平成30年9月にフェイスブックで投稿された内容の転載

ありがたい
ありがたい


深すぎる…


子供の時に「台風一過」と聞いて、台風にもお父さんやお母さん、弟や妹がいるのか、と思ったのは私だけではないと信じたい。


I'm all OK‼️
Thank you so much.


面接に来ました


【なにわの地下鉄劇場】

「今年の夏、暑かったなあ」
「ほんま、灼熱地獄やで」
「そんで、ノスタルジックにひたろうか思うてな、アマゾンで蚊帳買うたんや」
「昭和やな〜。そんでアマゾンで蚊帳か。ドンピシャリやな」
「せやろ、アマゾンで蚊帳や」
「おまけにネットでネット買うたんか。ドンピシャリやな」
「ドンピシャリやろ」
「ウフフ…」
「ウフフ…」

二人のウフフという声はいつまでも続くのであった。


台風の被害


奇跡


台風で
ドミノピザが
ドミノ倒し


こんにちは〜


なんでやねん


(管理人 マーキュリーマークからの特別な伝達)


皆様、閉店セールを何度も行ってるのは誰でしょうか?

ティーンエイジャーとは」

2016年ローリングストーン誌の読者が選ぶデビッドボウイの隠れた名曲1位に「ティーンエイジワイルドライフ」が選ばれた。
これは1980年にリリースされたボウイのニューウェイブアルバム「スケアリーモンスターズ」に収録されている。この曲はゲイリーニューマンが自分自身をモデルにした曲だと言っている。

話は変わるが、「拝啓マッカーサー元帥様」という本が岩波新書から出ている。
連合軍総司令官として君臨したマッカーサーに宛てて、全国から50万余もの手紙が送られた。そのほとんどが熱烈なファンレターである。敗戦直後の日本人の心性がわかって非常に興味深い。

1951年5月3から5日に開催された朝鮮戦争に伴うマッカーサー解任の是非についての上院の公聴会での有名な発言がある。

第一次世界大戦後、ドイツがヒトラーに熱狂的に従ったという事実を考えたことがありますか?」というロング委員の質問に対し、マッカーサーは「アングロサクソンが45歳とすれば、日本人は12歳の少年といったところでしょうか」(要約)と答えている。この発言について日本人に対する蔑視だと言う人もいるが、マッカーサーは一貫して日本人を称賛している。「これから日本人を暖かく見守っていこう」という趣旨の表れであろう。
しかし、なぜマッカーサーは13歳でも14歳でもなく、12歳である、と言ったのだろうか。原文では「They would be like a boy of 12 as compared with our development of 45 years.」となっている。
ティーンエイジャーは何歳からですか?という質問をすると、私たちの大半は「10歳から」と答える。実はteenagerとは13歳からだ。ten、eleven、twelve、thirteen、fourteen…というわけで、当時の日本人はティーンエイジャーにもなっていない子供だと言っていたのだ。
小学校から英語教育をするならネィティブなら子供でも知っていることを合わせて教えるべきだと思う。


no food curry


奇跡的に



「神の子」
〜父が語る山本”KID”徳郁の半生〜
山本郁榮 著から

山本”KID”徳郁という名前が知られるようになってからも、プロの格闘家だから、顔が知られているから、という理由で正義感や弱い者いじめを憎む気持ちを押さえたりしない。(中略)
私は徳郁のケンカを怒った記憶がない。なぜかというと、徳郁は強い相手としかやらないし、それも自分からケンカを売ったりはしなかったからだ。ただ困ったのは、ケンカの理由を問いただしても絶対に明かさないことだ。相手のことを悪くいわないので、結局は私と妻が相手の親御さんに謝りに行かなくてはならなかった。マイペースで手のかからない子供だったが、そこのところだけは手を焼いた。
同じように、学校でケンカをして先生に取り押さえられ、『ケンカに加わって逃げた仲間の名前を白状したら許してやる』といわれても絶対に口を割らなかったという。このときは私も呼び出され、徳郁は一週間ほどの停学処分をくらった。
ケンカをするかと思えば、弱い者、小さな者には優しい。今でも妹の聖子にはとにかく優しい。
徳郁は、小学生の頃から理不尽なものや強い者に対して向かっていく姿と、弱い者への優しさという『男気』のようなものを持っていた。」


すばらしか〜


言い訳をしない、人の悪口を言わない、かっこいい男とはこういう人を言うんですね〜。


「なにわの地下鉄劇場」

「私な大学生の時にロサンゼルスに一年留学しとったやん。」

「うん。」

「そん時にな、ソーメンがむっちゃ食べたくなってや、スーパーでソーメン見つけたんやけど、麺つゆが見つからへんねん。店員に、アイムルッキングフォーメンツユ!って聞いたんや。店員が不思議な顔して、ソーリー?って言うから発音悪いんかな思うて、ゆっくり、ウエアーイズメンツーユー?って言うたんや。店員がますます、はぁ~っ?って顔してるから、おっきな声でウエアーイズメンツーユー?って言うたら、周りの客も不思議そうにこっちみてはるやんか。こらあかん思うて、あきらめたんやけど、あとでよう考えたらな、Where is men to you ?って、あんたに合った男はどこにおんねん?って聞いてたわけやろ、むっちゃ恥ずかったわ。」

「ぎゃははは、むっちゃ受けるー。」

「受けるやろー。」

周りの乗客も笑いをこらえてました。


うなぎパン


「カラテとマラソン

関空が再開し、大阪城公園にもインバウンドが戻ってきた。早朝の秋は最高だ。

走ると、
血行がよくなる
食品添加物や薬品などの有害物質が汗によって排出される
骨密度が高められる

何よりも爽快感により、精神的に充足感が得られる。
しかし、少なくとも自分にとって走ることはスポーツというよりも武道の稽古に近い。
42.195キロという途方もない距離を何時間も無酸素で運動し続けるスポーツというのはあまりない。近いところで言えば、カラテの黒帯のみが参加を許される延々と続く黒帯研究会(帯研)の稽古か、昇段試験受審の際の連続組手か。

梶原一騎原作の「ボディーガード牙」に確かこんな台詞があった。   http://amzn.asia/d/1KiB9DG

「カラテというと一見派手で、一撃で相手がバタバタ倒れるっていうイメージがあるが、それに到達するには地味な稽古の積み重ね、何千何万という嫌になるほどの反復練習の繰り返しでやっと人様は倒れてくれる」

二年ぶりのフルマラソンまであと二か月だ。二年前の初マラソンでは4時間59分で泣く泣く完走できた。今回は完走できるのか自信はない。楽しみよりも怖さの方が勝る。
昨日娘との会話。

「二年ぶりにマラソンを走るねん。一万人くらいと走るよ」

「パパ、勝ったの?」

「勝つとか負けるとかはないなあ。まあ、最後まであきらめずに走ったら自分に勝ったことになるかな」

「最後まで走った?」

「うん、走った。相手に勝つんじゃなくて自分に勝ったことになるかな」

「今度も勝てればいいね」

「うん」

完走したからといって、何が変わるというわけではないけど、でも勝ちたい。
自分に勝つ、か。

高橋尚子は尊敬するランナーだけど、その記録以上に尊敬することがある。
彼女は現役時代、体幹をブレないようにするために腹筋と背筋運動を毎日二千回続けたそうだ。時間を置くと嫌になるので、走った後にすぐに500回を4セット始めたそうだ。
楽しいからではなく、「嫌になるから」それでも「毎日続ける」。

スポーツは楽しむことが第一義的な目的である。しかし武道の第一義的な目的は別なところにある。


なにか私と通じるものがあります!
ランニングは空手稽古の一環、2年前の初マラソン時はかろうじて5時間で完走…などなど。
楽しみながらをモットーに日々過ごしております^_^
(との連絡についての返答)
ドリアン長野 それは嬉しいです。^_^
お互いに日々を楽しみながら精進していきましょう。押忍


そうなのです!


さわやかな女性ですが…(´Д` )

訳 「下痢
腸から頻繁に便を排出」


管理人マーキュリーマークからの伝言

ドリアン長野は海外旅行中に下痢しました。



(^^;;


 

 回顧を兼ねた書評
 僕の初海外旅行は26歳の時のインドだった。
 当時往復チケットは年末料金だったので30万した(泣)。
 行く前は椎名誠の「わしもインドで考えた」を熟読。
 インドでは尻の毛まで抜かれるほどぼったくられ、下痢と発熱で散々だったけど、
 それからはリーマンパッカーとして主にアジアをふらふら。
 アフリカは遠すぎて行けなかった。新婚旅行もバックパックでバンコクと香港へ。
 香港では雑居房のチョンキンマンションで二泊し、妻はぐったりしていた。
 バンコクでは安宿と高級ホテルと泊まり歩き、マリオットのプールで
 溺死しそうになったのは今ではいい思い出だ(嘘)。
 旅も好きだが、旅行記も好きだ。
 この本は主にアフリカ旅行のエッセイだが、面白い。
 何よりも文章がうまい。
 奥さんとのなりそめを綴った「追いかけてバルセロナ」なんか疾走感があり、
 一気に読め、感動的でさえある。
 朝の通勤の地下鉄で読んでたけど、日本にいながら気持ちはバックパッカー。
 旅の本もいいけど、また出かけたいなあ。