平成30年12月にフェイスブックで投稿された内容の転載

出てこいよー


そんなにいらないよ


三島由紀夫は俺の遠い親戚なんだよね、実は」と嘯く三島さん(48)なのだが、三島由紀夫ペンネームなのを知らなかったのが致命傷なのだった。


そうなんですよね、平岡公威が本名でしたね。


え"


いつ食べたらいいのか


擬態


私「来年はいのしし歳やねえ」

T君「え、もう決まったんですか」


ドリアン長野
「ヘィ!誰が決めるんですか?」😂😂😂😂
ドリアン長野 干支審議委員会です

そうなんや!勉強になった

毎年、次の干支が何なのか楽しみなT君。

ドリアン長野 人間万事塞翁が馬。何が幸せか不幸せなのかわかりません。

猫さんは、いつ回ってくるのか

ドリアン長野 審議委員会の決定次第です。

明治、大正、昭和、平成、猪

ドリアン長野 わはははは〜、なるほど

僕も来年はイノシシ年になろうかなー

🐗生まれ何ですか?我が家はダーリンが🐰でわたしが🐑です。


これも余談ですが、友人から「ライト兄弟って何人?」というメールが来て、二人に決まってるやろ!と思ったんですが、いや待てよと考え、「アメリカ人」と返信しました。(・・;)

黒い…かな


なんか違う


菊池怒りの大特価💢


遠いわ


西郷どん」の史実とは異なる最終シーンは賛否あるだろうが、西南戦争の折、夜中の匍匐前進中、西郷が「夜這いごつあるな」と言って、絶望的状況の兵士たちを笑わせたというエピソードを思い出した。

西郷どん」では熊吉が素朴で愛嬌のある人物として登場したが、実際に西郷家の下僕(とか下女という呼び名は現代では使えないし、意味もわからなくなってしまっているだろう)である永田熊吉西南戦争で右脚を狙撃されて膝下を切断した西郷菊次郎を背負って従道の元に投降している。甥の投降を従道は喜び、熊吉に礼を言った。
1900年12月25日に65歳で亡くなった熊吉のことを従道は家族同様、兄として慕っており、その死には落胆し涙を流したという。


勇者御一行様


ぼしょう


生きているうちに、とりあえず、やってみよう


一気飲み


「ごめん、チコちゃん始まるから行くわ」



地下鉄にて その1

「うちの息子、この前運動場で遊んでて、ブランコにでこちんぶつけて血い出してん」

「へえー、ボーイッシュな男の子やなあ」

その2

「あんたの孫かわいいなあ」
「そりゃ私のGNP受け継いでるもん」
「あはははは、ほんまやなあ」


警備員が押相撲してた^_^


そろった


おおおおおおおおでん


映画『ボヘミアン・ラプソディ』日本オリジナル予告編解禁!


(管理人マーキュリーマークからの伝言 音楽方面というよりも映画なので特別に転載します)

深過ぎる…


ノンアルコールビールを飲んでも酔うことはない。


暑い日の鍋焼きうどんは汗が出る。
 

 回顧を兼ねた書評
 僕の初海外旅行は26歳の時のインドだった。
 当時往復チケットは年末料金だったので30万した(泣)。
 行く前は椎名誠の「わしもインドで考えた」を熟読。
 インドでは尻の毛まで抜かれるほどぼったくられ、下痢と発熱で散々だったけど、
 それからはリーマンパッカーとして主にアジアをふらふら。
 アフリカは遠すぎて行けなかった。新婚旅行もバックパックでバンコクと香港へ。
 香港では雑居房のチョンキンマンションで二泊し、妻はぐったりしていた。
 バンコクでは安宿と高級ホテルと泊まり歩き、マリオットのプールで
 溺死しそうになったのは今ではいい思い出だ(嘘)。
 旅も好きだが、旅行記も好きだ。
 この本は主にアフリカ旅行のエッセイだが、面白い。
 何よりも文章がうまい。
 奥さんとのなりそめを綴った「追いかけてバルセロナ」なんか疾走感があり、
 一気に読め、感動的でさえある。
 朝の通勤の地下鉄で読んでたけど、日本にいながら気持ちはバックパッカー。
 旅の本もいいけど、また出かけたいなあ。