ドリアン長野の海外旅行記のリンク集並びにご連絡 令和五年

今回、3種類(リンク集、コラム、いつ頃渡航したか?)の投稿を実施いたします。重要な部分は意図的に共通させました。
ドリアン長野の海外旅行記は約12万文字に至ります。
どこに赴いたかは理解しやすいがいつ頃赴いたのか理解し難い旅行記が含まれてますので可能な範囲で不明確な部分を明確化する決断を下しました。
海外旅行全般についても伝達は不可避です。 千の言葉より一の実行で私は平成27年十月にカナダのブリティッシュコロンビア州を旅行したので理解出来た部分は多かったです。
リンク集もgooブログスマートフォン版を閲覧した人の為に投稿します。文字数制限から分割は不可避でした。
 いつ頃、渡航したか? 令和五年  コラム 令和五年
ダークグリーンは副題で利用しました。動画の紹介等もしました。
 ドジャーブルーは特筆すべき内容で利用しました。 順不同。

【夏が来れば思い出す】(タイランド)

ドリアン長野のロサンゼルスとティフアナ旅行記

ドリアン長野のタイランド旅行記

ドリアン長野のマレーシア旅行記

ドリアン長野のニューヨーク旅行記

ドリアン長野のミャンマー旅行記

ドリアン長野の北京旅行記   ドリアン長野の上海旅行記

ドリアン長野の香港旅行記   ドリアン長野の台湾旅行記

ドリアン長野のインド旅行記   ドリアン長野のカンボジア旅行記

ドリアン長野のフィリピン旅行記  ドリアン長野のネパール旅行記

ドリアン長野のベトナム旅行記   ドリアン長野の英国旅行記   

上記はgooブログ版です。以下はブロガー版です。順不同。

タイランドバンコク) 英国(ロンドン) 夏が来れば思い出す

米国(ニューヨーク(NY)、ミシガン(MI)、ニュージャージー(NJ)ロサンゼルス

メキシコティフアナ)   ベトナムホーチミン

マレーシア(クアラルンプール等)   台湾台北

ミャンマーヤンゴン、モン州等) カンボジアプノンペンシェムリアップ等)

インド(デリー、ベナレス、西ベンガル州等)  ネパールカトマンズ

フィリピン(マニラ)  香港と中国(上海そして北京


上記はブロガー版です。下記は、はてなブログ版です。順不同。

タイランドバンコク) 夏が来れば思い出す(タイ)長野夫妻が行った新婚旅行記

英国(ロンドン)   米国(NY NJ & MI並びに、ロサンゼルス
NYはニューヨーク州、NJはニュージャージー州、MIはミシガン州の略称です。
メキシコ(ティフアナ)  ベトナム(ホーチミン)

マレーシア(クアラルンプール)  台湾(台北)

ミャンマー(ヤンゴン、モン州)  カンボジア(プノンペン、シェムリアップ)

インド(ウェストベンガル州、デリー、バーラナシー)  ネパール(カトマンズ)

フィリピン(マニラ)   香港と中国(上海北京

 海外旅行記について伝達します
 経年もあり現状と異なる部分が多く存在する旅行記ということを前提にしてお楽しみ下さい。
 出入国に関わる法規制、為替相場等は過去と現在とは異なるので渡航前に各自でご確認下さい。
 日本国内はともかく、海外でタクシーやレンタカーの利用は妨害しませんけど推奨もしません。
 意図的に海外の治安が悪い街へ赴く事は危険なので控えましょう。
 渡航されるなら各自で外務省海外安全ホームページ等で訪問先の最新情報を得て安全な選択をした上で旅を楽しんで下さい。
 ドリアン長野が執筆した上海日記は御友人からの相談で始まった旅行なのは否定しませんが少なくとも令和になってからはドリアン長野は既婚者で娘がいて多忙なので相談は不可能です。
 kaigairyokouhoken.com 海外旅行保険の加入は必須です。
平成20年代からgooブログは一回の投稿で3万文字迄の投稿が行えるのでドリアン長野が行った乱雑な投稿について私が整理整頓した上で、再発表しました。
ドリアン長野は夏が来れば思い出す(タイランド)を除外し平成十年代にgoo簡単ホームページ上にて14か国の海外旅行記を投稿されました。訪問国数ですが英国統治時代の香港ばかりか中国返還後の香港にも渡航されたので香港と中国は別とします。
メキシコ旅行記のように渡米してからティフアナを旅した旅行記の前例は否定しないが範疇毎の分割は不可避でした。
海外旅行中に複数の国々へ渡航されることについて反対しませんが簡単ではないです。 国境越えは、政争やコロナで厳格化された。

 私は平成27年十月にカナダ旅行しました。平成28年からはカナダ旅行される人は電子渡航認証が求められるようになりました。
 ドリアン長野は平成18年にミャンマー旅行記を発表しました。
その翌年に取材中のジャーナリストが殺害される悲劇が発生しました。
 ドリアン長野は平成19年の年末から平成20年の年始に新婚旅行しました。その後、空港連絡鉄道がバンコクで開通しました。
 ~ご連絡~
 ドリアン長野の海外旅行記は2009年以前のお話です。過去と現在で異なる部分は存在します。 渡航するなら各自で海外の動向等の最新情報を得て下さい。変更が多いので将来的にドリアン長野が行った全ての旅の模倣は不可能やもしれません。

平成29年の夏に頻繁な投稿をするのは難しい状況を伝えた所、「無理しなくて良いから。」とドリアン長野から返答されました。
 今後は遅延はあり得ますが月の初日から14日迄にドリアン長野が行った投稿の転載と国際空港についての投稿をしていきたいです。
14日から月末迄に推奨したいホームページの紹介並びに私からの連絡をしていきたいです。
 例外的に催事等の連絡は日にちを問わずに投稿する予定です。

ドリアン長野の読書三昧   ドリアン長野フェイスブック

ドリアン長野ツイッター   ノート版ドリアン長野  
 令和初期にはドリアン長野自身が管理人になって投稿してるホームページが複数存在するのでそちらで楽しんでもらっても構いません。
 渡航する前に不可欠な行動
パスポートの入手、渡航先の選定、旅先の海外旅行案内書を購入して読んで予習、旅費と休暇の捻出、必要ならば観光ビザの所得や電子渡航認証の申請、旅に必要な商品の購入(複数存在)、外国語の学習、外貨の保有、交通費、宿泊費、海外旅行保険の支払い等を済ませないとお気楽に海外旅行は行えません。

 入国審査が終わった後にどうすべきか?
 次に何をするか? ホテルが空港内なら徒歩で行けますが送迎バスの利用はあり得ます。
航空会社、ホテル、海外旅行保険等の企業は別個で営業してるので直接依頼する旅人はおります。某旅行代理店の経営破綻の悪影響は大きい。
 宿泊先の予約をしなかったら渡航先で宿泊先を探す旅になるので推奨しかねます。

 日付変更線を超えないならアナログの時計を複数利用しますか?

 日付変更線を超えない渡航ならアナログの時計を利用される旅人はおられるだろう。海外旅行案内書等を参考に小型の目覚まし時計を自宅で時間調整し目覚ましはオフにして携帯するか?腕時計は到着した空港か港で時間調整か?又は、日本用の時計と海外用の時計に調整して使い分けるか?日付変更線を超えるならデジタルの置時計を利用されることを提案します。
 渡航先の時間と日本国内の時間の両者を把握しないと良い渡航は行えません。

 詰問するストーカーは犯罪のほう助が目的なのでブロックすべき
詰問したのはドリアン長野ではないです。私は平成27年十月にカナダのブリティッシュコロンビアを旅しました。これで「一回も渡航してない人が海外旅行記のブログの管理人をしてる。」と言われなくなりました。英会話やカナダが語れるようになり嬉しいです。しかし、予想外の辛い出来事がありました。

 特定のホームページを経由して当ホームページを閲覧された方へ伝言

 良きホームページの運営者が当方のホームページを紹介されてる点については感謝します。だが、それとは全く異なると考えて下さい。
発表はしませんが2011年に嫌がらせの書き込みをした人がいました。 特定のホームページについて「紹介してるのが悪い。」と考えてる人は「紹介されてるのも悪い。」と考えてるのか?
 紹介先の取捨選択は不可避でした。2012年にドリアン長野と私が会談した時に某ホームページの紹介を辞める提案をして黙認された。
 苦難については同情するが不要な共闘はしません。
 2015年に私がバンクーバーを旅行中に毎日詰問され困りました。 彼等の目的は私の弱みを握った後に紹介を再開させるなので否定します。後に抗議したが返答内容は悪質な言い訳ばかりでした。 私がカナダを旅してる時の最大の厄介事は毎日フェイスブックのタイムラインに詰問してきたストーカーでした。 渡航経験が無い人には理解し難いであろうが渡航中の人に対し詰問するのはプライバシーの侵害で犯罪の被害にあう恐れを高めるほう助行為です。 共同不法行為も知らずに令和になってからも別人から連絡があって閉口してます。 「あいつは、こんな悪い奴なんだぜ。」と言う人は社会的に批判されるし悪質な情報操作が行われると困ります。 某月刊誌も買うの辞めました。

結局は、平成の時期に紹介を取り止めたが令和になっても紹介されてるし紹介を辞めたのを理由に嫌がらせをされたので困ってます。
 ~最後に~
 一度だけですが私はカナダ旅行したので幸せだったけど帰国後に辛い出来事があった。
2010年代に父方の叔父ばかりか母方の伯父も肺がんを発病したばかりか他の親戚も病気になり結果的には2018年に4回訃報があった。
頻繁に新規投稿してたが規模縮小を伴う取捨選択の道を選んだのは仕方なかった。

私はドリアン長野から頼まれ平成15年にgoo簡単ホームページの開設を手伝い平成19年にgooブログに移転してからほぼ私の趣味でブログを運営してます。ブログは民間なのでサービス停止等があり移転は不可避でした。
後に実質的なミラーサイトが必要と考えブロガーやはてなブログも利用してます。

 皆様、警戒して下さい。渡航中に自由妨害をされて私は大変困りました。海外で会った人による悪事と日本にいながら毎日SNSを通じ詰問してきたストーカーの嫌がらせは同じ位に問題です。 海外に潜伏してた日本人の犯罪者達は処罰されてる。
 外国では無理、無駄、無謀な行動は控え良き選択をしましょう。
海外にも日本のヤクザは潜伏してた。
頼んでないのに余計な悪事をやらかした犯罪者の末路は重罪が課される。

【スシローペロペロ事件】6700万円の損害賠償請求へ!支払うのは少年?親?
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私がカナダを旅行中に毎日フェイスブックを通じ詰問してきたのはドリアン長野ではありません。社会的に相手にされてない暇なストーカーで大変でした。
共同不法行為も否定されてるし海外にも日本の犯罪者は潜伏してる。
海外旅行中の人に対し犯罪の被害にあう可能性を高めるほう助行為をしてはいけない。

 略歴
 可能な範囲にて伝達しますが参考程度にして下さい。

 昭和62年の年末から昭和63年の年始はインド旅行。
ウッタル・プラデーシュ州(ベナレス)、デリー等を旅されました。
 平成元年の年末から平成二年の年始は米国のニューヨーク旅行。
 平成六年の年末から平成七年の年始は英国のロンドン旅行。
平成七年の年末から平成八年の年始もしくは、平成八年の年末から平成九年の
年始に米国のロサンゼルスとメキシコのティフアナを旅したようです。
この海外旅行記については時期を明確化することは不可能でした。
 平成九年の五月は台湾の台北旅行。
平成九年七月以前に返還前の香港を旅したそうです。
平成十年四月から平成16年四月以前はネパールのカトマンズ旅行。
憶測。平成十年の夏以降か平成11年頃はあり得る。
この海外旅行記については時期を明確化することは不可能でした。
 見解は後述しますが平成12年から平成14年の海外旅行記は解釈が難しかったです。
平成12年の大晦日ベトナムホーチミンを旅したようです。
平成13年にドリアン長野はタイランドバンコクへ三回渡航してます。 内訳は一月、夏と年末です。
平成13年12月にカンボジアプノンペン群、シェムリアップ州)、平成13年12月30日から平成14年の元旦はタイランドバンコク(カオサン)、
平成14年の元旦から一月二日頃にフィリピンのマニラに滞在して日本への帰国便に搭乗したようです。

 平成15年3月から平成19年の夏迄はgoo簡単ホームページを通じてドリアン長野は海外旅行記を発表されてました。

北京旅行記を発表したのは平成15年十月ですが渡航した時期は不明です。
北京を旅行した後で上海旅行(第一回目)されたようです。
この海外旅行記については時期を明確化することは不可能でした。
平成八年から営業してる上海のローソンを利用した最初の上海旅行記を発表したのは平成15年ですが渡航した時期は不明です。
この海外旅行記については時期を明確化することは不可能でした。
 マレーシア旅行記(クアラルンプール、ヌグリ・スンビラン)を発表したのは平成16年ですが渡航したのは平成十年から平成16年のようです。
この海外旅行記については時期を明確化することは不可能でした。
 平成16年の五月以前は香港旅行。
 平成16年の年末から平成17年の年始はドリアン長野にとって二回目の上海旅行。
ミャンマー旅行記ヤンゴンチャイティーヨー・パゴダ等)を発表したのは
平成18年一月から四月ですが渡航した時期は不明です。
この海外旅行記については時期を明確化することは不可能でした。
 平成18年四月から九月には独身の時に海外旅行した時を振り返って再投稿されてました。
 平成19年の年末から平成20年の年始はご夫婦で香港とタイランドバンコク)へ新婚旅行されました。ドリアン長野は平成19年11月に結婚し平成25年にフェイスブック上で新婚旅行記を投稿しました。
 一度の海外旅行で複数の外国を訪問した旅行記は存在します。

基本的に、趣味でこのブログを楽しんでます。ドリアン長野は令和五年から配偶者の発病で困っております。
2009年以前の海外旅行記ですので価格や法規制等は変更してる恐れがございます。時間は誰一人として待ちません。
錯乱してる人物が貴重な時間を奪う恐れから渡航されるならば慎重にして下さい。

敬具 マーキュリーマーク

 

 回顧を兼ねた書評
 僕の初海外旅行は26歳の時のインドだった。
 当時往復チケットは年末料金だったので30万した(泣)。
 行く前は椎名誠の「わしもインドで考えた」を熟読。
 インドでは尻の毛まで抜かれるほどぼったくられ、下痢と発熱で散々だったけど、
 それからはリーマンパッカーとして主にアジアをふらふら。
 アフリカは遠すぎて行けなかった。新婚旅行もバックパックでバンコクと香港へ。
 香港では雑居房のチョンキンマンションで二泊し、妻はぐったりしていた。
 バンコクでは安宿と高級ホテルと泊まり歩き、マリオットのプールで
 溺死しそうになったのは今ではいい思い出だ(嘘)。
 旅も好きだが、旅行記も好きだ。
 この本は主にアフリカ旅行のエッセイだが、面白い。
 何よりも文章がうまい。
 奥さんとのなりそめを綴った「追いかけてバルセロナ」なんか疾走感があり、
 一気に読め、感動的でさえある。
 朝の通勤の地下鉄で読んでたけど、日本にいながら気持ちはバックパッカー。
 旅の本もいいけど、また出かけたいなあ。