令和四年四月の投稿



夕刊の「ビブリオエッセー」に投稿したブックレビューを三回掲載すると産経新聞から連絡があった。
同じ人が続けて載るのはまずい、というわけで本名とドリアン長野で掲載されるそうだ。
これはもしかして、梶原一騎高森朝雄みたいなものか(違います)。
第一弾は「三島由紀夫vs 東大全共闘」(角川文庫)
産経新聞に三島の書評が載るのはちょっと感慨深い。
サンケイ新聞夕刊、昭和45年7月7日付に「果たし得ていない約束」という三島の随筆が掲載された。
 《私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。このまま行ったら「日本」はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする。日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであろう。それでもいいと思っている人たちと、私は口をきく気にもなれなくなっているのである》
掲載は来週だそうです。



わが家では2010年3月に放映開始された「ゲゲゲの女房」がきっかけでNHKの朝ドラを観るようになった。その原作であり、ベストセラーになった武良布枝ゲゲゲの女房」の以下の文章を読むたびに感動を抑えきれない。 夏のある晩のこと、私は夕食の用意ができたので水木を呼びに行きました。仕事場をのぞいたら、いつものように水木は無心に仕事をしていました。左腕がないために体をねじって左の肩で紙をおさえるので、自然に顔は紙のすぐ上。汗が流れ落ちて原稿にシミがつかないように、タオルの鉢巻をして、その体勢のまま、ひたすら描き続けていました。あまりに夢中になっているその姿に私は声をかけることができず、しばらくその場に立ちすくんでしまいました。これほど集中して一つのことに打ち込む人間を、私はそれまでに見たことがありませんでした。 テレビでは向井理が主人公の水木しげるを演じていたが、この場面の鬼気迫る演技はいまだに脳裡に焼きついている。 人間はえてして自分の足りない部分に目がいき、弱音を吐いたり愚痴を言ったりして自分ができないことの言い訳をするものだ。水木しげるには一切そういうことがなかった。二人の娘も普段父親が片腕だということを意識することはなかったという。 長女の尚子が中学生の頃、家族でデパートに行った。夏だったので水木しげるの半袖の左腕に何人かの人がジロジロ見るのに気づき、お父さんは片腕だったんだ!と思ったそうだ。 結婚当初も布枝に「ネクタイ結ぶ以外は片手でなんでもできますけん」と言い、事実そうだった。

先ほど産経新聞の担当者から電話があった。
去年、投稿したブックレビューを「この作者を知りませんでした。調べてみたら、産経新聞児童文学賞を受賞していました。すごくいい本です」と。
何度か掲載していただいているが、担当者がこんなにいい本だと連発したのは初めてだ。興奮している様子が電話口からもメールからも伝わってくる。
私もこの作者のことを一人でも知っていただければ幸甚だ。
「春は鉄までが匂った」小関智弘
作者は大田区の工場で旋盤工として働きながらルポルタージュや小説を書く。芥川賞直木賞の候補にもなるが、本人は現場を離れない。
労働を書いた作家は数多いが、彼のように長年労働に従事している作家は唯一無二だ。
明日(12日)の産経新聞夕刊ビブリオエッセーに掲載です。


春は鉄までが匂った


ファミリーヒストリーを調べていると、ある事柄とある事柄が繋がり、そうだったのか!と驚くことがあります。
まるでニュートンの言う「巨人の肩の上に乗る」という言葉を実感します。
これは先人の積み重ねた発見に基づいて何かを発見する、というメタファーです。
事実と事実が有機的に結合し、パズルが解けたような感じといったらいいでしょうか。
ふと17世紀のイギリスの詩人、ジョン・ダンの「歌」の一節が思い浮かび、家族歴史に書き加えました。
「奇なる眼を持ち
生まれしなら
視えざる物も見に行くべし
一万の昼と夜を越え
時が君を白髪に変えるまで」
さて、好奇心に突き動かされ、どこまで行けるのか。



母が通っているデイサービスの若い女性スタッフさんが話してくれた。
「長野さんと初めて話させていただいたとき、私の故郷と方言が似ていると思い、話しているうちに叔母と長野さんが関わりがあったことを知って、二人で興奮しました」
彼女の叔母というのは大原マキ子さんだ。
父が長野紙店に入り、大原模型店に足繁く通っていたら、店主から「あんた、そんなにプラモが好きなら、自分でやってみたらどげだ?」と言われ、その店でプラモを仕入れたのが始まりだった。
彼の奥さんがマキ子だ。徐々に父の趣味が高じて屋号は名ばかりで、やがてプラモデルが主な店になる。
自分もそれを聞いて驚いた。こんな偶然があるだろうか。
その女性スタッフは旧姓を黒田といい、実家は安来市にある黒田千年堂本店という羊羹屋だという。
この店は創業が鎌倉末期で650年以上の歴史がある老舗中の老舗だ。近所には水木しげるの妻、武良布枝の実家で「ゲゲゲの女房」で有名になった「飯塚酒店」がある。
水木と布枝の婚礼の時だ。全員が下戸である武良家。水木の父が費用を抑えるために「酒は二級酒でいいぞ」と叫び回り、逆に全員が酒飲みの飯塚家は鼻白んだという。
布枝の父、藤兵衛は村議会議員を務め、戦後に酒店を始めた。
水木の父の亮一は境港で初めて早稲田大学を卒業した学士だったが、歌舞伎や芝居や映画が死ぬまで好きな趣味人だった。
もう一つ。10代の時、大阪に住んでいた水木しげるは宝塚大歌劇に頻繁に通い、最前列で米子出身の乙羽信子を観劇していた。もちろん水木は彼女が同県出身だとは知らなかった。


ワクチン接種後の…
連休間近

スーパーにて
「ねえ、お母さん、この砂糖って頭いいの?」
「どうして?」
「てんさいって書いてあるもん」

「わたし皇族じゃないからわからないけど皇居ランとか言って自分の家の周りグルグル走られたらマジでブチ切れると思う」 という女子のツイートに受けまくりました。
毎年GW恒例の名探偵コナンの新作。
子どもと家から40分ほど歩いて梅田の映画館まで観に行くというのも高齢、もとい恒例となりました。
これは決して健康のためとか風景を楽しむとかではありません。単に節約のためです。
とにかく、結論から言いますとすごく良かったのですよ。
今回のキーは液体爆薬、渋谷の地形、憎悪よりも強力、といったところでしょうか。何だかロシアとウクライナを想起させます。
犯人はわかりやすいかもしれません。(知らんけど)
かつての警察学校の同期の友情は胸熱です。
(暗闇で泣きました。子どもに見つからないように…)
最初と最後にサプライズがあります。
しかし、最大の謎はなんでコナン君が「ロシア語しゃべれるんや!」
でした。
松田刑事、カッケー!(今回の推しメン)

管理人マーキュリーマークからの伝言
三点連絡します。
第一に先月、頻繁に投稿したのはやむを得ませんでした。
第二ですがドリアン長野が投稿した時には来週という表現は間違いではなくて令和四年四月12日に「春は鉄までが匂った(題名)。」の書評が産経新聞に掲載されました。
第三は諸事情から鑑みて文面だけの転載も選択しました。 敬具

 

 回顧を兼ねた書評
 僕の初海外旅行は26歳の時のインドだった。
 当時往復チケットは年末料金だったので30万した(泣)。
 行く前は椎名誠の「わしもインドで考えた」を熟読。
 インドでは尻の毛まで抜かれるほどぼったくられ、下痢と発熱で散々だったけど、
 それからはリーマンパッカーとして主にアジアをふらふら。
 アフリカは遠すぎて行けなかった。新婚旅行もバックパックでバンコクと香港へ。
 香港では雑居房のチョンキンマンションで二泊し、妻はぐったりしていた。
 バンコクでは安宿と高級ホテルと泊まり歩き、マリオットのプールで
 溺死しそうになったのは今ではいい思い出だ(嘘)。
 旅も好きだが、旅行記も好きだ。
 この本は主にアフリカ旅行のエッセイだが、面白い。
 何よりも文章がうまい。
 奥さんとのなりそめを綴った「追いかけてバルセロナ」なんか疾走感があり、
 一気に読め、感動的でさえある。
 朝の通勤の地下鉄で読んでたけど、日本にいながら気持ちはバックパッカー。
 旅の本もいいけど、また出かけたいなあ。