#41 続々ロサンゼルス編(リターンズ)並びに#37と#38と#39と#40について御連絡 平成27年二月

#41 続々ロサンゼルス編(リターンズ)並びに#37と#38と#39と#40について御連絡
2012-12-01 | Weblog
 管理人の元(ハジメ)です。まず、始めに皆様にお詫び申し上げます。平成19年の夏に風邪で体調不良であった私は幾つかのバックアップが行えませんでした。実はこの当時、簡単ホームページというものが存在していたのですがgoo側の都合で廃止されました。簡単ホームページ上の内容はgooブログへのバックアップを自発的にしないといけなかったのです。新規投稿の文字数制限が存在するので何度も事実上、gooブログ側から否定されながらバックアップをしていました。従いまして幾つか欠番が発生しております。繰り返すようですがその点については皆様に対して大変申し訳なく思っています。これらの状況を理解した上で以下の海外旅行記をお読みいただければ幸いです。


NO41 続々ロサンゼルス編
at 2004 03/04 00:14 編集

目を覚まし、海辺に面した部屋のカーテンを引く。陽はすでに高い。白い波頭の間にサーファーたちが見え隠れする。今日も暑くなりそうだ。ロサンゼルスには四種類の人間しかいない。ハリウッドスターと観光客とメキシカンとホームレスだ。モールに入ってみると何だか気が滅入る。モールってやつは世界中どこでもそうなんだろうが、画一的で面白味に欠ける。オープンシステムになっているファーストフード・レストランは家族連れで一杯だ。誰もがハンバーガーかピザかフライドチキンを頬張っている。なんだかなあ~。ロサンゼルスに滞在して分かったことがある。その壱、食事をハンバーガーとコーラなんかで済ませる人が結構多い。それゆえ、デブはハンパじゃなくデブだ。デブの中のデブ、デビーだ。人間というよりは肉の塊、ミートだ。その弐、タトゥーをしている人が多いが、やつらはそれを見せびらかすために常にノースリーブのTシャツだ。ごくろうさんだ。ためになった。これだけアメリカを学んだら充分だ。今晩荷物をまとめて日本に帰ろう。
「メキシコに行かない?」朝食後、ジョイスが言った。「え”?メキシコに行けるの?」「もちろん、行けるわよ。アメリカからメキシコにはフリーパス。帰るときはIDがいるけど」
メキシコといえばテキーラにサボテンにタコスしか思い浮かばんが、なんだかムーチョなところに違いあるまい。
「行く、行く、連れてって。これからすぐに旅立ちましょう。早く支度して、急いで急いで」「くっ、苦しい~。そんなに揺さぶらないで。てっ、手を離してちょうだい。年寄りを殺すと天国に行けないわよっ!」
というわけで、我々はバスを乗り継ぎ、トラムに乗り、何時間もかけて国境のチフアナに到着した。国境越えするにはらせん状の歩道を歩かなければならないが、そこにはすでに幼子を抱えた母親が何人か物乞いをしていた。目の前の丘にはトタン屋根の粗末な家が斜面にも隙間なく建っている。いきなり劇的に景色が変わった。その参、アメリカとメキシコの国境は世界一残酷な国境だ。「GODを求める人たちがアメリカに行き、GOLDを求める人たちがメキシコに行った。たった一字の違いだが、それが現在の貧富の差となった」という石川 好の本で読んだ言葉を思い出した。もちろん、そんな単純なことではなく、ピルグリム・ファーザーたちも崇高な目的ばかりじゃなかったらしいけど。街を歩くと、その身なりで地元の人間と観光客がはっきりと分かる。前を歩いていたフリルの付いた服を着たアメリカ人少女と、裸足でぼろぼろの服を纏った同じ位の年嵩のメキシコ人少女が偶然にもツーショットになった。「しめた、これを撮ればピュリッツァー賞、間違いなし」とカメラを探しているうちにどこかに行ってしまった。あ”あ”、おれって!
「人生はお金がすべてではないけれど、無いと不便。あったほうが便利だなあ」(相田みつを
みつを、なに当たり前のことをもっともらしく言ってんだあ! おいちゃんはなあ、ホントはこんなこと言いたくなかったんやけど、最後に言わしちくれ、「ロスに来たのは、とんだ時間のロスだったあああぁぁぁぁ~~っ..................................................................................................。」

元(ハジメ)管理人の感想文と皆様への伝達事項
 アメリ旅行記とメキシコ旅行記の両者を同時に発表しています。東海岸を代表する都市がニューヨークで西海岸を代表するのがロサンゼルスです。ちなみに、大阪市姉妹都市なのは中西部を代表するシカゴ市とサンフランシスコ市です。
 日本であっても確かに偏食をする人は多いようですが海外の偏食はもっと徹底しているようです。実際には米国には存在していても日本には存在しない巨大ファーストフード店が多いですけどもね。
 有名なお話ですが米国とメキシコの国境の行き来は米国からメキシコは自由でメキシコから米国は厳しいそうです。
 地球上、どこであってもシャッターチャンスは短い時間のようです。ただ、今となってはインターネット上で多くの画像が発表されているから仮に撮影が成功していても全然珍しくないかもしれません。ドリアン長野が海外旅行で撮影された画像ですが過去のデータが失われている状態なので発表はほとんど不可能です。
 ピルグリム・ファーザーズとは、アメリカに渡ったイギリスの清教徒ピューリタン)で「Pilgrims」は「巡礼始祖」の意味です。
以上、元(ハジメ)管理人でした。 来年のドリアン長野の海外旅行記にも皆様、ご期待下さい。
 オマケ 単純に笑える海外旅行記も発表してますが、一方で今回のように人生って厳しいなと再認識する海外旅行記でしたね。
 

 回顧を兼ねた書評
 僕の初海外旅行は26歳の時のインドだった。
 当時往復チケットは年末料金だったので30万した(泣)。
 行く前は椎名誠の「わしもインドで考えた」を熟読。
 インドでは尻の毛まで抜かれるほどぼったくられ、下痢と発熱で散々だったけど、
 それからはリーマンパッカーとして主にアジアをふらふら。
 アフリカは遠すぎて行けなかった。新婚旅行もバックパックでバンコクと香港へ。
 香港では雑居房のチョンキンマンションで二泊し、妻はぐったりしていた。
 バンコクでは安宿と高級ホテルと泊まり歩き、マリオットのプールで
 溺死しそうになったのは今ではいい思い出だ(嘘)。
 旅も好きだが、旅行記も好きだ。
 この本は主にアフリカ旅行のエッセイだが、面白い。
 何よりも文章がうまい。
 奥さんとのなりそめを綴った「追いかけてバルセロナ」なんか疾走感があり、
 一気に読め、感動的でさえある。
 朝の通勤の地下鉄で読んでたけど、日本にいながら気持ちはバックパッカー。
 旅の本もいいけど、また出かけたいなあ。