上海日記 六日目 in 1

管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項
今回も一まとめにしたin 1でリターンズを発表します。





紹介した動画はドリアン長野並びに私(マーキュリーマーク)が撮影したものではなく、参考の為の転載です。
上海日記 6日目 in 1 
2014/4/7(月) 午後 11:23 


NO67 上海日記 6日目

at 2005 04/19 22:36 編集

8時起床。戦前に日本人が多く住んでいた虹口(ホンキュ)地区に移動。ホテルの目の前に魯迅公園がある。近くにある多倫路文化名人街で食べた6角(8円 平成17年当時の金額)の肉饅がとても美味だった。地下鉄で上海駅に行くと、ものすごい人。地下鉄のホームで待っていた小姐(若い女性)がどどっと降りてきた乗客に揉みくちゃにされ、くるくると回転していた。観察していると、白線の前に仁王立ちして電車のドアが開くと同時に乗り込もうとする者があちこちにいる。もちろん吐き出される乗客の圧倒的な物量に負けてあちこちでくるくる舞っておるが。なぜだ? なぜ中国人はちゃんと列を作って待ってられんのだ。しょっちゅう、服務員が「ちゃんと並べ!」とマイクで青筋立ててがなってるぞ。そういえば、ぎゅうぎゅう詰めのバスでも、降りようとする者より先に乗り込もうとするお茶目なやつらだからな。なぜ学習せん、中国人! けど、あの回転している中国人を思い出すと、悪いが笑ってしまうわあっ! ぶあっはっはっはっはあ! くっ、苦しい、笑いすぎて涙が....。

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衆道徳って重要ですよね。ドリアン長野が嘲笑したからか後述しますが、少し辛い試練を体験することになりました。
実際の所、日本でも同じような問題が過去にあって人気のある路線では乗客増に応える為に駅のホームの延長工事をして車両連結数を増やしたそうです。一応は一般車両であれば15輌、総延長300mが日本の限度だそうです。日本の町中であれば隣駅に行くのに1km未満の事は多いけども。営業距離がJRよりも短いことが多い私鉄であっても車両の座席数を減らしてドアを増やしたり大型化した前例もあったそうです。近距離であれば悪くない選択です。長距離移動になると乗車時間も比例するのでドアの数を1ドアにして座席数を増やす必要がございますね。普段、余り気にしないでしょうが車両の連結数が多いか少ないかでその路線の人気がよく分りますし反映されてます。 
 バンクーバーのトランスリンクも朝のラッシュの時にはそれなりにたくさんの人々が乗り込んでました。バラード駅が混雑してましたが、皆さん整然とされてました。エスカレーターもちゃんと常識的に右側で立ってましたしね。
大阪市内の駅の中の同じで安堵する人は多いであろうなぁ。

NO68 上海日記 6日目(続)

at 2005 04/12 23:54 編集


今日は日曜なので宗派を問わず礼拝できるという「国際礼拝堂」に行く。着くとすぐにシンガポール出身だという信者が案内してくれた。中国語の聖餐会が終わり、今から英語の聖餐会が始まるそうだ。礼拝堂はゴシック様式でとても広い。これほどりっぱな教会がよく文革で破壊されずに残っていたもんだ。徐々に人が集まり、時間になると二階席までびっしりと埋まった。ざっと数えてみても800人はいるだろう。説教台でアコギにアンプをつないだ黒人青年がいきなり歌い始めた。
「主を讃えよう。主と共に歩もう。天国はわれらのもの」
スクリーンに歌詞が写し出され、800人が立ち上がって合唱する。壮観。ゴスペルではなく、何と言うかこれはアメリカン・ポップスである。感極まって全身をうち震わせながら歌う者もいるのだが、賛美歌が終わっても黒人青年はギターをつま弾きながら何かつぶやいている。ラップでも始めたのかと思ったが、よく聞くと彼はお祈りをしているのであった。周りを見るとさっきまで歌っていた信者は目を閉じて頭を垂れている。このように歌と祈りの境界線のない賛美歌が何曲か続き、中国人、白人、黒人の牧師による説教があり、再び賛美歌を歌い、二時間半におよぶコンサートじゃなかった、礼拝は終了した。信者が席を立っても黒人青年はギターをかき鳴らしながら、延々と歌っている。もう少しすると、第三部のコンサートじゃなかった、礼拝が始まるのだろう。近くにいた、上海の大学に留学中だという日本人女性に話を聞いてみた。
「以前より緩やかになったといっても、まだまだ中国ではキリスト教に対して規制がありますね。ほとんどのクリスチャンは日曜に各家庭でお祈りをしています。教会も少ないんですけど、こうやって皆と集って礼拝できるだけでも恵まれています。集会しただけでも処罰された時代もあったそうですから」
中国のクリスチャンに幸あれ。

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多くの人々が教会が関わる事柄で辛い体験をされてます。信仰の自由は素晴らしい権利ですね。それが認められてるから良い意味で霊的に過ごしたいですね。日本では信仰の自由を妨害する人は憲法違反で糾弾される。
文革とは文化大革命の略称で多くの人々が中国で辛い思いをされた時期です。
一説によると中国に本拠を持たない教会は中国では認められないという時期もあったそうです。最近では香港で多くのキリスト教徒が祝福を受けているようです。
状況が厳しいと最善を尽くすのが良い意味での関の山だと思います。
 私がバンクーバーに行った時に教会の中でリーダーシップについて語る時があり、現地のカナダ人が「シリアのア〇ド大統領や中国の習〇平国家主席についてどう考えるんだ?」と気難しい顔しながら発言してたから私は「ENEMY?(許しがたい敵?)」と発言したら左前にいたそのカナダ人が爆笑した後で左側にいた指導者らしきカナダ人も爆笑し我慢してた目の前のフィリピン人の教会員が爆笑し右側にいたカナダ人もつられて爆笑し結果的に全体が爆笑した前例がございました。日本人でも真正保守であれば色々と理解し賛同してもらえると思います。錯乱してる人は「日本の恥を世界に輸出してる。」と考えるかもしれないがそれは、真正保守ではない考えを持つ悪人の考えなので是認されないようにしてもらいたい。


NO69 上海日記 6日目(続々)

at 2005 04/20 21:50 編集

夕食をとりに南京東路へ。この上海一の繁華街に行くたびに思うのだが、中国のホントに田舎から出てきた人民がこの通りに来たら、腰を抜かさんばかりに驚くだろうな。ここだけは香港の繁華街以上だ。その南京東路にある有名なイスラム料理店に行く。羊肉のしゃぶしゃぶを食べるためだが、さすが有名店だけあって待っている人が列をなしている。われわれは31番の番号札を渡された。おれたちの前に30人もいるのか.....。待っている間にも客は次から次へとやってくる。果たして今晩はここで飯にありつけるのだろうか。せめて、この番号札をあとから来た人に5元で売りつけられないだろうかなどと考える。見ていると、面白いのが案内係の小姐だ。まだ顔に幼さが残る彼女は、一人で怒濤のごとく押しよせる客の苦情攻撃に対処している。
「いつまで待たせるんだ」
「ただ今満席ですからもう少し待ってください」
「俺はさっきから待ってんだぞ」
「席があいたら知らせますから」
「いつだ!」
「番号札渡したでしょ!」
「ねーちゃん、俺にも番号札くれ。なに! 48番だと! どうなってんだ!」
「今日は予約が多いの! ごちゃごちゃ言わずに大人しく待ってなさい!」
とまあ、このように(あくまで推測だけど)客とのバトルが展開しているのだった。日本だったら、店員は「すみません」とひたすら平身低頭だろう。私も声をかけると、「はぁ~っ?!」とおもいっきり不機嫌な顔をされた。帰国してから日本のコンビニの過剰なサービスに違和感を覚え、彼女の不機嫌な顔を懐かしく思い浮かべる今日この頃。
結局、その日はあきらめて帰った。
管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項

前述したが少し辛い試練でしたね。夕食がこの日は食べられなかったようです。しかし、飲食店の場合は長い行列が出来ていたお店がしばらくしてから閉店したりと想像を超える出来事があったりしますね。日本では北海道を除外して羊肉はインターネット通販で購入が行えるようになりましたね。北海道では羊肉は一般的に多くの小売店で販売されてますね。但し、日本の場合は羊の飼育数が少ないから多くを輸入に頼ってるのも現実です。
リーマンショック後(平成20年以降)、不況になったと言われてる中国で未だに接客が悪いお店が存在してるのか否かについては各自でお調べください。日本でも景気が良くなると接客が悪いお店が増加する恐れはございます。不況であっても接客が悪いお店がありましたね。今回の上海日記は平成10年代に行われました。平成10年代と平成20年代は違いますよね。
 実は、私もバンクーバーでダンジネスクラブとロブスターを食べたかったが行ったお店がその日はたまたま従業員向けのパーティーの日で営業してなかったんです。万一の時の為に第二希望や第三希望のお店の情報は前もって用意しておくことを提案します。他のシーフード料理店でそれなりの食事は行えたのは単純に喜ばないといけないであろうなぁ。もし、食事をしたければ、24時間営業してるティムホートンでドーナツ等を買えば問題は無かったから特別困りはしませんでした。多くの人が体験してるようですが、行きたかった飲食店の食事を諦めることも海外旅行の辛い出来事に含まれるようです。

皆様、次回、長文の上海日記七日目にご期待下さい。

リターンズとは「過去に発表したドリアン長野の海外旅行記を、管理人マーキュリーマークの感想文を付加した上での(事実上の)再掲載。」とお考えください。


 

 回顧を兼ねた書評
 僕の初海外旅行は26歳の時のインドだった。
 当時往復チケットは年末料金だったので30万した(泣)。
 行く前は椎名誠の「わしもインドで考えた」を熟読。
 インドでは尻の毛まで抜かれるほどぼったくられ、下痢と発熱で散々だったけど、
 それからはリーマンパッカーとして主にアジアをふらふら。
 アフリカは遠すぎて行けなかった。新婚旅行もバックパックでバンコクと香港へ。
 香港では雑居房のチョンキンマンションで二泊し、妻はぐったりしていた。
 バンコクでは安宿と高級ホテルと泊まり歩き、マリオットのプールで
 溺死しそうになったのは今ではいい思い出だ(嘘)。
 旅も好きだが、旅行記も好きだ。
 この本は主にアフリカ旅行のエッセイだが、面白い。
 何よりも文章がうまい。
 奥さんとのなりそめを綴った「追いかけてバルセロナ」なんか疾走感があり、
 一気に読め、感動的でさえある。
 朝の通勤の地下鉄で読んでたけど、日本にいながら気持ちはバックパッカー。
 旅の本もいいけど、また出かけたいなあ。