【夏が来れば思いだす】 平成29年

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 管理人マーキュリーマークによる皆様への伝達事項。
 私は平成25年にフェイスブック上で発表されたドリアン長野のタイランド旅行記gooブログ上で転載しました。この旅行記は未完の作品です。平成29年の夏のある日に実際にドリアン長野と再会した時に執筆を依頼したら前向きな返答を得ましたが平成29年の10月の秋になっても執筆はなされてません。
 これらを理解された上で以下の海外旅行記を読んでいただければ幸いです。

【夏が来れば思い出す】 #114

「タイは若いときに行け」という、いしだ壱成出演のタイ航空のCMが流れたのは90年代だった。あれを観てタイに行った人も多いらしい。今やタイは若いときに行け、中高年になっても行け、定年したら住め、である。今までタイには10回ほど行ったが、バンコクだけでチェンマイプーケットも行ったことがない。新婚旅行もバンコクにした。妻にもバンコクの素晴らしさを知ってほしかったからである。しかし、そのバンコク九死に一生を得ることになるとは神ならぬ身には知る由もなかったのである。(続)

 管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項
 始まりました。再びドリアン長野の海外旅行記タイランド)が帰ってきました。平成十年代のように新作を楽しみながら読まれる人も多いと思います。皆様、楽しむ用意をしておいてください。 
 最近(平成20年代末期)、タイランドの物価が値上がりして老後を過ごすことには不向きになったそうです。
そして、海外旅行中の試練については謎のままです。


【夏が来れば思いだす】その2 #115 (新作)

は一応イタリアに行きたいと言ったのだが、バンコクの素晴らしさを力説して説得する。気が変わらないうちにチケットを買いに旅行代理店へ。新婚旅行は12月だったのだが、クリスマス前のシーズンオフのチケットが安い。リーマンパッカーは年始年末、盆休み、ゴールデンウイークくらいしか長期の休みが取れないから仕方がないが、これがよくいう格安チケットか。今までの三分の一の値段だ。そういえば、20年前のインド行きが30万円した。初めての海外旅行だからと考えもせずに購入したが、ツアーでもないのに高すぎるんじゃないか。ああ、嫌なことを思い出してしまった。
とにかく、チケットさえ手に入れれば問題はない。せっかくだから帰りに香港にも寄ることにした。私は妻に厳命した。
毎晩、違うホテルに泊まるので移動しやすいように荷物は最少に。スーツケース不可。なんせこっちは、旅慣れしてんだかんね、夫の頼もしいところを見せてやろうじゃないか、よもや関空離婚はないだろう。と一人不敵な笑みを浮かべるのであった。

 管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項
平成25年に発表されました。実際の旅行の時期は平成19年年末から平成20年年始だったようです。バンコク(タイランド)と香港を旅してきた長野夫妻の新婚旅行のお話です。今後の展開が楽しみですね。しかし、インド旅行(前編 後編)で30万円とは高い金額ですね。どこかの誰かがブリティッシュコロンビア州に行った時の旅費もそれなりで往復の航空券とホテルの予約(宿泊費)と送迎バスと海外旅行保険でおよそ23万円だったかな?
20年前と主張されてるが厳密には昭和60年代のようです。ドリアン長野の海外旅行記は読めば読むほど、個人的な記憶を頼りに執筆してるから混乱することがございます。
新婚旅行もそうかもしれませんが、一般的には
提案だけの自然消滅が多いが実行したことは良いと思います。
最近でも家族で一緒に外食をしてるから長野家は愛に満たされています。関空離婚はしてません。
もしも、ドリアン長野が本当にイタリアに海外旅行をしていたならばどういった海外旅行記になっていたのでしょうかね? 皆様、ドリアン長野が旅慣れしてるとは言えどもお笑いの部分が存在してるように感じられませんか?


紹介した動画はドリアン長野並びに私(マーキュリーマーク)が撮影したものではなく、参考の為の転載です。

【夏が来れば思い出す】その3

早朝の6時半に家を出て夕方の4時過ぎにバンコクスワンナプーム空港に着いた。この新空港は去年開港したばかりだ。旧空港のドンムアンに比べると物凄く近代的だ。イミグレーションへと続く通路の壁面はコンクリートの打ちっ放しで、かなりかっちょいい。今までドンムアン空港に到着するたびに、「初めてドンムアン空港に到着した時は恐ろしさに膝が震えた。」という、バンコクのお寺で出家し、在タイ10年に及ぶ山田均という東南アジア学者の言葉を思い出したものだった。そんなある種の緊張感を旧空港は発散していたのだが、新空港はなんだかオシャレでパリにでも来たような気分だ。せしぼん。

管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項
タイランドスワンナプーム国際空港は平成18年(2006年)に開港した空港です。今回の海外旅行記は平成19年から平成20年にかけてのお話です。したがって過去形です。これからの海外旅行記はどうなるか楽しみですね。

 日本時間の夕方4時25分頃から関空を後にしたエアカナダルージュがYVRことバンクーバー国際空港に到着したのが現地時間の午前10時でそれからホテルに到着して部屋に入ってから、私が脱力が行えたのが日本時間の午前3時半を過ぎてたことを連想する。日本とブリティッシュコロンビア州の時差が16時間なのは並ではなかった。皆様、海外旅行は移動の時間が長いし時差ボケは凄まじいと考えてください。だけど、楽しめます。
 出入国管理の出入り口に到着するのも何んとなくだけで歩いてたのを昨日のように連想する。初日から時差ボケの影響で考える事があまり行えなくなっていた。本当に関空からの直行便を選んで良かった。

【夏が来れば思い出す】その4

旧空港からだったら、路線39番のバスで安宿が集まるカオサン通りまで行くのだが、勝手がわからない。とにかく、シャトルバスでトランスポーションセンターまで行く。そこをうろうろしていると、「どうしましたか?」と日本人青年に声をかけられた。彼はバンコクのお寺の修行僧で、日本から両親が来たので空港まで迎えに来たところなのだそうだ。彼に教えてもらった市バスで民主記念塔まで行く。ここからカオサンまでは目と鼻の先なので、歩いて行こうと試みるが迷ってしまった。バスや徒歩が好きなので、タクシーにはなるべく乗りたくない。夜も遅いので仕方なくタクシーを拾ったのだが、大通りを飛ばし、裏通りを抜け、ものすごく遠回りをして目的地に着いたのだった。道路工事や一方通行規制もあって一概には言えないけど、ぼったくりだな。230円だったけど。

(妻の日記から)

「バスに乗りながら、街の看板が大きいと感じた。バスには女性車掌がいて、テキパキとしていた。そして客がどこから乗ってきたかを一人一人覚えている記憶力には驚いた。切符を切る道具や切る様子を写真に撮る。タクシーは思っていたよりきれい。カオサン通りまで徒歩を試みるも迷い、タクシーで行く。一方通行が原因か、すごく遠回りされた気がする。ぜったい、ボッタクリだ。」

 管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項
 とうとう奥様の海外旅行記も始まりました。やはり、視点が違いますね。日本の場合、バスに乗ると整理券のようなものが発券されますね。そういえば、¥230だったら日本のバスの料金のようですね日本でもタクシーの遠回りは全く無い訳ではないとは思います。だけど、近場で遠回りされると少し嫌ですね。
過去に私も地方からやってきた人(日本人)が道に迷っておられたので道案内をした経験が過去に何度もあります。本当に方向が全く違う場所を歩いていたので閉口しかけました。彼の目的地のJR難波駅と、迷っておられたLABI1なんば近辺は別方向過ぎる。
海外旅行記を読まれるとやはり、在外邦人に助けられる美談(こっちは美談というよりも情けないお話)が多いですが、これもその中の一つです。世の中には日本からタイランドに赴かれる修行僧の方もおられるんですね。全く逆に外国人修行僧も居られるのが現実です。奥様は別なんですがドリアン長野に限ってはお笑いエッセイと考えて肩の力を抜いてお読みください。

 周知されてると思いますが、南海のラピートのような空港連絡鉄道がタイランドのエアポート・レール・リンクです。エアポート・レール・リンクについてのホームページを閲覧した限りですが利便性や金額の観点から厳しい評価が下されてました。詳細については各自でお調べください。通勤には利用出来ても観光には不向きと言われてます。
 皮肉ながら一時期、日本国内の空港連絡鉄道について否定的な意見を持つ日本人がいました。日本人が国内旅行の時に空港連絡鉄道を利用するやもしれませんしそれについても否定的なのは残念ですし不快です。端的には大きな旅行鞄を持って電車に乗車することについて否定的らしいのですが乗客はやむを得なかったと思います。逆の立場も考えてもらいたいです。バスやタクシーとの競争があるから独占禁止法に抵触しないといった側面は絶対に存在します。バスの場合は渋滞に巻き込まれる恐れがある。タクシーは遠回りされる可能性がある。鉄道は車両内で旅行鞄が構造上大型なので快適に過ごすのが難しいかもしれませんし料金が他の公共交通機関と比較して高値かもしれません。それぞれ一長一短なのを理解した上で移動する必要はございます。
 スワンナプーム国際空港から空港連絡鉄道が利用出来るようになったのは2010年(平成22年)8月23日からです。従って、平成20年代の海外旅行記と言えども平成21年以前の旅行記なので長野夫妻は空港連絡鉄道の利用が行えませんでした。人によったら「空港に到着して後の次の目的地はホテルにする。」と考えてる旅行者も多いと思います。私はブリティッシュコロンビア州を旅行してきましたがタクシーは一切利用しませんでした。この旅行記が影響してるかどうかは皆さんのご想像にお任せします。実際の所、トランスリンク(バンクーバーの公共交通機関)の一日乗車券を買えば移動はお気楽でした。電車、バス、船(シーバス一種類のみ)が乗り放題でした。

 ~皆様へのご連絡~
 皆様、今までお読みいただきありがとうございました。
 平成20年代初期にはドリアン長野はインターネット上で海外旅行記を発表する気持ちがだいぶ失せていて、現在は半ば私の趣味でホームページの運営が行われてるような状態です。 簡単ホームページ時代に「1万人の訪問者がいたらそれで良いかな。」とドリアン長野が発言されてました。そして、その目標は達成されました。
 過去に、ドリアン長野はあの新風舎(周知のように平成20年に経営破たんした)から提案があって経費ばかりかマンガの原稿を提供したが水泡に帰した事もございました。 
 続編が執筆されたら転載はしたいがそれがいつになるかは全く持って不明で夫婦の海外旅行記は平成29年十月現在、未完の作品です。

以上です。管理人マーキュリーマーク



 

 回顧を兼ねた書評
 僕の初海外旅行は26歳の時のインドだった。
 当時往復チケットは年末料金だったので30万した(泣)。
 行く前は椎名誠の「わしもインドで考えた」を熟読。
 インドでは尻の毛まで抜かれるほどぼったくられ、下痢と発熱で散々だったけど、
 それからはリーマンパッカーとして主にアジアをふらふら。
 アフリカは遠すぎて行けなかった。新婚旅行もバックパックでバンコクと香港へ。
 香港では雑居房のチョンキンマンションで二泊し、妻はぐったりしていた。
 バンコクでは安宿と高級ホテルと泊まり歩き、マリオットのプールで
 溺死しそうになったのは今ではいい思い出だ(嘘)。
 旅も好きだが、旅行記も好きだ。
 この本は主にアフリカ旅行のエッセイだが、面白い。
 何よりも文章がうまい。
 奥さんとのなりそめを綴った「追いかけてバルセロナ」なんか疾走感があり、
 一気に読め、感動的でさえある。
 朝の通勤の地下鉄で読んでたけど、日本にいながら気持ちはバックパッカー。
 旅の本もいいけど、また出かけたいなあ。