山の辺の道 #6

大和の国
もちろん当時からは変わってはいるが、風の匂い、鳥の鳴き声、虫のすだき、朝日や夕日の美しさは変わらない。
古代の人も餓えに苦しみ、悩み、自然を畏れ、恋をしたんだろう。
巻向遺跡は3㎢にも及んだそうです。
わが国最初の都市、あるいは初期ヤマト政権の都営とも言われています。
近くには相撲発祥の地、相撲神社が。
出雲の国に野見宿禰(のみのすくね)という強者がいるということで呼び寄せ、垂仁天皇の命で当麻蹴速(たいまのけはや)とこの地で天覧試合がありました。
当時の相撲は突きや蹴りもあった総合格闘技のようなもので、勇者のプライドを賭けて闘った野見宿禰当麻蹴速の腰骨を踏み抜いて殺したと日本書紀には記されています。
また野見宿禰垂仁天皇の皇后の葬儀の時に殉死の風習の代わりに埴輪の制を案出したといわれています。
もう少し歩くと、日本武尊、あるいは彼の父とされる景行天皇が日向の地で望郷の念にかられて詠んだといわれる、

「大和は国のまほろば たたなづく青垣 山ごもれる 大和し うるわし」

(大和は日本で一番よいところだ。幾重にも折り重なった青い垣根のような山々に囲まれた大和は本当に美しい)

という文が。このあたりは大和青垣国定公園に指定されています。
普通なら山の辺の道は5時間で歩けますが、ゆっくり歩いていったので大神神社に着いたのが7時になりました。参拝者もいなく、灯籠に灯が入って幻想的です。

大神神社といえば、高校生の時に夢中になって読んだ三島由紀夫の豊穣の海 第二部「奔馬」の舞台です。その頃からずっと行きたいと思っていました。
終点の桜井駅にはこんなポスターが

「籠(こ)もよ み籠(こ)持ち 掘串(ふくし)もよ み掘串(ぶくし)持ち この丘に 菜摘(なつ)ます児(こ) 家聞かな 名告(なの)らさね そらみつ 大和(やまと)の国は おしなべて われこそ居(お)れ しきなべて われこそ座(ま)せ われこそは 告(の)らめ 家をも名をも」

籠(かご)、その美しい籠を持ち 箆(ヘラ)、その美しい箆を手に持ち この丘で菜を摘む乙女よ 君はどこの家の娘なの? 名はなんと言うの? この、大和の国は、すべて私が治めているんだよ 私こそ名乗ろう 家柄も名も

万葉集巻一の一に記されている雄略天皇の御製歌とされています。まあ、若菜摘みの女性に呼びかけたナンパですね。この時代、女性が男性に名前を告げるということはプロポーズを受け入れるということでした。

山の辺の道は四季折々に違った風景を見せてくれます。春は菜の花が咲き乱れ、桜が咲き、夏は鳥や虫の鳴き声、夕日の美しさ、秋にはコスモスが見事です。次は秋に行こうと思っています。


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 回顧を兼ねた書評
 僕の初海外旅行は26歳の時のインドだった。
 当時往復チケットは年末料金だったので30万した(泣)。
 行く前は椎名誠の「わしもインドで考えた」を熟読。
 インドでは尻の毛まで抜かれるほどぼったくられ、下痢と発熱で散々だったけど、
 それからはリーマンパッカーとして主にアジアをふらふら。
 アフリカは遠すぎて行けなかった。新婚旅行もバックパックでバンコクと香港へ。
 香港では雑居房のチョンキンマンションで二泊し、妻はぐったりしていた。
 バンコクでは安宿と高級ホテルと泊まり歩き、マリオットのプールで
 溺死しそうになったのは今ではいい思い出だ(嘘)。
 旅も好きだが、旅行記も好きだ。
 この本は主にアフリカ旅行のエッセイだが、面白い。
 何よりも文章がうまい。
 奥さんとのなりそめを綴った「追いかけてバルセロナ」なんか疾走感があり、
 一気に読め、感動的でさえある。
 朝の通勤の地下鉄で読んでたけど、日本にいながら気持ちはバックパッカー。
 旅の本もいいけど、また出かけたいなあ。