マレーシア旅行記(ヤフーブログ版)

マレーシア旅行記(ヤフーブログ版) 
 #10 ドリアン
 人は非日常的な体験を求めて旅に出る。海外ならなおさらだ。しかし、それが食文化になると頑なに自国の食生活に固執する人がいる。たとえば、欧米人なんかがそうだ。彼らは外国においても朝はトーストとハムエッグ、昼はマクド(関東地方だったらマックよね。おされだわ)というスタイルを崩そうとしない。マーブンクロンのクーポン券式大食堂には欧米人の姿も見かけるけどな。大半は一、ニ度料理を食べてみて後はコーラとハンバーガーってとこだろう。君たち、それで満足なのか? 私はイギリスではフィッシュ・アンド・チップス、アメリカではステーキとハンバーガーを食い続けたぞ。まずかったけど、それでも我慢して食ったわい。(我慢して食うなよ)
自国以外の食生活に興味を持たんから、鯨を食う日本人は野蛮だなんてぬかすんじゃい! 「美味しんぼ」の海原雄山も食はその国の文化だとゆうておろーが。私はある国に行ったら、その国の人間が食べている物を食い倒すぞ。フィリピンやベトナムでおやつがわりに食べてる、孵化寸前の鶏の卵は塩をかけて食うとうまいんだよっ! 海外番組のTVリポーター(女優)は「いや~ん、気持ちわるう~い」とか「やっだあ~、ざんこくう~」とかぬかしてんじゃねー! アラブ人街に行ったら、羊の脳みそのカレー煮込みが安く食えるぞ。ベトナムでは時間があれば、センザンコウでも犬でも食いたかったわい。イサーン地方では虫も食べる。カオサンやラーチャダムヌーン・スタジアムの前やナナ・エンターテイメント前の路上に行けば、屋台でいつでも売ってるぞ。メーンダーは黒くて一見するとゴキブリに似ているがタガメだ。羽と足を取り、歯で身をしごいて食べる。その他にはバッタのフライとかコオロギとかカイコのさなぎとか赤アリとか、全部スナック感覚だ。もちろん、私の口に合う物もあるし、合わん物もある。だが、口に入れてみなければ味は絶対にわから~ん! 食わず嫌いはいろんな事を損してると思うぞ。
日曜日の夜の「世界ウルルン紀行」はタレントがいろんな国へ行って、一週間ホームステイするという番組だ。お世話になった家族と別れるシーンで私はいつも号泣してしまう。下條アトムのナレーションが泣かせるんだ、これがまた。ある日の番組では某男優がアフリカの某国に行った。その国では牛がとても重要な役割を担っているわけだよ。畑を耕したり、牛乳を飲んだりはもちろん、牛糞を燃料にしたり、家の壁にしたりな。それどころか、尿をシャンプーにもするし、飲んで胃に収めてから吐き出して胃腸を整えたりするのだ。その男優がそれに挑戦した。牛の泌尿器の下に容器を構え、おしっこを受ける。男優は容器になみなみとつがれたおしっこを眺めた。さあ、どうするんだ? 本当に飲むのか? 私は手に汗握って見つめたね。彼は一瞬ためらったが、ついにうぐうぐと飲み干し、そして吐いた。司会者に「どんな味でした?」と聞かれ、彼は苦いような、しょっぱいような、とにかくすごい味でした。その味が今でも口に残っています、と答えた。私は猛烈に感動したね。これが感動せずにおられよかってんだい。世の中には健康飲料だと称して己のおしっこを飲むやからがいるが、自分のでも躊躇すんのに、ましてや牛のおしっこだぜ。サムライだね。えらいもんだ。郷に入っては、リーに従えとはこのことだっ!(離婚したけど)さすがの私でもおしっこまでは飲めん。そこでドリアンだ。フリが長かったな。ドリアンを屁のにおいだとかウンコくさいとか言うやつは、牛のおしっこも飲めんくせにグタグタぬかすんじゃねー!(無茶苦茶)
ドリアンは確かに強烈なにおいがする。バンコクの「ロビンソン」で買ったドリアンをリュックに隠し、日本に持って帰った。(見つかると税関で没収だからな)機内でもリュックを開けるとガスのにおいが漂うので、冷や汗もんだったさ。その密輸入したドリアンを会社の同僚が食べてみたいって言うので、親指大をアルミ箔で包み、ビニール袋に入れて会社に持って行った。ロッカー室で包みを開け、食べさせてやった。その後、会社の人が「ガスくさいぞ。ガス漏れしてるんちゃうか」と騒ぎ始めたのだ。本当のことを言うに言われず黙っていたら、誰かが電話したんだろうな。大阪ガスの車がやって来てガス漏れの点検をやり始めた。しばらく調べていたが、もちろん異常なしで帰っていった。恐るべし、ドリアン! 今でも会社の人には真実を伝えていない。でもさ、ドリアンアイスとかドリアンスナックとかドリアンキャンディーとかドリアン羊羹(がバンコク伊勢丹で売っとるのだが、これはさすがに食したことはない)はうまいとは思わん。ドリアンの身上はにおいではなく、カスタードクリームを濃厚にしたような 、あのねっとりとした果実だ。これぞ、キング・オブ・フルーツ。ドリアンを食べるためだけに、タイに行く人の気持ちが私はよく分かるぞ。ドリアンを食べていると私は幸せになる。納豆やくさやの干物を好んで食べる日本人が、においだけで毛嫌いするのはどういうわけだ。
マレーシアに行った時、屋台にドリアンを食べに行った。買ったその場で食べていると、「ドリアン、むっちゃ、うまいわ~」 「ほんま、最高やね~」という大阪弁が聞こえてきた。見ると、屋台のテーブルで女の子が二人、必死の形相でドリアンにむしゃぶりついていた。クアラルンプールは退屈な街だったが、その時の光景だけはよく覚えている。

NO44 ウタダ
at 2004 04/02 23:49 編集

I was out stumbling in the rain staring at your lips so red.
よろめき出ると、雨。なんて赤い、あなたの唇。
   
小生、過日久しぶりにテレヴィジョンを聴こうと思い、セカンド・アルバム「アヴェンチャー」を引っ張り出した 。一曲目の「Glory」。冒頭の詩はその一節。

語順に訳出し、体言止め。赤い唇のなまめかしと、雨の冷たさの対比が、いい。訳詞をしたのは岡田英明と、ある。岡田氏は、かつて「ミュージック・ライフ」誌上で、ピストルズの「プリティー・ヴェイカント」をWe are pretty oh so prettyと繰り返し、そこでvacantと言葉の意味が逆転するのは痛快だ、という意味のことを書いていたが、彼はそこでprettyという単語を正しく理解していたのであり、なんじゃ、そらあたり前やんけと言う人もあるやもしれんが、事実はそうでは、ない。ピストルズは正式なスタジオ・アルバムは畢竟(ひっきょう)、一枚しか捻出していないにもかかわらず、ライブやデモテープやセッション、はてはインタビューなどのCDがそぞろ出ているのであって、もちろんその都度、訳者が違う。その中に、「オレ達は素敵だ」と訳し、その後に何の脈絡もないvacantと言う単語が来ているのに戸惑い、狼狽し、苦心した挙げ句、「だけどかなり抜けてるけどね」等と言う訳詞を恣意に捏造し糊塗しているのを何度も、読んだ。これはもちろん「乃公 (だいこう)等は全くの何もない、カラッケツのカラッポ」だと歌っているのであって、まだある、同じ曲の中に「0ut to lunch」(時流に遅れた)という文言があるが、これを「さっ、昼メシに行くぞ」とあって、小生、全く弱り果てる。プロレスラーの藤原喜明カール・ゴッチに「大工はノミを磨き、石屋はハンマーを磨く。キミがレスラーなら体を鍛え、大切にしなさい」と言われ、爾来(じらい)、それを座右の銘にし、肉体の鍛練に努めたというが、もちろん、なにがしかの報酬を受けとっているのであれば、プロというのであって翻訳者も日本語と外国語の言葉を鋭意、磨かねばならぬ。
                                  
よくブルースやゴスペル、ジャズ、レゲエ等等という、所謂(いわゆる)、黒人音楽と称される楽曲をやっている我が朝の人が「私は黒人に生まれれば良かった。私はなぜ日本人であることか、私はなんと不幸なんだろう」と、おっしゃる人をたまさか見聞するが、小生、これを聞くと「ふざけんな大馬鹿野郎。プリンの角に頭を打って公民権運動前のアメリカ合州国南部かアフリカ西海岸の奴隷船の黒人にでも生まれ変わってきやがれ」と悪態をつきたくなるのであるが、もちろんアフリカ黒人にもインド黒人にもアメリカ黒人にもアメリカ白人にも中華人民共和国人民にも日本人にもスペイン人にもアイルランド人にもああめんどくせえア・ポステリオリに自分たちの生活、風習に基づいた文化というものがあり、宗教でいえばキリスト教とアフリカの呪術に高度低度の違いはないという考え方で、これを文化相対主義というのであるが、これが正しいのかどうかはひとまず置いといて、日本人が黒人の文化をそっくりそのままいただきって感じでサルマネしてもこのアホンダラそれが何になるの、って感じで。
 拙者が大学で英文学などというヤクザなものを専攻しておった頃。第ニ外国語という面妖なものを単位取得せねば卒業は罷(まか)り成らんとの仰せで仏語、独語、西語、支那語から取捨選択せねばならんということに相成った。英文学専攻の学生は仏語を選択するのが慣例、などと通達用紙に記載されておったのだがケッ、て感じで、結局僕は西語を選び勉学に刻苦精励することになった。理由は以前紐育はハーレムという地をぶらぶらと散策していた時、そのラテン・アメリカ人の多さとあらゆる表記に英語と西語が記されているのを目撃し驚いたからであるが、それはさておき、西語の先生は詩人のアレン・ギンズバーグに風貌がそっくりであったので僕は大いに怪しみ、この人はどこぞの人ぞ?と訝(いぶか)しがったのであるが日本人であることが判明し僕は安心立命した。何ぞ? 
その西語の授業中、僕はコンサイス英語辞典を机上に置いておったのであるが、先生は僕の席を通りがかるおり、ひょいとその辞書を手に取り、しげしげと、と見こう見されるのである。僕は西語の辞書を放擲(ほうてき)していたことに対し、叱責されるのかと鞠躬如(きっきゅうじょ)としておったのであるが、あに図らんや先生は「これはすごいですね」と目を細め、その辞書をためつすがめつされるのである。僕は仰天した。中学生から使用している辞書なので韋編三絶なのは当然といえば当然なのであるが、僕はそんなことに関心を示される先生に感銘した。さらに先生はこうも言われたのである。「私はこのような西語の辞書を三冊持ってます」と。僕はますます感銘を受けた。感動のあまり、「そのくらい辞書を活用しなければ語学は習得できないのでありますね」という意味のことを口走ったのであるが、「いや、まだまだです」と先生はおっしゃられるのである。先生の学問に対する真摯(しんし)な態度、一求道者たらんとする先生の孤高の精神に僕は尊敬の念を覚えたのである。
僕の寝室兼書斎には、あまたの辞書が参差(しんし)乱雑しておる。「リーダーズ英和辞典」「アメリカ俗語辞典」「アメリカ口語辞典」「アメリ新語辞典」(これは図書館からガメてきたやつ)「最新和英口語辞典」「スピーキング英和辞典」「Give Get辞典」「The dictionary of Comtemporary SLANG」「英語図詳大辞典」「英和翻訳表現辞典」「最新英語情報辞典」「早見優ちゃんの英語にしてみたゲンダイ用語辞典」だってあるし「現代フランス語辞典」「現代スペイン語辞典」「広辞苑第三版」「新選漢和辞典」「新明解国語辞典」「イミダス」に「現代用語の基礎知識」だってある。三島由紀夫は「辞書は引くものではなく、読むもの」と言ったが、いかにも辞書は読んでもおもろい。はは。
僕は成人式のお祝いに市から国語辞典を頂戴したのであるが、僕と同年代(当たり前だ)の阿呆の餓鬼どもはその辞書を毫(ごう)も有り難く思わず、放擲していたに違いないことは想像に難くない。その頃、文学などに入れ込んでいた僕は意味不明の文言が出てくると逐一、辞書を引いて確認していたのである。そうして使用していた辞書は一年を俟(ま)たずしてボロボロに朽ち果てたのであるが、僕の日本語の語彙は飛躍的に伸びたのである。イエイ。
ともあれ、西語は三年間授業を受けたのだが、拙者、西語で覚えた文章は「私の父と母は西語を話すことができます」だけである。嗚呼、やんぬるかな。アディオス。
  
わが君にわけは恋ふらし 
わがせの君は涙ぐましも 

自分は過ぐる夏、マレーシアに旅した。わが朝のポップスは亜細亜市場を席巻している。街をうろついて聞こえてくるのは宇多田ヒカルだ。自分はクアラルンプールの「タワー・レコード」で宇多田のテープを邦貨、六百円で購った。そしてセレンバンという街を目指し、列車に乗った。その街に目的若しくは所用があったわけではなく、車窓から街並の風景、乃至市井人の生活というものを打ち眺めてみたかったのであり、それには日帰りで逆旅(げきりょ)に帰館できるセレンバンは都合がよかったのである。車窓からは、なるほど森林を伐採して作られた都市だと実感できるほど、熱帯多雨林が生い茂り、抜けるような蒼穹入道雲が棚引いておる。春霞棚引く山を君が越えいなば。眩しい陽光の中で宇多田の湿ったリズム・アンド・ブルースの唱法は妙に合った。聴いているうちに、自分は不覚にも涙を流していた。    

 沢木耕太郎の「書物の漂流」というエッセイは、こういう書きだしで始まる。
「小説を読んでいて不覚にも涙を流しそうになったことがある。確かにそれが物語の中段とか終局においてというなら別に珍しいことではない。取り立てて口にするほどのことでもないだろう。その時、私は第一章の第一節の第一行目を読んでいたのだ。第一行目の活字を眼にした時、不意に胸が熱くなってしまった。驚いた。狼狽したといった方が正解かもしれない。_私は山本周五郎の『さぶ』を読んでいたのだ。」

シルクロードを西に向かって歩いていた沢木は日本人旅行者から一冊の文庫本を貰う。それが『さぶ』だった。彼はチャイハナでその本を読み始めるが、一ページ目が終わらないうちに、その先を読み進むことができなくなってしまう。
「いまとなれば、その時の動揺は山本周五郎の文体の力によってもたらされたものに違いない、と考えることができる。靄のようにけぶる小雨、両国橋という名の橋、さぶという名の若者、橋を渡るという感覚。一片の雲もなく、一滴の雨も降らない中近東の砂漠にいる私には、それらのすべてがひとつの世界を現前させる激しい喚起力を秘めていた。しかもその世界は、遠ざかりつつあり再び戻ることはできないのではないかと怖れていた土地の、鮮やかな象徴として現前したのである。」

何百日か後、戻れないのではないかと怖れていた日本に帰った彼は再び『さぶ』を手にするが、あの時の胸の熱さを経験することはなかった。
「しかし、」と彼はいう。
「文庫本の『さぶ』は、いまでもなお、シルクロードをゆっくりと往き来しているかもしれないのだ。そう思うと、ほんの僅(わず)かだが、胸が震える。」
自分は宇多田をバスの中で、逆旅のベッドの上で、繰り返し聴いた。聴くたびに日本のことを想った。それはアメリカン・スクールに通う彼女(当時)が、亜細亜の片隅にいる自分に日本人であることの認識を強いたからだ。

マリリン・マンソンとはアメリカの闇が生み出した怪物だ」 
ベルリンの壁崩壊以後、喧(かまびす)しくなってきた感があるが、人種、宗教、文化、言語に関係なく世界中の人々は融和して住むことができる、宇宙から地球を眺めてみれば国境線なぞなかった、僕達は地球号という一蓮托生の船に乗ってる地球人であるから争いはやめよう、ウイー・アー・ザ・ワールド、ウイー・アー・ザ・チルドレン、国境なんぞがあるから戦争、紛争が起きるのだ、反戦、平和、自由、平等、人権が人類にとっての普遍の真理であるから反権力、反国家、もう国民という言葉を使わず市民と言おう、これからは草の根運動だ、一個人が輝く時がきた、国籍を捨て、国際人になろう、等という輩(やから)がいる。妄言である。自分はかかる妄言を吐く人種を信じぬ。「イマジン」から「アナーキー・イン・ザ・U.K」、マリリン・マンソンまで、ロックの一部分は無政府主義を標榜し、国家の解体を宗(むね)としてきた。(ただし後年ジョニー・ロットンアナーキズムなんて中産階級マインド・ゲームだと言っていたが)国家が消滅すれば、より紛争及び戦争が勃発するということは自明の理であり、国家すなわち権力であるから他国を侵略する力を有するという民主主義やその漸進形態である共産主義の謂(いい)は笑止である。しかし、自分はイラク空爆に賛成である。かかる非人道的な行為を看過できぬ。人権思想を持つ、アメリカやヨーロッパの民主主義国家が空爆を決議したのは当然だ。それならば、インドにはサティーという文化(culture)『人間が自然に手を加えて形成してきた物心両面の成果。衣食住を初め技術、学問、芸術、道徳、宗教、政治など生活形成の様式と内容とを含む』(広辞苑)がある。夫に死なれた未亡人は生きたまま焼かれるという文化だ。法律では禁止されたが田舎では今でも実施されている。全ての文化を等価値だとする文化相対主義者はサティーを容認できるか。そして民主主義者は人権、平等、女性差別撤廃の名においてサティーを絶対に容認できまい。この悪魔の所行を根絶するために民主主義国家はインドを空爆しなければならない。それができなければ、民主主義は恣意的な思想(イデオロギー)だと言われても仕方がない。アメリカよ、インドを空爆せよ。

皆様への伝達事項
ドリアン長野が2010年以前に作成し発表したマレーシア等について述べた海外旅行記は複数の国々を旅行してきた思い出と食品の評論を混在させたお笑いエッセイのような作品ですので余り真剣に読まないようにして下さい。脚色が加えられてる部分が数多いと思います。従って、現在とは状況が異なる部分が多々あるかと思います。影響を与える事が出来ても責任は取れませんので参考にしてもらう分には構いませんが模倣は不可能になってるやもしれません。半ば例外的かもしれませんが、日本国内でもドリアンは複数のお店で販売されてますから皆さんも一度は購入されましたかね?ま、ドリアン長野がドリアンについて語ってましたね。
 皆さん、人が何を食べるか食べないかについて第三者は強要してはいけません。なぜなら、国の内外を問わず法規制や食品アレルギーや宗教上の理由で食べないようにしてる食品があるからです。一方で海外旅行の時においしい食事をされた経験は良き思い出になります。
日本国内では一般的ではない食品を食べる事を私は第三者に強要したくありませんしされたくもないです。
 ドリアンは日本国内の複数のお店で一般的に販売されるようになってます。お笑いエッセイなので実際には日本で購入したと思います。TV番組のウルルン滞在記は平成十年代にとても人気があったので今でも人々の記憶に新しいと思います。(再放送はBS-TBSで平成25年春迄行われてた)食品は海外においても食べ慣れてる食事が重要ではないでしょうか?
 明日、何が起こるかは誰にも分かりませんが国境紛争は多いです。平成29年二月にマレーシアで北朝鮮が行った暗殺事件の影響は大きい。

マレーシア、在北朝鮮大使館を閉鎖へ :日本経済新聞 https://t.co/E4hSYOuEmR
— ドリアン長野 (@duriannagano) 2017年10月29日


管理人 マーキュリーマーク
 

 回顧を兼ねた書評
 僕の初海外旅行は26歳の時のインドだった。
 当時往復チケットは年末料金だったので30万した(泣)。
 行く前は椎名誠の「わしもインドで考えた」を熟読。
 インドでは尻の毛まで抜かれるほどぼったくられ、下痢と発熱で散々だったけど、
 それからはリーマンパッカーとして主にアジアをふらふら。
 アフリカは遠すぎて行けなかった。新婚旅行もバックパックでバンコクと香港へ。
 香港では雑居房のチョンキンマンションで二泊し、妻はぐったりしていた。
 バンコクでは安宿と高級ホテルと泊まり歩き、マリオットのプールで
 溺死しそうになったのは今ではいい思い出だ(嘘)。
 旅も好きだが、旅行記も好きだ。
 この本は主にアフリカ旅行のエッセイだが、面白い。
 何よりも文章がうまい。
 奥さんとのなりそめを綴った「追いかけてバルセロナ」なんか疾走感があり、
 一気に読め、感動的でさえある。
 朝の通勤の地下鉄で読んでたけど、日本にいながら気持ちはバックパッカー。
 旅の本もいいけど、また出かけたいなあ。