広島市民にとっては万感の思いであっただろう。

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広島市民にとっては万感の思いであっただろう。
原爆のことを知るときに一番戦慄したのはエノラゲイウラニウム爆弾「リトルボーイ」を投下した際に爆風で3メートル跳ね上がったという記述だ。
父は10歳のときに原爆に遭っている。家が焼けて泣きながら街を歩いて逃げたそうだ。街は地獄のようだったろう。その時の不安と恐ろしさがわかるような気がする。この話も間接的に聞いただけで、原爆手帳も見せてもらったことがない。ただ一度、天皇には戦争責任があると思う、とポツリと言ったことがあった。
私が結婚するときに双方の両親を呼んで私の家で会食をしたことがあった。なぜか父が広島で原爆に遭った話をした。妻の父が後に言っていたが、将来私たちの子どもが障害を持って生まれてくるのではないかと、血の気が引いたそうだ。
今日はあくまでもスタートに過ぎない、という大統領の言葉を信じたい。
 

 回顧を兼ねた書評
 僕の初海外旅行は26歳の時のインドだった。
 当時往復チケットは年末料金だったので30万した(泣)。
 行く前は椎名誠の「わしもインドで考えた」を熟読。
 インドでは尻の毛まで抜かれるほどぼったくられ、下痢と発熱で散々だったけど、
 それからはリーマンパッカーとして主にアジアをふらふら。
 アフリカは遠すぎて行けなかった。新婚旅行もバックパックでバンコクと香港へ。
 香港では雑居房のチョンキンマンションで二泊し、妻はぐったりしていた。
 バンコクでは安宿と高級ホテルと泊まり歩き、マリオットのプールで
 溺死しそうになったのは今ではいい思い出だ(嘘)。
 旅も好きだが、旅行記も好きだ。
 この本は主にアフリカ旅行のエッセイだが、面白い。
 何よりも文章がうまい。
 奥さんとのなりそめを綴った「追いかけてバルセロナ」なんか疾走感があり、
 一気に読め、感動的でさえある。
 朝の通勤の地下鉄で読んでたけど、日本にいながら気持ちはバックパッカー。
 旅の本もいいけど、また出かけたいなあ。