#7 テーメーその2 (リターンズ)再編集版


バンコクのテーメーカフェ前へ

 予算の都合で、いつも泊まる「グレース・ホテル」ではなく、近くにあるソイ1の「ストリート1・ロッジ」に泊まった。それでもツインで550バーツだ。私の感覚では500バーツを超えると立派な高級ホテルだ。しばし、宿泊するかどうか迷う。それでもここはレセプションの兄ちゃんの愛想がいいのでお薦めだ。ホテルに戻ってきた時、「あけましておめでとうございます」と言われた。日本人の宿泊客に教わったらしい。「地球の歩き方」に載っているので日本人が多いらしい。まっ、私もそれを読んで泊まったんだけど。
ホテルの近くの歩道橋のたもとにゴミ捨て場があるんだけど、その隣にホームレスが座って、物乞いをしてるわけさ。もう、よく見ないとゴミだか人だか分からないって感じ。そこへアラブ人のオジさんが通りがかりに「ライス、ライス」と言いながら、紙袋を置いていった。私はちょっと感動したね。いいことをしてやる、って態度じゃなくて、ごく自然な感じだったもんね。なるほどっ、それがイスラム教のいう、喜捨ってやつだなっ!アラブ人にもいい人はいるんだなとシミジミ.....。言っとくけどな、これって偏見ちゃうぞ。グレースにいるアラブ人を見てると、みんな悪人に見えてくるんじゃ~い。(顔も暑苦しいしな) それが偏見だと言われると返す言葉もないがな。とにかく心暖まる、いい話しだ。うん、うん.....。って、今回はそういう話じゃな~いっ! 性懲りもなく、テーメーネタ第二弾だっ! 全然、心暖まらないぞ。当たり前だがな。
テーメーに入ると、私は空いている席を探してカウンターに座った。横を見ると、黒ずくめのおばあさんが座っている(注:バンコクでは、その方面の職業婦人の方の服装は黒です)。
う~ん、この人はまさか.....。いぶかし気に見ていると、彼女が話しかけてきた。 「あんた、どこから来たんだい?」 「日本です」 「日本人かい。それなら、ほら、あそこに座っているスズキはもう何年も前からずっと、ここに通っているよ」 
我々のななめ後ろのソファーには、何人もの娼婦を侍らせた、スズキと呼ばれた男が座っていた。常連か。スズキ、エイズで死ぬなよ。 
「あたしはスージーだ」 すっ、すうじい~? 「客はとらないよ。客のくれるチップで生活してるのさ」 なるほど、納得。で、失礼ながらお年を聞いてみたが、「あんた、そんなこと、こんな場所で聞くもんじゃないよ」と一蹴されてしまった。すんまそん。だが、おそらく70代であろう。スージーはテーメーの最長老であり、娼婦からはママと慕われ、頼りにされるボス的存在であった。スージー、あんたに出会えて光栄だ。私は思わず名刺を渡してしまったくらいだ。スージーは顔見知りの白人がやって来ると急いで駆け寄り、話しかけたり、ビールの注文を取ってきたりしていた。酔っぱらって大声でしゃべる客の相手もしていた。スージー、生きていくってのは大変だなぁ。やがて、女の子が隣に座り、笑いかけてきた。  
「私、クンっていうの。アユタヤから来たの」 すかさずスージーが口を挟む。 「その娘はグッドだよ。ベリー・グッドだ」 あんたは商品の売り込みまですんのか? これ以上、長居しているとむりやり売りつけられそうだったので、そそくさと退散した。それにしても、私もいつかスズキみたいに言われてみたいもんだ。 「あの日本人、常連だよ。テーメーじゃあ、知らない者はいないね。初めて会ったのはあたしが70の頃だったね」ってな。それまでスージー、長生きしろよっ。なんだかんだ言っても結局、最後は心暖まる話になっちゃったな。(なわけねーだろっ!)   テーメー・カフェにて

 管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項
 本当に適当にやっているような? もう少し、ホテルの特徴を知りたい所ですね。 平成20年代に、タイランドで発生している社会問題が表面化する以前のお話ですので、その辺りはご勘案下さい。タイランドでは軍事クーデターが平成26年五月22日にも発生しました。 この頃は、タイランド旅行は行えないと考えている人々は多いでしょうね。 やはり、内戦状態にあるようなものですし、在外邦人も辛い思いをされています。 
エイズだけが怖いのではなくてエイズと一緒に感染する病気が人を死去に至らしめるとお考えください。 血液製剤等での感染は別口で同情するとしても、エイズ感染に至る迄悪事を継続した後の治療は馬鹿げた希望が一切通用しない。 世の中には、発言と行動が一致しないばかりか、責められるのを恐れて情報を意図的に隠蔽する人がいる。 不誠実かつ不謹慎ですね。 だが、血液検査はウソをつかないばかりか巧妙な言い逃れは行えない。 陽性か陰性かは、明確です。
最後にお伝えするが、あまりにも危ない提案には、退散が正しい選択であったりもします。 厄介なのは、提案してきた人間が悪いと考えていない独善的な部分です。
しかし、金をケチったようで実はそうでない海外旅行記のようにも感じられます。
タイランドのアユタヤという町でカシオの時計が製造されて日本でも多数販売されてると言われてます。
地球の歩き方の存在は大きく、良書で私もブリティッシュコロンビア州へ赴いた時には参考にしました。ただ、可能であれば複数の海外旅行案内書を読んでおけば良かったとも考えてます。理由は地球の歩き方で紹介されていないお店が他社の海外旅行案内書では紹介されてることもあったし、実際にその町に赴くと海外旅行案内書では紹介されていないが、地元では有名な良いお店が営業してるからです。いわゆる予想外だったということです。
海外のホテルの料金は平成20年代になって過激な競争が始まった結果、過去よりも混乱し混在してます。どこかの誰かが宿泊したホテルの一泊の料金はあえて発表はしません。実際の所、往復の航空券と宿泊費と空港からホテルの間の送迎バス等を含めたフリープランの価格だったので一泊の宿泊費のみの計算が難しいのが理由です。
それにそのホテルの部屋の種類によって値段が違うんです。某ホテル予約サイトで紹介されてる私が宿泊してきたホテルの宿泊費ですが、部屋の内容によっては一泊9万円以上と提案されてます。だが、私が選んだ海外旅行代理店が契約をしてるそのホテルの部屋の宿泊費は一泊9万円ではなかったとだけは言えます。地元にいる時に国の内外を問わずホテルの予約をしておけばある程度は安心だと思います。現地に到着してからホテルを探すようなことを私は推奨しません。
 一説によると、一部の金持ちがホテル全体を借り切った前例はあるそうです。ホテルは選べてもホテルにやってくる他の人は基本的に選べませんから良いホテルと言われていても実際にはフザケタ日本人がやってきて困るかもしれません。抗議したけども寝る前に議論を私の部屋の扉の前でやらかしたり、冷やかしたがホテルの受付の前で私に対して罵る(あえてこの表現)じゅう信房子みたいな日本人の老女がいたりと大変でした。

冒頭の動画はドリアン長野並びに私(マーキュリーマーク)が撮影したものではなく、参考の為の転載です。




 

 回顧を兼ねた書評
 僕の初海外旅行は26歳の時のインドだった。
 当時往復チケットは年末料金だったので30万した(泣)。
 行く前は椎名誠の「わしもインドで考えた」を熟読。
 インドでは尻の毛まで抜かれるほどぼったくられ、下痢と発熱で散々だったけど、
 それからはリーマンパッカーとして主にアジアをふらふら。
 アフリカは遠すぎて行けなかった。新婚旅行もバックパックでバンコクと香港へ。
 香港では雑居房のチョンキンマンションで二泊し、妻はぐったりしていた。
 バンコクでは安宿と高級ホテルと泊まり歩き、マリオットのプールで
 溺死しそうになったのは今ではいい思い出だ(嘘)。
 旅も好きだが、旅行記も好きだ。
 この本は主にアフリカ旅行のエッセイだが、面白い。
 何よりも文章がうまい。
 奥さんとのなりそめを綴った「追いかけてバルセロナ」なんか疾走感があり、
 一気に読め、感動的でさえある。
 朝の通勤の地下鉄で読んでたけど、日本にいながら気持ちはバックパッカー。
 旅の本もいいけど、また出かけたいなあ。