ビルマの休日 その9、その10、その11

NO96 ビルマの休日 その9

at 2006 02/02 23:03 編集

トラックを降りないうちに、すさまじい攻勢だ。運び屋は私のバックパックを勝手につかんでかごに入れようとするし、茶店のおばさんは私の袖をつかんで離さない。
「ひと休みしてコーラ飲んでいきなさい」
「ひと休みって、これから登るところ.....」
「コーラ!」
「またねー」
彼らを振り切って、山道を駆け登る。下を見ると、熟れ寿司のように一緒に荷台でみちみちになっていたミャンマー人たちはまだ到着地点でうろうろしている。
「ふっ、やる気のないやつらだぜ。日本人のど根性を見せてやるわっ!」と張り切って登り始めたのだが、鬼のように勾配がきつい。一時間あれば山頂に着くらしいのだが、そんなことのできるやつは誰なんだ。植村直己か、野口健かっ。要所要所にかつぎ屋さんがいて、「乗らないか」と声をかけてくる。彼らは四人一組で台座に人を乗せて五百円くらいで山頂まで運ぶのだが、こんな過酷な仕事がまたとあろうか。その仕事に敬意は表するものの、自らの脚で登頂してこそ御利益もあろうというもの。ああ、ありがたや、ありがたや。声をかけられるたびに「ノープロブレム!」と言い放ち、全力ダッシュを繰り返す。三回続けたらマジで心臓が止まるかと思った。アホや。混じりっけなしのアホや。あちらこちらに茶店があるのだが、一旦休憩したらそこに根付いてしまいそうで恐い。脱水症状でふらふらと登っていくと、遥か彼方に陽光にきらめくゴールデンロックが見えた。それを目にしたら逆に気分が萎え萎え。無理や、あんなところまでたどり着くのはずぇったい無理やああああ。責任者出てこ~い!(こればっかし)。
かつぎ屋に乗った日本人や白人が次々と私を追いこしていく。おまえらなあ、金さえあれば何でもできるという先進国の驕りといったもの、かつ人間の努力と尊厳というものをいったいどのように考えて.......、ああ、それにしても私はなぜミャンマーくんだりまで来て、こんな辛い思いをしてまで山に登っているのだろうかという根源的なしかし決して考えてはいけない疑念が浮かんできたのだが、酸欠なのでそれ以上は脳が拒否。あのミャンマー人のAとB、今度出会ったらグーで殴っちゃるう~(逆恨み)。(続く)

紹介した動画はドリアン長野並びに私(マーキュリーマーク)が撮影したものではなく、参考の為の転載です。




管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項

ドリアン長野は空手家で割と体力がある人物なのですが、凄まじい山道だったようです。文章だけでも峠を連想しますね。日本国内でも東大阪市生駒市の境目や神奈川のように峠が多い町を連想しますね。山岳の村は存在しますね。
ミャンマーの観光産業は地形によって成立してる部分もあるようですね。
ドリアン長野が誰かを本気でグーで殴ると恐ろしい結果になります。それよりも、恐ろしい下段蹴りかな?極真空手の黒帯だけにシャレにならないです。

 平成28年になってマラソン完走を果たしたドリアン長野はこの時に「空手以外でも体を鍛える。」と考えたかもしれません。私が行ってきたロブソン通りなんですが坂の急こう配が存在してました。だけど、山道よりかは楽であったと思います。
海外旅行に履いていく靴なんですが、登山靴を推奨したいです。無論、業務上の事務所や極寒地や赤道直下に行くことが確定されてるなら話は変わってきますが大半の場合においては登山靴で成果が得られると思います。
可能であればゴアテックス、ビブラム、そしてオーソライトが用いられてる登山靴を私は推奨します。
もしも、皆さんが本当に海外旅行に行くならば前もって靴を新調されてもよろしいかもしれません。可能であればアウトドア用品販売店靴店に行って登山靴を試し履きされて確認されると良いと思います。実際の所、過去に某航空会社のAさんがメ〇ルの靴を紹介されてました。

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Ortholiteでオーソライトです。

私はある意味、同等品のニューバランスの703を履いてカナダ旅行を楽しんできました。防水性と快適性を兼ね備えた登山靴は海外旅行の時に向いてると私は思います。実際の所、私が行ってきたブリティッシュコロンビア州バンクーバーはレインクーバーと言われるほどに降雨が多いので防水性が高い靴を履いて正解でした。
普段であれば自転車で移動していても歩くことになる事が多いのが海外旅行の特徴だと思うので良い靴を選ぶことを提案します。


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 皆さんが担ぎ屋さんを利用するか否かは各自で熟慮の上でご決断ください。有料です。
しかし、海外旅行中に迷惑をかけてくる人は本当に気分が悪いです。単純に屋外にいる人で悪い人がいるだけでなく平成20年代になってからだと思いますがインターネットを通じて嫌がらせにしか思えない詰問を毎日する人もいるので皆さん、警戒してください。彼は狂人でストーカーであったのかな?荒らすだけ荒らして責任は取らなかったし帰国後に抗議してもロクに謝罪しないから危険性を友人達に伝えてブロックしたから問題ないであろう。ゆすりや揚げ足取りにこだわる人は批判に値する過失行為をやらかしたのであろうか?
皆様、海外旅行中の人に詰問は辞めておきましょう。理由は時差ボケ等で過労で困ってる人がいるからどうでもよい連絡をしてる暇はないんです。
日本人観光客や在外邦人が犯罪の被害にあって海外で辛い思いをしてる報道が行われる事があるが愚かな質問が原因であったらその質問をした人の責任は問われるであろう。なぜならば、犯罪や悪事のほう助は否定されてるからです。大変悲しいが私が行ってきた、ブリティッシュコロンビア州では平成28年に在外邦人が殺害されてとても悲しかったです。そういった前例もあるので強情で無神経な人に関わらないようにしてください。タイムラインで質問(実際には詰問)してくる事が狡猾に思えました。
もし、皆様が海外旅行中にフェイスブック(タイムライン)等を通じて詰問してくる人がいたら以下の文章そのままか参考にして連絡した後で冷静にブロックすることを推奨します。
「海外は日本国内と違って、治安が悪く安全に関わるのでそういった質問は控えてください。万が一の事があったらあなたは責任を取ってくれますか?」
繰り返すが私が行ってきたブリティッシュコロンビア州で日本人が殺害されて私はとても悲しいです。した方ではなくてされた方が判断する範疇は存在する。人権侵害もそうなるでしょうね。

NO97 ビルマの休日 その10

at 2006 02/06 23:48 編集

思えば苦しい道のりであった。山頂付近では息が異常に苦しくなり、高山病かと疑ったり(なわけねーだろ)、いつ着くかともしれぬゴールにくじけそうになった時はアントニオ猪木の「恐れず一歩を踏み出せ。そこが道になる。お前の後ろに道はなく、お前の前に道がある。天上天下唯我独尊」という言葉を思い出して頑張った(ウソ。しかもテキトー)。しかし、朝の来ない夜はない。借金取りの来ない消費者金融はない。永遠に続くかと思われた苦行もいつしか終わりを告げ、はっと思ったらそこは山頂だったのだ。私は無寄港(茶店)単独登頂、しかも杖(茶店で売っていた)なしという偉業を成し遂げたのだ。この偉業はミャンマーの歴史には燦然と輝かないかもしれないが、私の歴史には燦然と輝くであろう。万歳、 自分。誉めたたえよ、自分(by 三代目魚武濱田成夫)。
境内には何百人という登頂者がまぐろのように息も絶え絶えに横たわっていた。まさに野戦病院さながらである。気持ちはわかるぞ、同志よ。そして本尊のゴールデンロックはその黄金色を輝かせ、傾斜のついた崖っぷちに絶妙なバランスで屹立していた。地震か台風でもあったら、転げ落ちそうだ。参拝者が金箔を買って、その岩にぺたぺたと貼付けている。日本だったら危険だからといって立ち入り禁止だろーな。崖の下を覗くと、神聖な場所のはずなのに菓子の包み紙とかがいっぱい散乱していて、ちっとも地球に優しくないミャンマー人なのだった。十分も見ていると、苦労して見にきた金箔岩なのにもう飽きてきた。今晩は早めに寝て日の出を拝もうと思い、外国人が予約なしで泊まれる唯一のホテル(これがろくな設備はないくせに宿泊費だけはバカ高いんだよな)に行ったら満室だとゆわれた。仕方ないので中腹まで下山することにした。あとはトラックでふもとまで行けば安宿があるはずだ。(続く)

 管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項
高山病ですが、概ね2400m以上の高山に登り酸欠状態に陥った時に、さまざまな症状が現れ人によっては2000m前後の標高でも発症することがあるらしいが約1100mの標高に位置するゴールデンロックでは高山病にはならないと考えられます。余談ですがMLBコロラド・ロッキーズの本拠地であるクアーズ・フィールドは標高約1600mに位置します。
 何らかの有名な建物があって辛く長い業務上の艱難辛苦を乗り越えてやっとの思いで到着してから10分もたたない内に飽きてきた経験は皆さんにもございますか?ほとんどの海外旅行記がそうですが単なる浪費であったかもしれません。ミャンマー人にとっても辛い(彼等にとって)国内旅行のようです。
 私が行ってきたブリティッシュコロンビア州のスタンレーパーク内で営業してるバンクーバー水族館ことバナクア(*1)のお土産売り場近くに位置する休憩所でたくさんの日本人観光客が時差ボケで苦しんでいたのを連想しました。座りながらうめいてる人々が多かったんです。その苦しみはよく分かります。私も時差ボケで苦しみながら朦朧としてる状態でカナダを旅行してました。帰国後にも寝れないから夜中のコンビニへ行ったら「何でこんな時間に来るんですか?」と質問されて「カナダに行って16時間の時差でやられて時差ボケで困ってます。」と返答しました。
ゴールデンロックに到着した後で苦しんでる人達と同じようにバナクアに到着した人は苦しんでたと思います。
 自由は自由なんですが、海外旅行の場合は過密な予定で半強制的に何等かの提案や企画に参加するよりも自発的に決めた緩い予定を楽しむ方が良いとは思いますが、最低でもホテルの予約はしておきましょう。ホテルの中に最悪な日本人観光客がいて暴走族のごとく安眠妨害されたりするから本当に大変でした。ホテルの中で午後10時半(現地時間)を過ぎてお隣の日本人観光客達が扉を何度も開閉させて金属音を作り出して議論してたので抗議しました。
大体こういった感じです。
「午後10時半は過ぎてますよ。」
「今、大事な話をしておりまして。」
「私は、明日早いんです。午後11時迄には終わらせてください。」といって扉を閉めた後は静かになって寝れました。
そういった酷い人々はいました。「タブレットスマホか何かでインターネットで連絡してほしい。」と真剣に思いました。会話することは否定しないし艱難辛苦を抱えることもあるとは思うが第三者に迷惑をかけないでほしいです。

*1 Vancouver Aquarium の略称がvanaquaでバナクアなんです。 http://www.vanaqua.org/

 以下は皆様への伝達事項ですが、実際の所、ドリアン長野の海外旅行記の8割以上のリターンズ2.0は終了しました。私の知る限りドリアン長野は2010年以降は海外旅行には行ってません。従って、過去の出来事を語ってるとお考え下さい。
皆様、このシリーズが事実上の最終回だとお考え下さい。このシリーズが終わった後の海外旅行記は「ロサンゼルス旅行記」と「ネパール旅行記」、未完の大作になってる夫婦でタイランドを新婚旅行した「夏が来れば思い出す」等を除外するとドリアン長野が行った再編集したインド旅行記位でした。
平成29年7月に再会した時に執筆を依頼したが、平成29年11月を過ぎても続編の執筆は行われてませんので紹介は行えません。従って、冒頭で述べたように事実上の最終回になってます。ビルマの休日はまだ、しばらく継続しますのでお楽しみください。


紹介した動画はドリアン長野並びに私(マーキュリーマーク)が撮影したものではなく、参考の為の転載です。



NO98 ビルマの休日 その11

at 2006 02/13 23:07 編集

中腹に着くと参拝者を満載したトラックが次々とやってくる。かつぎ屋や運び屋は大忙しだ。こけつまろびつ駆けつけては交渉してどんどん山に登っていく。小柄な少年がかごの中に五人分の荷物を詰め込み、その上にばかでかいスーツケースを括りつけて黙々と登っていった光景を見たときにゃあ、彼の後ろ姿に男を感じたね。町工場のシャチョーさんが見たら「えらい! あんな年端もいかない子供が文句も言わんと....。それにひきかえ最近の日本の若いやつらときたらっ」と思わず事務所のスチールデスクを叩き、感涙にむせびそうだ。定員五十人の荷台に十人の日本人ツアー客を乗せたトラックが到着。五倍の運賃を払ったな。すかさず運び屋が群がる。おばさんが「わたし、自分で歩くよ」と肩をそびやかして腕を振る。日本人のおばさん独特のしぐさだ。とはいっても結局全員がかつぎ屋に運ばれていった。
とまあ、こっちもいつまでも見とれているわけにはいかないので、最終便に乗り込む。定員になるのを待って、ようやくトラックは日没の中を走り出した。夜になるとTシャツだけでは肌寒いほどだ。荷台には茶店の茶器を積んだ大きなバケツを抱え込んでいるおねいさんや売り物の駄菓子やら干物を持って帰る少年といった仕事帰りの人たち、私のとなりには僧侶が二人座っている。相変わらず身動きもできない。時おり話し声が聞こえてくるが、もちろん一言もわからない。見上げると満天の星と下弦の月。トラックは月明かりの下で険しい山道を疾走してゆく。いつ横転してもおかしくないほどだが、彼らと一緒に揺られていると不思議と恐くはなかった。実はミャンマーに来て一番よかったと思える瞬間がこの時だった。私はきっと十年後もこの時のことをまばゆいほどの星と月とともに懐かしく思い出すに違いない。(続く)

管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項

スチールデスクを販売してる人が見たら喜ぶようなお話ですかね?
それはともかく、皆様も思い出に残るドライブというものがあったと考えられます。日本国内でも郊外の町を移動してると大都市と比較して街灯が少ないことが多いです。日本とミャンマーの街灯のルーメン数を比較したら雲泥の差でしょう。皆様も暗い夜道のドライブを霊的に過ごされたことがございますか?

 本当に初めて発表されてから10年以上経過してます。今でもミャンマ-旅行についてドリアン長野が連想してるかどうかは不明です。
 これはちょっと情けないお話です。現地時間ですが夜だけ営業してるブリティッシュコロンビア州で営業してるチーズケーキエトセトラには二回行ってきました。最初は普通にバスに乗って行ってきました。二回目なんですが行こうと思ってたシーフードレストランが従業員向けのパーティーをやっていて利用出来ませんでした。他の飲食店で食べようと思って探しましたが、結局は見つからずダンジネスクラブやロブスターは食べられなくなりましたので代わりにチーズケーキエトセトラに行ってきました。 http://www.cheesecakeetc.com/

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ホテルから店への移動手段はバスではなくて歩行でしたので高さが27.4メートルと言われてるグランビル大橋を歩いてきました。夜のグランビル大橋の恐怖は並みではございませんでした。高い位置に存在するマンションの高層階が見えるとそれは無言の圧力を作り出してましたね。夜景は楽しめなかったが良い料理は楽しめることが行えました。又、現地の言葉が話せると旅行の楽しみは倍増しますね。
 何等かの予定が行えなくなった時を考えて別の道というかいわゆるプランBを用意しておくのは重要かもしれません。
 基本的に児童労働は否定されてるが軍事政権のミャンマーでは放置されてるようです。そういった部分が民主化が行われていない部分でしょうか?組合活動は存在してます。万が一の時だけスト権は認められてるが、キリスト教ではストライキは否定されてます。



 

 回顧を兼ねた書評
 僕の初海外旅行は26歳の時のインドだった。
 当時往復チケットは年末料金だったので30万した(泣)。
 行く前は椎名誠の「わしもインドで考えた」を熟読。
 インドでは尻の毛まで抜かれるほどぼったくられ、下痢と発熱で散々だったけど、
 それからはリーマンパッカーとして主にアジアをふらふら。
 アフリカは遠すぎて行けなかった。新婚旅行もバックパックでバンコクと香港へ。
 香港では雑居房のチョンキンマンションで二泊し、妻はぐったりしていた。
 バンコクでは安宿と高級ホテルと泊まり歩き、マリオットのプールで
 溺死しそうになったのは今ではいい思い出だ(嘘)。
 旅も好きだが、旅行記も好きだ。
 この本は主にアフリカ旅行のエッセイだが、面白い。
 何よりも文章がうまい。
 奥さんとのなりそめを綴った「追いかけてバルセロナ」なんか疾走感があり、
 一気に読め、感動的でさえある。
 朝の通勤の地下鉄で読んでたけど、日本にいながら気持ちはバックパッカー。
 旅の本もいいけど、また出かけたいなあ。