法隆寺の解体修理に携わった宮大工の棟梁西岡常一氏と東大と京大の工学部名誉教授との間で建築様式のことで論争があった。後の解体工事の際に釘跡が発見され、西岡の正しさが証明された。西岡は「寺院は学者ではなく、大工が建てたんやからその伝統を踏まえたわれわれのやっていることに間違いはない。結局は大工のやっていることを後に系統立てて並べとるだけで、大工の弟子以下ということです」と言ったそうだ。宮大工としての矜恃と学者以上の知識を持っていた西岡は
修業時代、母親から「棟梁というものは家の中と外のことを一切知らないといけない。使用人の苦しみを知るためには茶碗を洗ったり、洗濯を知っていなければならない」と諭され、食事の調理、後片付け、洗濯、子守りなどの家事を見習い学業と並行していたそうである。
修業時代、母親から「棟梁というものは家の中と外のことを一切知らないといけない。使用人の苦しみを知るためには茶碗を洗ったり、洗濯を知っていなければならない」と諭され、食事の調理、後片付け、洗濯、子守りなどの家事を見習い学業と並行していたそうである。