皆様へご連絡 平成27年3月

管理人元(ハジメ)から皆様へご連絡
今回は特別です。ドリアン長野のホームページの更新回数ですが今年(平成27年)の4月一日以降は基本的に月一回にします。申し訳ないが転載しようにも難しい内容の時がある。一例を伝えると写真の枚数が多い時がございました。それに私の感想文を付加したリターンズは一応は終了したから一定の役割を果たしたと考えてる。
趣味の領域です。
もしも、これを読まれたあなたが、ドリアン長野がフェイスブック上で行った新規投稿を全て知りたければフェイスブック上でドリアン長野に友達申請をしてください。恐らくは申請を認めてもらえると思います。
無論、超法規的措置と言うか例外的に何らかの特別な連絡が必要な場合は新規投稿をするので一か月間で2回以上の新規投稿は行うやもしれません。しかし、基本的に平成27年4月一日以降は現在のように頻繁な新規投稿や転載は控えます。又、gooブログではなくヤフーブログ上で新規投稿をしていく予定です。理由はツイッター上でヤフーブログの更新をつぶやくとgooブログにも反映されるからです。
リターンズとはドリアン長野が投稿してた海外旅行記(時期は、平成初期から平成20年頃迄)を管理人元(ハジメ)の感想文を付加した新規投稿で、すでに終了しました。
ドリアン長野は、政治信条について語ることがございますが、各自の判断でお考えください。決して、皆様の自由妨害をする気持ちは当方は一切考えておりません。(後述)又、当ブログは海外旅行記をメインにしてますが決して海外旅行記ばかりを発表してる訳ではありません。後述します。
平成24年4月にドリアン長野にも状況は伝えたし別人からも伝えられたが諸事情があってリンクの削減を二回行った。前者は返答が無かったが問題は無い。将来的には彼等はウチの紹介を取り止めると思いますが構わないと考えてます。後者は連絡も返答もありました。(編集をして後述します)決断は時には下さないといけないが可能であれば行いたくない決断もございます。平成24年の決断は悩んだ上で実行しました。
実際に私(管理人 元)が本人(ドリアン長野)に会って導き出して下した決断です。実際に黙認されたばかりか否定されませんでした。返答はあれば良いですね。
少々本音を述べます。長期間続けていると状況が変わる事があって放置しても良いかと思っていた所、大きな変更が求められます。正直に申し上げてこの旅行記は楽しんでもらう分には問題が無いですが、模倣してもらう必要は全くありませんし私が言うのも何ですが反面教師の一面も含んでいると考えられてもいたし方がありません。批判されても仕方が無い部分もあるがドリアン長野が海外を旅してきて感じた内容を率直に発表しています。世間には神経過敏になって激しく非難される人も居られるばかりか無神経な考えを吐露する人もいますね。皆様、肩の力を抜いて楽しんでもらう為のお笑いエッセイである点を踏まえてお読みください。
管理人 元(ハジメ

#70 反日デモと民主主義

at 2005 04/27 22:31 編集

中国各地で反日デモが出来しているが、事件をテレビや新聞で目にするたびに私は文革を思い出しては「中国は民主主義社会である」との意を強くする。矢吹晋氏の「文化大革命」(講談社現代新書)には「スターリンの粛清が秘密警察を用いた国家テロであったのに対して、文革は大衆独裁という大衆によるテロであった事実に注目する必要があろう。ここでは中国共産党の誇る大衆運動は大衆操作に堕落し、ついには大衆テロに堕落したのであった」とあるが、これは民主主義というイデオロギー以外の何物でもないではないか。文革、学生の民主化要求デモ、そして反日デモに至るまで民主主義は連綿と継承されてきた。ちょっと待たんかい、なんで民主主義社会で民主化要求デモがあんねん。それに天安門事件はどないやっちゅうねん。人民がぎょうさん殺されとるやろ。人権はどないなっとんねん。と言う人もいるに違いない。それはまだ中国が未熟な民主主義だからだ。共産主義に至る第一段階の社会主義みたいなものである。だとすれば、民主主義後進国である中国が日本やアメリカのような民主主義先進国を目指せばいいのか。もし仮にある国家が民主主義を採択し、どんどん人権思想を発揚し徹底していけば、それはファシズムにならざるをえない。何となれば、民主主義はファシズムだからである! 
ヒトラーは(略)『民主主義の大洪水』をひき起こしたのである。これを人々はナチズム(あるいはファシズム)と呼ぶ。しかし、その正体はなにかと言えば、フランス革命以来一貫してかわらぬ、あの『抑制のないデモクラシー』にほかならないのである。(「民主主義とは何なのか」 長谷川三千代 文春新書)
カンボジアでのポルポトの大虐殺は文革がなかったら起こりえなかったかもしれない。少なくとも文革に影響されたことは確かである。民主主義・人権思想の持つ、差別を撤廃し全てを均一化するという情熱はポルポトの蛮行につながっている。虐殺があったから民主主義を再検討しようということにはならない。逆に民主主義・人権思想を徹底しようということになるはずだ。中国がチベット人に対して行っているのは紛う方も無く人権侵害である。しかし人権というものは恣意的な概念であり、制度に過ぎない。フランス革命の人権宣言には「国民議会は、至高の存在の面前でかつその庇護の下に、つぎのような人および市民の権利を承認し、かつ宣言する」とある。ここに「至高の存在」とあるように、人権宣言は宗教的な儀式であった。神(もしくは神のような存在)から承認された権利(!)であり、人間に賦与されているものではないのである。人権を人類普遍の真理だとするのはまやかしであり、そうと思い込むのは錯誤でしかない。チベット人への人権侵害をやめろ、と人は言う。これは現代の人権思想への儀式を求める鬨の声なのか。全てを人権へと収束しようとする儀式への。人権を持ち出せばチベット人は救われることはない。何度でも言う、人権というのはイデオロギーだからだ。
過去、イギリスは清にヤクザ同然のやり方で戦争をしかけ、多額の賠償金、治外法権関税自主権の放棄、最恵国待遇条項の承認と上海、広東等を開港させ香港を租借地にしたが、それに対して中国が賠償を求めたとか反英デモを行ったという話は寡聞にして知らない。これは日本への差別ではないのか。今回の反日デモは別の意味で民主主義のあり方を問うべき事件であると私は思う。

#75 「美味しんぼ」と人道主義

at 2005 06/09 18:54 編集

美味しんぼ」(作・雁屋哲 画・花咲アキラ)91巻の第6話(“焼き”の深さ)は東西新聞の文化部に配属された記者の話である。彼はインドネシアスマトラ沖地震に対しての民間の義捐金が少ないことに義憤し、紙面で被災者救済を直接訴えることができる政治部か社会部に転属させてくれとごねる。山岡士郎は文化の重要性を説くためにこう言う。
「ある日本人が、いまだに第二次大戦中のことで、日本を非難し続ける中国人に尋ねたことがある。どうして日本よりもっと長い間アジアを植民地にしていたイギリスを非難しないのかと。彼は答えた。イギリスはアジアを植民地にして収奪したが文化を与えてくれた、だが、日本は奪うだけで文化を何も与えてくれなかった、その違いだと。」
それほど文化というものは重要なものだと山岡は言うのだ。恐ろしい論理である。イギリスの上流階級に広まった喫茶のために清から大量の茶等を輸入し、その輸入超過を是正するために阿片を売りつけていたが、それを拒否した清に戦争をしかけたのがアヘン戦争だ。これはまごう方無い侵略戦争である。その後のアロー戦争も同様だ。これにより支那への支配が始まったのだが、しかしこんなことはイギリスが文化を与えたことによって免責されるのである。喫茶という貴族階級の文化を維持するためには何人もの清の人間が廃人になろうが仕方ないとでも言うのだろうか。原爆投下による大量虐殺もアメリカ文化を与えられたことによって相殺されるということになる。それならば日本による朝鮮支配もインフラや教育という文化を与えたことによって不問に付されるはずである。しかし雁屋氏は「美味しんぼ」や「日本人と天皇」(いそっぷ社)といった著作の中で滔々と日本を一方的に断罪し、他のアジア諸国を単純な被害国として描くのみである。
美味しんぼ」76巻の「中華と中国」は支那そばという店名に憤慨する支那人の話である。支那というのは蔑称であるから中国と呼べ、というのが彼らの主張だ。実は支那というのは蔑称でも何でもなく、むしろ支那という名称を廃止せよと強要していることが日本に対する差別であるということが評論家の呉智英支那文学者の高島俊男といった識者によって明らかにされている。この名称問題は靖国神社参拝や歴史教科書問題につながっている。以下は小泉局長と山岡の会話である。
小泉 「事は簡単だ、支那という言葉がどんなにいい言葉であろうと、蔑称ではなかろうと、相手がいやだと言うことは、やめればいい」
山岡 「おっしゃる通りです、相手がいやだと言うことはしない。これは人間同士の間でも、国と国との間でも、同じことじゃないのかな」
中国の日本に対するバッシングは国内問題から目をそらせ、人民を極端な国粋主義ショービニスム)に転化させる政治的意図であるというのは周知の事実だ。日本は中国のサリーおばさん(Aunt Sally;年増女の木像の口にくわえさせたパイプに棒を投げて落とす遊戯。転じて不当な攻撃の的)なのだ。それであるから、中国は日本がどんなに賠償金を支払っても謝罪してもどこまでも許しはせず、口実を作って責め立てるのは明白である。中国が東シナ海という呼称がいやだからと言えば、それを改称するのか。歴史教科書は捏造であるから不快だと言えば、中国の都合のいいように書き変えるのか。チベット人の虐殺を明るみにするなと言われれば、唯々諾々と従うのか。北朝鮮が日本が拉致問題についていつまでも拘泥するのは不快だと言えば、追求するのをやめるのか。雁屋氏のアジア史に対する見解は単純で楽天的であるが、歴史観人道主義が結びつくほど恐ろしいものはない。

2012-05-11 
10:36 RT from web (Re: @980hajime000197)  [ 2 RT ]
@980hajime000197 お手数ですが、リンクは外していただいてよろしいでしょうか。いろいろと迷惑をかけてしまいそうなので・・・。
(林 孝信さんのツイート)

10:59 RT from web  [ 1 RT ]
@takanobu12345 本日、私は昼過ぎから忙しくなるので先ほど、削減をしました。又、今回はともかくなのですが次回は申し訳ないが職場の紹介は控えさせていただきます。バルケッタと写真のブログは今後も、紹介を継続していきます。返答を願います。
(980hajime0000197さんのツイート)

21:22 RT from web (Re: @980hajime000197)  [ 1 RT ]
@980hajime000197 それで結構です。お手数おかけして申し訳ありません。
(林 孝信さんのツイート)
(翌日)
10:36 RT from web (Re: @980hajime000197)  [ 2 RT ]
@980hajime000197 ありがとうございます。自分のブログについてはリンクを継続していただけますと助かります。SSBSについては外していただいて結構です。お願いします。
(林 孝信さんのツイート)

10:36 RT from web  [ 1 RT ]
@takanobu12345 大変だとは思いますが、負けないでがんばってください。
(980hajime0000197さんのツイート)
管理人元(ハジメ)からの補足説明
半ば周知の事実でしょうがリツイート等はどうしても時間が表面的には前後しますが、こういったやり取りがありました。二日間にかかってのやり取りでした。ヤフーブログはリンクやブックマークが少し難しいので相互リンク等の募集は取り止めておこうと考えてます。

 

 回顧を兼ねた書評
 僕の初海外旅行は26歳の時のインドだった。
 当時往復チケットは年末料金だったので30万した(泣)。
 行く前は椎名誠の「わしもインドで考えた」を熟読。
 インドでは尻の毛まで抜かれるほどぼったくられ、下痢と発熱で散々だったけど、
 それからはリーマンパッカーとして主にアジアをふらふら。
 アフリカは遠すぎて行けなかった。新婚旅行もバックパックでバンコクと香港へ。
 香港では雑居房のチョンキンマンションで二泊し、妻はぐったりしていた。
 バンコクでは安宿と高級ホテルと泊まり歩き、マリオットのプールで
 溺死しそうになったのは今ではいい思い出だ(嘘)。
 旅も好きだが、旅行記も好きだ。
 この本は主にアフリカ旅行のエッセイだが、面白い。
 何よりも文章がうまい。
 奥さんとのなりそめを綴った「追いかけてバルセロナ」なんか疾走感があり、
 一気に読め、感動的でさえある。
 朝の通勤の地下鉄で読んでたけど、日本にいながら気持ちはバックパッカー。
 旅の本もいいけど、また出かけたいなあ。