#56 上海日記 一日目(リターンズ)
NO56 上海日記 1日目
at 2005 01/15 21:22 編集
12月19日
年下の友人K君から何年か振りに電話があった。四方山話のうちに彼が言った。
「ドリアンさん、僕今年パスポート取ったんですけど、一緒に海外旅行行きませんか」
「そりゃいいけど、年末まで10日しかないで。もうチケットは残ってへんで。あったら奇跡やわ」
「奇跡ですか。可能性としたら何パーセントくらいですか」
「まあ、消費税くらいやね」
「5パーセントですか.....。ドリアンさん、こんな話を知ってますか。本田技研の創業者の本田総一朗はですね、小さな町工場から始めてですね.....」
K君はなぜか突然熱く語り始めた。
「ですから、たとえわずかな可能性でもそこに賭けてみるのが男のロマンかと.....」
「わかった、わかった。君の言いたいことは、よ~くわかった。インターネットで調べてみるけど、あんまり期待せんといて」
と言って電話を切って、一応検索してみることにした。リーマン・パッカーは年始年末と盆休みとゴールデン・ウィークしかまとまった休みが取れへんからなあ。俺も半年くらいアジアを放浪してみたいで。バンコクはっと......。やっぱり満席やがな。インドもどっこも満席や。不況いうても年末になると日本人はどっと海外に行くからなあ。どこが不況やっちゅう話やねんな。日本人は兵役みたいに全員一週間インド(前編 後編)に行くことを義務づけたらええと思うわ。正月ハワイに行くやつは死刑や。ロサンゼルスに行くやつは帰ってこんでええ、って俺は小言じじいか。過去になんかあったんかいな。マニラも一杯や。当たり前やな。年末のチケットいうたら二か月前から予約すんで、フツー。ラオスもミャンマーも直行便飛んでへんからなあ。一週間の休みやったら無理や。
北京も駄目、上海は、おっ、あった。あったがな、こんな時期に。やっぱり本田は偉大や(なんのこっちゃ)。早速、K君に電話する。
「奇跡は存在したで。上海行きあったで」
「えっ、本当にあったんですか」
あんなに熱く語ったはずのK君の声はものごっつう不安気だった。Why?
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初めにお伝えしますが、これは、平成17年のお話です。消費税も平成29年11月現在は8%ですが過去は消費税が5%でした。また、私はKさんではございません。私はドリアン長野とは一緒に海外旅行には行ってません。
最近になって日本の尖閣諸島や制空権を破壊しようとしてる中国へ旅行するかしないかは各自でお決めください。
日本人同士であれば言葉が通じるからかワガママや馬鹿げた本音が言えたりもするのが現実です。掛け声倒れというか提案や質問はするが何もしない人が日本には数多いですよね。そういった発言だけを喜ぶようでは何も出来ないまま終わってしまうから不利益を作り出すと思います。この場合は海外旅行ですが、行えないかもしれない状況が行えるようになったのだから素直に喜ぶべきなのにつまらない事柄だけを真剣に語ることだけが喜ぶ目的ではいけないと思います。 やはり、実行することを重要視する人物でなければ詐欺師のような矛盾を抱えた錯乱した人物が増えるだけだと考えられます。責任感が欠落してる社会は辛いです。 単純にKさんはドリアン長野にダメダシをしたかったのか? 今回は海外旅行して苦労するというよりも日本国内で海外旅行に行くために苦労したお話でしたね。空手家の間では、「千の言葉よりも一の実行。」ということわざがございます。
私も色々とあって、本当にカナダのバンクーバーに行くかどうかを決める時には悩みました。仮に友人が住んでる街に行くにはどうしたら良いかを調べるとバンクーバーを経由することが分かったのとその友人(米国人)だが海外で政争に関わってるらしいから邪魔はしたくないのであえて避ける事も行えるし直行便を選べば海外旅行の試練の中の一つに乗り継ぎの待機時間が長い問題も回避が行えるのでブリティッシュコロンビア州バンクーバー市を選びました。
「千の言葉よりも一の実行。」は重要ですが、本当に海外旅行を実行するからには前もって色々と調べておいて向こうの社会に適合が行えるようになっておきましょう。海外には海外なりの厳しさがございます。私の場合は十日前ではなくて旅行日のおよそ二か月前に海外旅行代理店に赴き予約をして支払いを済ませました。言い換えると、平成27年の8月に平成27年の10月の予定を作ったんです。大金を支払った独特の緊張感は並では無かった。年末でなくても海外旅行の場合は二か月前に予定を作る人は多いですし否定されてないと思います。実はちょっとした裏事情がありました。発表されてはいるが私が利用したのは季節限定便の直行便(関空からバンクーバーのYVR間の往復)だったので8月に10月の予約をしたのは有効期限間近であったのです。 詳細は各自でお調べしてもらいたいが、海外旅行の航空便の航路の中には季節限定便が存在してます。
言葉が悪いかもしれませんが、大雑把に他人に旅行先を決めてもらうよりも自己責任で考えて旅先を決断することは重要だと思います。
「どうせ、無理やろ。」と考えていても「何とかなったよ。」と返答されるとどうなるか?その時に返答する人は否定的になってはいけない。難しい事が成し遂げられたならば素直に喜ぶべきです。
紹介した動画はドリアン長野並びに私(マーキュリーマーク)が撮影したものではなく、参考の為の転載です。
複雑な思いがする動画です。パスポートが有料なのはともかくですが在外邦人が万が一の時の救出費用の為に高い料金が徴収されてるそうです。実際に海外に行った後ですと、複雑な思いです。やはり、あまりよろしくない人はいました。(だが、あのアルジェリアの出来事は?)
皆さん、お気づきだとは思いますが航空券が予約並びに購入が行えてもホテルの予約(宿の確保)を彼等はしたのでしょうか?それだけでなく、海外旅行保険に加入したのでしょうか?海外旅行保険は不明ですが宿の確保は読み進めてもらうと理解してもらえます。皆さんが、もしも、海外旅行に行かれるならば宿の確保(ホテルの予約)、航空券もしくは乗船券の予約と支払い、そして海外旅行保険に加入されることを推奨します。今となっては各企業それぞれ別口で営業してます。
#57 上海日記二日目 (リターンズ)
NO57 上海日記 2日目
at 2005 01/18 22:23 編集
12月20日
K君はほんまにびびっていた。初めての海外旅行なのはわかるが、それにしても尋常ではない。
「危険な所に行くのはやめましょうね」
「上海に危険な場所はないっちゅうねん(あったら行ってみたいわ)」
「ドリアンさんも日本に待っている人が大勢いると思いますから、くれぐれも無事に帰国しましょう」
「俺たちはイラクに行くジャーナリストとちゃうで」
「お金はいくらかかっても構わないので、命を最優先に考えて下さい」
「君は自衛隊の中隊長か。でも、ひょっとしたら無言の帰宅ってこともありえるなあ」
「ええっ!」
びびっているやつをいちびる(からかう)のは面白い。
その夜、K君からメールが入った。
「中国ってビザいりますよね。 今からでは間に合わないのでは?」
すっかり忘れてた。
慌ててインターネットで調べ、池袋にあるビザ取得代理店にパスポートを明日一番の宅配便で送ることにした。果たして間に合うのか。K君から電話。
「その代理店、大丈夫なんでしょうね、パスポート送っても」
「ええっ!」
K君の心配は尽きないのであった。
紹介した動画はドリアン長野並びに私(マーキュリーマーク)が撮影したものではなく、参考の為の転載です。
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本当に初めて読まれる人もおられるかもしれませんが、実際には平成十年代に発表してるのですでに結果を知ってる人が多いのはともかくとしても、人に何かを頼んで文句ばかりいって何一つ責任を取れない人っていたりします。「嫌なら辞めとけ。神経質なのも限度がある。」と言いたくもなります。一方でビザやパスポートについても海外旅行をするなら忘れないようにすべきです。周知のように海外旅行代理店に行く前(もしくはインターネットを通じて依頼する前)にパスポートの所得を済ませるばかりかビザの申請も可能であれば終えておきましょう。ビザの種類によって違いますがカナダのビザ(eTA)は有効期間が5年間です。TPP11が本当に機能すると今後はビザが廃止に至るのかな?ご存知の人も多いでしょうが海外旅行代理店でパスポートの確認が行われることは多いです。ちゃんと提示した方が良いと思います。悪質なご都合主義者はパスポートの有効期限が失われてからパスポートの再所得を考慮するが、本当に海外旅行に行くならば前もって用意する必要がございます。自己責任ですが、私は幾つかの町を訪問する艱難辛苦を体験した上でパスポートを所得しました。
大変残念ながら、海外で邦人が殺害された前例はございます。ご冥福を祈ります。私は平成27年10月にブリティッシュコロンビア州を旅行しました。在外邦人が平成28年に殺害されたので心を痛めました。フェイスブックのグループ上で哀しみの声が何度も発表されてました。第二の故郷のように思える海外の町で日本人が殺害された事件が発生すると哀しみは大きく違います。従って、旅行者の安全の為に海外旅行をしてる人に対して質問をすることが無いようにしましょう。なぜならば、安全に関わるからです。そればかりか旅行者もあまり積極的に情報開示はしない方が無難かもしれません。私が海外旅行中に錯乱してる人物が狡猾にフェイスブックを通じて詰問してきたので旅の楽しみは半減しました。憎悪は日増しに増えるばかりかな?一般的には旅行中には詰問を繰り返さないが行った理由はゆすりが目的だったやもしれません。だから、詰問したと思います。抗議しても逆上するから、本当に関与を推奨出来ない人でした。
結局は、海外旅行をするかしないかは本人が責任をもって行うべきであって第三者に責任を押し付けてはいけないと考えます。日本の治安も悪化してはいますがそれでも海外よりは治安が良くて気楽だと考えられています。ある意味、別口のお話ですが、周知のようにこのシリーズは長期間継続しました。やはり、一週間の海外旅行は並ではありません。明日の事は誰にも分らないが、日中間の外交問題が平成20年代に比べて小さかった平成10年代のお話だということを前提にこれからもお読みいただければ幸いです。
上海(中国)の治安・危険情報 | 現地を知り尽くしたガイドによる口コミ情報【トラベルコ】 https://t.co/dt8cEwAFvB
— ドリアン長野 (@duriannagano) 2017年11月19日NO58 上海日記 3日目
at 2005 01/25 23:50 編集
12月30日
「全員整列、番号!」
「1」
「2」
「これからわれわれ上海使節団は上海に向けて出発する。何か質問は?」
「チャイニーズ・マフィアには充分気をつけましょう」
「そんなものはおらん!」
「危険だと思ったらすぐ引き返す勇気を持ちましょう」
「われわれはK2に登りにいくんじゃない!」
ビザはやっと出発前日に届いた。ただ、ガイドブックを読んだら2003年9月から15日間以内の滞在ならビザは不要と書いてあったが。(1万円返せ!)
関空に到着したK君は不安で寝不足と食欲不振が続き、蒼い顔をしていた。
とにもかくにも上海に到着したが、入国検疫申告書を書くのを忘れていたわれわれは係員に呼び止められ、そこで書け、とあごで指示される。初めて接する中国人の横柄な態度にK君はびびる。入国審査を待っている時も行列の中国人同士が割り込みでケンカを始めた。K君、ますますびびる。
「レンミングァンチャン(人民広場)!」
空港前で待っているバスの女性車掌に声をかける。彼女は「満席だよ。次のにしな」と答えた。(私は中国語がわからないので、英語以外は推測です)
「次は何時?」
「10時だよ(夜の)」
「あと40分もあるやん!」
日本語で言うと、「しかたないね。乗りな」とバスの入口を指し示す。バスが動き出したので、外を見ると雪が降り積もっている。凍結した道路では追突したり、ガードレールにぶつかった車を何台も見た。人民広場で降り、地下鉄を探すがむちゃくちゃ寒い。このままではホテルにたどり着く前に凍死してしまうではないか。はんぱねー!歩いていると寒いので全速力で疾走し、コンビニを見つけると飛び込み、道を尋ねるついでに暖をとる。ようやく見つけた地下鉄(中国の地下鉄の出入口は明かりがついていないのでわかりづらい)で河南中路駅まで行き、そこから歩く。われわれが目指すのは浦江飯店だ。外灘(バンド)で、いや上海でバックパッカーが泊まるホテルといえば、ここしかない。空室があればいいが。もうすぐ日付けが変わる。
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紹介した動画はドリアン長野並びに私(マーキュリーマーク)が撮影したものではなく、参考の為の転載です。
平成二十年代になって上海にも危険な町が存在するらしく皆様、お気を付けください。
実際の所、一旦は上海に行ってからウイグル自治区(中国国内)に含まれるカラコルム山脈のK2に行く人がおられるかもしれません。K2(ケーツー)は、カラコルム山脈にある山で標高は8,611mで、エベレストに次ぐ世界第2位の高さです。ちなみに、ドリアン長野はK-1を見るのが好きです。
いきなり、日本国内で一万円散財してますね。一万円あったら色々と買い物が行えますね。
ビザやパスポートについては海外旅行をする前に余裕を持って調べておきましょう。ビザやパスポートについての各国の最新の事情については各自でお調べください。実際に海外旅行に行ったから言えますがある程度の余裕は重要です。初めての海外旅行の予定日が一か月もないなんて私には否定的に感じます。準備期間は重要でした。海外旅行の準備は絶対に前もって余裕がある状態で行うべきです。
防寒着一つとってもK2に登れる領域が販売されてるのは周知されてます。
色々な面で平成10年代と平成20年代とでは大違いですから。
日本人は親切と言われてますが世界でもトップレベルかもしれません。あんまり海外旅行で案内はしないものですからね。
厳寒の上海では自動車同士の交通事故も少なくないようです。やはり、路面が悪いか否かは影響するようです。
近頃のチャイナはガスマスクが必要と言われる位にスモッグが激しいらしいですがPM2.5は平成十年代には日本に飛んできていたと言われているからこの時にはすでに中国の大気汚染は深刻であったかもしれません。過去にも主張しましたが、ドリアン長野は地下鉄が好きでニューヨーク(ヌーヨ~ク)の地下鉄にも乗車した過去がございます。
今からお伝えすることは否定されても構わないですがやはり、空港連絡鉄道の利用や送迎バスを海外旅行の代理店を通じて依頼しても良かったかもしれませんね。
最近の上海の鉄道は平成二十年代になって平成十年代よりも延伸を果たしたそうです。空港連絡鉄道を利用して海外の駅前のホテルを利用する旅行者は私のようにいます。だが、それについて否定的な人はいます。なぜならば、高額だからだそうです。従って、空港からバスを何度か乗って郊外のホテルを選ぶ旅行者もいるらしいです。ヘタするとホテルに到着する迄が旅行になってしまい旅行中に観光地にあまり行けなくなる恐れがございますので旅行の日程は熟慮の上でお考え下さい。
最も肝心なのはホテルの予約です。宿の確保をしないままで海外の町に赴く行動について私は推奨しません。私は日本国内の海外旅行代理店でホテルの予約と支払い、航空券の予約の支払いと海外旅行保険の支払いを済ませました。
人によったら、予防接種も済ませてから渡航されるでしょうね。渡航医療機関と言われてるトラベルクリニック等についての詳細は各自でお調べください。予防接種について肯定するか否定するかは各自で熟慮の上でご決断下さい。提案は行えても責任は取れません。
送迎バスはそれなりの金額です。私はバンクーバーで送迎バスを利用したから言えますが一長一短がございます。長所は送迎をちゃんとしてくれるばかりか車内で町の説明をしてくれる点ですが、もしかしたら、ホテルへの早期入室も送迎バスの料金に含まれてるかもしれません。航空機が空港にやってくる時間と予約したホテルの入室が許可される時間に大きな乖離(かいり)が発生してる可能性はあり得ます。日本から海外の空港に到着して入国審査を済ませて移動しホテルに到着した時に入室が許可されていない時間になってる可能性については考慮してください。
短所は、送りの時は他の航空機でやってくる旅行者の待機、帰国する時の迎えのバスがやってきた時間が微妙で帰国便に着席したのが飛行機の出発の40分前であった点です。それなりの金額である点は批判はしませんが人によったら空港連絡鉄道を利用されるかもしれませんね。
平成20年代になって上海においても、空港連絡鉄道が円滑に利用出来るらしいですが利用するか否かは各自で熟慮の上でご決断下さい。上海について初心者であれば多少高値であっても空港からホテルへ送ってくれるばかりかホテルから空港へ迎えてくれるバスを依頼されてもよろしいかもしれません。送迎の内、「送り。」だけないしは「迎え。」だけ依頼する人もおられるそうです。ホテルのシャトルバスを利用する人もいるらしく多種多様です。
紹介した動画はドリアン長野並びに私(マーキュリーマーク)が撮影したものではなく、参考の為の転載です。
上海日記 4日目 in 1 (リターンズ)
2014/2/5(水) 午後 11:46
NO59 上海日記 4日目
at 2005 02/02 20:17 編集
12月31日
7時半起床。トイレの窓から外を見ると一面まっしろ。黄浦江を巡航する船の警笛が聞こえる。浦江飯店はバンドで一番古いホテルだ。チャップリンもアインシュタインもお泊まりになられたが、宿泊費は高くない。バックパッカーの御用達になっているのはドミトリーがあるからだ。ホテル自体は租界時代に建てられただけあって、アールデコで趣がある。われわれの泊まった二人部屋の前は吹き抜けになっていて、広い廊下には租界当時の調度品が展示されていた。
昨夜は12時前にチェックインした。空腹だったが、寒波の中を出ていく気にもなれず、ルームサービスでチャーハンを食べた。眠りについたのは2時過ぎだったと思うが、K君は不安でほとんど寝ていないそうである。そこまでテンパってたら、しまいにゃ死ぬで。われわれは気合いを入れて空手着に着替えた。上海で空手と太極拳の交流をしようという日中友好的な計画を立てていたのである。場合によっては異種格闘技戦も辞さぬつもりだ。カンフーでもなんでもかかってこい(どの辺が日中友好やねん)。意気込んで飛び出したのはいいが、ほんまにものごっつうハンパじゃなくひたすら寒い。いつもは物売りで足の踏み場もないほどの外白渡橋も今日は誰もいない。目指す黄浦公園はホテルから走って3分ほど。公園の入口で警備のおっちゃんに「滑るから気をつけな」と声をかけられた。
「太極拳は?」
「寒いから休みだ」
いきなり計画失敗。寒さに異常に強い中国人もさすがに今日は無理?って感じ? 口ほどにもないぜ、今日はこのくらいにしといたるわとバンドの凍結した遊歩道をこけながらジョギングして帰ったのだが、われわれ日本人の姿はよほど奇異に見えたのであろう。ホテルの従業員にじろじろと見られる。この寒波になんて物好きなってか。おれたちは見せ物じゃねえ、散りな。しっ、しっ。今度泊まりに来た時は帝国陸軍の軍服で来てやるぜ。日本鬼子と書いた鉢巻きを締めてなって、冗談っすよ。冗談。そんなにムキにならなくてもええやんか~(誰に言うとんじゃ)。
管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項
まず、初めにお伝えしますが幾つかまとめましたので題名にin 1を加えました。一日の出来事を幾つかに分けて平成17年に発表されてました。
そういえば、平成17年と言えば岡田阪神がリーグ優勝した年でしたね。
本題。
浦江飯店は中国に対して否定的な人も少々驚く見た目は良いホテルのようです。
太極拳は寒ければ中止のようですがスモッグの時にはマスクをして行われた動画を見たことがあるので何か矛盾を感じるのは私だけでしょうか?残念ながらその動画は見つかりませんでしたが、平成20年代になって実際に上海に行った人によると、スモッグが凄まじいそうですのでマスクは必要らしいです。
食事なんですが、ホテルにもよりますがやはり外国人観光客がやってくることを考慮してか多少遅い時間であっても食事が行える体制作りをしてるホテルは国の内外を問わずに多いようです。私が行ってきたバンクーバーのホテルの出入り口の近くにドーナツ等でカナダでは有名なティムホートンが24時間営業していて贅沢を言わなかったら食事が円滑に行えました。安価で良かったです。ホテルの食事は朝食が食べ放題で28カナダドルでした。町中ではクロワッサンが一個$2.85で販売されてるらしいのでクロワッサンを10個食べると損はないかもしれません。ただ、クロワッサンや七面鳥のソーセージはおいしかったがサラダが無かったのが辛かった。
ドリアン長野とKさんは上海で炒飯が食べれて良かったんではないでしょうか?
海外旅行中の睡眠なんですが、時差の問題ばかりかベッドの規格が大違いなので寝にくかったです。私の場合は精神的に心配事で困る事柄よりもベッドが柔らかすぎるから寝にくいので大変困りました。実際の所、フェイスブックを通じて詰問をしてくる拘束を躊躇しない愚か者がいて精神的に困ったので、バンクーバーから日本に帰国後にやむを得ずダメダシをして友人達にも警告を伝達しブロックしました。ゆすりが目的の可能性は高かったです。
上海の冬場は厳寒のようで氷点下に至る事もあるようです。
皆さん、寒い国へ行くならば防寒着は持って行きましょう。防寒性能が高い靴の保有も考慮してください。ただ、海外旅行前にどういった服装をするかですが日本国内において悪く無い姿にしておきましょう。日本は日本です。飛行機に長時間乗って現地に到着すると気候が日本とは全く違う事はあり得ます。私が行ってきた10月のバンクーバーは大阪市内と比較して少なくとも五度は低い程度で秋でした。そういえば、平成10年代のある日、30度を超える6月の暑い大阪府の関空から北海道の帯広市に行くと8度であった過去も連想しました。日本国内でも気温の変化は大きいです。
NO60 上海日記 4日目(続)
at 2005 02/09 22:13 編集
部屋に戻ろうとすると、廊下の展示品を見ている二人の日本人がいたので声をかける。彼らは6階のドミトリーに泊まっているそうだ。
「僕らも昨日の夜に上海に来たんですけどね、ドミに金城武そっくりの男が泊まってるんですよ」
「えっ、金城武!」
「ほんとにそっくりですよ」
「まさか本人じゃあ.....」
「見に来ますか」
「行く行く行く!」
ここのドミは男女別になっているそうだ。部屋も清潔で窓からはほんのわずかだが黄浦江が見える。彼らの他には日本人と韓国人が一人づつ泊まっていた。韓国人が聞く。
「何でそんなかっこしてんの? パジャマ代わり?」
「公園をジョギングしてきたんだ」
「はっはっはっ。クレージー」
ほっとけ。
「あれ? さっきまでいたのにな。出かけたみたいですね」
あ”~っ、残念。タケシ、私をおいてどこに行っちゃたの。
「タケシの寝ていたベッドはどこかしら?」
「は? あそこですけど」
「タケシ~」と叫んでベッドに飛び込む。
「.............。私、別に変態じゃないからね」
「は、はあ~」
「われわれはこんなことしてる暇ないねん(お前が勝手にやってただけやろ)。早いとこ、このホテルをチェックアウトして新しいホテルに移らんと」
「どこに泊まるんですか」
「ピース・ホテル」
「あそこ、空いてるかなあ。昨日も満室だと断られて、ここのドミに来た人がいましたから」
「とにかく行ってみるわ。タケシに会ったら、よろしく言っといて」
ピース・ホテル(和平飯店)は上海銀座の南京東路を挟んで北楼と南楼がある。和平飯店といえば、バンド。バンドといえば、和平飯店だというくらい、バンドを象徴するホテルである。一生に一遍だけ泊まってみても罰は当たらんだろうと思ったが、今日も明日もあさってもやっぱり満室だった。仕方なく、その日はバンドの対岸にあるホテルに泊まる。部屋から小学校の校庭が見えるのだが、この寒さにも何のその、大勢の大人がダンスを踊っている。今日は大晦日やったなあ。それにしても寒くないんか?
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平成十年代に行われた年末年始の上海旅行記です。
だけど、ホテルは本当に一流のようです。インターネット上で紹介されてる写真を見ただけでもそれなりに感嘆します。「和平飯店(ピースホテル)。」と聞いただけでは見当がつかない人でも「ピースホテルはフェアモントの系列。」と聞くと驚かれる人は多くおられると思います。
NO61 上海日記 4日目(続々)
at 2005 02/16 23:29 編集
その夜、オールドバーでジャズを聴くために再び和平飯店を訪ねた。メンバーは平均年齢70歳台の老人であり、このホテルの名物である。大晦日のせいか、満席で少し待たされたが、相席でテーブルに着いた。アメリカンスタイルのカウンターやローソクのシャンデリアが租界時代を想わせる。一時間ほど演奏を楽しんだ後、和平飯店を探索することにした。もう十何年も前のことだが、桐島洋子さんの本でこんな文章を読んだことがあったのだ。
「和平飯店は40年前にはじめて上海に渡ったときにしばらく滞在したキャセイ・ホテルであり、このホテルこそ私にとって外国の原体験なのだ。幼い私が絶望的に長い廊下を魔法使いに追いかけられながら必死に走る夢を今でも私はときどき見るが、それは明らかにこのホテルの廊下であり、魔法使いの方はディズニーの白雪姫の継母である。40年ぶりに歩く廊下は気味が悪くなるほど夢の中の景色のままだった。」 (大草原に潮騒が聴える)
その幻想的な廊下のイメージは上海、キャセイ・ホテル(和平飯店北楼)、といった妖しい響きと相俟って、まだ海外に出たことのない私の脳裏にしっかりと刻み込まれた。その長年抱いてきたイメージがついに目の当たりになろうとは。エレベーターで階ごとに降り、廊下を歩く。赤、階によっては青の絨毯が壁の淡い照明に浮かび上がり、進むにつれて租界時代にタイムスリップしていくようだ。南京条約によってイギリス軍が上海を開港し、さらには欧米列強諸国が管理する共同租界となったバンド。極東最大の都市、アジアの貿易、金融の中心地、日支間の思惑が交錯した国際都市、魔都、上海。初めて足を踏み入れた和平飯店は私にとっても想像と寸分たがわぬ光景だった。
管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項
平成10年代に平均年齢70歳台の老人達は平成20年代にも生きているのでしょうか?案外、現在でもオールドバーでジャズを聞いてるかもしれません。平成20年代になって撮影された動画は幾つか紹介したのでその部分は各人の考慮に願いたい。夢を現実に。著作で紹介された場所へ実際に赴くと感動すると思います。その感動の度合は、距離が自宅から遠い分比例してくると考えられます。 意外に思われるかもしれませんが、ホテルそのものが観光名所になってるようです。
やはり、香港ばかりか上海が英国の影響を受けていたのは小さくないようです。
紹介した動画はドリアン長野並びに私(マーキュリーマーク)が撮影したものではなく、参考の為の転載です。
NO62 上海日記 4日目(続々々)
at 2005 02/21 23:38 編集
ホテルを出て帰ろうと南京路を歩いていると、逆方向からわさわさと人が歩いてくる。しばらくすると今度はばらばらと大勢の人が走ってきた。時計を見ると12時前。われわれも急いで彼らについていく。バンドの地下道は人民であふれている。暗いので物乞いを踏んづけてしまった。ご、ごめん。あっ、今度は物売りを踏んづけた。遊歩道に出ると、人民と外国人で立錐の余地もない。カウントダウンが始まり、新年になるとあちこちで花火が上がる。2005年の始まりは上海だったかと感慨にふけりながら歩いていると、途中で浦江飯店に宿泊していたバックパッカーたちと出会う。彼らもバンドでカウントダウンを祝い、今から同宿の9人で飲みに行くそうだ。一緒にと誘われたが、われわれは酒を飲まないので残念ながら辞退した。私はドミトリーにはほとんど泊まったことがないのだが、ドミもいいもんだな~と思う。地下鉄が止まっていたので、タクシーを捕まえようとするが、空車が走っていない。近くの交差点で客を降ろすためにタクシーが停まったので、猛ダッシュで飛びつく。血相変えながら日本人が飛び込んできたので、運転手もさぞかし驚いたことであろう。それにしても、どのタクシーも助手席と後部座席は強化プラスチックで運転席と完全に分離されている。上海も物騒になったもんだ。1時帰館。
管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項
平成16年(2004年)から平成17年(2005年)にかけての上海旅行記です。日本の旅行代理店が「年末年始を海外で過ごしませんか?」と提案(宣伝)してますね。日本のタクシーとは違う点は治安対策が強化されてる点のようですね。スピードも日本と上海は全く違うようです。地下鉄は日本であっても遅くとも午後11時前に乗車しないと目的地に行けない可能性はございますね。中国(上海)はどうなのでしょうか? 以下のホームページを参考にしてください。
ドリアン長野とKさんは充実した一日を過ごされたようです。念のためにお伝えしますが、私はドリアン長野と海外旅行をしたことはありません。
私もバンクーバーでは遅い時間に外出してました。チーズケーキエトセトラとって夜限定のお店があってそこに行ったからなんです。やはり、一回でも海外旅行に行くか行かないかで大違いですね。 日本の夜と海外の夜は大違いです。
話は変わりますが、ドリアン長野は上海の海外旅行記を二種類発表してます。
一方で今回の上海日記は平成17年に発表されました。従いまして、平成16年の年末から平成17年の年始にかけて上海を旅行したお話だと考えられます。