令和六年二月の投稿


祖母が大好きな娘のメッセージ。
三つ目は難しいかな(祖母)😅


旅の記憶は現地で食べた物と分かち難く結びついています。
沖縄発祥のタコスといえばコザの中央パークアベニューにある「チャーリー多幸寿」。チャーリーは創業者の勝田さんに米兵がつけたニックネームです。創業は1956年ですから70年近くです。店内はアメリカンな雰囲気で壁に所狭しと有名人や一般人の色紙が飾られています。山形から食べに来ました、という色紙もありました。
時間がないのでチキン、ツナ、ビーフのタコスをテイクアウトし、車中で食べました。
U型の皮は柔らかくもっちりとして,具の上にトマトとレタスの千切りが乗っています。う〜ん、今まで食べたタコスは一体何だったんだろう。忘れることができない味でした。
勝田さんは4年前に95歳でお亡くなりになっています。
かつては「B.C. Street」(BCはビジネスセンター)「センター通り」とも呼ばれた米兵相手の歓楽街は1982年に現在の「中央パークアベニュー」になりましたが近くの北谷にできたアメリカンビレッジに客足をとられ、数年前から空き店舗が目立ち始め、往時の賑わいはありません。 「チャーリー」だけが気炎を吐いています。
ライスの上にタコスの具を乗せたいわゆるタコライスの発祥地は海兵隊の基地キャンプハンセン近くにある「タコキング」です。ご飯なので日本人向けかと思いきや、お腹を空かせた海兵隊員に安くて腹持ちのいい料理を考案したそうです。 嘉手納基地ゲート2に至るゲート通りと国道330号線の交差点から500メートルを歩いてみます。
1970年、沖縄女性が酒気帯び運転の米兵に轢殺されたのですが、米兵は無証拠不十分で無罪になりました。その三か月後、330号線を横断していた男性が米兵が運転していた車にはねられたことが端緒として沖縄県民の怒りは爆発しました。アメリカ車を見ると横転させ、火をつけました。最終的には五千人の県民が暴動に参加したのです。これがいわゆるコザ暴動でした。 基地の50メートルほど手前の道路にオレンジラインが引いてあり、「此処は嘉手納空軍敷地の境界線です。許可のない立入りを禁じます。基地司令部の命による」と書いてありました。
米軍基地内は治外法権であり、アメリカの法律が適用されるとまことしやかに言われますが、そうではありません。
米軍の施設及び区域は、日本の領域であり、日本政府が米国に対しその使用を許可しているだけです。日米間で結ばれた「日米地位協定」によって地位協定の運用は、日米両国政府間で協議することとされています。 また、那覇市内ではよく不動産で「軍用地を買います」という文言を目にします。軍用地とは米軍基地および、自衛隊施設として使用されている土地を指します。これらの多くは、国が個人所有の土地を強制的に借地したもので、その上で米軍基地や自衛隊施設として提供しているというのが現状なのです。現在、国は借地料として地主に年間900億円以上を支払っています。 沖縄の道路標識は字が薄くなっていたり剥がれている標識がかなりあります。
強烈な紫外線や潮風(沖縄で自転車に乗っている人はめったに見ませんが、一度だけ見かけた二人連れの小学生の前カゴはどちらもひどく錆びていました)で標識が劣化しやすいのかわかりません。それにしても「テゲテゲ」です。 ふとバンコクのコンビニで、迷い込んだ野良犬を警備員がしゃがんで頭を撫でていた光景を思い出しました。
「小さいことは気にしないさー、なんくるないさー」と標識が語りかけてきたような気がしました(嘘です)。
今はプロ野球の春季キャンプだそうです。私は野球に関心がないのですが、「キャンプって選手が飯盒炊さんしたりキャンプファイアして親睦を深めることと思ってました」と言ったT君ほど無知ではありません。 一泊目のホテルには広島カープの選手が宿泊しているらしく「選手への握手、サインなどは控えるように」と注意文が書いてありました。
もし選手に遭遇しても私には衣笠か古葉監督しかわかりませんが(あとでネットで調べてみたらお二人とも物故されていました。失礼しました)。
ひめゆり資料館では出てから小六の娘が募金箱に二千円を入れようとしました。
彼女なりに何かを感じ取ってくれたのが嬉しかったです。二千円は多いと押しとどめて千円にさせましたが。
魅せられて終の住処にする人も多い沖縄。空港まで迎えに来たレンタカーのスタッフ、大阪生まれで27歳のガタイのいい好青年(趣味は筋トレ)も修学旅行で訪れた沖縄が忘れられず、ついにこちらにやって来て三か月。
最初は友だちがいなくて毎日泣いていたそうです。
気持ちはわかります。観光と実際に住むのでは大きなギャップがあるでしょう。
それでも自分の夢に忠実なこの青年をオジサンとしては応援したい気持ちです。
もしいつか再び会う機会があれば、近況を聞くのが楽しみです。
私は島に向かう途中で見たサトウキビ畑が網膜に焼きついたままです。
あ、またTHE BOOMの曲がリフレインし始めた…。
 

 

 回顧を兼ねた書評
 僕の初海外旅行は26歳の時のインドだった。
 当時往復チケットは年末料金だったので30万した(泣)。
 行く前は椎名誠の「わしもインドで考えた」を熟読。
 インドでは尻の毛まで抜かれるほどぼったくられ、下痢と発熱で散々だったけど、
 それからはリーマンパッカーとして主にアジアをふらふら。
 アフリカは遠すぎて行けなかった。新婚旅行もバックパックでバンコクと香港へ。
 香港では雑居房のチョンキンマンションで二泊し、妻はぐったりしていた。
 バンコクでは安宿と高級ホテルと泊まり歩き、マリオットのプールで
 溺死しそうになったのは今ではいい思い出だ(嘘)。
 旅も好きだが、旅行記も好きだ。
 この本は主にアフリカ旅行のエッセイだが、面白い。
 何よりも文章がうまい。
 奥さんとのなりそめを綴った「追いかけてバルセロナ」なんか疾走感があり、
 一気に読め、感動的でさえある。
 朝の通勤の地下鉄で読んでたけど、日本にいながら気持ちはバックパッカー。
 旅の本もいいけど、また出かけたいなあ。