米国・ロサンゼルス並びにメキシコ・ティフアナ旅行記

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#41 続々ロサンゼルス編(リターンズ)並びに#37と#38と#39と#40について御連絡


 管理人のマーキュリーマークです。まず、始めに皆様にお詫び申し上げます。平成19年の夏に風邪で体調不良であった私は幾つか(#37、#38、#39と#40)のバックアップが行えませんでした。実はこの当時、簡単ホームページというものが存在していたのですがgoo側の都合で廃止されました。簡単ホームページ上の内容はgooブログへのバックアップを自発的にしないといけなかったのです。新規投稿の文字数制限が存在するので何度も事実上、gooブログ側から否定されながらバックアップをしていました。従いまして幾つか欠番が発生しております。繰り返すようですがその点については皆様に対して大変申し訳なく思っています。ドリアン長野は簡単ホームページが存在した平成10年代の末期に自発的に再編集した海外旅行記を発表してました。 
平成16年3月にNO41で発表した後、およそ二年半を経過した平成18年9月にNO113で再編集したロサンゼルス旅行記を発表してます。皮肉ながらドリアン長野が行った英断によって一つの海外旅行記が失われなかったと考えるべきだと思います。これらの状況を理解した上で以下の海外旅行記をお読みいただければ幸いです。
紹介した幾つかの動画はドリアン長野並びに私(マーキュリーマーク)が撮影したものではなく、参考の為の転載です。





米国・ロサンゼルス並びにメキシコ・ティフアナ旅行記 (リターンズ2.0)
NO41 続々ロサンゼルス編
at 2004 03/04 00:14 編集

目を覚まし、海辺に面した部屋のカーテンを引く。陽はすでに高い。白い波頭の間にサーファーたちが見え隠れする。今日も暑くなりそうだ。ロサンゼルスには四種類の人間しかいない。ハリウッドスターと観光客とメキシカンとホームレスだ。モールに入ってみると何だか気が滅入る。モールってやつは世界中どこでもそうなんだろうが、画一的で面白味に欠ける。オープンシステムになっているファーストフード・レストランは家族連れで一杯だ。誰もがハンバーガーかピザかフライドチキンを頬張っている。なんだかなあ~。ロサンゼルスに滞在して分かったことがある。その壱、食事をハンバーガーとコーラなんかで済ませる人が結構多い。それゆえ、デブはハンパじゃなくデブだ。デブの中のデブ、デビーだ。人間というよりは肉の塊、ミートだ。その弐、タトゥーをしている人が多いが、やつらはそれを見せびらかすために常にノースリーブのTシャツだ。ごくろうさんだ。ためになった。これだけアメリカを学んだら充分だ。今晩荷物をまとめて日本に帰ろう。
「メキシコに行かない?」朝食後、ジョイスが言った。「え”?メキシコに行けるの?」「もちろん、行けるわよ。アメリカからメキシコにはフリーパス。帰るときはIDがいるけど」
メキシコといえばテキーラにサボテンにタコスしか思い浮かばんが、なんだかムーチョなところに違いあるまい。
「行く、行く、連れてって。これからすぐに旅立ちましょう。早く支度して、急いで急いで」「くっ、苦しい~。そんなに揺さぶらないで。てっ、手を離してちょうだい。年寄りを殺すと天国に行けないわよっ!」
というわけで、我々はバスを乗り継ぎ、トラムに乗り、何時間もかけて国境のティフアナに到着した。国境越えするにはらせん状の歩道を歩かなければならないが、そこにはすでに幼子を抱えた母親か何人か物乞いをしていた。目の前の丘にはトタン屋根の粗末な家が斜面にも隙間なく建っている。いきなり劇的に景色が変わった。その参、アメリカとメキシコの国境は世界一残酷な国境だ。「GODを求める人たちがアメリカに行き、GOLDを求める人たちがメキシコに行った。たった一字の違いだが、それが現在の貧富の差となった」という石川 好の本で読んだ言葉を思い出した。もちろん、そんな単純なことではなく、ピルグリム・ファーザーたちも崇高な目的ばかりじゃなかったらしいけど。街を歩くと、その身なりで地元の人間と観光客がはっきりと分かる。前を歩いていたフリルの付いた服を着たアメリカ人少女と、裸足でぼろぼろの服を纏った同じ位の年嵩のメキシコ人少女が偶然にもツーショットになった。「しめた、これを撮ればピュリッツァー賞、間違いなし」とカメラを探しているうちにどこかに行ってしまった。あ”あ”、おれって!
「人生はお金がすべてではないけれど、無いと不便。あったほうが便利だなあ」(相田みつを
みつを、なに当たり前のことをもっともらしく言ってんだあ! おいちゃんはなあ、ホントはこんなこと言いたくなかったんやけど、最後に言わしちくれ、「ロスに来たのは、とんだ時間のロスだったあああぁぁぁぁ~~っ..................................................................................................。」

 管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項
 ドリアン長野が独身時代の海外旅行記を執筆した実質的な最終回でした。実際にはドリアン長野が再編集したから微妙かもしれません。半ば周知されてるが結婚後の海外旅行記も存在してます。(夏が来れば思い出す)ドリアン長野は米国旅行記とメキシコ旅行記の両者を同時に発表しました。東海岸を代表する都市がニューヨークで西海岸を代表するのがロサンゼルスです。
 日本であっても確かに偏食をする人は多いようですが海外の偏食はもっと徹底しているようです。米国においては営業していても日本では営業してない巨大ファーストフード店は多いです。日本ばかりか外国でも有名、日本だけで有名、海外のみで有名、過去に営業してたが現在は閉店したお店の4種類に分割されますかね?昨今、アパレルに限ってはオンラインショッピングが存在してるから複雑な思いです。海外ばかりか日本へ配達(販売)してる企業は存在します。
 ただ、平成29年になって日本進出を果たしてる企業は多くなってきました。外国人は大柄な人が多いです。女性であっても日本人男性よりも大きい事が多いし特徴が並では無く、身長が180cm以上で体重が100kg以上で口ひげが4cm以上のどれかに該当すると驚きます。
 ショッピングモール(商業施設)ですが、通販(オンラインショッピング)や健康の事を考え自炊する消費者が増えたからか平成10年代と違って平成20年代は人気がある商業施設も営業してるそうですが廃墟のように衰退した商業施設が激増したそうです。従って、ドリアン長野が行ってきたショッピングモールが現存してるかどうかは不明です。日本のシャッター商店街と状況が似通ってます。無論、人によったら「生活必需品を買いにお店に行ってるから品切れは困るしある程度の画一的な部分は必要。」と考えられるかもしれません。
 有名なお話ですが米国とメキシコの国境の行き来は過去においては米国からメキシコは自由でメキシコから米国は厳しいそうです。内政干渉する気持ちは全くありませんが、平成29年1月から始まったトランプ政権は今までよりも国境の行き来を厳しくするそうです。将来、どうなるかは全く不明です。詳細は各自でお調べください。
 私がブリティッシュコロンビア州バンクーバーに行った時(平成27年10月)はカナダから米国には行きませんでした。言い換えると、ブリティッシュコロンビア州に隣接してるアラスカ州ばかりかワシントン州には行きませんでした。
三者の意見は存じ上げませんが、私は米国へのあこがれが過去よりも半減したばかりかブリティッシュコロンビア州のトランスリンクの沿線だけでも十分に楽しめたからです。皆様、トランスリンクのスカイトレインは阪急のような鉄道だと考えてください。
 地球上、どこであってもシャッターチャンスは短い時間のようです。ただ、今となってはインターネット上で多くの画像が発表されているから仮に撮影が成功していても全然珍しくないかもしれません。ドリアン長野が海外旅行で撮影された画像ですが過去のデータが失われている状態なので発表はほとんど不可能です。
 ピルグリム・ファーザーズとは、アメリカに渡ったイギリスの清教徒ピューリタン)で「Pilgrims」は「巡礼始祖」の意味です。単純に笑える海外旅行記も発表してますが、一方で「今回のように人生って厳しい。」と再認識する海外旅行記でした。以下は、ドリアン長野がロサンゼルス旅行記を発表した後でドリアン長野自身が再編集をしたロサンゼルス旅行記です。お楽しみください。

紹介した幾つかの動画はドリアン長野並びに私(マーキュリーマーク)が撮影したものではなく、参考の為の転載です。











NO 113 ロサンゼルス編

at 2006 09/21 21:26 編集

のっけから何だが、私はロサンゼルスが嫌いだ。それはなにも私が九時間以上も飛行機に乗ってやっと到着した空港をボ~ッと歩いていたら二人組のイラン人にアムネスティに寄付をしてくれと孤児の写真を見せられ大勢の日本人から寄付をいただいている一人最低100ドルからだと言われ何で寄付するのに最低額があるんだと思いつつもそのくらいならいいかと寄付をして空港を出た時分に100ドルいうたら一万円以上やんけとやっと気づき自分のマヌケさに地団太を踏んだからではない。
ロサンゼルスの空はどこまでも真っ青のブルースカイだ。まるで貧血の病人のように青い。私はそれに向かって「バカヤロー」と叫びたかったね。ウッディ・アレンアカデミー賞受賞式に招待された時もいつものようにニューヨークの「マイケルズ・パブ」でクラリネットを吹いていたそうだ。「僕にはロサンゼルスの空は眩しすぎる」とほざいたそうだが、ウッディ、いや、ウッちゃん、私はあんたの気持ちがよく分かるぞ。ここで一句、「旅人は 悲しからずや 空の青 ロスの青にも 染まず漂ふ」
何言ってんだ、インドやタイやカンボジアの空だって充分青いじゃねーかとぬかすヤローがいるかもしれんが、チッチッチッ、だからトーシローは困るってんだよ。ロスの空はいわば、場末の落魄した娼婦が客をとろうと必死になって厚化粧しているようなもんだ。不健康で退廃的で侘びしくて物悲しいんだよ。なーにがカリホルニアドリーミングだあっ。100ドル返せーっ、ちくしょー!
ダウンタウンを歩いていると聞こえてくるのはスペイン語ばかり。映画館でアメリカ映画を観てもスペイン語の字幕付きだ。夜になると商店は早々と閉めてしまい、歩いているのはホームレスだけ。ハリウッドもビバリーヒルズもロデオドライブもちっとも面白くない。リトル東京で「ヤオハン」の場所を尋ねた日系の老人には、「夜は独りで歩かないほうがいい。巡査は外国人に偏見を持っているからな」と忠告された。ステーキハウスでステーキを注文したら、付け合わせのマッシュポテトが山のように出てきた。これだけでもう満腹だ。ふうふう言いながら何とか食べ終わると、ウエイターが「食後にアイスクリームはどうだい?」と聞いてくる。「冗談言うなよ、マイケル。これ以上食べたらゲロしたステーキがサンタモニカまで飛んでっちまうぜ」と私は肩をすくめる(ふっ、オレもアメリカン・ジョークがうまくなったもんだぜ)。
ああ、ロサンゼルス! めしはまずいし、歩くのにはただっ広いし、面白い所もない。私は台湾系アメリカ人、ナンシーおばさんの経営するモーテル、「City center motel」に宿泊しながら悶々としていた。どこか面白そうな場所はないもんだろうか。うーんとお~.......。あっ、そうだ! そう言えばサウス・セントラルがあった。ニューヨークのサウス・ブロンクスと並び称される、泣く子も黙るその地区は犯罪の温床となっており、殺人事件は日常茶飯事でヘイト・クライムという人種偏見による犯罪も起きていると本で読んだことがある。何だか想像するだけでケツのあたりがムズムズしてくる。しかし、日本人がのこのこ出かけていっても身ぐるみ剥がされて射殺されるのがオチだ。ここはひとつ、奮発してタクシーをチャーターして連れてってもらおう。モーテルのロビーでいつもうだうだとたむろってるメキシコ人に頼めば大丈夫だろう。善は急げ(?)とさっそく彼らに聞いてみる。しか~し、 
「へっ、サウス・セントラルだと? サルがケツから飛び出すぜ」「俺はまだ死にたくねえよ」「あそこは観光地じゃないぜ。ディズニーランドなら連れていってやってもいいけどな」 
けっ! メキシコ野郎はどいつもこいつもチキンばかりだぜ。とっととメキシコに帰りやがれ! (われながら知らないちゅうことはごっつう恐ろしかことですたい。皆さん、生半可な知識は身を滅ぼします、注意しましょう。嗚呼、無知の涙
メトロのブルーラインに乗ればサウス・セントラル地区まで行くことができるのだが、私もそこまで無謀ではない。残念だが、そこに行くのはあきらめた。口惜しや。その時、天啓のように私の脳裏に閃く地名があった。そうだ、「ワッツ」だ。ワッツは黒人暴動が起こった場所として記憶に刻み込まれていた。今度はそこに行きたいと頼んでみると、一人のメキシコ人が行ったことがあると言う。35ドルでタクシーを手配してやると言うのでOKする。何でわざわざ好き好んでそんな危険な場所に行きたがるんだと疑問に思う人もいるだろう。貧しい人々や危険な地域を見学するような非常識な行為はやめようという良識派の意見は百も承知だ。しかし、私の好奇心はどうしてもそういった方面に向けられてしまう。
やって来たタクシー・ドライバーはエルサルバドルからアメリカに来て三年目のフィデルという青年で、英語がほとんど分からない。私のスペイン語は大学の第二外国語で習っただけで、補習を受けてやっと可を頂いたという代物だ。自慢じゃないがしゃべれる構文は「私の父と母はスペイン語が話せます」だけだ(一年生の時にスペイン語を教えてくださった平田先生、その節はご迷惑おかけしました。それから三年の時の補習の大垣先生、以下略)。
我々の意志の疎通は私の極端に少ないスペイン語の語彙(二十単語ほど)と身ぶり手ぶりと勘によって行われた。で、そのワッツだけど、総じて美しい住宅街が続く何の変哲も無い街だった。「Dr・Martin Luther King Shopping Center」というモールを見つけたので、タクシーを降りる。ぶらぶらと歩いている黒人は誰もが穏やかに見える。近くにいた黒人警官に聞いてみると、「暴動のあった場所はこの辺りだが、貧しい黒人の居住区は知らない」のだそうだ。そういえば、暴動が起きたのは1950年か60年代のことだったぞ。あー、何やってんだ、俺は。フィデル、とっとと帰るぞ。お前もアメリカに三年も住んでんのなら、英語くらい勉強しろよな(やつあたりすんなよ)。
夕食はチャイナタウンに食べに行った。今日は大晦日なので閉まっている店がほとんどだ。客のいない小さな食堂で飯を食べていると、警察官が二人食事をしにやって来た。 
「......................................。」
晦日の夕暮れにうら寂しい食堂で警察官と無言でとる食事ほど物悲しいものはないと私は断言する。これで古いラジオから八代亜紀が聞こえてきたら完璧だ。いや、アメリカだからウィリー・ネルソンかトム・ウエイツあたりか。リトル東京では「紅白歌合戦」を衛星放送で観ながら故郷に想いを馳せながら涙する人がいるんだろうか。
ユニオン・ステーションで21時発サンディエゴ行きのアムトラックに乗る。ロンドンで知り合ったジョイスに会うためだ。彼女は元看護婦のおばあさんで、今は離婚してロサンゼルスとサンディエゴの中間ほどにあるオーシャンサイドに独りで住んでいる。降りる駅が近づくと、車掌がやって来て教えてくれた。乗客の一人一人にそうしているみたい。駅にはジョイスが迎えに来てくれていた。彼女のアパートは駅から歩いて五分。目の前は海岸だ。歩きながらジョイスが言う、「ここで『トップ・ガン』の撮影があったのよ」。おお、さすがハリウッドが近いだけはあるじゃないか。
その夜は二人でテレビのNYのカウントダウンの中継を観る。 
「ファイブ、フォー、スリー、ツー、ワン! あけましておめでとうございます」 
「ありがとう、今年のニューイヤーは寂しくなかったわ」 
「今度は是非日本に来てください」
袖振り合うのも他生の縁というジャパンのことわざを思い出す。それから二人は他愛ないことを女子高生のように明け方までくっちゃべり、疲れ果てていつしか倒れ込むように寝入ってしまうのだった。
目を覚まし、海辺に面した部屋のカーテンを引く。陽はすでに高い。白い波頭の間にサーファーたちが見え隠れする。今日も暑くなりそうだ。
ロサンゼルスには四種類の人間しかいない。ハリウッドスターと観光客とメキシカンとホームレスだ。
ロサンゼルスに滞在して分かったこと。その壱、食事をハンバーガーとコーラなんかで済ませる人が結構多い。それゆえ、デブはハンパじゃなくデブだ。デブの中のデブ、デビーだ。人間というよりは肉の塊、ミートだ。その弐、タトゥーをしている人が多いが、やつらはそれを見せびらかすために常にノースリーブのTシャツだ。ごくろうさんだ。ためになった。これだけアメリカを学んだら充分だ。今晩荷物をまとめて日本に帰ろう。
「メキシコに行ってみましょうか?」ブランチの後、ジョイスが言った。
「え”?メキシコに行けるの?」
「もちろん、行けるわよ。アメリカからメキシコにはフリーパス。帰るときはIDがいるけど」
メキシコといえばテキーラにサボテンにタコスしか思い浮かばんが、なんだかムーチョなところに違いあるまい。
「行く、行きましょう、連れてってください。これからすぐに旅立ちましょう。早く支度して、急いで急いで」
「お、落ちついて。そ、そんなに揺さぶらないで!」
というわけで、我々はバスを乗り継ぎ、トラムに乗り、何時間もかけて国境のティフアナに到着した。国境越えするにはらせん状の歩道を歩かなければならないが、そこにはすでに幼子を抱えた母親が何人か物乞いをしていた。目の前の丘にはトタン屋根の粗末な家が斜面にも隙間なく建っている。いきなり劇的に景色が変わった。
その参、アメリカとメキシコの国境は世界一残酷な国境だ。
「GODを求める人たちがアメリカに行き、GOLDを求める人たちがメキシコに行った。たった一字の違いでしかないが、それが現在の貧富の差となった」という石川好の本で読んだ言葉を思い出した。もちろんそんな単純なことではなく、ピルグリム・ファーザーたちも崇高な目的ばかりじゃなかったらしいけど。街を歩くと、その身なりで地元の人間と観光客がはっきりと分かる。前を歩いていたフリルの付いた服を着たアメリカ人少女と、裸足でぼろぼろの服を纏った同じ位の年嵩のメキシコ人少女が偶然にもツーショットになった。
「しめた、これを撮ればピュリッツァー賞なんかもらえるかも」とカメラを探しているうちに彼女たちはどこかに行ってしまった。あ”あ”、おれって!
健康的で眩しすぎる空と海。反面、移民や不法労働者を抱え、犯罪が多発する現代のバビロン。ああ、ロサンゼルス!
「ロスに来たのは、とんだ時間のロスだったあああぁぁぁぁ~
~っ..................................................................................................。」(ごめんなさい)


 管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項
 いきなりですが、ドリアン長野にとって友達と再会が行えた事を除外したら辛い旅行だったようです。半ば常識的なお話ですがロサンゼルスで楽しい海外旅行を過ごしてきた人々も世の中にはおられます。海外旅行案内書を一旦読んでから赴くとその町が楽しめる度合いが高まると思います。可能であれば、複数の海外旅行案内書を読むようにしてください。なぜならば、「名店Aが海外旅行案内書Bでは紹介されてるが、一方で名店Cは海外旅行案内書Dで紹介されてる。」といった具合に各出版社毎に紹介されてる内容が同じ町について執筆されてる書籍でも内容が大きく異なる事があるからです。前もって情報を得ておくと楽しめる度合いが違ってくると思います。ロサンゼルスだったら複数の出版社が海外旅行案内書を売ってるのは半ば周知されてますのであえて紹介は控えておきます。最低でも一冊は購入して前もってお読みください。無論、店の好みは人それぞれなので海外旅行案内書を読むことは退屈する可能性を低下させれるだけで読んだ後でも楽しめなかった人はおられるかもしれません。しかし、読まないよりも読んでから行く事を推奨します。名店が紹介されていても現地に到着したら移転や閉店をしてる可能性もあり得るのでインターネットで可能な限り調べる事も同時に提案します。
そういったことから、フリープランのように往復の航空券とホテル代金と空港からホテルへの送迎バスのみの旅行商品が多く売られてると思います。現地の人に案内してもらうよりも自発的に赴く決断を下す人はいます。
 私はロサンゼルスから北上した場所に存在するバンクーバーに行ってきました。私がブリティッシュコロンビア州に行った時は前もって海外旅行案内書を読んで名店の情報を得たのでそれなりに楽しめました。無論、海外旅行案内書を買う前から知ってたカナダ企業の商品を買いたいとも考えてました。目的地について到着前に把握してる人は多いと思います。喜怒哀楽が混在した海外旅行でした。ちなみにKIXこと関空からバンクーバー国際空港(YVR)へもおよそ9時間以上飛行機に乗りました。辛い長旅でした。実際にはもっと長時間、飛行機に乗り続ける人がいる点は否定しません。
 喜びはとりあえずはカナダ一国だけとは言えども海外旅行をしたこと。これで「海外旅行記の管理人をしてるが海外旅行に行った事が無い人ですね。」と批判されなくなりました。仮に「カナダ一国だけしか、行ってない。」と言われたら「あなたは海外旅行に行った事がございますか?」と質問したいです。恐らくは大半の場合は海外旅行に行った事が無い人であろうな。それはともかく広大な太平洋を越えるのは一苦労でした。公園で黒いリスを見たりバンクーバー水族館で大型水棲生物のラッコ等を見たのも感動でした。何しろ、ワシントン条約の影響で日本の水族館ではラッコを見る事が日本では年々難しくなってます。
 怒りは一切責任を取らずに荒らした人がいました。それは、フェイスブック上で詰問を繰り返し私のブリティッシュコロンビア州旅行中に悪影響を与え荒らした人が最悪でした。誰かに命令されてたか後にゆすりたいと考えてたやもしれません。皆さん、時差ボケ等もあるんですが海外に赴いてる人に詰問をするのは辞めておきましょう。日本とバンクーバーは時差が16時間なので日本での午後11時の食事がバンクーバーでは午前7時の食事だったりします。冬時間(時差17時間)と夏時間(時差16時間)で切り替わるからその点も考慮してください。どうでも良い詰問を繰り返すし安全に関わるから危険で悪質でした。仮に貿易商人に詰問を繰り返すと下手すると偽計業務妨害の責任が負わされます。
 もし、皆様が海外旅行中にフェイスブック(タイムライン)等を通じて詰問してくる人がいたら以下の文章そのままか参考にして連絡した後で冷静にブロックすることを推奨します。
「海外は日本国内と違って、治安が悪く安全に関わるのでそういった質問は控えてください。万が一の事があったらあなたは責任を取ってくれますか?」また、ご友人達にも警戒されるように連絡されることを推奨します。関わって損害を作り出しても得をすることが無い人だからです。
 他にも、ホテルのロビーで私を無意味に罵ってきたアジア系の老女、寝る前(現地時間の午後10時半過ぎ)にホテルの廊下で議論してた日本人観光客等です。現地の人々でも私に迷惑をかけてきた人はいました。朝焼けの写真を撮影してただけで文句を言ってきたホームレスがいて別のホームレスが罵って弁護したから金をくれと言ってきたり、野球帽を搾取しようとしたが私の名前が刺繍されてるのを見て諦めた人もいました。防犯の為に野球帽に刺繍をしてもらうのは有効という考えもあるにはあるようです。
 哀は購入を前向きに考えてた商品(コディアック社のパックブーツ)が品切れであったことです。幾つかの靴屋さんに実際に赴いたし現地企業とも連絡をしたが購入は無理でした。他の会社の類似品を購入したがやむを得ませんでした。カナダであればどこでも配達するといっても品切れでない限りという条件が必要なようです。過去に通販で購入したが取り扱ってた企業が取り扱いを取りやめたからカナダで購入したいと思ってましたが不可能でした。
 楽しめたのは食事でした。中にはそんなにおいしくない食品もございましたが、おいしい食事が行えた時の方が回数的には多かったから食事は楽しめました。タコス、ピザそしてシーフードもおいしかったです。最も強調しないといけないの事柄は、教会で楽しい時を過ごすことが行えて私は幸せでした。

 平成十年代にはドリアン長野が管理人となって海外旅行記をgoo簡単ホームページ上で海外旅行記を発表してました。
 繰り返しになりますし、前述しましたが平成19年の夏に風邪で体調不良であった私は幾つかのバックアップが行えませんでした。この当時(平成10年代)、簡単ホームページというものが存在していたのですが、goo側の都合で廃止されました。簡単ホームページ上の内容はgooブログへのバックアップを自発的にしないといけなかったのです。新規投稿の文字数制限が存在するので何度も事実上、gooブログ側から否定されながらバックアップをしていました。従いまして幾つか欠番が発生しておりましたが、ドリアン長野が平成16年にロサンゼルス編を掲載した後、平成18年に再編集をした上で再掲載していたので及第点が取れてる状態になってます。野球で例えると、まるで、最終回に逆転ホームランを打ったかのようです。

 寄付金ですが支払先を選ぶ必要はあっても第三者から強要される事は無いと思います。受け取る人が相手側が支払って当然と考えてる人がいて大変困る事がございます。しかも、性格が悪かったら本当に関われないし法治国家であることに喜びを感じます。なぜならば、強要とはした方ではなくてされた方が判断するものだからです。海外ではカード社会と聞いていたから現地通貨をほとんど持たずに行く人も多いかもしれませんね。この行動(決断)があやしい団体に寄付をしない方法かどうかについては各自でお考え下さい。日本に損害を与えかねない国家は存在し第三国を経由するかもしれません。現地通貨を持ってるから(以下略)。
実際には日本国内である程度は現地通貨というか外貨を保有(両替)してから海外に赴く方が得ではあります。言うまでもなく良い支払先もございます。現地で両替をする時間を削減出来る利点はございます。海外のATMでカード絡みの問題が発生して困った人がおられるらしいが日本国内ではそういった問題は少ないですからね。ご存知でしょうが、日本国内の空港から自宅への交通費はちゃんと用意しておきましょう。(往復料金)
万が一の事が無い限り、円滑に帰宅する為に必要な行動です。
 実は、私でもないしドリアン長野ではない別人が体験されたのですが、海外で犯罪者に襲われ大けがをして辛い思いをしながら帰国されたお話を知り合いから聞いて驚いた事がございました。現在は回復されたので良かったと私は思ってます。
 私が行ってきたバンクーバーでは英語を母国語としてる人が多いのですが聞こえてくる言葉は、英語、フランス語、スペイン語(メキシコの影響?)そして、日本人観光客が話す日本語でした。人数の違いもあってかフランス語を話す人がカナダのケベック州に多いとは言えどもやはり、スペイン語の話者も多いようです。アメリカのドラマでも北部のミシガン州を舞台にしたお話はフランス語を話す人が出演してたが南部のニューメキシコ州を舞台にしたお話ではスペイン語を話す人が出演してました。カナダでフランス語を話せる人は相手を選んでるようです。そうでないと、会話が成立しませんからね。実際に海外に行くのであれば多少は外国語が話せるようになっておいた方が良いです。そうでないと、困る事になると思います。私はあいさつ程度ですがそれなりにカナダで何とか困らない程度に英語を話してきました。

 米国のレストランの食事の数量が多いのは大食漢が多いばかりか意図的に持ち帰りを前提に調理してるといった文化の違いもあるようです。米国人はやはり、大柄な人が多いです。見慣れてる事もございますが日本人女性と並んで写真撮影をすると大きさの違いを再認識します。無論、単純に大きくて驚くこともございます。身長が180cm以上で体重が100kg以上で女性であっても口ひげが4cm以上で驚くことはございます。ちなみにNRAは全米レストラン協会として有名です。私は日本国内を除外するとカナダで食事をした程度ですが大盛りの飲食店は行かなかったです。事実上の例外はホテルの朝食が食べ放題であったからそれが、大盛りになるかな?16時間の時差の都合で日本時間で午後11時の食事をカナダのバンクーバーで午前7時に行うようなものでした。金額も夕食並で28カナダドル(以下C$と略す)でした。ちょっとした笑い話ですが、あるパン屋で一個C$2.85で販売されてると言われてるクロワッサンを10個食べるのとホテルの朝食食べ放題でC$28支払うのとどっちがお得でしょうか?
 タクシーでさえも移動を嫌がる町が米国には存在してるそうです。皆様も万が一、海外旅行をされる時には情報を前もって調べた上で赴いてください。私はブリティッシュコロンビア州に行く前にカナダ西部についての海外旅行案内書を読んである程度の情報を得た後で赴きました。従って観光地の情報だけでなく治安が悪い町についても情報を得る事が出来ました。現地の在外邦人もその町の中で治安が悪いがゆえに否定的な町は存在しました。
個人的な提案ですが、海外において治安が悪い町に意図して行く事を私は推奨しません。海外で治安が良いと言われてた町でさえも日本人が殺害された前例が存在するからです。その町に行って楽しめるかどうかは意図して危険な行動を取らないようにする事や観光地並びに海外の名店に赴けたかどうかも関わってくると思います。

 皆様にも一人位は海外在住の外国人に友達がいると思います。友人と再会が行えるということは良い事ですね。私は開拓のつもりでカナダに行ってきました。そして、現地のカナダ人ばかりか在外邦人と友人になれて嬉しかったです。

 米国のロサンゼルス旅行記とメキシコのティフアナ旅行記が混在した内容です。半ば周知されてますが、海外旅行に行った回数と訪問した国の数が違う人は多いです。なぜならば、今回のように一旦、米国に行ってからメキシコに行くと一回の海外旅行で二か国、訪問したことになるからです。ある意味、4種類です。

タイプA
海外旅行へ行った回数と行った国の数が同一。
ひょっとしたらですが「一か国に一回だけ海外旅行に行きましたのでそれで十分。」と考える人はおられると思います。 マーキュリーマークの海外旅行記 カナダ ブリティッシュコロンビア州編 Canada BC

タイプB
海外旅行へ行った回数よりも行った国の数の方が多い人。
一回の旅行で二か国以上行く人はおられます。今回の海外旅行記もそうです。目的地に行くにしても日本からの直行便が無いからそういった選択をする人も多いようで、複数の空港を利用することは仕方ないようです。そればかりか陸路で国境を超える人もおられます。
ドリアン長野は本当に香港に行ってます。周知されてるが英国統治時代ばかりか中国返還後にも香港旅行を楽しんでます。日本から香港(英国統治時代ばかりか中国返還後)だけ行った人は二か国に行った事になるのかな?
ドリアン長野は何度も海外旅行に行ってます。そして、同じ国でも別の町に行って楽しんでおられました。(一応)

タイプC
海外旅行に行った回数は複数回だが行った回数よりも行った国の数が少ない人。
日本国内の国際空港から利用出来る直行便を利用して同じ国へ何度も行く人もおられるようです。
ただ、例外的かもしれませんが、カナダのように広大な国であれば町毎に雰囲気が全然違うと思います。私が行ったのはブリティッシュコロンビア州のみですが、それでもその州内の町の雰囲気は大きく違いました。
ドリアン長野は今回のようにアメリカの西海岸のカリフォルニア州ばかりか、中西部のミシガン州東海岸ニューヨーク州ニュージャージー州に行ってます。中国の北京ばかりか上海にも行ってます。

タイプD
過去に一度も海外旅行をした事が無い人。
これから予定を作って海外旅行に行ってはどうでしょうか?色々な事情があるとは思いますし、躊躇されるのも否定しませんし、影響を与える事は出来ますが、責任はとれませんので熟慮の上でご決断下さい。
 一度でも海外旅行に行くと大きく考えが変わります。

 ロサンゼルスで有名な米国のカリフォルニア州ティフアナで有名なメキシコのバハ・カリフォルニア・ノルテ州は隣接してます。サンディエゴはメキシコから近い米国の町として知られてます。色々な事情からメキシコへ赴く米国人は多いそうですがトランプ政権がこれから国境間の移動について厳しく制限すると言われてます。



紹介した動画はドリアン長野並びに私(マーキュリーマーク)が撮影したものではなく、参考の為の転載です。

ダイムラークライスラーが存在してた平成10年代には簡単に行えた米国からメキシコの陸路による移動ですが、これからは行えなくなりそうです。トランプ米大統領はメキシコと米国との間に壁を作る事を決めました。平成十年代と平成二十年代は本当に違うなと再認識します。
ドリアン長野の海外旅行記はほぼ全て2010年以前のお話ですので参考程度にしてもらっても構いませんが、模倣は推奨しかねます。何しろ、記憶を頼りに作られた記録ですので私でさえも解釈が難しい時があるんです。

誤解の無いように明確化しますがドリアン長野が平成25年に発表された新婚旅行を兼ねたタイランド旅行記の「夏が来れば思い出す。」ですが、平成22年(2010年)以前に行われ、平成25年(2013年)に発表されたが未完の大作です。完成させることについては平成29年の7月に再会した時に依頼したし前向きな返答はあったが、結局は否定されてます。 発表した時期と行った時期が数年違う海外旅行記が存在すると考えてもらいたい。良い意味で懐古なんです。 
 繰り返すようですが、参考程度の解釈で構いませんが、メキシコから米国への陸路での移動は将来的には行えそうにない行動が含まれてる海外旅行記だという点については否定しません。過去は行えたが今後は不可能なようです。
敬具 管理人 マーキュリーマーク






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上記はカナダのチポトレのタコス。
両者共においしかったです。
参考にしてください。
下記は大阪市内のメキシコ料理店のタコス。

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オマケ
平成18年には成田空港からティフアナへの直行便が存在したらしくこの旅行記を読まれた方の中には、日本からの直行便を利用した上でティフアナへ訪問されたかもしれませんね。

 

 回顧を兼ねた書評
 僕の初海外旅行は26歳の時のインドだった。
 当時往復チケットは年末料金だったので30万した(泣)。
 行く前は椎名誠の「わしもインドで考えた」を熟読。
 インドでは尻の毛まで抜かれるほどぼったくられ、下痢と発熱で散々だったけど、
 それからはリーマンパッカーとして主にアジアをふらふら。
 アフリカは遠すぎて行けなかった。新婚旅行もバックパックでバンコクと香港へ。
 香港では雑居房のチョンキンマンションで二泊し、妻はぐったりしていた。
 バンコクでは安宿と高級ホテルと泊まり歩き、マリオットのプールで
 溺死しそうになったのは今ではいい思い出だ(嘘)。
 旅も好きだが、旅行記も好きだ。
 この本は主にアフリカ旅行のエッセイだが、面白い。
 何よりも文章がうまい。
 奥さんとのなりそめを綴った「追いかけてバルセロナ」なんか疾走感があり、
 一気に読め、感動的でさえある。
 朝の通勤の地下鉄で読んでたけど、日本にいながら気持ちはバックパッカー。
 旅の本もいいけど、また出かけたいなあ。