画像 平成31年2月

イメージ 1



アメリ旅行記は一般的です。ドリアン長野がニューヨークに行った時は
直行便は利用しませんでした。

抜粋 その1

今日の夜はニュージャージーに住む友人のアパートに泊めてもらうことになっている。

抜粋 その2 

ニューヨークの地下鉄は何といっても殺伐としているところに趣がある。
ホームには電話が何台も架設されている。これらは犯罪時の緊急用だろう。便所は犯罪防止のためにその多くが閉鎖されている。タイムズ・スクエアの駅なんかムッとアンモニアの臭いが鼻を突く場所もある。我慢できずに立ちションしている輩がいるらしい。車両は落書きされても消すことのできるニュータイプが日本から輸入され、名物だったジャクソン・ポロックのようなアクション・ペインティングは見ることができなくなったので残念だ。ニューヨークは人種のるつぼ(メルティング・ポット)ではなく、人種のサラダボウルだと言われて久しいが、ダウンタウンからアップタウン行きの地下鉄に
乗ってみるとそれがよく分かる。ウォール・ストリートでは白人が多く、
チャイナタウンのあるキャナル・ストリートに停まると中国系がどっと
乗り込んでくる。ミッドタウンになると再び白人が多くなり、ハーレムに入ると黒人が多くなる。各人種が融合しているわけではなく、中国人街、
韓国人街、イタリア人街、インド人街、ギリシャ人街等と住み分けができているのだ。

抜粋 その3

デトロイト空港着。国内線のニューヨーク行きの便に乗り換えるため、入国審査の列に並ぶ。

抜粋 その4

翌朝、ふん、こんなボロっちいわりにバカ高いホテルなんか二度と泊まるかよ、あたしを見くびるんじゃないよ、とばかりに憤然とチェックアウトし、
ミッドタウンで宿探しをした。20軒近く当たったが、なんと一軒もなし。
ぜ~んぶ断られた。

管理人 マーキュリーマークからの伝言

~海外旅行記の定番と言えばアメリ旅行記でしょうか?~
テレビの旅番組で頻繁に取り上げられるから周知されてます。実際に渡米する日本人は数多いです。
ドリアン長野はニューヨークばかりかロサンゼルスを旅行しました。ご存知のように旅の内容によっては乗り継ぎが必要です。ニューヨーク旅行の際にはミシガン(デトロイト市)を訪問したばかりかニュージャージーに宿泊したそうです。
ロサンゼルス旅行の過程ではメキシコのバハ・カリフォルニア州
ティフアナにも訪問されました。皆様に対して自由妨害をする気持ちは全くありませんがアメリカばかりかメキシコにおいても日本ではないので、
もしも渡航を検討するなら各自で最新情報を得て熟慮の上でご決断下さい。
ま、アメリ旅行記アメリ旅行記の紹介と言っても、ニューヨーク旅行記とロサンゼルス旅行記とでは大違いです。

~航空会社の航路についての詳細は各自で調べて下さい~
アエロメヒコは平成18年(2006年)から平成26年(2014年)にかけて成田からティフアナ(TIJ*1)への航路を運行してたそうですがドリアン長野はその路線を利用せずに米国のロサンゼルスに赴いてから陸路でメキシコのティフアナに行きました。この旅行記を読まれた方の中には成田から
ティフアナに赴いた人がおられるかもしれません。平成29年(2017年)
4月から利用が行えるようになったとされてる羽田からニューヨークへの
直行便をJALは運行してるそうですがドリアン長野はその路線を利用せずに一旦ミシガン州デトロイトに赴いてからニューヨークに行きました。*2

ティフアナに存在するヘネラル・アベラルド・L・ロドリゲス国際空港こと
(通称)ティフアナ国際空港に割り当てた3レターコードです。日本の関空関西国際空港)をKIXと略すようなものでTIJはメキシコのティフアナ国際空港と考えてください。余談ながら前述した航空会社のアエロメヒコ航空ティフアナ便を辞めてメキシコのモンテレイを経由する航路を運行してましたが平成28年からメキシコシティから成田を行き来する直行便を運行されてるそうです。

*2 2010年(平成22年)以前の海外旅行記です。詳細は本文を読んでもらいたいがドリアン長野は日本からの直行便でニューヨークには行かなかったようです。

~公衆電話ですがWI-FIに切り替わったそうです~
ドリアン長野は2010年(平成22年)以前に米国へ旅行してきました。
過去と現在では大きく違うようです。技術革新は日米を問わず皆に平等
です。
何らかの共通点を持つ人同士が集まって、実質的な棲み分けは過去から現在においても行われているかもしれません。

~海外旅行されるなら日本にいる間にホテルの予約と宿泊費の支払いは済ませる提案をします~
ホテルのデポジット(預かり保証金)は現地に到着してから支払う必要があるので仕方ありませんが海外旅行を取り扱う代理店で販売されてるフリープランを選ぶと往復の航空券、ホテルの宿泊費、各種税金も含まれた金額等を提示してるに違いありません。空港からホテルばかりかホテルから
空港への送迎バスの依頼をするか否かは各自でご決断下さい。
意図的に海外の危険地帯に赴くことについて私は皆様に推奨しません。
日本ではあまり考えられませんがタクシーでさえも嫌がる危ない街は海外に存在するようです。米国並びにメキシコ間の国境を越えることは今後は難しくなりそうです。

~ホテルの課題は宿泊費だけではない~
どこかの誰かは色々と考慮した結果、確か一泊100カナダドル以上の
ホテルを日本で予約して支払いました。仕方ありませんでした。ホテルは選べても宿泊客で日本語が喋れる非常識な人物がいたので困った人は
おられます。ロビーで無意味に喚くばかりか現地時間ですが午後十時半を過ぎた時に何度も扉を開閉させてガチャガチャ金属音を鳴らした上で議論してた観光客達がいたので困った人はおられました。
高い宿泊費を支払っても、ホテルのベッドが柔らかすぎるから寝にくかったり照明とテレビが利用出来なくなったからホテルの従業員から朝食の無料券(御食事券)をもらった人もおられます。
良かったのは立地とホテルの従業員が優しかったことかな? 
朝食はおいしかったです。

~トランプ政権はメキシコと米国の国境の間に壁を作る決断を下しました~
皆様、この投稿を執筆してるのは2019年の二月です。その政治的決断を巡って政争が発生し政府職員に給料が支払われない状態にも至りました。ドリアン長野は米国からメキシコへ行けましたが今後、その行動が行えるかは不明確です。行えなくなる可能性が高いと考えてもらって構いません。外国の出来事ですので内政干渉はしませんが「推奨出来ない決断を下した。」と考える人々は多いかもしれません。一長一短の政策ですので各自で考えてもらいたい。繰り返すようですが、日本人観光客が米国とメキシコを過去のように自由に行き来するのは将来的には難しくなる恐れは高いですのでご理解下さい。




~交通について~
公共交通機関についてですが罰金を請求されるよりも損を覚悟の上で一日乗車券を購入してから利用する人もおられます。
(鉄道)が利用出来ましたので私は一日乗車券を何度も購入しましたの
でお気楽でした。
旅行中(平成27年10月)に一日乗車券を買わずに徒歩だけで一日を過ごしたこともありました。
余談かもしれませんが高さが27.4メートルの橋を夜になってから歩いた時は一種独特の緊張がございましたので皆様には危ない橋を渡る行動については皆様に対して推奨しません。(笑)
意見が分かれるかもしれませんがレンタカーの利用についてですが妨害はしませんが利用の推奨はしません。理由は事故が多いからです。
万が一に備えて海外旅行保険に加入するのは当然としても、厳しい
法規制が海外には存在すると言われてます。
レンタカーを利用するか否かについては各自で熟慮の上でご決断下さい。南海のラピートのように空港連絡鉄道が利用出来る町は海外にも存在してます。

~海外は時差ばかりか気温も日本とは異なる~
ロサンゼルス並びにティフアナと同一の時間帯(UTC-7)を過ごしました。
日本とUTC-7地域と夏時間の時差は16時間、冬時間の時差は17時間なので午前6時から午前7時の朝食の時間が日本の午後11時の食事のようでした。 7+16=23 6+17=23 午後11時は言い換えると23時。
時差ばかりか各自で現地の気候については調べておいてください。
厳寒に至りやすいニューヨークはどちらかと言えば温暖な気候と言われてるロサンゼルスとは大違いです。冬場に(ニューヨーク等へ)渡米するなら良い防寒着(Squall Parka等がオススメ)を各自で用意してください。
イメージ 2
クオールパーカとは防風性、撥水性が高いナイロンを表地にして裏地を防寒性が高いフリースを縫い合わせた防寒着です。


アメリカ旅行と言っても、ニューヨーク旅行とロサンゼルス旅行は大違いだったようです。州単位ではないのですがヌーヨ~クとも言われてるニューヨーク市の人口が8,175,133人でロサンゼルスの人口が3,792,621人でシカゴ市の人口が2,695,598人で、ニューヨーク市内のブルックリン区の人口だけで2,556,598人と言われてます。
基本的に2019年の夏頃までその月の第三木曜日に画像を発表していく予定です。
従って、来月の春分の日は第三木曜日なので推奨したいホームページを紹介する予定であるばかりか画像も発表する予定です。
以下は、ロサンゼルス(米国)とティフアナ(メキシコ)旅行記について述べます。

抜粋 その5

モーテルのロビーでいつもうだうだとたむろってるメキシコ人に頼めば大丈夫だろう。善は急げ(?)とさっそく彼らに聞いてみる。しか~し、 
「へっ、サウス・セントラルだと? サルがケツから飛び出すぜ」
「俺はまだ死にたくねえよ」
「あそこは観光地じゃないぜ。ディズニーランドなら連れていってやってもいいけどな」

抜粋 その6

バスを乗り継ぎ、トラムに乗り、何時間もかけて国境のティフアナに到着した。国境越えするにはらせん状の歩道を歩かなければならないが、そこにはすでに幼子を抱えた母親が何人か物乞いをしていた。
目の前の丘にはトタン屋根の粗末な家が斜面にも隙間なく建っている。
いきなり劇的に景色が変わった。

ドリアン長野は米国のロサンゼルスばかりか陸路にてメキシコのティフアナにも赴きました。

 

 回顧を兼ねた書評
 僕の初海外旅行は26歳の時のインドだった。
 当時往復チケットは年末料金だったので30万した(泣)。
 行く前は椎名誠の「わしもインドで考えた」を熟読。
 インドでは尻の毛まで抜かれるほどぼったくられ、下痢と発熱で散々だったけど、
 それからはリーマンパッカーとして主にアジアをふらふら。
 アフリカは遠すぎて行けなかった。新婚旅行もバックパックでバンコクと香港へ。
 香港では雑居房のチョンキンマンションで二泊し、妻はぐったりしていた。
 バンコクでは安宿と高級ホテルと泊まり歩き、マリオットのプールで
 溺死しそうになったのは今ではいい思い出だ(嘘)。
 旅も好きだが、旅行記も好きだ。
 この本は主にアフリカ旅行のエッセイだが、面白い。
 何よりも文章がうまい。
 奥さんとのなりそめを綴った「追いかけてバルセロナ」なんか疾走感があり、
 一気に読め、感動的でさえある。
 朝の通勤の地下鉄で読んでたけど、日本にいながら気持ちはバックパッカー。
 旅の本もいいけど、また出かけたいなあ。


 管理人マーキュリーマークからの伝言
 上記は、ドリアン長野が令和二年に投稿した内容です。
 令和六年にドリアン長野は親子でケアンズ旅行。