ドリアン長野インタビュー(自主的です)  (リターンズ)

ドリアン長野インタビュー(自主的です) (リターンズ)
2013-09-01 | Weblog
ドリアン長野インタビュー(自主的です)
2007-09-03 | Weblog
NO51 ドリアン長野 インタビュー

at 2004 10/01 18:46 編集

ー前回のライナー・ノーツで音楽に対する意識が変化したと書かれておられましたが
「漫画家の夏目房之介氏、漱石のお孫さんですね。今は漫画評論としての活躍が多いんですが、彼が著作の中で漫画の描線そのものが思想を語っていると言っているんです。それを読んではっとしました。音楽も音そのものが思想を語っているんだなと気づいたんです。考えてみれば当たり前のことなんですが。そうでなければ、ブライアン・イーノスティーヴ・ライヒアンビエントミニマル・ミュージックと喫茶店でかかっているAORやMORと、どこがどう違うんだって話になりますからね」
ーそうですね
「私がパンクやオルターナティヴのようなざらついた音に惹かれるのは、歌詞がどうこうだからといったわけではありませんから。先日、夏の夕暮れに自転車を漕ぎながらオアシスの『シャンペン・スーパーノヴァ』を聴いていたら胸が熱くなって涙ぐんでしまいました。『マンガの居場所』(NTT出版)という本の中で宮本大人氏が、現在の量的にも質的にも拡大し細分化したマンガの中で、そのど真ん中は『ジャンプ』で連載中の『ONE PIECE』であると断
言しています。その理由は『ジャンプ』で一番面白くて一番人気があるマンガだからである、と。私は白状しますが、電車の中で『ONE PIECE』を読んでいて涙と鼻水が止まらなくなって困ったことがあります(笑)。私にとって、オアシスは『ONE PIECE』です。オアシスは90年代ロックの奇跡だといわれましたが、それは彼らがビートルズピストルズストーン・ローゼズといった正当的な、正当的というのはなにぶん音楽のことですから私自身の感覚ですが、そういった遺産を継承しているからです。逆にいえば、その時代がオルターナティヴ、グランジ、ハウス、クラブ、アシッド、レイヴといった負の音に席巻されていたからだともいえます。御存じのように『ジャンプ』も友情・努力・勝利というコンセプトを営業方針として打ち出していますからね」
ーそういった思い入れのある音楽が他にあれば教えていただきたいんですが
ディック・リーの『エイジア・メイジア』の中の『Lover′s tears』を聴くと、いつも懐かしくて切ないような気持ちになります。原曲はマレーシア出身の歌手が歌い、それを香港出身のサンディー・ラムが北京語で歌っています。ディック・リーシンガポール生まれで『マッド・チャイナマン』が大ヒットしました。訳すと気違い支那人となって、二重の禁止用語になりますが(苦笑)。私がこの歌に郷愁を感じるのはアジアに深い思い入れがあるからです。この曲を聴くとバンコクの深夜のオレンジ色の街灯とか、クアラルンプールの中国系雑貨屋とか、マニラの路地で見た月とか、とにかく様々な光景が鮮やかに蘇ってきます。繰り返し聴き続けているといえば、スマッシング・パンプキンズの『メロンコリーそして終わりのない悲しみ』ですね。私はこれをCDが擦り切れてしまうんじゃないかと思うくらい聴きました。今でも聴いています。それでも聴くたびに多くの示唆を与えられます。私はロックを祈るような気持ちで聴いてきました。このアルバムはそのことを思い出させてくれます」
ードリアンさんにとって、ロックでなければならないという必然性はどういったものですか?
ロバート・ジョンソンがブルーズのためにクロスロードで○○に魂を売り渡したという伝説がありますね。ロックにはそういった伝説が生まれやすいと思うんです。それはロックが弱さ、醜さといった人間のダークサイドを容認し、肯定してきたからだと思います。モリッシーは一貫して自分の弱さを歌にしてきましたが、そのことで救われた人たちがどれほど多くいたことでしょうか。モリッシーで思い出しましたが、昔スミスがUKのヒット・チャート1位になったと聞いて、CDを買いに行ったんです。聴いてみると何だかスカスカした音で頼りない。当時パンクばかり聴いていた私には理解できなかったんです。それから何年か立って、『THE WORLD WON′T LISTEN』というベストCDを買ったんです。今まで何回も聴いたはずなのに一曲目の『パニック』のイントロが鳴り出した瞬間、脳内にエンドルフィンが放出されたような気がしました。それからはどの曲を聴いても至福の時間です。ドラッ○をやっている恍惚感ていうのはこんな感じかもしれないとさえ思いました。村上春樹フィッツジェラルドの『夜はやさし』を読んだ時にたいして感動も覚えなかったけれど、何か月か後に名状しがたい何かに突き動かされ、本棚からその本を引っ張り出し夢中で読んだ。それからはフィッツジェラルドが彼の唯一の師となったそうです。そんな話を思い出しました。話がそれましたが(笑)。ブルーズが加速していってロックになった。それがどんどん加速してパンクになった。『ロックは死んだ』とかつてのパンクロッカーたちが言ったのは行き着くところまで行き着いてしまって、袋小路に入ってしまったからです。自分の原点を否定しなければならなかった彼らは悲惨です。呉智英氏の名言、『徹底的な自己否定は徹底的な自己肯定である。それはあたかも徹底した防火が実現すれば失業するのに、防火に力を尽くす消防士のようなものである』という言葉そのままです。ロックという大衆音楽が歌謡曲や民謡と違うのは、その性急さにあるんじゃないでしょうか。従来のブルーズでは心の隙間を埋められない人たちがロックを作ったとも言えます」
ハロルド作石氏の「BECK」にとても印象的なシーンがあるんですよ。ある日本のスーパーバンドが、ニューヨークの「CBGB」をモデルにしたライブハウスに行って、「汚いし、臭いし、ショぼい。俺は勝手な幻想を抱いていたんだな」とがっかりするんです。でもBECKの連中は「ここでパティ・スミスが、ラモーンズが演ってたんだ」と感激する。この違いは何だろうって考えると、それは音楽の奇跡を信じられる人とそうじゃない人の違いなんじゃないかなと思ったんですが
「自分自身のことを言うと、私は音楽の持つ奇跡というものを信じています。奇跡というものが本当にあるのかと問われれば、私は『ある』と断言できます。もちろんそれは音楽が発せられた瞬間にそれを受け止める力がないといけませんが。先月パティ・スミスのライブに行きました。『南十字星の下で』を聴いている時に、まるで光の中に包まれているような感じがしました。今までいろいろなライブを観てきましたが、そんな体験は初めてです。その時思ったのは、パティ・スミスもそれをこうやって聴いているわれわれもいつかは肉体が滅びてしまう。しかし、ともに音楽を共有しているこの瞬間が永遠なのではないか、ということです。そして、瞬間こそが永遠なのだから精一杯生きるんだよ、と音楽が語っているような気がしました」
ーそれが奇跡ということかもしれませんね
パティ・スミスがライブの途中で観客の一人からチケットを見せてもらい、その高さに驚いていました。そしたら彼女が『日本に来るにはとてもお金がかかるの。みんなには大きな負担でしょうね。ごめんなさい、心から謝るわ。でも、次のコンサートに一万人集まったら、チケットをもっと安くする。約束するわ』って言うんです。もちろんストーンズやオアシスじゃあるまいし、彼女のコンサートに一万人来ることはありえません。でも、彼女の言葉を思い出すと涙が出そうになります。感傷的に聞こえるかもしれませんが、そんな時にロックを聴いていて本当に良かったと思うんですよ」
NO52 ドリアン長野インタビュー(続き)

at 2004 10/07 21:05 編集

ー黒人音楽であるブルーズと白人音楽であるパンクの関わりについて説明していただけますか
「どっかへ走ってゆく汽車の
75セントぶんの切符をくださいね
どっかへ走ってゆく汽車の
75セントぶんの切符をくださいってんだ
どこへいくかなんて
知っちゃあいねえ
ただもうこっちから
はなれてくんだ
私はブルーズと聞くとアメリカの黒人詩人、ラングストン・ヒューズの「75セントのブルース」をいつも思い出します。これは後年のパンク・ミュージシャンの心情と全く一致すると思うんですね。
今のここではない、別のどこか。それはハードロックよりも、もっと激しい憧憬というか、いらだちというか。パンクは性急さを得ていった代償にどんどんブルーズの黒っぽさを捨てていきましたが、代わりにレゲエという黒人音楽を取り入れていったんです。
一本の樹のなかにも流れている血がある
樹のなかでは
血は立ったまま眠っている
私は高校生の時にセックス・ピストルズを聴きました。それから人生が変わったといっても過言ではありません。これは寺山修司の詩ですが、その頃の私の気持ちそのままです。ロックもジャズも黒人音楽に白人音楽が介入して進化してきた。今は進化という言葉が適切かどうかは置いときますが、初めて白人のリズムと言葉が一致したのがパンクであったと思います。そうなれば聴き手は否応なく自己と対峙せざるをえないんです。それまではある人にとってはビートルズであったかもしれない。自分にとってはそれがセックス・ピストルズだったんです」
ーパンク・リバイバルとかいって何年かごとに揺り返しがありますよね。グランジもオルターナティヴもピストルズがいなかったら存在しなかったというような言われ方をします。たとえば、椎名林檎を聴くと巻き舌の唱法や雰囲気からピストルズに多大な影響を受けたことが分かります
「今、考えてみるとピストルズっていうのはアメリカン・コミックかポップ・アートの一種であったような気がします。彼等のファッションも新鮮だったんですけど、仕掛人のマネージャーにデザイナー、専属のカメラマンまでついていて一つの作品を作り上げたっていう気がします。プロデューサーは普通だったらチンピラパンクバンドなんて相手にもしないクリス・トーマスですし。ジャケット・デザインも非常にポップです。まるでキャンベルのスープ缶ですよね。だからこそロックという大衆音楽の長所を総動員して武器にすることができた。その結果、多くの若者が熱狂したんです。ただひたすらカッコよかったですね。今だに『ゴッド・セイブ・ザ・クイーン』の3分20秒のビデオ・クリップを観ると非常に興奮します」
ーでも、ピストルズ以後のパンクはなぜあんなにつまらなくなっちゃたんでしょう?
「パンクはメタファーですからね。『ぶっ殺せ」とかの勇ましいかけ声で最初は大衆を騙せても、段々とカラクリは分かってきますから。それにノイズ・ミュージック、インダストリアル・ミュージック、ポジティブ・パンク、オルターナティヴという雑駁な楽曲のほとんどがアヴァンギャルドのためのアヴァンギャルドでしかなかったように思います。それならジョン・ケージとかラ・モンテ・ヤングとかカールハインツ・シュトックハウゼンとか阿部薫の方がはるかにパンクなわけです。そういえば、坂本龍一が言ってました。『アヴァンギャルドな曲を一曲作るよりもいいポップ・ミュージックを一曲作る方がはるかに難しい』と」
ードリアンさんはよく「音のマジック」とおっしゃいますが、それを詳しく教えてください
「えっと、そうですね、手塚治虫のマンガにこういうのがあります。地球が核汚染されたので、何人かの人たちがロケットで脱出し、ある惑星に移り住む。何百年かして、その子孫が戻ってくるんです。彼等にとっては地球は先祖の故郷なわけです。タイムカプセルにテープ・レコーダーが保存されていて聴いてみると、ビートルズの『レット・イット・ビー』が流れてくる。それで子どもが父親に聞くんです。『お父さん、この気持ちのいい音は何なの?』たとえば味覚というのは人間に普遍的な感覚だと思います。くさやとか納豆とか、イヌイットは生肉を醗酵させて食べるし、例外はありますけどそれは単に習慣的な問題に過ぎないと思います。その辺は『美味しんぼ』を読んでもらえば分かると思いますが。(笑)それは食が生命に直結してるからでしょう。音楽の場合、『レット・イット・ビー』を聴いて不快になる人ってのは想像しにくい。でもピストルズを聴いて不快になる人はたくさんいるわけです。好悪が個人によってものすごく幅がありますよね。ある人はある楽曲に何かを感じるし、ある人は感じない。そこが面白いと思うんです。ブルーズも黒人霊歌も『七人の侍』のラスト・シーンの田植え歌もリラクセーションから生まれた。それから、それだけでは説明できない別の意味を持つ音が出て来た。たとえばですね、最近で言えば、オアシスの『マジック・パイ』という曲を聴くとひたすら自分が開かれていく感じがします。この開かれていくっていう感覚がマジックだという認識を自分はしています。J-POPという一連のムード・ミュージックに自分はマジックを感じない。それは開かれるという感覚を覚えないからです」
ーその開かれていくという感覚はどこに向かうんでしょうか?
「初めてピストルズを聴いた時、自分自身と世界が一対一で対峙してるように思いました。それは錯角かもしれない。でも自分はそこからじゃないと始められなかったんです。ジョン・ライドンが『ロックは死んだ』と言っても、当然ながらロックは存在し続けた。ある種の楽曲を聴くと高揚感を覚える。その高揚感というのは名状し難い、ロックでなければ為し得ない高揚感です。その瞬間ですね。自分がロックによって選ばれたと感じるのは。だから結局、開かれていくのは自分自身なんです。外にではなく、聴き手本人に向かうんです」
ー意識が外に向かうか内に向かうかの違いだというわけですね。それでは音楽が国境を越えて、ついにはベルリンの壁をも打ち壊した、という人もいますが、それについては?
「そういった妄想、いや幻想を抱きたくなる人の気持ちも分からないではありませんが。それについては芥川賞作家でパンク歌手の町田康の言葉を上げておきます。彼は『社会を変革したい欲望は?』という質問にこう答えています。『社会を変えたいというより、社会によって自分が変えられたいと思います。社会の中に生きているわけですから、社会の中で自分がズタズタになっていかなきゃしょうがないんじゃないでしょうか。また一人の人間の思惑によって社会が変わるなんてことはありません。例えばCDを800万枚売ったからといって、社会を変えたということになるでしょうか?変えるというより、響きあう方が大事なんじゃないでしょうか』。」
ードリアンさんといえば、いつも旅をしているというイメージがあるんですが
「いい車が買いたいとか、いい家が欲しいとかの欲望が無いんです。適当な休日があっても何かの理由で旅に出られなかったら、非常に損した気持ちになりますね。主に経済的な理由ですが。(笑)常に変わっていきたいという願望が強いんでしょうね。旅というのは他の文化と擦れあう、手っ取り早い方法ですから。釈迦が『真理を疑え。真理を疑ってる自分自身をも疑え』と言ってます。諸芸と同じく固定は死ですから。常に自分を戒めています。初めて海外に出たのはインドでした。その頃、主婦業からカムバックしたパティ・スミスの『ピープル・ハブ・ザ・パワー』という曲がヒットしていて、その曲はマザー・テレサの事を歌ってるんですね。それがきっかけでカルカッタに行ったんですが、10年以上も立つのに、今でもその時の記憶が何かの拍子に蘇ることがあります」
ー死を考える事は?
「いつも考えてます。『将来の展望は?』とか聞かれると困ってしまいます。一日をどうやって有効に使おうかと腐心ばかりしてますから。死を考えると一日がとても愛おしくなりますね。これを言っても、きれいごとだとか、偽善的だとか全然思わないので言いますが、自分がこの世に、今のこの時に生まれて来た意味をよく考えるんです。そうすれば、自分は他人のために生きたいと思うんです。短い生の中で自分とかかわり合った人が少しでもいい方向に行ってくれれば、とても嬉しい。自分のためにだけ生きる人生はつまらないし、辛いと思います。自分がいつもピストルズの事を言うのは、ジョニー・ロットンのメッセージがとてもシンプルだったからです。それは『人は誰でも自分の思い通りの人生を生きられる』。この事と人のために生きようとする意志は少しも矛盾しないと思います」
ーそれでは最後に、ドリアンさんが目標とする人物は?

 元(ハジメ)管理人の感想文と皆様への伝達事項
 平成十年代にCD-Rドライブが装着されたパソコンが多く販売され平成20年代半ばになってBDXL対応ブルーレイプレーヤーが搭載されたノートパソコンが市販されているのは半ば常識です。こういった説明がなぜ必要だったかというと実は、ドリアン長野は平成十年代にいわゆる同人CDを作成してたのです。現在は、you tubeで過去の作品が発表されてます。ライナーノーツは読めなくなってますが、作成した音源データは楽しめるようになってます。
このドリアン長野のインタビューは自問自答したモノを発表したものですので海外旅行記ではありません。又、前編後編をリターンズとしては一回で発表しました。
以上、管理人元(ハジメ)でした。
 

 回顧を兼ねた書評
 僕の初海外旅行は26歳の時のインドだった。
 当時往復チケットは年末料金だったので30万した(泣)。
 行く前は椎名誠の「わしもインドで考えた」を熟読。
 インドでは尻の毛まで抜かれるほどぼったくられ、下痢と発熱で散々だったけど、
 それからはリーマンパッカーとして主にアジアをふらふら。
 アフリカは遠すぎて行けなかった。新婚旅行もバックパックでバンコクと香港へ。
 香港では雑居房のチョンキンマンションで二泊し、妻はぐったりしていた。
 バンコクでは安宿と高級ホテルと泊まり歩き、マリオットのプールで
 溺死しそうになったのは今ではいい思い出だ(嘘)。
 旅も好きだが、旅行記も好きだ。
 この本は主にアフリカ旅行のエッセイだが、面白い。
 何よりも文章がうまい。
 奥さんとのなりそめを綴った「追いかけてバルセロナ」なんか疾走感があり、
 一気に読め、感動的でさえある。
 朝の通勤の地下鉄で読んでたけど、日本にいながら気持ちはバックパッカー。
 旅の本もいいけど、また出かけたいなあ。