最後のニホンオオカミと呼ばれた黒澤浩樹 平成29年6月

極真空手史上最強といわれ、格闘マシーン、最後のニホンオオカミと呼ばれた黒澤浩樹
彼のことを二度だけ間近で見たことがある。平成3年、大阪府立体育館で行われた全日本ウエイト制大会で私はスタッフとして試合場の下で待機していた。黒澤伝説として今でも語りつがれる七戸選手との試合。相手の上段蹴りをさばいた黒澤は、道着に薬指を引っかけ、開放骨折してしまう。しかし彼は折れた指のまま平然と最後まで闘った。観客が異変に気づいたのは試合後だった。彼は医師の指示で試合場の下で寝かせられ、看護士が骨折した指に消毒液を振りかけた。その瞬間苦悶の表情で足をバタつかせたが、苦痛の声は一切あげなかった。その光景は今でもはっきりと覚えている。黒澤は用意された担架を拒否し、歩いて引き上げていった。
二度目は青山葬儀場での大山総裁の告別式の時だった。喪服に身を包んだ黒澤は凄まじい殺気を放っていた。このような殺気を発する人間がこの世に存在するのか、という畏敬の思いはいまだに忘れることができない。

 

 回顧を兼ねた書評
 僕の初海外旅行は26歳の時のインドだった。
 当時往復チケットは年末料金だったので30万した(泣)。
 行く前は椎名誠の「わしもインドで考えた」を熟読。
 インドでは尻の毛まで抜かれるほどぼったくられ、下痢と発熱で散々だったけど、
 それからはリーマンパッカーとして主にアジアをふらふら。
 アフリカは遠すぎて行けなかった。新婚旅行もバックパックでバンコクと香港へ。
 香港では雑居房のチョンキンマンションで二泊し、妻はぐったりしていた。
 バンコクでは安宿と高級ホテルと泊まり歩き、マリオットのプールで
 溺死しそうになったのは今ではいい思い出だ(嘘)。
 旅も好きだが、旅行記も好きだ。
 この本は主にアフリカ旅行のエッセイだが、面白い。
 何よりも文章がうまい。
 奥さんとのなりそめを綴った「追いかけてバルセロナ」なんか疾走感があり、
 一気に読め、感動的でさえある。
 朝の通勤の地下鉄で読んでたけど、日本にいながら気持ちはバックパッカー。
 旅の本もいいけど、また出かけたいなあ。


 管理人マーキュリーマークからの伝言
 上記は、ドリアン長野が令和二年に投稿した内容です。
 令和六年にドリアン長野は親子でケアンズ旅行。