名選手、瀬古さんでもそうなのか。少し安心した。
「実際走るとやはりつらかった。途中までは楽に感じていたが、30キロメートルを過ぎてからは地獄だった。足は前に進まない。目の前はぼんやりしてくる。」
やはりそうなのか。
「1日で88キロメートルを走ったことがある。それは私に根性があったわけではない。レースの42キロメートルが怖くて怖くて仕方がなかったから、練習でもっと長い距離を走ったのだ。」
市民ランナーだってレースの前は不安で眠れないと聞く。私も42.195キロという距離を走ったら体がどうなるか不安でたまらない。これは空手の昇段試験の連続組手と同じ怖さだ。いや、マラソンは相手がいないだけまだましか。
というわけで一度フルを走ってみることにした。
その日の朝食はバターを塗ったトーストにおにぎり、バナナ二本。直前にヴァームも飲む。腰に会社の人が貸してくれたウエストバッグを巻き、飲むゼリーやら飴ちゃん等を入れる。ヴァームウォーターはドリンクホルダーがないので、どうしょうかと迷ったが、手に持って走ることにした。
用意周到、準備万端である。
中の島から大川沿いに北上する。5キロ走っただけで苦しくなった。この現象はいつも走っている20キロと違い、フルを走るプレッシャーに脳が過剰に反応していると思われる。10キロで淀川河川敷に到達。普通ならここが折り返し地点なのだが、やっと4分の1なのである。ペースを押さえて走っているのだが、それでも1キロ5分47秒。20キロランの時と10秒しか変わらない。逆に言えばタイムを10秒短縮するのはとても大変なことだ。ひたすら河川敷を京都方面に向かって走る。このランニングコースは大阪学院大学時代のQちゃんがよく走っていたそうだ。12キロの時点で1キロ6分までペースが落ちる。15キロでプレッシャーもなくなり、気持ちよくなってくる。フルなんて楽勝だと思ったのだが、脳が錯覚したのもここまでで、42.195キロは伊達ではなかったのである。20キロでヴァームウォーターも飲み干し、両手が楽になった。23キロで折り返す。枚方まで来た。29キロでトイレに入り、おしっこをすると茶色い。体の水分がかなり減っているようだ。30キロを越えるとむやみに喉が渇く。水飲み場を見つけては飛びつくように水を飲んだ。自分はなんでこんな苦しい思いをしてまで走っているのだろうとふと思う。マラソンは楽しむためのスポーツというよりは、自分を律する武道に近いような気がする。少なくとも自分にとってはそうだ。前述の著書にもこんな記述がある。
「マラソンランナーは減量を重ね、試合に挑むボクサーと同じようなものではないだろうか。ボクシングを見ていて共感を覚えることがある。」
38キロで1キロ6分11秒まで失速。ここからが本当に苦しかった。あと2キロで40キロだと思っていても足が前に出ない。意地でも歩くまいと思っていたのに、立ち止まる。歩く。気力を振り絞り走る。最後は6分20秒までペースダウン。なんとか40キロに到達。あとの3キロ弱が永遠と思えた。
歯を食いしばりながら4時間27分でフィニッシュ。