ビルマの休日 その6、その7、その8 (ヤフーブログ版)

ビルマの休日 その6、その7、その8 (ヤフーブログ版)

NO93 ビルマの休日 その6

at 2006 01/21 22:52 編集

列車に乗っていたら隣に七歳くらいの女の子が座った
顔にタナカを塗りたくって
口紅を引いて
マニキュアをして
とっておきのワンピース
お母さんに連れられて
今日はお正月だから
にこっと笑うと齒が欠けていた
ああ、ビルマの子供
アジアの子供たちよ
バゴーのパゴダで
五歳くらいの女の子が
お金をくれと手を出す
お金はやれないよと首を振ると
実に悲しそうな顔をした
せめて 
さようならと手を振ると
顔をくしゃくしゃにして笑った
齒の欠けた口を開けて
クアラルンプールの空港で見た
白人の家族連れ
その子供たちは
貧しさというものを
死ぬまで知らないですむだろう
こんな光景は
こんな光景は何度も見たはずなのに
この炎天下に
汗と一緒に涙までにじむのはなぜだ
子供たちは
たじろぐほどの真剣な面持ちで
俺から金を巻き上げようとする
私は学校に行きたいんだ
弟においしい物を食べさせてやりたいんだ
父さんと母さんに楽をさせてやりたいんだ
俺はいつもお前たちに負けてばかり
最初から勝ち目のない闘いだ
ああ、ビルマの子供
アジアの子供たちよ
俺もアジアの子供だ
いつかはこのアジアの黄色い土に還る
そのときには
神様に頼んでやる
天国でアジアの子供たちと
一緒に住ませてくださいって
毎日話してくれないか
父さんと母さんは
お前たちを愛してくれたのか
貧しくても幸せな日々だったのか
隣でお前たちが
齒の欠けた口を開けて
笑ってくれれば
そう思えば
死ぬことなんて怖くない
そんな気がするんだ
ああ、ビルマの子供
アジアの子供たちよ
観光地では物売りの女の子が同じ絵はがきを二ドルで売っていた。やっぱりまたボラれてた。(続く)

NO94 ビルマの休日 その7

at 2006 01/26 23:13 編集

ミャンマー人は温厚で親切で素朴な人が多いと思う。道を尋ねた人が英語がわからなくても、わかる人をどこかから連れてきてくれるし、何かを買ってお釣りをごまかされたということもなかった。それでも人を騙してあぶく銭を稼ごうとするよからぬやつはどこの国にもいる。ミャンマーに着いた初日の夜に街を歩いていると日本語で声をかけられた。
「こんばんわー、日本人ですか? どこ行きますか?」
歩いていて日本語で声をかけてくるのはお金を騙しとろうというやつに決まっている。話に応じると、日本が大好きだ、日本に知り合いがいる等と言い出す。そして私は学生だとか教師をしていると言って、観光案内をしてあげると持ちかけ、最後に法外な報酬を要求するという古典的な手口である。他の国なら無視するのだが、ミャンマーということで少しだけ気を許した。
「僕は日本に恋人がいますね。日本、大好きです。明日はお正月ですから、たくさんの人がチャイティヨーパゴダにお参り行きますですね。僕の知り合いが車持ってますから案内しますよ。150ドルでどうですか」
その時はそいつの知り合いが日本円をドルに両替できるというので、一万円を換金してもらった。ミャンマーでは日本円を両替するのは難しいんである。
翌日、歩いていると別の男に声をかけられた。
「あなた、ビルマ人に似てますね。日本人ですか。ビルマ人かと思った」
今度は英語である。
「私は大学生です。どこに行きますか? 私の友だちが車を持っていますから、チャイティヨーパゴダに行きませんか。特別に150ドルで行ってくれますよ」
とてもわかりやすい。マニュアルそのままである。さすがに軍事政権では情報が制限されているので、手口も画一化している。こんなんで旅ずれした個人旅行者を騙すことができるんだろうか。
その男と歩いていると、昨日の男(ミャンマー人A 。名前は秘す、っていうか忘れた)と出会った。世界は狭い。
「ちょっと、ちょっと」
Aは私を脇道に呼んで聞いた。
「あの人、誰ですか」
なんだか自分が二股かけたプレイガールのような気がしてきた。(続く)

NO95 ビルマの休日 その8

at 2006 01/30 23:14 編集


「あの人、とても悪い人ですね。マフィアですね。気をつけてください。あなたにちょっと話あります。今晩六時にあなたのホテル行きますから待っていてください」
と言ってAは去っていった。自称大学生の男(ミャンマー人B。名前は秘す、っていうか忘れた)はすかさず、「あの男、知ってますよ。ここら辺では誰も知らない人はいません。最近まで刑務所に入っていました」と言う。
(お前ら、二人ともあやしいんじゃ~っ)
Bと別れてから、MTT(ミャンマー国営旅行社)に行って聞いてみる。
「チャイティヨーパゴダなら往復のタクシーをチャーターして、100ドルですよ」
思わず値切るのも忘れて予約した。
Aは六時きっかりにホテルに現われた。悪人なのに時間には正確だ。
「あの人、外国人を騙してお金とりますね。騙すところ見たことあります。とても悪い人ですね。ところで、昨日の話どうしますか。150ドルって言いましたけど、友だちに相談したら130にしてくれるそうです。日本人は友だちですから特別ですね」
Bも全く同じことを言っていた。この国には騙しのテクニック講座があって、同じレッスンを同じ教科書で学んでいるに違いない。
「ふ~ん、もし旅行会社に頼んだら、いくらになるの?」
「そうですねえ、日本のお金で二万円にはなると思います」
私はもちろん、その話を断った。その前にもう一万円を両替してもらった。
チャイティヨーパゴダというのは別名、ゴールデンロックといって、金箔を張りつけた巨大な岩が山頂の崖の端に落ちそうで落ちないという微妙なバランスで鎮座しているというミャンマー人が一生に一度はお詣りに行くパゴダである。行くつもりはなかったのに、何だか行くはめになってしまったのはこれも仏様の導きか。早朝六時にタクシーに乗り、五時間かかって山のふもとに到着。そこからトラックの荷台に五十人ほどのミャンマー人とすし詰めにされ、どこかにしがみついていなければ振り落とされるほどの急勾配&曲がりくねった山道を四十分かけて中腹に着いた。しかし、本当の苦行はここから始まるということを神ならぬ私は知る由もなかった。(続く)

皆様への伝達事項

化粧品のタナカはミャンマーでは有名らしいです。

ドリアン長野が2010年以前に作成し発表した海外旅行記ですので現在とは状況が異なる部分が多々あるかと思います。影響を与える事が出来ても責任は取れませんので参考にしてもらう分には構いませんが模倣は不可能になってるやもしれません。
皆さん、二ドルと五千チャットであればどっちが安いでしょうか?ドリアン長野は損をしたからビルマの困ってる子供達を助けたようです。ドリアン長野にとって独身時代を過ごしてた平成18年迄と結婚した平成19年以降は大違いです。アジアの貧困について作成された詩のようでいて最後に笑わすことを発表してるのがドリアン長野らしいか?日本円から外貨への交換等は自己責任で行うようにして下さい。こちらは責任は取れません。海外で日本円から外貨への両替をするよりも日本国内で行う方が良いかもしれませんがそれが行える外貨なのかどうかも問われます。
私がカナダに行った時は良き在外邦人に出会えた機会が多かったから道に困ってる時に道案内をしてもらって助けてもらいました。過労と時差ボケの影響もあってホテルの自室に戻って熟睡しました。海外旅行案内書は人気があります。不明瞭な人物との会話をする機会を減らせるのは利点です。但し、屋外で保有してると海外の犯罪者に注目されやすいらしいから警戒してください。可能であればホテルの中だけで読まれても悪く無いです。タクシーで片道5時間の旅行というものは余程でないと耐えられないと私は思います。予習してからでないと海外旅行には行かない方が良いです。この海外旅行記を参考にするのは避けておいた方が無難だと思います。どっちかというと情けないお話が多いのがその理由です。(笑)
「往復のタクシー。」の部分を読んで連想したのは空港からホテルの送迎バス。長所と短所がございます。長所は安全運転での送迎と貨物の運搬、車内での肯定的な発言や街についての説明、ホテルの受付での連絡やパスポートの確認。短所ですが、他の旅行者達の待機と(業者によっては)高価格、無意味な提案(観光案内)や車内での否定的に感じる発言内容、偽物が出現する恐れがある点。明確化しておきますが、真面目に送迎バスの仕事をされてる人には問題は無いが、偽物に問題があるんです。偽物が出現する恐れはあるので警戒は必要です。送迎の人に過去に一度でも会ったことがあるならともかくだが会ったことが無い人の場合は警戒するのはやむをえません。空港連絡鉄道が利用出来るならばそれを推奨します。
もしも、海外旅行に行かれるならば各自で前もって最新情報を得て熟慮の上で行くか行かないかについて、ご決断下さい。

ドリアン長野は平成18年こと2006年にミャンマー旅行記ビルマの休日として発表しました。その翌年の2007年(平成19年)にミャンマー反政府デモが発生し長井健司さんがミャンマーで殺害されました。
周知されてますが、平成29年(2017年)になってミャンマー国内で特定の民族に対する迫害行為が行われ混乱が発生しております。
これらの前例から私は皆様にミャンマー旅行を推奨することは不可能です。




管理人 マーキュリーマーク
 

 回顧を兼ねた書評
 僕の初海外旅行は26歳の時のインドだった。
 当時往復チケットは年末料金だったので30万した(泣)。
 行く前は椎名誠の「わしもインドで考えた」を熟読。
 インドでは尻の毛まで抜かれるほどぼったくられ、下痢と発熱で散々だったけど、
 それからはリーマンパッカーとして主にアジアをふらふら。
 アフリカは遠すぎて行けなかった。新婚旅行もバックパックでバンコクと香港へ。
 香港では雑居房のチョンキンマンションで二泊し、妻はぐったりしていた。
 バンコクでは安宿と高級ホテルと泊まり歩き、マリオットのプールで
 溺死しそうになったのは今ではいい思い出だ(嘘)。
 旅も好きだが、旅行記も好きだ。
 この本は主にアフリカ旅行のエッセイだが、面白い。
 何よりも文章がうまい。
 奥さんとのなりそめを綴った「追いかけてバルセロナ」なんか疾走感があり、
 一気に読め、感動的でさえある。
 朝の通勤の地下鉄で読んでたけど、日本にいながら気持ちはバックパッカー。
 旅の本もいいけど、また出かけたいなあ。