令和五年六月の投稿


公園で本を読んでいた。バレーボールをやっていた小学生女児三人、ボールがそれて隣りのベンチに座っていた男性二人の方へ。
女児にボールを投げ返す。
「ありがとうございます!イケメンですね!」
「もうおっさんや!」
大阪ならではなのか?
とにかく笑った。

国立大阪病院前にある大村益次郎殉難報国之碑。
賛助者名には松下幸之助伊藤忠兵衛、野村徳七鴻池善右衛門小林一三鳥井信治郎など実業家の他にも松井石根荒木貞夫林銑十郎、畑俊六、松岡洋右などの軍人や政治家の名前も見られる。
大村益次郎の生涯を書いた「花神」の著者、司馬遼太郎はこの病院で亡くなっている。

極真空手の思い出 その3」
極真会館関西本部は中央区島之内にあった。現在はネオチャイナタウンとも呼ばれ、日本人に忖度なしのガチの中華料理が楽しめる、ちょっとディープな地域だ。
関西本部の責任者兼指導者の師範は大山総裁の長女、留壱琴(るいこ)さんの娘婿だった。
東北出身で大学ではバスケットをしていたという。留壱琴さんと付き合うようになり、婚約の話しになった時に実は私の父は大山倍達だと告白された。
「ええっ」と驚愕した師範の顔が想像できるようだ。それでも勇を奮い、結婚の承諾をもらいに行く。
大山総裁は長女には極真空手家と結婚して欲しかったらしい。奨めもあり、29歳で池袋の総本部に入門。
大山総裁が入門時に「長女の娘婿だが、よろしくやってくれ」と道場生に紹介されたと梶原一騎「反逆世代への遺言」にある。
娘婿ということで苦労されたことだろう。やっかみもあったに違いない。
稽古中に「池袋の総本部で悪い先輩がいてな、三戦(サンチン)立ちの立ち方が悪い!と金的を蹴られたことがあったよ」と言ったことがある。
師範は恐ろしかった。体は大きく、強面だった。
F先輩は「師範が稽古中に現れたら、どんなに疲れていてもシャキッとなるね」と言う。
結婚披露宴でのタキシード姿の師範の写真を見たことがあるが、ほっそりとしたイケメン、色白の優男なので驚いた。
「俺は三回同じことを注意して直らなかったら叩くからな」と白帯の時に後頭部を思いっきり叩かれた。目に星が飛ぶ。
運動神経の悪い私は「お前はもう帰れ!」と胸ぐら掴まれたこともある。師範は組手より基本を大切にした。組手の強さは基本あってのことと、徹底的に教えられた。
許永中の子どもたちがこの道場に通っていたそうだ。彼の自伝である『悪漢(ワル)の流儀』に書いている。
「どんな道場なんやろう、そう思ってのぞきに行ったところ、ビルの半地下にあった狭い部屋を道場として使っている。なんとも窮屈そうだ。これはあかん、そう考えた。
私は中崎町にある民団大阪府本部のすぐそばに新たに道場を用意することにした。
住み込みの道場生向けに宿泊施設やサウナも完備したもので、以前の道場の10倍の広さを確保した。
建設費はすべて私が出した。中崎町の道場は関西本部道場となり、私は関西本部会長という立場に就いた」
私には狭いとは感じられなかった。むしろ都心にある道場としては広かったと思う。
大山倍達の死の一か月前に手を取り、言われた。
『松井のことを頼みます。会長がやってくれないとうまくいかないから』
大阪に戻ると、大山さんの長女の婿である津浦にこの話を伝え、『松井を支えようや』と声を掛けた。
長女の婿である津浦は後継となる資格が十分だったが『会長がそう決めたのなら』と答えてくれた。
大山さんの高弟のひとりが松井が後継に就くことを渋っていると聞くと、必死で口説きなんとか認めさせたこともあった」
中崎町に関西本部が移転して間もないころ、指導員から「道場で道場生以外の人に会ってもキチンと押忍!と挨拶するように」とお達しがあった。
稽古後にトイレに入り、用を足して出ていこうとすると用便していた人に怒鳴られた。
「それ会長のスリッパやないか!」
スリッパには「会長」と書かれていた。
余談だが、「悪漢の流儀」には新井将敬と一度だけ会ったことが書かれている。
許永中は北区の中津生まれ、新井は同区の曽根崎と近い。
許が自分も大阪の在日であること、新井の伯父と許の父が親しいことを話すと、突然色をなした。
「在日の人たちが毎日押しかけてきて本当に迷惑しているんです!」と睨みつけるようにして席を立ったという。
ちょうど新井の選挙ポスターに石原慎太郎の第一秘書が「北朝鮮から帰化」とシールを貼るという事件が起きた頃だった。

 

 回顧を兼ねた書評
 僕の初海外旅行は26歳の時のインドだった。
 当時往復チケットは年末料金だったので30万した(泣)。
 行く前は椎名誠の「わしもインドで考えた」を熟読。
 インドでは尻の毛まで抜かれるほどぼったくられ、下痢と発熱で散々だったけど、
 それからはリーマンパッカーとして主にアジアをふらふら。
 アフリカは遠すぎて行けなかった。新婚旅行もバックパックでバンコクと香港へ。
 香港では雑居房のチョンキンマンションで二泊し、妻はぐったりしていた。
 バンコクでは安宿と高級ホテルと泊まり歩き、マリオットのプールで
 溺死しそうになったのは今ではいい思い出だ(嘘)。
 旅も好きだが、旅行記も好きだ。
 この本は主にアフリカ旅行のエッセイだが、面白い。
 何よりも文章がうまい。
 奥さんとのなりそめを綴った「追いかけてバルセロナ」なんか疾走感があり、
 一気に読め、感動的でさえある。
 朝の通勤の地下鉄で読んでたけど、日本にいながら気持ちはバックパッカー。
 旅の本もいいけど、また出かけたいなあ。