令和四年二月の投稿





旧ヤム邸
谷六の空堀商店街からスタート、
今や大阪3店舗、東京4店舗。
六本木ヒルズに出店したことで話題になりました。



サラダが来ました。
ルッコラ、水菜、サニーレタス、人参、赤カブ。
ドレッシングが美味しい。自家製でしょう。



キーマカレーとブラックチキンカレーの合いがけ。
見た目はまずカスリメティーリーフがトッピングしている、いないで別れるのですが、こちらはオン。



副菜のもやしも美味しい。
チキンカレーは今は無き伝説の「らくしゅみ」に味が似てます。
安定の美味しさ。大阪カレーの王者という感じがします。




スウェーデン出身のウルリカさんは16歳で空手を始め、黒帯を取るために21歳で来日、日本人の空手家と結婚して今では三女の母親です。
空手指導者、通訳や翻訳、テレビ出演と八面六臂の活躍のウルリカさんが書く本書は子どもと大人が幸せになるヒントが詰まっています。
日本人は子どもを過保護に扱うそうです。それでは子どもの成長や学びのせっかくの機会を阻害してしまいます。
アインシュタインの名言に「今まで一度も失敗したことがない人は今まで一度も挑戦をしなかった人だ」とありますね。
二つの国の比較文化論は多数あるのですが、本書のユニークな点は武道による第三の視点が入っていることです。
例えば空手の生徒である子どもたちには「強くなりたいなら、恐れや不安を表情に出してはならない」と強く伝えるといいます。
彼女の空手の師である極真空手創始者大山倍達は試合後のガッツポーズを禁じました。
「勝って驕らず、負けて卑屈にならず。感情を表に出すのは見苦しいし、相手にも失礼だ」と。
自制心は武道家の絶対条件の一つであると思います。
「ネガティブな感情を表に出すことは、周囲への甘えといえます。また、不機嫌なのはずるさでもあります」
いつも不機嫌な人は自分で自分に罰を与えているようなものです。自ら不幸の道を選んでいます。
どんな人も、どの国民性にもパーフェクトということはありえません。
スウェーデンでは世界で初めて体罰の禁止が法制化され、家庭でも学校でも叱らずに褒めることが一般的になっているそうです。
褒めることは無論素晴らしいことなのですが、弊害として若者は打たれ弱いといいます。
日本では小さな女の子に将来の夢を聞くと、「お嫁さん」と答えることがあります。スウェーデンでは考えられません。
結婚するかしないかと将来自分が何になりたいかとは全く別の問題だからです。ジャーナリストの千葉敦子さんもよく同じことを言っていました。
日本人が気づきにくい指摘もあります。保護者欄に自分の名前を書くと、シングルマザーと勘違いされることがあります。
子どもの親は父親だけじゃないのに。校則では髪の毛を染めるのは禁止なのに生まれつき茶髪の子が黒髪に染めるのはOKだという学校があるそうです。
皆と同じにすると安心するという日本人のメンタリティですね。
強く共感した箇所がありました。
道場に入門しようとするお母さんが「うちの子はADHDだからご迷惑になるのでは」と言うそうです。
「何で遠慮するのか不思議でした。どんな子でも受け入れることができないなら、最初から子ども向けの教室(どんな教室でも)はやってはいけないのです。
その程度の指導者なら、他の仕事をやりなさい!と強く言いたくなります。」
その通りです。そんな指導者だったら教える資格はないですね。
本書ではルールがあるゆえに自由であるということにも触れています。
自分なりに競技で例えてみると、ボクシングの攻防はパンチに限定されているのでパンチの技術は世界一です。
これがキックも関節技もとなれば、卓越された攻防は生まれなかったでしょう。
フルコンタクト空手も直接打撃制とはいえ、喧嘩ではないのでルールがあります。
限定されたルールの中でお互いが死力を尽くして闘うことで自由を感じるのではないでしょうか。
ふと空手家の挨拶である「押忍」のことを思い出したので最後に。
大山倍達総裁は言っていました。
「もし刀を抜いた時に斬れない刀だったらサムライの恥だ。だから刀は常に磨いておく。しかし抜かない。鞘に納めておく。抜かないところにサムライの価値がある」
しかし、こうも言っていました。
「一度刀を抜いたら相手が何人でも瞬時に倒してしまえ。大義名分のある喧嘩なら大いにやれ。喧嘩ができない人間は駄目だ。
何のために空手をやっているんだ。そんなやつは空手をやめてしまえ」と。
柚井知志
柚井ウルリカ



2月8日火曜日、テレビ大阪「やさしいニュース」4時44分〜
で子どもの小学校のクラスがコロナに関して取材放送されます。
前日に取材班が来るそうです。
担任がクラスの児童にインタビュー希望の人!と聞いたら11人の児童が手を挙げました。
子どもも希望者の一人で、絶対インタビューされてテレビに出たいと言ってます(笑)。
担任がテレビ局の意向と反対のことを言ったらカットされるかもしれへんよ、という大人の事情でインタビューの受け答えを一人でシミュレーションしています(笑)。

9年後のなにわ筋線完成を目指して工事が始まり、街路樹が撤去されています。
冬の寂寥感が増し、脳内で枯れ葉よ〜♪がリフレインしてます。

管理人マーキュリーマークからの伝言
諸事情から鑑みて文面だけの転載を選択させていただく場合もございます。


山形の食材はどれも美味しい。
この厚揚げも然り。
素材自体も美味しいし、他の食材の味を吸収しても絶品。
純朴にして鮮烈。
脇役にして主役。
俳優で例えたら國村隼六平直政、もしくは荒川良々みたいな。
作家でいえば鶴岡市出身の藤沢周平、ロック歌手ならイアン・デューリー(渋い)。
横手やきそばを作って入れたけど、豚肉よりこの厚揚げの方が絶対いい。
秋田と山形の出会い。



「ピストル」
チャーシューは一枚から五枚まで同じ値段で選べます。
ラーメンを食べるのは何年振りかな?

名古屋コーチンの鶏ガラスープと深みのある醤油。
つくづくラーメンはイノシン酸×アミノ酸の相乗効果だと思います。

自分には少しスープが辛かった。



親米反パン

単にパンよりお米が好きということです😆



空堀町の「伽麗伊屋」
欧風カレーの人気店です。
30年振りに行きました。
食べ終わって店の写真をパチリ。
額に手をやると眼鏡がない。
慌てて店に駆け込み、「眼鏡忘れてませんでしたか?」
「どんな眼鏡ですか」
「黒縁の眼鏡で…」
「かけてますやん」
額にかけた眼鏡をどこだと探すことはたまにありますが、かけた眼鏡を探しのは初めて(大笑い)
ボケた〜と笑ってごまかしながら店を出ました。
満席のお客さんは爆笑(//∇//)

喜八と家族
岡本喜八監督は小三の時に母親を亡くし、六歳年上の姉も現在の米子西高校を卒業してほどなく亡くなった。二人とも肺結核だった。
岡本家は150年前から代々大工であったが、八代目の祖父の宮大工までで喜八の父、敞一(しょういち)は弁当箱の製函業を始めた。
また敞一は極度の神経質だった。刺身には熱湯をかけ、バナナは南洋の菌が付いていると禁止した。
パニック障害でもあったらしく、米子から安来に行く電車の中では脂汗を流した。
喜八が助監督から監督になり、ある程度名声を得ると敞一は仕事を辞め引退し、認知症になり喜八に無心した。
敞一は生涯で四度結婚している。
父を軽蔑していた喜八だったが、敞一が病気になってから徐々に父のことを理解するようになる。
父の危篤の知らせを聞いた喜八は東京から急いで帰り、みまかるまで父の手を握っていた。
筒井康隆原作「ジャズ大名」を監督した時には原作にはない城主の娘、松枝姫を喜八の次女真実に起用している。
城主の妹の役名は文子というが、松枝は喜八の母親、文子は姉の名前だった。

その人の想い、生きてきた過程が作品に表現されますね。
「肉弾」なんてその際たるものだと思います。



なぜかふと出川哲郎さんの奥様が言ったという話を思い出しました。
初めて新幹線のグリーン車に乗った奥様。
「さすがグリーン車は速いわねー」

 

 回顧を兼ねた書評
 僕の初海外旅行は26歳の時のインドだった。
 当時往復チケットは年末料金だったので30万した(泣)。
 行く前は椎名誠の「わしもインドで考えた」を熟読。
 インドでは尻の毛まで抜かれるほどぼったくられ、下痢と発熱で散々だったけど、
 それからはリーマンパッカーとして主にアジアをふらふら。
 アフリカは遠すぎて行けなかった。新婚旅行もバックパックでバンコクと香港へ。
 香港では雑居房のチョンキンマンションで二泊し、妻はぐったりしていた。
 バンコクでは安宿と高級ホテルと泊まり歩き、マリオットのプールで
 溺死しそうになったのは今ではいい思い出だ(嘘)。
 旅も好きだが、旅行記も好きだ。
 この本は主にアフリカ旅行のエッセイだが、面白い。
 何よりも文章がうまい。
 奥さんとのなりそめを綴った「追いかけてバルセロナ」なんか疾走感があり、
 一気に読め、感動的でさえある。
 朝の通勤の地下鉄で読んでたけど、日本にいながら気持ちはバックパッカー。
 旅の本もいいけど、また出かけたいなあ。