#24 飛んで上海 その2(リターンズ)

#24 飛んで上海 その2(リターンズ)
2011-11-01 | Weblog
上海の裏通りを歩いていると、かつてはここいらに阿片窟や娼館が立ち並んでいたのかなと感慨深いものがある。租界時代に建てられたオールドホテルの「和平飯店」なんか往事を偲ぶよすがとなるに充分だ。ここにあるオールド・ジャズ・バーでスイング・ジャズに耳を傾けていると魔都と呼ばれ、スパイが暗躍した国際都市上海の在りし日の姿が彷彿としてくる。嗚呼、東洋のマタハリと呼ばれた男装の麗人川島芳子李香蘭(実は日本人、山口淑子)との倒錯した怪しいロマンス。「白蘭の歌」「支那の夜」そして「上海の女」に江湖の婦女子は紅涙をしぼるのであった、って私はいくつやね~ん! (と一人でつっこんでます)
 アミューズメント・パークの「大世界(ダスカ)」はレトロ。老朽したビルの中に小部屋がいくつもあり、京劇、奇術、映画館、ディスコ、ゲーセン、似顔絵、お化け屋敷等をやっている。野外ステージでは私が行った時は子供たちが雑技をやっていた。ここの雰囲気は日本の昭和三十年代であり、大阪の新世界界隈に似ている。そういえば、ダスカの作りはフェスティバルゲートにそっくりだ。もしかしたらダスカにコンセプトを合わせて作ったのかもしれない。レトロっていうのは古い感覚と新しい感覚との境界線にできるのだと思うが、その極めつけが街のあちらこちらにあるカフェだ。 
 上海でカフェと呼ばれる喫茶店は上海人にとってのおされな社交場となっているらしい。外装も内装も全然、垢抜けてないのがかえって新鮮だ。私の入ったカフェは席がつい立てで仕切られていて(同伴喫茶?)、ビニールのテーブルクロスの上にアクリル板が敷いてあり(う~ん、レトロっすねえ)、ろうそくが立っている。何だか懐かしい。コーヒーはネスカフェで15元。ソフトドリンクはココナッツジュースしかなくて(しかも缶入り)、20元。日本人は珍しいらしく、店の人たちが話しかけてきたので彼女たちと筆談をした。
 上海を旅した人の本を読んでいたら、上海風呂に入りたくなった。幸い、宿泊しているホテルの裏に「浴徳池」という大きな垢すり風呂がある。さっそく行ってみた。まず、バスタブにつかって、体をあたためる。それからすっぽんぽん状態で大理石の台の上に寝そべり、垢すりをしてもらうのだが、これがくすぐったい。それが終わると個室に案内される。バスタオルを腰に巻いて待っていると、男が二人現われた。一人はマッサージ担当で全身を隈無く揉んでくれる。もう一人は手足の爪を切り、やすりで磨き、角質まで削ってくれた。その間にも別の男が煙草を勧めたり、コーラを持ってきたりと至れり尽せりである。全行程の所要時間は2時間。いい気持ちで受付に行き、請求書を見せられてびっくり! アメリカン・コミックなら目玉が30センチほど飛び出てたね。 二人分で884元!(その時は友人と行ったのだ)
 明細を見ると、爪磨き代はもちろん、コーラ代やおしぼり代までしっかりとつけられていた。そうならそうと、事前に言えよっ! 
 「高い」と思わず言うと、「タカクナイヨ。ニホンジン、ミナハラッテクレルネ」(日本語)と言うのだが、日本人は納得して払ってんのか?
 「もう少し安くならんか?」とねばっていると、従業員が五、六人出てきて無言で圧力をかけてきた。暴力バーならぬ、暴力風呂かいっ、ここは。そんなことだったら、六人の男にチップを計220元もやらんかったらよかったわい。
 「女、いらない?」 帰り道で追い討ちをかけるように、またポン引きが声を掛けてきた。(しかも同じ男) 
 ということで、今回の旅で得た教訓。「インド人と中国人には勝て~~んっ!!」 はいっ、大きな声で皆さんも御一緒にっ! (泣) 

元(ハジメ)管理人の感想文と皆様への伝達事項
 先月に続いてチャイナ旅行記のリターンズです。
 この海外旅行記は、平成初期から平成10年代にかけて作成されたので、平成20年代の現在とは違ってきている部分があるのを理解した上でお読みいただければ幸いです。将来的には、この文章も古くなるであろう。
フェスティバルゲートですが平成10年代には営業していて現在は閉鎖されていますが、なんとマルハンが、2013年6月にレジャー施設を建造し開業するそうです。現在は、新規改装の為の準備期間でしょうか?
 スパイや忍者はいつでもどこにでも存在していて単純に有名になったかどうか位のようです。
 上海も含めて、日本人があまり行かない海外の店は案外、良くないお店というか悪評がすでに知れ渡っていたり何らかの情報が広まっていたのかもしれませんね。実際の所、見積もりをせず(ないしは、価格を把握しないまま)お金を支払うようなことがないようにしないといけませんね。ある程度は、普通の海外旅行記を読んだ上で海外の町を探索してもよろしいでしょう。ドリアン長野の場合、半ばぶっつけ本番であったりします。
 そういえば、インドと中国の両国は、10億人以上の人口を抱える国家としても有名ですね。
 
 軽自動車で有名な某S社も、インド進出には今でこそ成功し賞賛されていますが、過去には相当苦労したそうでインド側から追加の投資を求められても拒否をして日本のビジネスのやり方に目覚めさせた過去があったそうです。 そういうこともあってか、日本の民間企業は世界最強とも言われているそうです。実際の所、内容の是非については大別されるかもしれませんが、某T社も自動車の販売台数が世界#1になりましたね。 ご存知のように、販売台数が多くても経営面で厳しく黒字と赤字を短期間で繰り返していたそうですからその辺りでも考える人は多い。評論家によっては、「部品の仕入先を項目別で一本化したのは過失だ。」と主張しています。案外、それなりの待遇で生活をしていると言われている在外邦人が高いお金を海外で支払っているかもしれません。 在外邦人の一部は海外ではリッチでも日本では月並みです。

オマケ
追記 2014年にマルハンフェスティバルゲート(遊園地)の跡地にパチンコ店を開店させました。又、2015年二月27日にMEGAドン・キホーテ新世界店が開店する予定だそうです。ご存じの方も多いと思われますが、計画が二転三転して現在に至るといった具合です。店舗面積が大きいギャンブルよりも良い商品を買いに大型の小売店に行く人の方が多いかもしれません。





 

 回顧を兼ねた書評
 僕の初海外旅行は26歳の時のインドだった。
 当時往復チケットは年末料金だったので30万した(泣)。
 行く前は椎名誠の「わしもインドで考えた」を熟読。
 インドでは尻の毛まで抜かれるほどぼったくられ、下痢と発熱で散々だったけど、
 それからはリーマンパッカーとして主にアジアをふらふら。
 アフリカは遠すぎて行けなかった。新婚旅行もバックパックでバンコクと香港へ。
 香港では雑居房のチョンキンマンションで二泊し、妻はぐったりしていた。
 バンコクでは安宿と高級ホテルと泊まり歩き、マリオットのプールで
 溺死しそうになったのは今ではいい思い出だ(嘘)。
 旅も好きだが、旅行記も好きだ。
 この本は主にアフリカ旅行のエッセイだが、面白い。
 何よりも文章がうまい。
 奥さんとのなりそめを綴った「追いかけてバルセロナ」なんか疾走感があり、
 一気に読め、感動的でさえある。
 朝の通勤の地下鉄で読んでたけど、日本にいながら気持ちはバックパッカー。
 旅の本もいいけど、また出かけたいなあ。