令和三年12月のつぶやき

  • RT @thebookofmormon: Christmas day was different for the people in the Book of Mormon, but the coming of Christ brought them the same light and hope. “There shall be one day and a night and a day, as if it were one day and there were no night" (Helaman 14:4). How can you #LightTheWorld all year? pic.twitter.com/Zt6ragfhch posted at 21:03:18

令和三年12月の投稿

 

小学校の校庭で



キハチとノブコ
映画監督岡本喜八と女優乙羽信子は共に米子市出身の1924年生まれ。
乙羽の母親は兄弟の中でも美人だったので、大阪に出て芸者をしていた。母親の山登たけこは身ごもり、帰郷して西倉吉町の肉屋の二階で信子を出産する。父親は現大阪市福島区の魚問屋の息子であり、信子を引き取りに来た。戸籍上は山登信子である。
たけこは寂しさに耐えかねて61歳で皆生の海で入水自殺をしている。山登家は代々武士の家系だった。山登源平の頃までは羽振りが良かったが、それから没落したらしい。
信子は新藤兼人監督と恋仲になるが、新藤には妻子がいた。離婚した新藤の妻が脳溢血で亡くなっても信子は再婚をためらっていた。後押ししたのは亡くなった妻の子どもたちであった。結婚したのは二人が出会ってから27年後のことだった。
信子が亡くなった時に代表作「裸の島」の撮影地である広島県三島市の島の海に遺骨の半分を散骨した。18年後に新藤兼人が亡くなった時、兼人の次男が同じ場所に散骨した。
喜八の母親は喜八が小三の時に亡くなった。姉も中学年の時に亡くなっている。二人とも肺結核だった。父親は再婚するが、一年足らずで離婚、再再婚をしている。喜八は生涯39本の映画を撮り、食道癌により川崎市の自宅で亡くなる。
ここまで調べてから、今日、二か月前に取っていた「米子市史」の明治五年の四日市町(私の生家がある)の町割り地図のコピーを見てみた。
そこには山登源平と10軒隣りに岡本安平の名前があった。乙羽信子岡本喜八の先祖は同じ町内のごく近所に暮らしていた。



今年の漢字「きん」と聞いて菌と思った人が全国で約2500万人



この季節になるといつも思い出すことがあります。
アメリカ出身の宣教師が二人、南米のある国へ伝道に召されました。
クリスマスの日、知り合いになったある老婆の家を訪問しました。
彼女は一人暮らしで、その国の多くの人々がそうだったようにとても貧しい暮らし向きでした。
宣教師たちは荒れ果てた家を片付けたり、修理したりと汗を流しながら一生懸命に働きました。
帰り際に彼女は「メリークリスマス」と言って、ちり紙に包んだものを宣教師に渡しました。
アパートに帰ってちり紙を開けてみると、ふたつのパンの耳が入っていました。
それは彼女にできうる限りの精一杯のクリスマスプレゼントでした。
「今までで最高のクリスマスプレゼントだ」
二人の宣教師は主に感謝の祈りを捧げ、涙とともにそのパンの耳ををいただきました。
宣教師たちにとっては、どんな豪華なものにも優る素晴らしいディナーでした。
皆様、どうか良いクリスマスを🎄

明日が仕事納めというところも多いでしょう。
というわけで2021年のお蔵出し。
● その昔、某居酒屋での忘年会で隣りのオジサンが、「この唐揚げ15やなあ〜、いや間違えた、ジューシーやな〜、わははは」と一人で盛り上がっていたが、周りは盛り下がっていた件。
● うっとこの息子、この前運動場で遊んでて、ブランコにでこちんぶつけて血い出してん」
「へえー、ボーイッシュな男の子やなあ」
●「うっとこな、最近部屋の壁紙をリフォームしてん」
「へえ〜、どこを?」
「リビングと寝室やねんけどな、それが旦那の趣味でけばけばしいねん。うちはもっと落ち着いた柄がええねんけどな〜」
「これがホンマの寝室奇抜やな」
● 「昨日バスケで肉離れしちゃって」
ベジタリアンか」
「え」
● T君の名言
ベリーダンスって、無茶苦茶素晴らしいダンスだと思ってました!」
● T君の名言その2
「アンクルパンツ」っておじさんが履くパンツだと思ってました。
● T君の名言その3
大阪駅周辺にはもうレトルトな建物がなくなりましたねえ」
● T君の名言その4
息を切らせて部屋に入ってくるなり、
「知ってますか!ここのホテルのバイキングって食べ放題なんですよ!」
● 大阪に住んで30年。二歳の娘を指鉄砲で「バーン!」とすると、「あ〜っ」と言って倒れるのは、もはやまぎれもない大阪人。時の流れを感じる今日この頃…。

2021年お蔵出し その2
● コワモテの兄ちゃんがコンビニの店員に
「びっくりドンキホーテはどこにある?」
「は?どっちですか?」
「聞いてんのはこっちだぞ、ゴラァ」
● 大阪で忘れられない言葉
「このたこ焼きタコ入ってないですよ」
タコライスにタコ入ってへんやろ。それと同じや」
「タコ…ライス…」
● スーパーの化粧品売り場で新発売の「10歳若返ります」というスキンローションを見ていたお母さん。
「わたしにも買って!」と駄々をこねる8歳くらいの娘に、
「あんた、こんなんつけたら死ぬで!」
● スーパーにて
「この鳥取県産の卵、一週間以内にお召し上がりください、やて」
「ヘェ〜、足が早い卵やなぁ」
傍らにいる小学生の男の子が、びっくりして固まったまま卵を凝視していた。



昨夜「レコ大」を観ていて思い出したのですが小四の娘の給食時間では子どもたちが聴きたい音楽をリクエストして先生がそれをスマホで流しているそうなのですがBTSなんかが人気だと聞いて中学生の時に放送部員にこれをかけてと頼み込んで給食時間にセックスピストルズが流れて職員室に呼び出されたのは何だったんだろうと考える年の瀬に皆様良いお年を。

令和三年12月の連絡



連絡します。



11月3日は結婚記念日。
義父の納骨のために猪名川霊園へ。
実父と義父は偶然だが、どちらとも米子市生まれの同じ高校を卒業している。
今年の5月に義父が亡くなり、それを追いかけるように7月に実父が亡くなった。

管理人マーキュリーマークです。
12月は過去の出来事を振り返る時です。出会いと別れと申しましょうか?
ドリアン長野にしたら今年の文化の日は喜びを連想する日が悲しみを連想する日であったようです。
(ドリアン長野の)娘さんにしたら今年は二人のおじいちゃん達が死去した年になりました。
私も似たような思いをしました。平成11年の夏に外祖母が死去しただけでなく秋にも外祖父が死去したばかりか平成12年の夏にも祖父が死去しました。
平成30年には4回訃報が我が家にもたらされました。厳しい世の中です。
同時期に訃報が何度も継続することに対して第三者に説明しても信じてもらえないことはありえますが負けずにがんばっていきましょう。

同様に過去に利用した旅行代理店が閉鎖に至って心を痛めてる人もおられるやもしれません。















































「国際空港の動画。」と言っても飛行機が離着陸をする時や空港内の紹介や外観の紹介等で大きく趣きが異なってきます。
周知のように中心街から国際空港迄どのような交通手段で行き来するかも問われます。
空港連絡鉄道が利用出来るか否かは大きいですね。
コロナ渦以前の最盛期には日本国内も含め世界中に三千以上の国際空港が存在していると言われておりました。
世界各地の活発に機能してる国際空港については多数の動画の作成が行われ発表されております。
皆様も国際空港について一度は懐古されましたか?
ドリアン長野が利用した国際空港は今回でほぼ全て紹介したと思います。
今後は利用したか否かを問わずに紹介していきたいです。ご期待下さい。

話は変わりますが、恐らくは今回のこの投稿が今年最後の投稿になると思います。
令和四年一月に私の実父が入院することが決定したので来月の一日と14日に新規投稿が行えるか否かの確約は行えなくなりました。
恐らくは投稿の時期は異なってくる恐れがございます。
半ば有名無実化したブログでも楽しんでいただき感謝します。
無意味な連絡かもしれませんがgooブログに限っては文字数制限が三万文字なので今月行った先月のつぶやきの転載を二分割したのは仕方ありませんでした。
繰り返しになるようですが一回の投稿につきタグも含めて最大で三万文字なので表面的には三万文字に到達してなくても前編と後編に分割するのはやむを得ませんでした。
ここでいうタグはハイパーテキストマークアップランゲージですので詳細は各自で調べてもらいたい。
皆様、よいお年をお迎えください。
~最近になってこのブログを閲覧された方に連絡~
内容はドリアン長野が行った投稿の転載、ドリアン長野が行ってきた国々で発生した出来事、推奨したいホームページや国際空港の紹介、そして私からの連絡といった具合です。
一応ですが月の一日と14日には新規投稿していきたいですが、前述したように私も色々な事情がございますので遅延はあり得ます。

 ドリアン長野は2010年以前に何度も海外旅行しただけでなく2010年代に福知山マラソン完走を二回成し遂げたばかりか頻繁にカレーライスを調理し実食しました。
 海外旅行、マラソン、カレーライス、そして書評等について述べてるので楽しんで下さい。

ドリアン長野の海外旅行記のリンク集gooブログ版

ドリアン長野のランニングな日々(マラソンの記録)

ドリアン長野のカレー三昧(はてなブログ版)

ノート版ドリアン長野

ドリアン長野フェイスブック

ドリアン長野の読書三昧

ドリアン長野ツイッター

ミキナナチャンネル

以下は当方が推奨するホームページです。 順不同。

ー クリスチャン X 人生 ー
末日聖徒イエス・キリスト教会(LDS)について説明されてます。


The Church of Jesus Christ of Latter-day Saints
The authorized Twitter account for The Church of Jesus Christ of Latter-day Saints. LDSについて英語で説明されてます。


孝信's Photoブログ 問わず語らず名も無き写真家

マザーテレサ名言bot マザーテレサの名言をまとめておられます

大山倍達bot 国際空手道連盟総裁・極真会館館長

DARAZ FM公式Twitter 鳥取のFM局

Donate For Free . クリックで救える命がある。

海外旅行の最新情報 地球の歩き方

i保険 海外旅行保険比較サイト

町田康ツイッター 小説と歌唱

中島らもオフィシャルサイト 故・中島らも(作家)のホームページ

紘道館 松本道弘(英語講師)が館長のフェイスブック

極真会館ツイッター (空手教室)

スマッシング・パンプキンズ公式ツイッター

原田おさむ(ピン芸人)ツイッター

radiohead公式ツイッター

linkinpark公式ツイッター

ちびまる子ちゃん公式ツイッター

Jeff Buckley公式ツイッター

椎名誠 旅する文学館ツイッター

joan osborne公式ツイッター

billy joel公式ホームページ

とことん能天気なVOCAL AZ流非日常的な日常

bob dylan公式ホームページ

ジョン・ライドン公式ツイッター

文男のMyselfな毎日 (元プロボクサーのブログ)

劇画王梶原一騎BOT 原作者の故・梶原一騎の名言を紹介されてます

モンパルナス(パン屋さん) パルナスの事実上の後継店

今月も良きホームページが推奨出来たので皆様に感謝します。

敬具 マーキュリーマーク

オミクロン 令和三年12月

管理人マーキュリーマークからの伝言
特例的に連絡します。病魔は恐ろしい激変を作り出します。

オミクロンの悪影響は非常に大きいです。病魔は一向に鎮静化してません。
過去は高値だったので渡航が不可能であったが昨今はコロナウイルス渡航の妨げになってる。
ー日本人渡航者数ー 2019年は2000万人以上でした。
2020年は3174221人でした。1977年は3151431人でした。

令和三年11月の投稿





11月3日は結婚記念日。
義父の納骨のために猪名川霊園へ。
実父と義父は偶然だが、どちらとも米子市生まれの同じ高校を卒業している。
今年の5月に義父が亡くなり、それを追いかけるように7月に実父が亡くなった。
米子生まれの祖父は友人のつてで猪名川で養豚を始め、父はそこで生まれた。
二人とも阪神ファンだった(笑)。
何かと縁を感じる秋らしくない気温に晴天。



墓地からは山々。



帰りに



心打たれました。



前作はベストセラーになり、映画化されたがこの続編も傑作だ。
軸はゆういちと認知症の母みつえと酒乱であった父の物語なのだが、時空を自由に超え、現在の自分が過去の自分に語りかける(現在の自分が未来の自分から語りかけられる、とも言える)。
例えば「生まれる」では幼いゆういち(作者)が風邪をひき、幻影を見る。
次のページでは現在のゆういちが同じ幻影というか妄想を思い出す。それは死んだ父が生まれてくる母を引きずっているというもの。
場面はさりげなく(このさりげなさが作者のうまいところ)母が生まれる日の夜になり、母のみつえが生まれる。
そしてモノローグ。
「亡くなることは生まれることかもしれないそして生まれることは亡くなること」
「いまここ」では臨終のみつえが子どもの自分に現れる。
子どものみつえは未来の自分に叫ぶ。
「おばあちゃん、何て言いなったと〜?」
おばあちゃんのみつえにいっぱい生きるんだぞ!
と言われた子どものみつえは
「おばあちゃん、うち、いっぱい生きるばい!」
と未来の自分に叫ぶのだ。
作者は言う。
「自分が生きているということは父と母も生きているということ」
私はこの8コマ漫画を読んで四コマ漫画でありながら大河ドラマである業田良家の名作「自虐の詩」を思い出さずにはいられなかったし、さらに手塚治虫の「火の鳥」にまで思いを馳せる読者も少なくはないと思う。
昭和25年生まれの作者はビートルズに多大な影響を受けたシンガーソングライターでもあるが、画風は一見軽快なエンターテイナーのポールであるが、実はジョンではないか。読んでいると脳裡に「She's so heavy」がずっと鳴っていた。
酒と短歌を愛し、道端で酔い潰れる父は長崎での被爆体験者でもあった。
作者は自分自身も含め、人間の弱さを許容し、慈愛の目で父や母や他の人々を見る。かつて故郷を捨てて上京し、現在は家族で住む長崎も同じように。



知人から聞いた話だが知り合いの子どもが「腥」と書いてスタアと読むらしい。
それを聞いて「マジか」と思った。
1993年、父親が昭島市役所に「悪魔」と命名した男児の出生届を提出し、係員はそれを受理したが、戸籍課は「悪魔」の名の受理手続きの完成を留保したといういわゆる「悪魔ちゃん事件」(「悪魔ちゃん命名騒動」とも言う)があった。
民法1条3項には「親権(命名権)の濫用に当たる場合は戸籍事務管掌者が出生届の受理を拒否できる」という項目がある。
命名権濫用の概要は「社会通念上明らかに名として不適当と見られるとき、一般の常識から著しく逸脱しているとき、名の持つ本来の機能を著しく損なうような場合」らしい。
「腥」は月へんではなく、にくづきだ。本来「肉」が変化して「月」になった。
「腥」は生臭いという意味だ。「腥い」と送り仮名をふる。
腥ちゃんが問題にならなかったのは単に戸籍課の職員が無知なだけだったのではないか。



秋の黄昏



「名前の話」
私の本名、美樹は父がつけた。ほぼ女性に間違えられる。裕美は男性もいる。一美という男性を知っている。薫は男女共にいるが。
和民の創業者渡邉美樹は母親の美智子と父親の英樹から一字づつ取ってつけたそうだ。
私の場合、男優の森美樹からつけたと言っていた。本名ではなく芸名だがその由来はわからない。
森美樹は私が生まれる3か月前に自宅のガス事故で亡くなった。そういう人の名前を命名する父は相当変わり者だ。
河井案里参議院議員のアンリはフランス人の男性名だ。
ソ連解体の主役、ゴルバチョフは「せむし」と同源語である。
人権思想によってせむしは抹殺され、ヴィクトル・ユーゴーの小説『ノートルダム・ド・パリ』の映画化の「ノートルダムのせむし男
(英語名「The Hunchback of Notre Dame」)は近年は『ノートルダム男』と表記されている。



Twitterで炎上し話題になった漫画。
子どもが二人の何事もなかった家庭なのに、ある日突然妻が口をきいてくれなくなった。
それは何と五年間も!
夫には心当たりがなく、あれやこれやと妻の機嫌をとろうとするが効果なし。まるで家庭は生き地獄。
ついに離婚を切り出すが…。
夫から、妻からの視点で漫画は語られる。
その原因とは?
これはどこの家庭にも起こり得ることではないか。
チリも積もれば何とやら。
結婚している人も今から結婚する人にも是非読んでみてほしい。



夕刊を読んでいたら名前が載ってたのでびっくりしましたよ。



本町オリックスビル28階。
500円の弁当もまるで豪華なランチに。



スマホである人の書評を読んでいい本だなあこの本を読んでみようとスマホにメモしようとスマホはどこだと探しても見つからないので娘にスマホを知らないかと問うと自分が持ってるやんとついにボケたかと笑われ愕然としたことってないですか



「僕はこう見えても浜っ子でしてね」
「え、そうだったんですか」
島根県浜田市生まれです」



18時40分



故郷の生家の向かいに岡本喜八監督の生家があったということで彼のエッセイを読んでみた。
面白い。リズム感があり洒脱で、諧謔とユーモアがあってエッセイストとしても一流だと思う。
生前の父に聞いてみたことがあったが、製函屋をしていたとのこと。あれ?靴屋さんではなかったのか、と訝しく思っていたが調べるうちにわかってきた。
代々大工の家系であり、祖父は宮大工の棟梁だったが、父の代に弁当の折箱製造を始めた。
「マジメとフマジメの間」(岡本喜八 ちくま文庫)にはこう書いている。
「私の生家は裏通りに面した、元に奥のインキョがあったところをソバ屋さんに貸し、表通りに面した店は、元々クツ屋さんに貸してあった」
向かいの家が本屋でよく立ち読みをしたことも書いてある。
ある時「赤穂浪士銘々伝」を読んでいたら岡本喜八郎(彼の本名)という人物が出てきたので自分と同じ名前のサムライがいた!と喜んだら四十七士ではなく、さっさと逃げた奴だと知り、大いに失望したらしい。
喜八としたのもその時の衝撃からかもしれない。
岡本家を借りて靴屋を始めた判澤氏は日清戦争で従軍した際(大本営は広島に設営され、明治天皇も66人の従者と御同座され、7か月間首都になった)に上官から軍靴を作れ、と命令されて帰郷してから靴屋を始めた。米子初の靴屋であり、学生靴を販売すると店の前に長蛇の列ができたという。
喜八は自分のことを、へそ曲がりのガンコで照れ屋、無口だったと言っている。この辺、死んだわが親父に似ている。
「私の父は、私が『肉弾』という映画を作り終えた途端に、それを待っていたようにして死んだ。
ささやかな完成パーティーをやる為に数十人のスタッフと一緒に箱根へ行こうという朝に電報が来て、私だけそのままヒコーキに乗って山陰の郷里に帰り、臨終までの数時間、やせさらばえた手を握ってやる事ができた。」(「ああ活動屋」) 若き写真を見ると色つき眼鏡にバンダナ、黒服というキハチスタイル。かなりカッコいい。
まるでジョニーディップを彷彿させるようだ。地元の高校を卒業後、明治大学に進学し、まだ無名の時の三船敏郎と下宿で同居したこともあった。
墓は終の住処、川崎市と米子の西念寺にあるとは後に知り、墓参したかったとホゾを噛んだ。
恥ずかしながら今まで作品は「大誘拐」しか観ていない。
岡本喜八を敬愛する庵野秀明監督が「シン・ゴジラ」で喜八の写真を演出させたのはファンの間では有名な話。
この偉大な監督の映画をこれから時間を作って少しずつ観てみようと思う。
「私の生まれ育った米子は伯耆大山の山裾にある。ラジオ体操が終わって、朝な朝な眺めた真東に聳えたつ伯耆大山が、富士に似たその山容の影をすっぽりとまだ眠っている米子の町一杯に落とした一枚の景色が未だに心に残っている。
米子は城のない城下町である。だが、今でも昔、四層五層の大天守があったという石垣の上に立って東を望むと、たちどころに68歳から8歳の小学生に戻るのである。」(「伯耆大山 私の好きな場所」)



「春は鉄までが匂った」
小関智弘
作者は物作りの町、大田区の工場街で生まれ、旋盤工として働きながら数々の作品を発表してきた。
労働を描いた作家は多いが、彼のように長期間、労働現場に身を置いた作家は寡聞にして知らない。
芥川賞直木賞の候補にもなり、専業を勧められることも何度もあった。
二足の草鞋とも言われるが、現場に身を置くからこそ書けるのだと本人は言う。
「アルチザンには発見はあるが発明がない」
ある詩人が彼に言った言葉だ。職人はクリエイティブではない、という意味だが、作者は反発を覚える。
ココ・シャネルの「ファッションデザイナーは職人なのであって、芸術家にはなり得ない」という言葉は服は利便性が第一義だということであり、職人は毎日コツコツと単調な作業の繰り返しの中で(仕事とは本来そういうものだろう)、完璧を目指して工夫を重ねていく。
本書には旧ソ連が特許を取ろうとしていたことが、工場では職人の工夫で当たり前のことになっていたことが書かれている。
独創性とは独自の方法論を生み出すことだが、左官業をしていた叔父は長年続けていくうちに道具に合わせて肉体が変化していく、と言っていた。
それほど長い年月をかけて技術を磨いていくことで独創性が出てくる、それが職人というものだと思う。
本書の題名はロマンチックだ。鉄は無臭なのだが、工場の仲間は鉄だけではなく、削っているときには真鍮や銅やアルミニュームの匂いを嗅ぎわけると断言した。
職人の熟練と矜持が伺える言葉ではないか。



これが噂の喜八反戦エスタンか。
とにかく面白い。
加山雄三初主演。
御殿場が撮影現場とは思えないほど支那っぽい。北支戦線で支那軍のスパイに加山雄三が言う。
「自分は鳥取の高級農林出身で…」
あ、郷土愛か。
軍旗を取り戻すために命を賭す独立愚連隊。
カットの切り替えが素晴らしい。庵野監督が「エヴァンゲリオン」にそのリズムに影響され、取り入れたと言うだけはある。
前作の「独立愚連隊」が映画ヒョーロンカに「中国共産軍をセンメツする。その扱いはアメリカ西部劇におけるインディアンである。日本映画の新人中のホープと言われる監督が、こんな映画を作って平然としていられる。正直言って苦痛と恐怖とに身の毛がよだつ」とホントに身の毛がよだつ、たんだな!
と詰問したくなるが、酷評されたことに腹を立て、この「独立愚連隊西へ」では死者が二人ほど。
特筆すべきは「独立愚連隊行軍歌」。
ポップで一度聴いたら脳裡にこびりつき、今も脳内を駆け巡る。
喜八監督作詞の歌詞もシンプルながらこの才能はやはり監督か、と素晴らしい。
イーアルサンスー、ウエイ!

令和三年11月のつぶやき

 

 回顧を兼ねた書評
 僕の初海外旅行は26歳の時のインドだった。
 当時往復チケットは年末料金だったので30万した(泣)。
 行く前は椎名誠の「わしもインドで考えた」を熟読。
 インドでは尻の毛まで抜かれるほどぼったくられ、下痢と発熱で散々だったけど、
 それからはリーマンパッカーとして主にアジアをふらふら。
 アフリカは遠すぎて行けなかった。新婚旅行もバックパックでバンコクと香港へ。
 香港では雑居房のチョンキンマンションで二泊し、妻はぐったりしていた。
 バンコクでは安宿と高級ホテルと泊まり歩き、マリオットのプールで
 溺死しそうになったのは今ではいい思い出だ(嘘)。
 旅も好きだが、旅行記も好きだ。
 この本は主にアフリカ旅行のエッセイだが、面白い。
 何よりも文章がうまい。
 奥さんとのなりそめを綴った「追いかけてバルセロナ」なんか疾走感があり、
 一気に読め、感動的でさえある。
 朝の通勤の地下鉄で読んでたけど、日本にいながら気持ちはバックパッカー。
 旅の本もいいけど、また出かけたいなあ。