオットのプールで
 溺死しそうになったのは今ではいい思い出だ(嘘)。
 旅も好きだが、旅行記も好きだ。
 この本は主にアフリカ旅行のエッセイだが、面白い。
 何よりも文章がうまい。
 奥さんとのなりそめを綴った「追いかけてバルセロナ」なんか疾走感があり、
 一気に読め、感動的でさえある。
 朝の通勤の地下鉄で読んでたけど、日本にいながら気持ちはバックパッカー。
 旅の本もいいけど、また出かけたいなあ。