なぜ、ドリアン長野は海外旅行に何度も行けたか? 平成30年3月

なぜ、ドリアン長野は海外旅行に何度も行けたか?やはり、独身だったからでは無いでしょうか?奥さんとの新婚旅行は別として娘さんが生まれてからは全く海外旅行には行ってないようです。子供を育てるのは重労働なのは周知されてます。金銭的にも時間の面においても余裕が無くなったから海外旅行に行かなくなったと私は考えられます。無論、単純に海外に行くと楽しめるといった部分はあるが権利と責任という概念はございます。やはり、それなりの旅費が必要なのは言うまでもありません。実際に何度かドリアン長野と話したから言えますが何もない寒村(鳥取県米子市)よりも変化がある都会を好む考えは保有されてました。
敬具マーキュリーマーク
 

 回顧を兼ねた書評
 僕の初海外旅行は26歳の時のインドだった。
 当時往復チケットは年末料金だったので30万した(泣)。
 行く前は椎名誠の「わしもインドで考えた」を熟読。
 インドでは尻の毛まで抜かれるほどぼったくられ、下痢と発熱で散々だったけど、
 それからはリーマンパッカーとして主にアジアをふらふら。
 アフリカは遠すぎて行けなかった。新婚旅行もバックパックでバンコクと香港へ。
 香港では雑居房のチョンキンマンションで二泊し、妻はぐったりしていた。
 バンコクでは安宿と高級ホテルと泊まり歩き、マリオットのプールで
 溺死しそうになったのは今ではいい思い出だ(嘘)。
 旅も好きだが、旅行記も好きだ。
 この本は主にアフリカ旅行のエッセイだが、面白い。
 何よりも文章がうまい。
 奥さんとのなりそめを綴った「追いかけてバルセロナ」なんか疾走感があり、
 一気に読め、感動的でさえある。
 朝の通勤の地下鉄で読んでたけど、日本にいながら気持ちはバックパッカー。
 旅の本もいいけど、また出かけたいなあ。


 管理人マーキュリーマークからの伝言
 上記は、ドリアン長野が令和二年に投稿した内容です。
 令和六年にドリアン長野は親子でケアンズ旅行。