廃業の知らせ 平成30年3月

両親が高齢のため米子市四日市町本通り商店街の長野紙店を廃業し、売却することにしました。両親は妹が住む横浜に引っ越しします。
長野紙店は長野艶子が始め、昭和34年に母、房子が養子として店に入り、艶子死去により、母が継ぐことになりました。その後、父と結婚。父の趣味もあり、プラモデルや文具なども販売することになりました。長野紙店を含め、現在プラモデルを扱っているお店は市内に三店あります。
引っ越しと閉店半額セールの準備のために帰省しています。引っ越しのため4月14〜16日にまた帰省します。皆さまで長野紙店のフィナーレを飾ってやってください。生まれ育った家がなくなるのは寂しいですけど、時代ですね。


市内にあるライブハウス。
結構ビッグネームが。
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土曜夜市は米子商店街が全国に先駆けて1951年に始めました。
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乱雑としてます。
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お城シリーズなんかも残ってます。
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ざっと数えただけで1000点以上あります。
目録を作成するのは諦めました(つД`)ノ
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近所にあるイタリアンカフェ&レストラン「パッセジャータ」。
オーナー兼シェフの野島さんは母の姉の長女の息子さん(つまり親戚です)。
日本におけるイタリアンレストラン発祥の店といえば飯倉と西麻布にある「キャンティ」ですが、正直に言ってそこよりも美味しいです。
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駅前にある「米子湯」。
壁絵は草原でグローブを持った子供が四人。その後ろは富士山ではなく、当然大山です。ケロリンの黄色い洗面器が積んでありました。スーパー銭湯にはない昭和感が最高です。
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明治元年創業の「人形のウエダ」の上田直樹さん。妻の父の兄の娘の高校の同級生だそうです(つまり親戚です。違うか)。同じデビッドボウイファンとして話が盛り上がりました。
日本の伝統工芸品としてのその美しさは世界に誇れるもの。店内を見て回るだけでも世界的な画匠の絵を観賞するような感動があります。
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そのウエダさんで三年前に父が買ってくれたとき。
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現在6歳。二月末になると、出して〜とせがみます。おじいちゃんに感謝するんだよ(まだ生きてます)。
昨日電話したときに「お土産何がいい?」
と聞いたら、「パパはお金持ってないからいい」と言われました(泣)。
夜は蟹味噌ラーメンを食べました。山陰ならではの贅沢だなあ。
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 回顧を兼ねた書評
 僕の初海外旅行は26歳の時のインドだった。
 当時往復チケットは年末料金だったので30万した(泣)。
 行く前は椎名誠の「わしもインドで考えた」を熟読。
 インドでは尻の毛まで抜かれるほどぼったくられ、下痢と発熱で散々だったけど、
 それからはリーマンパッカーとして主にアジアをふらふら。
 アフリカは遠すぎて行けなかった。新婚旅行もバックパックでバンコクと香港へ。
 香港では雑居房のチョンキンマンションで二泊し、妻はぐったりしていた。
 バンコクでは安宿と高級ホテルと泊まり歩き、マリオットのプールで
 溺死しそうになったのは今ではいい思い出だ(嘘)。
 旅も好きだが、旅行記も好きだ。
 この本は主にアフリカ旅行のエッセイだが、面白い。
 何よりも文章がうまい。
 奥さんとのなりそめを綴った「追いかけてバルセロナ」なんか疾走感があり、
 一気に読め、感動的でさえある。
 朝の通勤の地下鉄で読んでたけど、日本にいながら気持ちはバックパッカー。
 旅の本もいいけど、また出かけたいなあ。