平成28年に参加した福知山マラソン

平成28年に参加した福知山マラソン

「ドリアン長野のランニングな日々」
福知山マラソン
ランニングを始めてから1年と3か月、やっと念願のフルマラソンに出られることになった。なんやかんやで慌ただしく決まったのが二週間前、初フルということで妻と子ども、神戸に住んでいる義母も応援に来てくれることになった。レンタカーを借り、神戸の妻の実家に前泊。
昨夜は緊張もせずにゆっくり眠れた。
当日は早目に起床、風が強く小雨も降り、かなり寒い。寒さ対策のために体にワセリンを塗る。朝食に餅とおにぎりとバナナを食べた。
車で福知山に着いてから体育館で着替えるが、二階席まで1万人のランナーで立錐の余地もない。近くにいるランナーが「まるで野戦病院だなあ」と言った。
寒いこともあり、何を着て走ろうかと直前まで迷ったが、いつも練習で着用している極真のパーカーを着ることにした。
極真の名誉にかけてでも見っともない走りをするわけにはいかない。

「ドリアン長野のランニングな日々」
福知山マラソン
ゲストはワイナイナ選手と福知山出身の元プロレスラー小橋建也さん。会場にはランシャツ、ランパンというシンプルな出で立ちのランナーがいる。この人たちは2時間台で完走する人たちだ。次にあまり多くないが、コスプレで走る人たち。漫画家でマラソンランナーの喜国雅彦氏が言うには「ある程度は早いタイムで走れるが、それ以上伸びないのでコスプレに逃げた人」らしい。しかし、この人たちを侮ることはできない。かなり早いのだ。
ラソンの世界を知って驚いたのがペースメーカーの存在だ。例えば3時間、4時間、4時間半、5時間などのペースメーカーがおり、彼らにピッタリとついて行くと目標のタイムに1分とたがわずゴールできるらしい。まさに職人。
スタート間近になり、1万人のランナーが集結する。風があり、小雨が降っている。気温7度。動いていないと寒い。私は振り分けられたA〜J地点の最後尾のJ。緊張感が増す。これから4、5時間は帰ってこられない。故障もなく無事に帰ってこられるだろうか。不安とワクワク感が半々くらい。10時半に号砲がなり、ゆっくりとスタート。側道の妻が写真を撮ってくれた。頻尿の私は前方がゆっくり歩き始めてからも列を抜け、すぐ近くの仮設トイレに駆け込んで用を足す。混戦状態なのでスタートしてから(グロスタイム)、スタート地点に到達(ネットタイム)するまで9分。(東京とか大阪マラソンになると30分はかかるそうです。)
前にランナーがいるので追い抜くことができない。フルは長丁場なので、ここで焦って飛び出したら後が続かない。はやる気持ちを押さえてジョギング並みのスピードで走る。とにかく押さえる、と自分に言い聞かせる。
(続く)

「ドリアン長野のランニングな日々」
福知山マラソン
大きな橋を渡れば、そこから下り坂だ。少しして市街地に入る。ここで早くも尿意が自己主張を始めた。どこかないかなとキョロキョロしていると公園の公衆トイレが見つかった。ランナーも10人ほど順番待ちをしている。用を足して走り始めると、ジープのスピーカーから「あと1分でタイムアウトです!急いでください」とアナウンス。第一関門 5.1キロを45分で通過しないと、失格してジープに乗せられて連れていかれるのだ。
あまりにもマイペースすぎた。5キロで搬送させられたら、フルマラソン完走どころかみんなに顔向けできない。全速力で走って関門通過。ふ〜っ、あぶないあぶない(ーー;)
(続く)

「ドリアン長野のランニングな日々」
福知山マラソン
しかし、いつも一人で走っているので1万人もの人たちと走っているのは楽しい。
下り坂にある道路脇の「スピード落せ」の標識を見て思わずニヤリ。15キロ地点でケータイのアプリの充電が切れる。これで何キロ地点を走っているのかキロ何分で走っているのか時間配分がわからなくなった。
17キロ地点。前方には背中に「視覚障害者」と書かれた人がボランティアの伴走者とわっかを片手づつ持ち走っている。その隣りでは70歳代の高齢者が懸命に走っている。 思わず目頭が熱くなった。いや、思わず泣きながら走った。1万人のランナーはそれぞれの思いを持ちながら走っているのだろう。そう思えば全てのランナーに敬意を抱く。
18キロ地点で先頭ランナーが折り返してくる。市民ランナーの星、公務員ランナー川内優輝選手の末弟、川内鴻樹選手だ。
20キロ地点でピコ太郎(のコスプレをした人)を追い抜く。やった!(パイナッポーペン♪)と心の中でガッツポーズ。
しかし、なかなか折り返し地点が見えてこない。遠い、遠すぎる。何度か折り返し地点だと思ったが違った。やっと見えてきた。今度は間違いない。折り返し地点はてっきり21キロだと思っていたが、24.5キロだった。みんな感慨深そうに巨大なコーンを触りながら折り返していく。
少し行くとまた目の前にピコ太郎が走っていた。何人おるね〜〜ん。
(続く)

「ドリアン長野のランニングな日々」
福知山マラソン
30キロ通過で電光掲示板を見る。3時間30分。サブフォーはおろか4時間半もあやしくなった。ウエストバッグに入れていた飲むゼリーを取り出す。手がかじかんでキャップが開けられない。歯で噛みちぎる。
走っているので寒さは感じないが、沿道の給水給食のボランティアの人たちは4時間も5時間も寒さに耐えて、「頑張ってください、あともう少しです」と声を嗄らしている。本当に頭が下がる。ありがとう。
33キロ。歩いている人が目立ってくる。マラソンはある程度走り込めば30キロまでは騙し騙し何とか走ることができる。しかし本当のマラソンは30キロを越えてからだ。才能とか年齢は関係ない。ただ走ることを続ければいい、走り続ければ結果はついてくる。これほど単純なスポーツはない。
今何キロだろうか。次は40キロ地点まで電光掲示板はない。
背後から、「あと5キロだぞ」という声が聞こえる。あと5キロ、あと5キロか。
(続く)

「ドリアン長野のランニングな日々」
福知山マラソン
道路脇に「あと3キロ」という表示があった。ということは今39キロか。半数ほどが歩いている。かろうじて走っている人も、走っているというよりは早歩きという感じだ。ある者はアキレス腱を伸ばしながら、ある者は座り込んでいる。死屍累々という感じだ。
普通なら3キロは17分足らずで駆け抜けるのだが、残りの3キロの何と辛いことか。
苦しくて辛くて思わず歩きそうになる。沿道の人にコールドスプレーを借りて、太腿とふくらはぎにかける。少しは楽になり、また走り出す。
絶対に歩かずに完走しようと思っていた。
なぜフルマラソンを完走しようと思ったのか。それはもちろん自分のためだ。それは間違いない。でもあえて他に理由を見いだそうとすれば、それは娘のためだ。
私は50歳で父親になった。だから娘が40歳のときは私はこの世にいないかもしれない。だから生きているうちに父親の頑張っている姿を見せたい。娘に少しでもかっこいい父親だと思われたい。
だから絶対に歩かずに完走したい。スタートしてからずっと思っていた。ゴールには家族が待っている。42.195キロを走って家族のもとに帰るんだ。
あと1キロまで来た。ここからはいわゆる地獄坂と呼ばれる坂が続く。歯をくいしばって橋を渡る。苦しい、脚が鉛を含んだように重い。だけど絶対に歩かない。教科書通りに顎を引き、前傾姿勢になる。両手を「ハ」の字に振る。腕を振れば足が勝手に前に出てくる。最後まで歩くものか。
前方から大歓声が聞こえてきた。ゴールはもうすぐだ。再び雨が降ってきた。みんなびしょ濡れで走っている。前が見えない。ゴールはどこだ。サザンの「希望の轍」が聞こえる。
「もう少しでゴールだ、頑張れ」の応援の声。
「そりゃあ!」
「くそっ、」「くそったれめ」と声を出しながら走る。
目の前に5時間のペースメーカーがいた。彼が「あと1分で5時間切れますよ!」と叫ぶ。ギリギリ4時間台に間に合う。最後の力を振り絞る。
そのとき「ドリア〜ン‼︎」という妻の声が聞こえた。走り過ぎながら声のする方を見たが、姿は見えなかった。
ゴール前の電光掲示板は4時間59分10秒だった。
(続く)

「ドリアン長野のランニングな日々」
福知山マラソン
終わった。やっと終わった。もう走らなくてもいいんだ。シューズに装着したチップを返却し、完走証と完走Tシャツを受け取る。妻と子どもと義母が待っていた。
妻がくしゃくしゃな顔をして子どもに言う。
「ななかちゃん、パパ、よく頑張ったねって言ってあげて」
子どもは照れくさいのか顔を傘で隠したままだった。
体育館に行って妻が着替えを手伝ってくれた。ランシャツを脱ぎ、スパッツを脱ぐ。ふと自分の脚を見る。
「………」
「どうしたの?」
今日のフルマラソンを含めて今まで950キロ走った。月に300キロくらい走る市民ランナーは珍しくないから、そんな数字は少しも大したことはない。
それでも贅肉は削ぎ落ち、走るために必要な筋肉がついてきた。少しはランナーらしい脚になってきた…。自分の脚を感慨深げに眺める。
自分自身につぶやく。少しは頑張ったじゃないか。
4時間59分というタイムは自慢できるものではないけど、最後まで歩かなかったことを誇らしく思う。
次は4時間半を目指すぞ。

頻尿なのでマラソン中10回トイレに行きました。(^^;;

来年加古川ラソンに出ようかと思ってます。


管理人マーキュリーマークからのご連絡

ドリアン長野は平成29年に加古川ラソンに参加することは出来ませんでしたが平成30年に再び福知山マラソンに参加しました。

 

 回顧を兼ねた書評
 僕の初海外旅行は26歳の時のインドだった。
 当時往復チケットは年末料金だったので30万した(泣)。
 行く前は椎名誠の「わしもインドで考えた」を熟読。
 インドでは尻の毛まで抜かれるほどぼったくられ、下痢と発熱で散々だったけど、
 それからはリーマンパッカーとして主にアジアをふらふら。
 アフリカは遠すぎて行けなかった。新婚旅行もバックパックでバンコクと香港へ。
 香港では雑居房のチョンキンマンションで二泊し、妻はぐったりしていた。
 バンコクでは安宿と高級ホテルと泊まり歩き、マリオットのプールで
 溺死しそうになったのは今ではいい思い出だ(嘘)。
 旅も好きだが、旅行記も好きだ。
 この本は主にアフリカ旅行のエッセイだが、面白い。
 何よりも文章がうまい。
 奥さんとのなりそめを綴った「追いかけてバルセロナ」なんか疾走感があり、
 一気に読め、感動的でさえある。
 朝の通勤の地下鉄で読んでたけど、日本にいながら気持ちはバックパッカー。
 旅の本もいいけど、また出かけたいなあ。