ビルマの休日 その3、その4、その5

NO90 ビルマの休日 その3

at 2006 01/12 23:29 編集

歩いているとひっきりなしに、「ハロー、チェンジマネー?」と声がかかる。通貨のチャットと同じくらい米ドルが流通しており、しかも外国人旅行者はホテル代や鉄道料金等は米ドルしか使えない。しかし注意しなければならないのは、ミャンマーでは古びたドル紙幣は受けとってくれないことだ。少しでもよれよれのドルを渡すと、「交換してくれ」と言われる。帰りに空港で出国税の十ドルを出したときにも職員に「新しい紙幣と交換してくれ」と言われ、たまがった。もし新しい紙幣を持ってなかったらどうすんだ? 「日本人、古いドル紙幣のためにミャンマーから出国できず」なんて新聞に書かれたらずいぶんとおまぬけではないか。
市内を犬のようにうろつく。どこの国に行っても中国人街とインド人街が一番にぎやかでぐちゃぐちゃで暑苦しい。サイケなヒンズー寺院の前にはなぜか何匹も野良犬がうろついていた。腹が減ったので食堂に入ってチェッター・ヒン(チキンカレー)を注文。西原理恵子が「アジアではビルマ料理が一番おいしかった」と言っていたが、ガイドブックには「非常に油っこくて旅行者は必ずお腹をこわす」と書いてある。どっちなんだ。出てきたカレーはインドカレー以上にさらっとしているが、表面は古い油を浮かしたようだ。油の中にチキンが泳いでいるといった方がいい。食べてみて驚いた。うまい。うまいじゃないか。香辛料はそんなに入っているようには思えないのに、複雑で奥深い味だ。油っぽさは感じない。チキンは噛み締めるとしっかりとしたうま味が出てくる。私はミャンマーでカレーを食いまくった。ビーフカレー、フィッシュカレー、茄子カレー、鹿肉カレー。一番うまかったのはやっぱりチキンカレー。ビルマ語で覚えたのは「チェッター・ヒン」と「タミン」(ライス)と「エインター」(トイレ)だけだ。「ありがとう」も「こんにちわ」も「おいしい」も未だに何て言うのか知らない。(続く)

管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項
ミャンマー風チキンカレーはチェッターヒンだそうです。

文化の一環で「こんにちわ。」という表現はミャンマー語で「ミンガラーバー。」で存在するが頻繁に使わないそうです。
ありがとうはミャンマー語で「チェーズーティンバーデー。」だそうです。
おいしいはミャンマー語で「サーロー カウンデー。」だそうです。
平成10年代と違って平成20年代になってからホームページが増えたこともあってミャンマー語を紹介するホームは多数存在してます。ミャンマー語について詳しく知りたい方は各自でミャンマー語のホームページを閲覧してください。
 海外では日本円のような自国通貨よりも他国の通貨が通用することが多いようです。無論、ユーロのような例外も存在します。硬貨に限っては他国で生産されたユーロであっても通用すると言われてます。
周知のように使用が行えないスイスや英国のような国は存在するが欧州の大半の地域でユーロは使用可能です。従って、各自で海外旅行に行かれる前にどの通貨が使用可能かどうかを調べておかないといけません。
海外では日本と違って違法両替商人がいるので警戒されることもこの場で伝えておきます。
やはり、インドに隣接してるミャンマーはカレーがおいしいそうです。こういったことはよくあるお話で中国の隣国のロシアでも餃子を食べる人が日本と同じように多いとされてます。料理は国境を超える。
日本でも個人経営の飲食店とチェーン店で味付けが違うように海外でもお店毎に味付けが違ってくるようです。インド人が驚くカレーライスとはやはり牛を神聖視するヒンズー教徒にとっては食べることが考えられないビーフカレーを日本人がたくさん食べてるからでしょうか?
ミャンマー料理(カレーライス限定)の評論を読む限りでは植物油が多用されてるようです。結局は、実際に食べてから判断する方が良いと思います。人によって食品の好みが違うことは周知されてます。
皆さんの参考になるか否かは不明ですが、ある日、私があるお店で外国人が調理したカレーライスを食べた時もやはり、植物油が多用されてることについて驚いたことはございました。やはり、料理の味は人によって好みが変わると考えてください。

 カナダではカナダドルが利用出来ます。日本国内で複数国の通貨が利用出来る両替機や外貨で支払いが行える万屋カナダドルが利用出来なかった事を連想しました。言い換えると外貨によっては利用が行える場所とそうでない場所があるんです。
 カナダのロブソン通り沿いに両替商があったので入店はしたが見るだけにしておきました。日本国内で外貨についてはそれなりに用意しておいた方が現地で過ごす時間を増やす事が行えると私は考えました。実際にはカナダでATMを利用しましたけども。次はもう少し良い準備をしておきたいです。



紹介した動画はドリアン長野並びに私(マーキュリーマーク)が撮影したものではなく、参考の為の転載です。


NO91 ビルマの休日 その4

at 2006 01/17 22:51 編集

夜はすることがないので十時には寝るから、毎朝五時に目が覚める。バンコクで二時までディスコで踊り狂って夜更かしするのとはえらい違いである。早朝の散歩がこれまた気持ちがいい。独立記念塔がある近くの公園に行くともう善男善女が太極拳やらダンスの練習をしているので、私もカラテの型をやる。六時半になればもう充分に明るい。そこからヤンゴン川に向かって歩いていくとイギリス植民地時代に建てられた、創業百年以上の老舗アンド高級ホテルのストランド・ホテルがある。一番高い部屋で一泊十万円、安い部屋でも五万円もするというクレージーなホテルだ。せっかくだからトイレを借りに入ってみると、何だか調度品やら骨董品やらがごちゃごちゃと置いてある。おしっこしたついでにレセプションで両替してみるとレートがものすごく悪い。私の泊まっている安宿の方がはるかにいい。(勝った!)と内心優越感を覚える。ここらあたりは税関やイギリス大使館や今は使われていないデパートや貨物列車が運行していたであろうレールが残っていたりしていて、植民地時代の残滓が色濃く漂っている。朝から対岸行きのフェリーに乗る人や降りてきた人でごった返している。川を眺めながら食べた露店のモヒンガー(魚のダシで作った麺)はストランド・ホテルで食べる豪華なディナーよりおいしかったと思う。これは別に負け惜しみではない(こともないこともない)。
市街にはバッタもんの外食店もある。「マック・バーガー」とか「ミスター・Jドーナッツ」とか「フライド・チキン・トーキョー」とか。カレーより高いけど結構はやっている。ファーストフードは嫌いだが、ためしにフライドチキン・ディナーセットを購入。味に関しての感想は控えたい。ただ日本だったら三時間でつぶれるだろう。
三時間で市内を一周する環状線に乗ってみた。外国人は乗車券を購入する窓口が違っていたり、パスポートの提示を求められたりとややこしく、おまけに料金はミャンマー人は二十円だが外国人は1ドルである。発車時間ギリギリだったので、ホームを走って最後尾の車両に飛び乗った。乗客から不思議そうにじろじろ見られた。(続く)

管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項

人によって意見が分かれることは、承知の上ですが、海外旅行に行くと時差ボケで苦しむ人は多いです。
私が行ってきたブリティッシュコロンビア州の夏時間と日本の時差は16時間でした。従って、日本時間の午後11時が現地ブリティッシュコロンビア州の午前7時です。皆さんも過去に一度は日本国内で午後11時に食事をしたことがあるとは思いますがカナダでは朝食の時間帯に該当します。
そればかりかホテルのベッドが柔らかすぎて寝にくい状態が継続してましたので8時間起きて4時間寝るといった状態が継続してました。早寝早起きではあったが非常に不規則でした。フリープランを選んで正解でした。何しろ、バンクーバー水族館の休憩所で苦しんでる日本人観光客の一団を見た事がございました。彼等は時差ボケで苦しんでました。
バンクーバーは都会でしたから24時間営業してるティムホートン(ドーナツ店)がホテルの近くに存在してたこともあって暇になることはありませんでした。もしも、空腹であればティムホートンに行けば贅沢を言わなかったら食事は行えました。
日本とミャンマーの時差は2時間半です。従って、日本時間の正午がミャンマー時間の午前9時半だそうです。
今からお伝えすることは絶対に模倣しないでもらいたいがバンクーバーで宿泊してる時に現地時間で午後10時半を過ぎた時にドアを開閉させたがゆえに発生する金属音が「ガチャガチャ。」うるさかったので扉を開けるとお隣さんの別口の日本人観光客達が議論してたようでした。私はその日の翌日に早朝から出かける予定があったので就寝をしようとしてたが彼女達はお構いなく議論をしてたので閉口しました。こういった具合の会話に至りました。私「日本人観光客ですか?もう、午後10時半は過ぎてますよ。」全然知らない日本人観光客の返答。「今、大事な話をしてまして。」私の返答「幾らなんでも午後11時迄には終わってください。私は明日、早いんです。」といって扉を閉めて寝ました。今はタブレット等で連絡が行えるから扉を何度も開閉させて金属音を作り出すような周囲の人々の迷惑を辞めてもらいたい。良い行動をしてもらいたいです。こういった迷惑行為の模倣は絶対に辞めてもらいたいです。実質的な教会の3時間プログラムの参加の妨害であった。その教会の3時間プログラム中にリーダーシップについて語る人がいて「シ〇アのア〇ド大統領や中〇人民共〇国の習〇平なんかはどうなるんだよぅ?」みたいな濃い人がいたから「ENEMY?(敵)」と発言し室内にいた教会員達を爆笑させた日本人はいます。皆様、親睦を深める良い機会であって「日本のハジを輸出した。」と考えないようにしてもらいたい。
 ミャンマーストランド・ホテルの宿泊費について軽く調べてみると今でも一泊につきおよそ五万円は必要なようです。この点は平成10年代か平成20年代を問わずに同額のようです。高い部屋になるとおよそ一泊につき16万円は必要なようです。これにデポジット(預かり保証金)が加算されるといくらになるのであろうか?宿泊費については皆さまが本当に海外旅行に行くならば前もって調べて予約してから海外旅行に行ってください。そうでないと大変困ることになります。
 私が宿泊してきたホテルは300カナダドル請求されホテル内で迷惑をかけなかったから全額返金されました。無論、為替差損についてはやむを得ないと考えてます。本来は三日後の返金が15日後に返金されたのは何だったのであろうか?
 海外の町に到着してから対岸行きのフェリーが存在してるかどうかについては海外旅行案内書を読んでから知る人が多いとは思います。私は利用しました。そこで異性の在外邦人と知り合うとは予想外でした。
以下の動画に限っては私(マーキュリーマーク)が撮影しました。


 私が行ってきたブリティッシュコロンビアにはトランスリンクという阪急のような大別して3路線を保有する公共交通機関(鉄道)が存在してまして専らそれのワンデイパス(一日乗車券)ばかり買ってました。検札が多かったらしいが今では自動改札機がちゃんと機能してるのでお気楽でした。昨今の近鉄の方がミャンマーやカナダよりも検札は多いかもしれません。実は特急料金を踏み倒そうとする人が近鉄には多いからやむを得ないようです。外国人であっても同一価格だった点は「良かった。」と考える必要があるかもしれません。
現地に到着してからは送迎バス(空港からホテルとその逆)、徒歩、トランスリンクの3種類のどれかでした。トランスリンクが運営してるバンクーバースカイトレインの中にカナダラインが存在していて例えるならば南海本線のような路線でした。なぜならば、西側が海に近いばかりか国際空港に乗り入れる空港連絡鉄道だったから共通してる部分が存在してるからです。但し、北部の方が人気があって南部の人気が低いか否かが共通してるかどうかですが一概に言い切れない部分があるので各自でお考え下さい。カナダラインの南部には(私は行っていないが)大型ショッピングセンターのリッチモンドセンター(店)があって有名で、南海本線の南部はおいしいラーメン店と(夏場限定だが)海水浴が楽しめる和歌山市内に行けるので安直に言い切れない。
私はメトロラインのカナダラインそのものは利用しました。まるで、南海に乗って教会に行った人のようにオークリッジ41丁目駅で下車したのを昨日のように連想します。
そういえば、国内外を問わずに初めて乗車する路線は迷ったりしますね。一日乗車券を購入した後であれば「乗り越しでは?」といった批判はされないからお気楽です。逆に一日乗車券を否定した私鉄の方針については懐疑的に思えます。日本人向けのスルッとKANSAI3dayチケット(季節限定版)を辞めてしまったのは間違いではなかろうか?

三時間。三時間が今回のミャンマー旅行記で大きな重みを持つ言葉ですね。日曜日に霊的に過ごすように求められるのも三時間ですね。実際にはそうならないことが多いのも現実です。
それはともかく、フライドチキンの味付けについての評論を始めて読んだ平成18年には個人的には爆笑した思い出があります。現在はどうか知りませんが、カレーはおいしくてもミャンマーのフライドチキンについてはドリアン長野は肯定的ではなかったようです。実は日本人は塩分が多い食事を好むからその部分も関わってくるかもしれません。塩分が多い食事をしてるから高血圧で困ってる日本人は多いです。もしかしたら、海外旅行中に高血圧であっても塩味が好きな日本人は塩コショウを持ち歩いてたりして?
 健康を意識して意図的に運動量を増やして早寝早起きをしてる人は多くなってきました。軍事政権のミャンマーと資本主義社会のタイランドとはその部分でも大違いのようです。ミャンマーでは早寝早起きでもタイランドでは夜ふかしといった具合です。
 ドリアン長野が旅行した翌年の平成19年にミャンマー政府がガソリン補助金の引き下げを行うと、ヤンゴン環状線(総延長45.9キロメートル)の利用率は急激に高まったそうです。要するにガソリンの値上げで鉄道利用者が増えたそうです。平成10年代と平成20年代は大違いのようです。45.9キロメートルはそれなりに立派ですね。一つの路線で100km以上のJRや近鉄近鉄大阪線営業距離108.9km)に乗り慣れてる人だと賛否が分かれるかもしれない。
又、日本国内でも町によって考え方が違う事が多いのは半ば当然ですが北海道では駅の中で走ることはほとんどないそうで近畿の駅の中で走ってる人を見て驚かれる道産子がおられました。 余談ですが平成10年代のある日、私が北海道の地下鉄の切符を自動改札機に入れたら受け付けてくれなかったことに驚きました。向きが逆だと認識してくれないのです。あれには参った。
ミャンマー風チキンカレーがチェッターヒンだそうです。私もチキンカレーは大好きですがミャンマー風は食べた事がございません。

NO92 ビルマの休日 その5
at 2006 01/20 23:44 編集
対面式の座席の後部には縄が張ってあり、その内側には制服を着た人相の悪い輩が四、五人座っている。一人は車掌であとは警察と軍の関係者らしい。乗客の安寧を保つためだそうだ。列車はゆっくりと走っていく。物売りや行商のおばちゃんたちもどこどこ乗ってくる。水売り少年の水はコップ一杯が五円だった。停車駅に近づくたびに、線路の上で寝ている大人や遊んでいる子供たちを見かける。アジアの人たちっていうのは野良犬みたいだ。好きな時に好きな所に寝っころがって、気に入った場所にはどんどん入っていく。そういえば、バンコクでは線路の上に市場があった。列車が通過する時間になると商売道具をどかしていく。マニラでは列車が運行してない時間を利用して手作りのトロッコを走らせ、お金をとっている人たちがいた。もちろん違法だが、こういうのを見ると、いいよなあと思うのは野良犬の生活に少し憧れているからだろう。
ヤンゴン中央駅に戻り、スーレーパゴダの周りを歩いていると、子供たちがこちらにバタバタと駆けつけてきた。年長の十二歳くらいの女の子が持っていた絵はがきを突きつけ、
ミャンマーの絵はがき買ってよ。言っとくけど、これは複写じゃないからね。他の店では絶対売ってないよ。二十枚セットで一万チャット! お買得だよ。わたしより安いところなんかどこにもないからね!」
と、まくしたてる。アジアの国のどこにでもいる子供の物売りだ。彼らの英語は生活のためだから、たとえブロークンであってもリズムがあってスピードもある。平均的な日本人の英語学習者が一生かかっても彼らのようには喋れないだろう。それはそれで日本人は幸福だなと思うけど。
「一万は高いよ」
「高くないってば! しかたないわね、それじゃあ大負けに負けて八千!」
「それでも高いよ」
女の子は、はぁ~っとため息をつく。
「あのね、一体いくらなら買うの?」
「う~ん、五千だな」
びっくりしたように目をむいて、
「冗談じゃないわ。わかった、ラスト・プライスを言うから絶対、文句言わないでよ!」
「言うよ」
「六千!」
「きみ、英語うまいね」
「あたりまえでしょ、何年も勉強してきたんだから。今でも週に二回学校で英語の授業があるけど、わたし一番なんだからね。いいわ、特別に五千でいい」
女の子は右手を差し出した。商談成立だ。五千チャット(五百円)渡すと、
「あなた、かわいいね」と言われた。きみにかわいいと言われてもな~。(続く)
 管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項
 日本国内にも私服警官が電車内を警備してることがありミャンマーヤンゴン)も同じようです。
 日本の英語教育に問題があるか無いかについては述べたくありませんが、Rの発音がほぼ無い日本ではRの発音が求められる英語の上達は難しいです。とうもろこしのCORNの発音一つとっても外国人は日本人の発音が悪いことから爆笑する人もいます。円錐のCONEだけでは無い点は強調しておきます。解釈の仕方が悪い外国人に問題があるのでしょう。
 平成10年代に絵葉書を販売してた小学生の女の子は今は二十歳になったやもしれません。平成18年当時で12歳であれば、平成29年の現在は? 時間は誰一人として待ってくれない。
 どこの国でもそうですが、仕入れた価格に利益率を上乗せして売ることはどこでも同じです。さて、ドリアン長野はミャンマーの絵葉書を購入して得したのか損したのか?それは次回のお楽しみです。
 お水ですが本当に警戒してください。私はブリティッシュコロンビア州では瓶詰のミネラルウォーターを飲んでました。海外では日本よりも衛生基準が緩い国が存在してます。言い換えると、衛生基準が日本よりも悪いので人体に悪影響を与えかねないのです。全く逆にミネラルウォーターを日本へ輸出してる国も存在してるので混在してます。しかしながら、お水には警戒してください。日本から海外に行く時は海外にお水を持ち込むようにしてる人がいる位です。意図的に私は500mlのミネラルウォーター24本1パックの商品を購入しました。その後、ホテルの冷蔵庫に入れて冷えた衛生的なお水を何度も飲んで幸せでした。
 

 回顧を兼ねた書評
 僕の初海外旅行は26歳の時のインドだった。
 当時往復チケットは年末料金だったので30万した(泣)。
 行く前は椎名誠の「わしもインドで考えた」を熟読。
 インドでは尻の毛まで抜かれるほどぼったくられ、下痢と発熱で散々だったけど、
 それからはリーマンパッカーとして主にアジアをふらふら。
 アフリカは遠すぎて行けなかった。新婚旅行もバックパックでバンコクと香港へ。
 香港では雑居房のチョンキンマンションで二泊し、妻はぐったりしていた。
 バンコクでは安宿と高級ホテルと泊まり歩き、マリオットのプールで
 溺死しそうになったのは今ではいい思い出だ(嘘)。
 旅も好きだが、旅行記も好きだ。
 この本は主にアフリカ旅行のエッセイだが、面白い。
 何よりも文章がうまい。
 奥さんとのなりそめを綴った「追いかけてバルセロナ」なんか疾走感があり、
 一気に読め、感動的でさえある。
 朝の通勤の地下鉄で読んでたけど、日本にいながら気持ちはバックパッカー。
 旅の本もいいけど、また出かけたいなあ。


 管理人マーキュリーマークからの伝言
 上記は、ドリアン長野が令和二年に投稿した内容です。
 令和六年にドリアン長野は親子でケアンズ旅行。