令和四年12月の投稿



最近久しぶりにブライアン・アダムスを聴いたら、懐かしさに震えた(ぶるぶる)。
まず名前がいい。アメリカでは500万人くらいいるようなコモンネーム(カナダ人だけど)。
日本でいうと鈴木一郎?田中次郎?山本浩二
もういいか。
ロックの中の王道中の王道。「少年ジャンプ」の「ワンピース」。
藤村甲子園が引退直前の長嶋に直球で勝負したように。
ひねりなしのストレート、オルタナもいいけどロックの原点のような。
松田聖子中森明菜みたいな?(よくわからないが)
「the summer of '69」なんか聴くと今でもアドレナリンが出てくる。
年の瀬に聴いているとしみじみと2022年も終わりだなと感じます。




卒寿
母が90歳の誕生日を迎えた。
菜々花が「おばあちゃんが自分が愛されていると思ってもらおうよ」と何やらハサミで切り抜き、ばあちゃんの部屋のドアの内側に張る。
デイから帰ってきたばあちゃん、部屋に入り、夕方になってから杖をつきながらヨロヨロと出てきた。
「おばあちゃん、夕ごはんまだですよ」と妻。
「うん」とニコニコしていつも自分からはほとんどしゃべらない母が菜々花に向かい、声を振り絞って言う。
「菜々花ちゃん、ありがとう。うれしかったよ」
菜々花、照れて僕の後ろに隠れる。
ばあちゃん、いい孫でよかったなあ。
とうちゃんも泣けてくるわ。
妻の指導のもとで菜々花が作ったケーキ、形は確かに不格好だけどマジでお店で買ってきたケーキかと思うくらい美味しかった!

https://youtu.be/mgYnKfgx6tI

ジョン・レノンが死んだとき、僕は19歳だった。
その時のことはよく覚えている。
その日、僕は父の兄が経営している左官屋のバイトをしていた。お金を貯めて大学に行こうと思っていたのだ。
残業で仕事が遅くなり、一息つくために職人たちの飲み物を買いに出かけた。
寒い夜だった。
カーラジオから聞こえてきた。
「元ビートルズのメンバー、ジョン・レノンがニューヨークで射殺されました」
寺山修司
「一本の木にも流れている血がある 
そこでは血は立ったまま眠っている」
という詩がある。
パンクやニューウェイブに傾倒していた19歳の僕はビートルズストーンズジョン・レノンもろくに聴いたことがなかったが、
その時の僕の感情は文学的な表現をするならば、自分の内部に蓄積されていた液体が気体となって外部へ蒸発して世界へと手を伸ばしているような、そんな衝撃だった。
2020年はジョン・レノン40回忌でもあり、三島由紀夫50回忌でもあった。
三島由紀夫が自決したとき僕は9歳だったのだが、翌日の朝日新聞に切り落とされた首とそれを指差している自衛官二人の写真が掲載されていた。
父が「三島由紀夫の首だ」と言ったのを覚えている。
昭和45年。東京オリンピックに次ぐ国家イベント、万博が開催され、日本中が繁栄と享楽という熱に浮かされていた。
もし大人のときにこの訃報を聞いたらジョンの時と同じような感情を持ったであろう。
翌年「ジョンの魂」を聴いた。
「mother」
「God」
陳腐な表現だが、
魂が震えた。
そこら辺の凡百なポストパンクより遥かに感情が動いた。
10代で母を亡くしたジョンにとって7歳年上のヨーコは妻であり、母だった。
20代の終わりにダコタハウスとセントラルパークにあるストロベリーフィールドのモニュメントを見に行った。
12月。
切り裂くような寒さの中で、多くの観光客が花束を捧げ、イマジンを合唱していた。
ハンバーガーショップで新聞を読んでいたらユダヤ人のおばあさんが話しかけてきた。
ダコタハウスを見てきた、と言うと
肩をすくめて「犯人は狂ってるわね。ニューヨークは狂人がたくさんいるから」
と言った。
ジョンとサリンジャーの熱狂的なファンであったマイク・チャップマンの犯行動機はサインを断られたから、と報道されたが、僕はそんなはずはないと思った。
彼はジョンを自分だけのものにしたかったのではないか。
と当時思ったが今もそう思う。


私は年末に高橋書店の日記帳を買っているのですが、二千円近くするので、いつも高いなあと思います。
まあ、日記をつける人もそんなに多くないし、市場には様々な日記帳が出回っているので仕方ないとは思いますが。
今年は新聞社から書評の投稿掲載のお礼に二千円分の図書カードをいただきましたから、日記帳購入に当てました。本は図書館で借りて読んでいるのでいい買い物でした。
読んだ本の題名と著者を日記帳に記入しています。去年は134冊だったので、2022年は150冊を目標にしていましたが、読書スピードが上がり、現在181冊目になりました。
評論家の呉智英はもし読書道というものがあるならば、500冊読むごとに一段昇段すると言っています。
読書好きでよかったなあと思うのが、暇な時間とか無駄な時間がないということです。移動時間、病院などの待っている時間が1分でもあれば、本を開いています。
読書好きは父の遺伝かもしれません。なにしろ生家の隣が大型書店だったので、猫に鰹節、ガッツ石松にバナナ、もう店をほっぽり出して入り浸りです。
近くに図書館が出来てからはそちらも加わり、店が無人だったこともしょっちゅうありました。よく万引きされなかったと思います。
思い起こせば、小学生の時に父から少年少女世界文学全集を買ってもらったのが原点かと思います。
『紅はこべ』『小公子』『里見八犬伝』など、面白くて何度も読み返したものでした。
父が亡くなる少し前に電話で「あの時の本のおかげで読書好きになった。感謝している」と伝えたところ、本当に嬉しそうな声で「そげか」と言いました。
今でもあの時に感謝を伝えられたことは良かったと思っています。
クリスマスの映画は古典的な「素晴らしき哉、人生!」から「ホームアローン」など多数ありますが、私が大好きな映画は「グリーンブック」でした。
1962年のアメリカ、インテリの黒人音楽家とイタリア系ニューヨーカーの交流。
ラストのクリスマスパーティーのシーンを思い出すだけで、ジワリと込み上げるものがあり、ハッピーな気持ちになります。
Merry Christmas!


イブの夜は薄力粉とアーモンドミルクで作ったシチューと特製フライドチキン、25日は昨夜の残りと炊飯器で作るチキンライス。
そして今日宮城県から届いた手作りのアップルパイと妻と娘の共同制作のケーキ。
いい生クリームを使えば名店で買うケーキと遜色がないくらい美味しいです。


ファンの間では周知のことだと思うけど、「dynamite」のジョングクの歌い方を聴くとマイケル・ジャクソンへのオマージュであることは間違いない。
歌詞にはマイケルの代表作「off the wall」を意識しただろう「just move like we off the wall」(型破りに踊ろう)というワードが出てくる。
何だか嬉しくなってくる。
「人生は蜜のように甘い」という歌詞は本当は人生は辛く苦しいけど、それでも希望を持って生きていこう、という意味に聞こえる。

沁みました


大阪市福島区にある中央卸市場
今年最後の開場ということで行ってみた。
当然だけど早朝から働いている人がいる。
新聞配達、ガードマン、コンビニ店員、
市場は活気に満ちている。一般客も多い。市場で働いている人は長靴を履いているのですぐわかる。
懐かしい感じだ。アジアの市場が好きでよく行ったのだが、あの感じに似ている。上海、北京、香港、シェムリアップバンコク
市場はすがすがしい。7時になるともう明るい。
良いお年を。

 

 回顧を兼ねた書評
 僕の初海外旅行は26歳の時のインドだった。
 当時往復チケットは年末料金だったので30万した(泣)。
 行く前は椎名誠の「わしもインドで考えた」を熟読。
 インドでは尻の毛まで抜かれるほどぼったくられ、下痢と発熱で散々だったけど、
 それからはリーマンパッカーとして主にアジアをふらふら。
 アフリカは遠すぎて行けなかった。新婚旅行もバックパックでバンコクと香港へ。
 香港では雑居房のチョンキンマンションで二泊し、妻はぐったりしていた。
 バンコクでは安宿と高級ホテルと泊まり歩き、マリオットのプールで
 溺死しそうになったのは今ではいい思い出だ(嘘)。
 旅も好きだが、旅行記も好きだ。
 この本は主にアフリカ旅行のエッセイだが、面白い。
 何よりも文章がうまい。
 奥さんとのなりそめを綴った「追いかけてバルセロナ」なんか疾走感があり、
 一気に読め、感動的でさえある。
 朝の通勤の地下鉄で読んでたけど、日本にいながら気持ちはバックパッカー。
 旅の本もいいけど、また出かけたいなあ。


 管理人マーキュリーマークからの伝言
 上記は、ドリアン長野が令和二年に投稿した内容です。
 令和六年にドリアン長野は親子でケアンズ旅行。