上海日記 7日目 in 1 (ヤフーブログ版)

上海日記 7日目 in 1 (ヤフーブログ版)

NO71 上海日記 7日目

at 2005 05/03 23:12 編集

7時半起床。空手着に着替えてホテルを飛び出し、目の前の魯迅公園に突入。入口でおばちゃんが何か叫んでいたが聞こえないふりをしてそのまま駆け抜ける。確か入園料が2元だったような気がしたが、小さいことにこだわってたらあかんで、おばちゃん! 公園にいるいる。太極拳をしているグループがあちらこちらに。その中の10人ほどの小さなグループに混ざり、見よう見まねで動きについていく。太極拳には前屈立ちとか後屈立ちとか半騎馬立ちとか、空手の立ち方が動きの流れの中に一瞬入っていて興味深い。まだまだ寒いので、皆さん着ぶくれでダルマ状態である。こちらはTシャツに空手着だけなのできつい。1時間ほどで終了。教えていたおばさんに礼を言うと、「初めてにしては上手だったよ」とお褒めの言葉をいただく。
ホテルに戻り、バイキングの朝食(3つ星以上のホテルには朝食がついているのだ)を摂る。今晩が最後の宿泊になるのでどこに泊まろうかと思案し、もう一度バンドに行くことにする。上海最後の夜は外白渡橋のたもとに建つ「上海大厦」に泊まることにした。ここは川島芳子清朝最後の王女。満州事変、上海事変でスパイ活動を行ったとされる。東洋のマタハリ男装の麗人と呼ばれ、大東亜戦争終結とともに逮捕、銃殺刑に処されるが、銃殺されたのは別人で日本で生き延びたという説あり)が定宿にしていたという由緒あるホテルだ。外白渡橋を上海滞在中に何度渡ったことだろう。「あしたのジョー」の丹下ジムは確か泪橋のたもとにあったはずだ。
「ジョー、いつかはこの泪橋を笑って渡るんだ」と外白渡橋を渡りながらつぶやいてみる(ちょっとバカ)。

NO72 上海日記 7日目(続)

at 2005 05/19 22:27 編集

上海の近代的な建物やおされな通りの裏には小汚い通りがセットになっている。そこには自転車に乗った人民が大挙して暴走し、アイドリング・ストップもなんのその、信号待ちでは空吹かしでぶおんぶおんいわせ、青信号に変わるとゼロヨンレースが始まり、歩道、車道所構わず屋台や物売りがひしめいているというアジアの正しい通りがある。そこで見つけた2元ショップでお土産を見繕い、露店CD屋で1枚5元の浜○あ○みや矢井○瞳や東○事変やア○リル・ラ○ーンのCDを買う。ふっと後ろを見ると、K君が買い食いしながら屋台のおっちゃんと楽しそうに話している。彼はこんな雰囲気の場所に来るとなぜか生き生きする。
そこで便意を催したので、近くの路地に入り公衆便所を探す。この狭い十字路は全体が日常雑貨を売る市場になっている。人込みをかき分け、便所にとび込み、排便する。
「よかった~。もう少しで中国でうんこたれになるとこだった」
と立ち上がると、水が流れる。いやにタイミングよく流れるなと思っていたら、壁についているセンサーが作動していた。中国のトイレも進化したもんだと感心し、外に出るとK君が、
「日本語がすごく上手なおねえさんがいて、もう少しでパンツを買わされそうになりましたよ。ちょっと、来てみてください」
と腕を引っ張る。K君、何を考えてんだ?

NO73 上海日記 7日目(続々)

at 2005 05/31 21:28 編集

K君に案内されて市場のまん中あたりまで行くと、われわれを目ざとく見つけたおねいさんが露店台に身を乗り出して日本語で叫ぶ。
「あんた、日本人ね。いいところ来た。パンツ買いなさい。カル○ン・クラ○ンのパンツだよ。あんただったらLサイズだね。1枚20元! とても安いね」
「とても安いねって、安くないよ。1枚10元にしなさい」
「なに、10元! 神様仏様。わたしもう首くくるね」
「おどかすんじゃないよ。高いからいらない」
「日本人お金もち、高くない。この毛沢東のTシャツ60元ね。小泉ヤスクニ行く、中国人怒るね」
「余計なこと言うんじゃないよ。これ友誼商店で50元で売ってたね。30元!」
「おー、あなた欲張り。上海物価タカイね。わたし暮らせない。首くくるね」
「わたしほんとの値段知ってるよ。欲張りあなたね。上海恐い、わたしもう来ないね」(言葉うつってる)
「なに言ってる、恐いのあなたよ。このライター買うか。80元でいいね」
と二人でわーわー言ってると、市場をうろうろしている靴磨きが集まってきた。
「あなたの靴磨く、オーケー?」
「こんなぼろぼろの靴磨いてもしゃーないやろ。ええって」
値切り倒したパンツとTシャツを抱え、手を振る。それでもやつらは
「磨かせて」
と五、六人があとをついてくる。ついてくんなっちゅうねん。帰りなさいって。磨きませんって。俺はブレーメンの音楽隊か。駆け足で逃げると一人がしつこく追いかけてきた。市場を出てもしばらくついてきたが、やっとあきらめて帰っていった。
「これ見て下さいよ」
とK君が片足を上げると靴に靴クリームがついている。
「あんなに熱心だったら磨かせてあげてもよかったですね」
K君がしみじみと言った。

NO74 上海日記 7日目(続々々)

at 2005 06/02 23:17 編集

K君がもう一度行きたいというので、文廟に行く。入口で「案内しますよ」と日本語で声をかけられた。大学で歴史を勉強しているという彼女、劉(りゅう)さんはここでガイドのバイトをしているそうだ。受付で10元の入場料を払って中へ。
「文廟は孔子を祭っています。孔子廟ともいいますね。元は最高学府、つまり大学でした」
劉さんが説明してくれる。観光客はいなくて、ひっそりしている。いや、パリから来たというバックパッカーのパリジャンがいた。一人旅で寂しそうだったのでみんなで記念写真を撮ってあげる。う~ん、シルブプレ~(適当)。
「この部屋で科挙の受験勉強しましたですね。進士というのを知ってますか? 科挙の最高の位です。進士はさらに順位をつけるために殿試という試験を受けましたんです。ここの建物は文化大革命でほとんど破壊されました。ほとんどの建築物はのちに再建されましたんです」
中国の大学生は正真正銘のエリートなので、将来国を担うという意識が強いせいか、とてもよく勉強する。劉さんもテレビの日本語講座で日本語を勉強し、まだ一年目だそうだ。最後に聞いてみた。
毛沢東をどう思いますか」
「中国人はみなさん毛沢東を尊敬してます。私も尊敬してますですね」
さすが建国の父。腐っても鯛か。ちょっと意外だった。

NO75 上海日記 7日目(続々々々)

at 2005 06/13 22:51 編集

おととい行った洗足屋を探して下町をうろうろ。小さな町だけど、店が見つからなくてニ周も三周もする。夕暮れになるとあたりはすぐに暗くなる。
「ここら辺、歩いていると何だか懐かしい気持ちになりますね」
「そうやね。何度も歩いてるからこの町の路地に妙に詳しくなっちったな」
文廟の前の屋台を通り抜け、公衆便所がある四つ角をさらに真っすぐ進むと木造の崩れそうなアパート群がある。左折するとこれまた崩れそうな民家が続く。道端で野菜や肉を売っている路地を抜けると、雑貨屋や駄菓子屋の並ぶ通りに出る。西岸良平の漫画の半ズボンはいて洟をたらした子供が出てきそうだ。「狗肉」の貼り紙のある食堂(店員に聞くと売り切れだと言われた)を右折すると場違いなピンクの電飾で路地から浮いてるファンシーショップが一軒あって、ああ、あった。ここだよ。店に入ると生憎、家族で食事をしているところだったが、少し待ってから足をマッサージ。またもや中国語を教えてもらいながらたっぷり一時間。今日はぼられるかなと思っていたら、今日も15元だった。彼女たちが毎晩1時まで働くと聞いて、K君は
「え~っ、信じられない」と目を丸くしていた。
帰りにスーパーに入ると、レジのおばちゃんが、「あんたたち日本人かい。テレビで日本のドラマをよく観るよ」と話しかけてきた。
「テレビで日本語を少し覚えたよ。『バカヤロー』とか『スイマセン』とかね」(どんなドラマだ)
そのうちに仕事を放り出し、店員が集まってきた。口々に質問し始める。一人が何かをしゃべると、それを聞いてみんながどっと笑う。あ~もう、わけ分からん。上海でもここら辺まで来ると外国人が珍しいのか。

NO76 上海日記7日目(続々々々々)

at 2005 07/06 22:41 編集

火鍋レストランで羊肉を嫌というほど食べる。それでも二人で八百円ほど。ホテルに10時帰館。ついでだからとホテル内にあるお土産ショップを覗いてみることに。すると中からちょっと藤〇朋子似のにこやかな女店員が手招きをしている。
「見るだけ、いいですよ」
と中国人にはあるまじき愛想のよさである。
「ホントに見るだけよ。何にも買わないからね」
と一応念をおす。
「いいですよ。見るだけ、大丈夫ですよ」
藤田はあくまでもにこやかである。
「このプラダのビジネスバッグ、四千円でどうですか。本物ですよ。安いですね」
「高いですね」
「高いですか。それでは三千円でどうですか」
「まだ高いですね」
「高いですか。いくらなら買いますか」
というやりとりがあって、結局そのバッグを二千円で買った。どう見てもニセモノには見えんが、原価はいくらなんだ。
「このネクタイどうですか。安いですよ」とまだ買わせようとするので、素早く退散する。
部屋に戻るとK君が「思い出にカラオケに行きましょう」と提案。なんで上海まで来てカラオケなんだと思ったが、あんなにビビってたのが生き生きとしてきたことだし、ディスコにつき合ってくれたことだしと彼について行く。ホテル内にカラオケがあったはずだ。一階のジャズバーに入ってみると、椅子に座っていた女の子がバネではじかれたようにこっちにやって来た。
「カラオケなんてないわよ。それより私たちとおしゃべりしたりダンスしたりしない?」
と言って、もう一人女の子を呼んできた。値段はドリンク代も含めて全部で百元だそうだ。何度もその値段を確認する。それでもアヤシイ。何回もぼられ倒されている私が(悪かったな!)思うんだから間違いあるまい。しかしその時は何とかなるだろうという気持ちと、どうなるんだろうという好奇心が一緒になって誘いを受けることにした。

NO77 上海日記 7日目(続々々々々々)

at 2005 08/10 22:38 編集

その上海出身(自称)のミミという娘は、「休日に東京に遊びに行ったことがあるわ。大都会でびっくりした。日本、大好き。日本人も大好き」などと言う。そのうち、「私たちも踊りましょう」とフロアーに連れ出された。ものすご~ください音楽が流れている。アメリカの片田舎のカウボーイの格好をしたマスターがやっているダイナーでも今時こんな音楽はかけんだろう。こんなハワイアンバンドがアルバイトで地元のFM局の知り合いに頼まれて仕方なく急場でレコードに吹き込んだようなディスコ音楽では踊れんが、自分を殺して無理からに踊る。何だか悲しい。隣ではミミがにこやかに踊りながらも目に落ち着きがない。ますますアヤシイ。その隣では中年の日本人が二人のホステスとキャーキャー言いながら踊っている。ボックス席を見ると、K君がもう一人の大人しそうな女の子に中国語を教えてもらっている。どこまで真面目なんだ、K君。欲望にまみれた上海の夜。そこだけ静謐な空気が流れているように場違いだ。

NO79 上海日記 7日目(続々々々々々々)

at 2005 08/18 23:00 編集

席にもどり、ちょっとするとK君が「帰りましょう」といきなり立ち上がった。中国語会話は終わったのか、K君? ボーイが請求書を持って来た。あろうことかそれには三百元と書いてある。やっぱりな、何回もぼられ倒されている私の勘が当たったぜ(悪かったな!)。内訳を聞いてみるとドリンク代が百元、それに女の子一人にチップが百元づつだそうだ。はあ~っ? 理不尽なぼりかたをするじゃないか。ぼるのは理不尽に決まってるが、第一に中国にはチップという習慣はない。第二になんで勝手にチップの額を決めるんだ。よって、そこのこわっぱ中国人、手討ちにしてくれるわっ! そこになおれっ! 
K君が「何度も百元だと前もって確認したはずだ」と至極もっともな抗議をする。ボーイは「どういう意味だ?」とねめつけるようにして威嚇してきた。どういう意味だとう? キャ~ッ! もう辛抱たまらん、表に出やがれ、足腰立たんようにすまきにして揚子江にたたっこんでやるわ! われわれが押し問答をしていると、そいつは段々と弱気になってきて「払ってくれないとボスにその分のお金を立て替えなくちゃならないんだ」と言う。はっ、今度は泣き落しか。悪いのはいったい誰なんでしょね! 私は百元をテーブルに叩きつけてそこを出ようとしたがK君に呼び止められた。「ちょっと待ってください、ドリアンさん」「えっ?」

NO80 上海日記 7日目(続々々々々々々々)

at 2005 09/05 22:46 編集

「この人納得してないみたいなんで話し合ってみます」
ええ~っ。K君は誠実で正直(バカがつくほど)で一本木な性格だ。おちゃらけでいいかげんに生きている私とはえらい違いである。それにしても、あんなにびびりだった彼が熱心に説得している姿を見ると感無量である。でもボーイも充分反省してるみたいだしさ、めんどくさいから帰って寝ようよ。ミミは「あんたたちのせいでこの子が二百元自腹を切らなきゃならないのよ!」と喚いている。この女も逆ギレしてるし、もう帰ろうよ。彼らはしばらく話し合っていたが、やがてK君がボーイに右手を差し出した。ボーイも渋渋だがそれに応じた。若大将シリーズ加山雄三か。
部屋に戻ると彼は言った。「中国で貧しいながらも一生懸命に働いている、あの靴磨きの人たちみたいな人たちもたくさんいるのに、騙してお金を取ろうとする人間が許せなかったんです」
どこまでも生真面目で熱いK君であった。

皆様への伝達事項
ドリアン長野が2010年以前に作成し発表した海外旅行記ですので現在とは状況が異なる部分が多々あるかと思います。影響を与える事が出来ても責任は取れませんので参考にしてもらう分には構いませんが模倣は不可能になってるやもしれません。皆さん、今回も平成十年代の上海日記(上海旅行記)を一まとめにしたin 1でリターンズを発表します。
文中で述べられてた画像のデータについて私は保有して無いので発表は行えません。
川島芳子生存説ですが昭和20年代に銃殺されたので一般的には否定されてます。
魯迅公園について軽く調べたら入園無料らしいです。海外において何等かの施設を利用する時において料金が法的に必要なら支払うようにしましょう。
ホテルの予約無しで海外旅行をされることを私は推奨しません。
一般的には日本時間よりも3時間程の時差であれば対応は簡単と言われてますが海外旅行中は時差ボケの影響で現地の時間に合わせて行動することは難しくなります。
公衆トイレに限っては海外は本当に少ないです。日本だと店舗内のトイレを利用出来る事はあるが海外では少なかったです。万が一の時を考えホテルを後にする前にトイレの利用は不可欠です。私が行ってきたカナダのブリティッシュコロンビア州の表通りと裏通りも大きく違ってました。表通りは万人向けなんですが裏通りになると関係者以外は立ち入り禁止みたいでした。
海外旅行では帰国便に乗り遅れると大問題で冷静な行動が常に必要です。
海外においても良いお店に行くのは構わないですが悪いお店に行くのは辞めておきましょう。ドリアン長野はよろしくない悪い店に行って苦労された話を述べました。商売だから少しでも利益を計上したいのは理解するが販売方法が悪い個人商店が多いからかスーパーが中国でも利益を計上してるようです。
2元ショップですが日本の¥100ショップのようなものだそうです。平成十年代には営業していても現在も経営してるかどうかは不透明です。一説には「海外でそういった一個当たりの料金が固定されてるお店に行くのは無駄では?」と考えられてますが完全否定は難しいです。なぜなら旅行中に必要もしくは必要になりそうな商品が売ってる可能性はございます。
明白に偽造された製品の購入は辞めるようにしておきましょう。日本国内には持ち込めないと考えてもらいたいです。「偽物の製品の購入の提案はされたが購入しなかった。」といった選択は時には重要です。日本は法治国家です。一緒に行く人にも良識を求めるようにしておきましょう。私はあまりにヤバイ場所や店には行く気が全く無いです。日本ではあまり紹介されていない名店に行って喜びを感じる人がいる点は否定しませんが海外旅行案内書で紹介されてる名店が一つの目安になると思います。名店ではあるが業界3位以下だとあまり紹介されないことはあり得る。そういったお店で楽しく過ごすのも自由です。
海外では日本の法律が通用しません。日本国内で外国人が経営してる飲食店で嫌な思いをした経験がある日本人も多いとは思われますがそれと似たようなものです。日本人が経営していても高値をふっかけられて嫌な思いをした人もおられるかな?
チップは良いお店で良い接客をしてくれたならば、支払った方が良いとされてます。それについては各自で訪問したい国があればその町を紹介してる海外旅行案内書を読んで考えてください。世話してくれた人がいたら、握手の時にそれとなく小銭を渡すと喜ばれます。
不条理な高値の請求については反対や否定をするのはやむを得ないにしても、チップはしないよりもした方が良い国や地域は存在してます。店側が客に対して無許可でチップの料金を増額した上でカードの請求金額が多額になってるか否かについては各自で管理してください。カードでの支払いの時にチップの料金を選べるお店もあるので慎重に選ぶようにしましょう。
為替差損は別としてもホテルのデポジットが返金されないよりも全額返金される宿泊を利用者には求められてます。
ひらがなを読むのが難しいと考える中国人は多いらしいですが一部の中国の大学教育の水準は低くないそうです。
夜間に照明があるかないかで大違いですよね。大通りや繁華街では明るくても郊外に赴くと周囲が真っ暗になったりといった経験を私もしたことがあります。
海外の町の土地勘が出来たのは無形の財産ですね。






管理人 マーキュリーマーク
 

 回顧を兼ねた書評
 僕の初海外旅行は26歳の時のインドだった。
 当時往復チケットは年末料金だったので30万した(泣)。
 行く前は椎名誠の「わしもインドで考えた」を熟読。
 インドでは尻の毛まで抜かれるほどぼったくられ、下痢と発熱で散々だったけど、
 それからはリーマンパッカーとして主にアジアをふらふら。
 アフリカは遠すぎて行けなかった。新婚旅行もバックパックでバンコクと香港へ。
 香港では雑居房のチョンキンマンションで二泊し、妻はぐったりしていた。
 バンコクでは安宿と高級ホテルと泊まり歩き、マリオットのプールで
 溺死しそうになったのは今ではいい思い出だ(嘘)。
 旅も好きだが、旅行記も好きだ。
 この本は主にアフリカ旅行のエッセイだが、面白い。
 何よりも文章がうまい。
 奥さんとのなりそめを綴った「追いかけてバルセロナ」なんか疾走感があり、
 一気に読め、感動的でさえある。
 朝の通勤の地下鉄で読んでたけど、日本にいながら気持ちはバックパッカー。
 旅の本もいいけど、また出かけたいなあ。