令和三年12月の投稿

 

小学校の校庭で



キハチとノブコ
映画監督岡本喜八と女優乙羽信子は共に米子市出身の1924年生まれ。
乙羽の母親は兄弟の中でも美人だったので、大阪に出て芸者をしていた。母親の山登たけこは身ごもり、帰郷して西倉吉町の肉屋の二階で信子を出産する。父親は現大阪市福島区の魚問屋の息子であり、信子を引き取りに来た。戸籍上は山登信子である。
たけこは寂しさに耐えかねて61歳で皆生の海で入水自殺をしている。山登家は代々武士の家系だった。山登源平の頃までは羽振りが良かったが、それから没落したらしい。
信子は新藤兼人監督と恋仲になるが、新藤には妻子がいた。離婚した新藤の妻が脳溢血で亡くなっても信子は再婚をためらっていた。後押ししたのは亡くなった妻の子どもたちであった。結婚したのは二人が出会ってから27年後のことだった。
信子が亡くなった時に代表作「裸の島」の撮影地である広島県三島市の島の海に遺骨の半分を散骨した。18年後に新藤兼人が亡くなった時、兼人の次男が同じ場所に散骨した。
喜八の母親は喜八が小三の時に亡くなった。姉も中学年の時に亡くなっている。二人とも肺結核だった。父親は再婚するが、一年足らずで離婚、再再婚をしている。喜八は生涯39本の映画を撮り、食道癌により川崎市の自宅で亡くなる。
ここまで調べてから、今日、二か月前に取っていた「米子市史」の明治五年の四日市町(私の生家がある)の町割り地図のコピーを見てみた。
そこには山登源平と10軒隣りに岡本安平の名前があった。乙羽信子岡本喜八の先祖は同じ町内のごく近所に暮らしていた。



今年の漢字「きん」と聞いて菌と思った人が全国で約2500万人



この季節になるといつも思い出すことがあります。
アメリカ出身の宣教師が二人、南米のある国へ伝道に召されました。
クリスマスの日、知り合いになったある老婆の家を訪問しました。
彼女は一人暮らしで、その国の多くの人々がそうだったようにとても貧しい暮らし向きでした。
宣教師たちは荒れ果てた家を片付けたり、修理したりと汗を流しながら一生懸命に働きました。
帰り際に彼女は「メリークリスマス」と言って、ちり紙に包んだものを宣教師に渡しました。
アパートに帰ってちり紙を開けてみると、ふたつのパンの耳が入っていました。
それは彼女にできうる限りの精一杯のクリスマスプレゼントでした。
「今までで最高のクリスマスプレゼントだ」
二人の宣教師は主に感謝の祈りを捧げ、涙とともにそのパンの耳ををいただきました。
宣教師たちにとっては、どんな豪華なものにも優る素晴らしいディナーでした。
皆様、どうか良いクリスマスを🎄

明日が仕事納めというところも多いでしょう。
というわけで2021年のお蔵出し。
● その昔、某居酒屋での忘年会で隣りのオジサンが、「この唐揚げ15やなあ〜、いや間違えた、ジューシーやな〜、わははは」と一人で盛り上がっていたが、周りは盛り下がっていた件。
● うっとこの息子、この前運動場で遊んでて、ブランコにでこちんぶつけて血い出してん」
「へえー、ボーイッシュな男の子やなあ」
●「うっとこな、最近部屋の壁紙をリフォームしてん」
「へえ〜、どこを?」
「リビングと寝室やねんけどな、それが旦那の趣味でけばけばしいねん。うちはもっと落ち着いた柄がええねんけどな〜」
「これがホンマの寝室奇抜やな」
● 「昨日バスケで肉離れしちゃって」
ベジタリアンか」
「え」
● T君の名言
ベリーダンスって、無茶苦茶素晴らしいダンスだと思ってました!」
● T君の名言その2
「アンクルパンツ」っておじさんが履くパンツだと思ってました。
● T君の名言その3
大阪駅周辺にはもうレトルトな建物がなくなりましたねえ」
● T君の名言その4
息を切らせて部屋に入ってくるなり、
「知ってますか!ここのホテルのバイキングって食べ放題なんですよ!」
● 大阪に住んで30年。二歳の娘を指鉄砲で「バーン!」とすると、「あ〜っ」と言って倒れるのは、もはやまぎれもない大阪人。時の流れを感じる今日この頃…。

2021年お蔵出し その2
● コワモテの兄ちゃんがコンビニの店員に
「びっくりドンキホーテはどこにある?」
「は?どっちですか?」
「聞いてんのはこっちだぞ、ゴラァ」
● 大阪で忘れられない言葉
「このたこ焼きタコ入ってないですよ」
タコライスにタコ入ってへんやろ。それと同じや」
「タコ…ライス…」
● スーパーの化粧品売り場で新発売の「10歳若返ります」というスキンローションを見ていたお母さん。
「わたしにも買って!」と駄々をこねる8歳くらいの娘に、
「あんた、こんなんつけたら死ぬで!」
● スーパーにて
「この鳥取県産の卵、一週間以内にお召し上がりください、やて」
「ヘェ〜、足が早い卵やなぁ」
傍らにいる小学生の男の子が、びっくりして固まったまま卵を凝視していた。



昨夜「レコ大」を観ていて思い出したのですが小四の娘の給食時間では子どもたちが聴きたい音楽をリクエストして先生がそれをスマホで流しているそうなのですがBTSなんかが人気だと聞いて中学生の時に放送部員にこれをかけてと頼み込んで給食時間にセックスピストルズが流れて職員室に呼び出されたのは何だったんだろうと考える年の瀬に皆様良いお年を。

 

 回顧を兼ねた書評
 僕の初海外旅行は26歳の時のインドだった。
 当時往復チケットは年末料金だったので30万した(泣)。
 行く前は椎名誠の「わしもインドで考えた」を熟読。
 インドでは尻の毛まで抜かれるほどぼったくられ、下痢と発熱で散々だったけど、
 それからはリーマンパッカーとして主にアジアをふらふら。
 アフリカは遠すぎて行けなかった。新婚旅行もバックパックでバンコクと香港へ。
 香港では雑居房のチョンキンマンションで二泊し、妻はぐったりしていた。
 バンコクでは安宿と高級ホテルと泊まり歩き、マリオットのプールで
 溺死しそうになったのは今ではいい思い出だ(嘘)。
 旅も好きだが、旅行記も好きだ。
 この本は主にアフリカ旅行のエッセイだが、面白い。
 何よりも文章がうまい。
 奥さんとのなりそめを綴った「追いかけてバルセロナ」なんか疾走感があり、
 一気に読め、感動的でさえある。
 朝の通勤の地下鉄で読んでたけど、日本にいながら気持ちはバックパッカー。
 旅の本もいいけど、また出かけたいなあ。