彼のことを二度だけ間近で見たことがある。平成3年、大阪府立体育館で行われた全日本ウエイト制大会で私はスタッフとして試合場の下で待機していた。黒澤伝説として今でも語りつがれる七戸選手との試合。相手の上段蹴りをさばいた黒澤は、道着に薬指を引っかけ、開放骨折してしまう。しかし彼は折れた指のまま平然と最後まで闘った。観客が異変に気づいたのは試合後だった。彼は医師の指示で試合場の下で寝かせられ、看護士が骨折した指に消毒液を振りかけた。その瞬間苦悶の表情で足をバタつかせたが、苦痛の声は一切あげなかった。その光景は今でもはっきりと覚えている。黒澤は用意された担架を拒否し、歩いて引き上げていった。
二度目は青山葬儀場での大山総裁の告別式の時だった。喪服に身を包んだ黒澤は凄まじい殺気を放っていた。このような殺気を発する人間がこの世に存在するのか、という畏敬の思いはいまだに忘れることができない。